明日、行ってきます。
一人の人間が他人の人生を横切る。もし横切らなければその人の人生の方向は別だったかもしれぬ。そのような形で我々は毎日生きている。そしてそれに気がつかぬ。人々が偶然とよぶこの「もし」の背後に何かがあるのではないか。「もし」をひそかに作っているものがあるのではないか。しかし、私にはまだそれがわからない。そのことについて考えた本を読んだことさえない。
もし……/遠藤周作
僕たちは、日々膨大な選択をして生きている。
意識したり、無意識のうちに。解答がない問題に対して、自分が最善と思える直感や論理構成を信じて。
複数の選択肢が存在しても、現実には1つしか選択できない。
僕は後悔することの多い人間です。
選ばれなかった選択肢について、よく想像する癖がある。
あのとき、こうしていれば…と。
決断するきっかけは、僕の心を「横切る人」が存在したからだと思う。
日常における沢山の人間との出会いの中で、たとえそれが、ほんの一瞬であっても心を横切る人が必ず存在する。忘れられない印象を残す人が。
そんな出会いを信じて、僕は勝負に挑む。
もし……/遠藤周作
僕たちは、日々膨大な選択をして生きている。
意識したり、無意識のうちに。解答がない問題に対して、自分が最善と思える直感や論理構成を信じて。
複数の選択肢が存在しても、現実には1つしか選択できない。
僕は後悔することの多い人間です。
選ばれなかった選択肢について、よく想像する癖がある。
あのとき、こうしていれば…と。
決断するきっかけは、僕の心を「横切る人」が存在したからだと思う。
日常における沢山の人間との出会いの中で、たとえそれが、ほんの一瞬であっても心を横切る人が必ず存在する。忘れられない印象を残す人が。
そんな出会いを信じて、僕は勝負に挑む。
歴史的な見方というのは、いきおい、国家や社会のなかに生きる自分という人間が、たとえば、なぜ三一0万人もの人が犠牲となる戦争を日本は行なってしまったのか、なぜ第一次世界大戦の悲惨さに学ぶことなく戦争は繰り返されたのだろうか、という「問い」に深く心を衝き動かされたときに初めて生じるものなのだと思います。つまり、悩める人間が苦しんで発する「問い」の切実さによって導かれてくるものだと私には思えるのです。
ある研究者は、なぜ、ある「問い」を解かねばならないと考えて研究を始めたのか、そのような「問い」は、なぜ解くにあたいする問題なのか。多くの研究者が自らの「問い」と格闘した結果の集大成が教科書になる、そのような実感が持てる教科書があってもいいわけですね。
それでも、日本人は「戦争」を選んだ/加藤陽子
歴史を科学的な分析で客観的に研究する手法で書かれた本。
さすが東大文学部の教授と思わせる明晰な論理構成と文章力に唸った。
高校生の特別講義として行なわれた内容は、事実の直線的な羅列の暗記科目としての歴史ではなく、当時の西欧を中心とした世界情勢と開国間もない日本の置かれた立場を踏まえつつ、歴史的な事柄を起こした人物たちの選択と葛藤を、様々な文献をもとに想像しながら、歴史全体の流れに存在する普遍的な理論を導く歴史学だった。
日本の歴史、特に日本近代史は、痛みを体験した世代が存在するため、主観的な立場から感情的に語られることが多いように思います。
そのためか、なぜ起こったのか?という「問い」に対して論理的で妥当な解答を導けずにいるのではないだろうか。だから、それに対する内省も生まれてこないように思います。
サイエンスの基本は、主観的な立場を可能な限り除外するということにあります。
それと同時に、論理を組み立てる直線的な思考と、サイエンスの歴史において、その現象が成立する背景とを照らし合わせる多面的な思考の両方が要求されます。
以前は歴史という興味を引くことがない思っていたものが、今ではとても気になります。
ある研究者は、なぜ、ある「問い」を解かねばならないと考えて研究を始めたのか、そのような「問い」は、なぜ解くにあたいする問題なのか。多くの研究者が自らの「問い」と格闘した結果の集大成が教科書になる、そのような実感が持てる教科書があってもいいわけですね。
それでも、日本人は「戦争」を選んだ/加藤陽子
歴史を科学的な分析で客観的に研究する手法で書かれた本。
さすが東大文学部の教授と思わせる明晰な論理構成と文章力に唸った。
高校生の特別講義として行なわれた内容は、事実の直線的な羅列の暗記科目としての歴史ではなく、当時の西欧を中心とした世界情勢と開国間もない日本の置かれた立場を踏まえつつ、歴史的な事柄を起こした人物たちの選択と葛藤を、様々な文献をもとに想像しながら、歴史全体の流れに存在する普遍的な理論を導く歴史学だった。
日本の歴史、特に日本近代史は、痛みを体験した世代が存在するため、主観的な立場から感情的に語られることが多いように思います。
そのためか、なぜ起こったのか?という「問い」に対して論理的で妥当な解答を導けずにいるのではないだろうか。だから、それに対する内省も生まれてこないように思います。
サイエンスの基本は、主観的な立場を可能な限り除外するということにあります。
それと同時に、論理を組み立てる直線的な思考と、サイエンスの歴史において、その現象が成立する背景とを照らし合わせる多面的な思考の両方が要求されます。
以前は歴史という興味を引くことがない思っていたものが、今ではとても気になります。
ちょっとした偶然で地元の知り合いと会った。
地元の話で盛り上がると思ったが、テンションは揚がらなかった。
僕は過去に対して執着はない。むしろ後悔と嫌悪で忘れたいことばかり。
過去を懐かしむこと、地元のつながりでアイデンティティを確認すること。
こんな風にして自分の居場所を再確認する人が多いのではないだろうか…
いつからだろうか、昔の自分を知っている人間が苦手になった。
昔のイメージで自分を語られることから、逃げたくてしょうがない。
サイエンスと出合った自分は、過去の自分とは違う。
何処にも所属しない強さ、世間に拘束されない思考、自己本位。
弱虫だった過去の自分が、現在の自分と出会うとどう思うのか?
そんな風に思うのです。
地元の話で盛り上がると思ったが、テンションは揚がらなかった。
僕は過去に対して執着はない。むしろ後悔と嫌悪で忘れたいことばかり。
過去を懐かしむこと、地元のつながりでアイデンティティを確認すること。
こんな風にして自分の居場所を再確認する人が多いのではないだろうか…
いつからだろうか、昔の自分を知っている人間が苦手になった。
昔のイメージで自分を語られることから、逃げたくてしょうがない。
サイエンスと出合った自分は、過去の自分とは違う。
何処にも所属しない強さ、世間に拘束されない思考、自己本位。
弱虫だった過去の自分が、現在の自分と出会うとどう思うのか?
そんな風に思うのです。
映画の感想です。
ダウト
英国のキリスト教学校が舞台。
宗教とは?信じることとは?真実は必ずしも明かされるとは限らない。
フロスト×ニクソン
終盤の詰めが甘いような感じだったが、ニクソンの内面が細かく描写されていたのが良かった。伝統と名門に対する憤りと嫉妬。
ダウト
英国のキリスト教学校が舞台。
宗教とは?信じることとは?真実は必ずしも明かされるとは限らない。
フロスト×ニクソン
終盤の詰めが甘いような感じだったが、ニクソンの内面が細かく描写されていたのが良かった。伝統と名門に対する憤りと嫉妬。