だが、私が言いたいのは、ただ一つのことなのだ。つまり、考える時間を充分にもてたからこそ一見ローマと無関係な事象でさえもローマ史と比較検討することもでき、それによって史書や研究書から得ただけでは平面的でしかなかった知識も、実感を伴うことで立体的に変わるのだということを伝えたかったのである。書く側が実感できないでいて、どうやって読む側に実感してもらえるだろう。著作を中にして書く側と読む側が共有するのは、そこに描かれ世界を実感するということでもあるのだから。
日本人へ 国家と歴史篇/塩野七生
論文を書くということもまったく同じことであると思います。
すべての思考は、良い論文を書くこと。
でもそれだけでは、寂しいと思うわけです。