昨日、NHK教育のETV特集で“手の言葉で生きる”という番組をみた。
ろう者の子どもたち、子どもを想う親、聴覚障害に真摯に向き合う教師の成長の記録だった。
手話という日本語文法とは言語を使用する集団が存在し、日本で生活している。
同じであるということはどういうことか?
聴覚障害の子どもたちがどのようにして言語を獲得していくのか、とても興味深い内容だった。表情や体動を利用して細かな表現を重要視する手話を用いた会話では理解していた内容も、文法構造が異なる日本語の文章で表現するとなると上手くはいかない。
せんせいを よみふだ よみました。
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子どもたちは助詞 てにをは を上手く利用することが困難である。
僕たちは、気付いたときには日本語を話す大人に囲まれていた。耳にした言葉をそのまま文章に表せば、意識することなく てにをは を利用することができる。手話で生活する子どもたちにとってみれば日本語文法を学ぶことは、僕が外国語を習うのと同じであるはずだ。そこには、忍耐や意識して集中すること、すぐには上達しないもどかしさといった苦悩が存在する。
自身もろう者である加藤先生という女性教師の教育方法は、実によく練られたものだった。子どもたちには、日本語対応手話や口の動きを読む口話法を強制するのではなく、ろう者独自の文化を大切にしつつ、日本語という外国語と真摯に向き合う姿勢を子どもたちに懸命に伝えようとする姿に感動した。
加藤先生のような教師が増えれば、世界は必ず変わる。
異なることは恥ずべきことでも、排除するべきことでもないと。
また人工内耳を体内に埋め込んだ女の子のエピソードも印象に残った。
オペを行なった耳鼻科の医師は、どうして使わないのか?なぜ声を発しないのか?
と女の子と母親に問いかけていた。確かに医学的に判明しているエビデンスがあり、それに基づく専門科としてのアドバイスは重要であると思う。人工内耳を使用しないまま言語獲得の臨界期を過ぎたことは、オペを行なった医師にとってみれば可能性を潰したように感じるかもしれない。
この場面がとても心に強く残っている。
まだ幼いとはいえ、女の子は決心したのではないだろうか。
加藤先生のように聴覚障害と向き合い立ち向かい続けることを。
母親も決意したのではないだろうか。
娘の障害を受け入れ、支え続けることを。
医師はこの覚悟をどれくらい理解していただろうか。
人と異なるということを受け入れた覚悟を。
同じようになることが良いことなのだろうか?
僕は、音のない子どもたちの豊かな表情や仕種が忘れられない。