ところが、現状のICUは、肉体の生理的システムの状態を推し量るための徴候として、血圧や体温や心拍数や少数の成分濃度しか検査できてはいない。例えば、心拍数が減少して警告音が鳴っても、生理的システムを回復させるために出来ることは余りにも少ないのだ。
だから、ICUの末期状態の病人については、スパゲティ症候群などというふざけた呼び名で管の多さを嘆くのはまったく間違えている。そうではなくて、複雑な生理システムを繊細に調整して病人を生き延びさせるためには、管の数が少なすぎると憤るべきなのだ。そして、いつか膨大な数の管が開発され、一つに纏められ、肉体に内臓される日が来ることを願い信じるべきなのだ。
病いの哲学/小泉義之
現代医学は完成されたものではない。
人間の全てを解明し、理解したのではない。
全てを理解したような態度で、生死を語ることは余りにも無知であると思います。
この本と出合うまでは、医学こそ死を語る哲学だと考えていた。
現在は、生死を語りうる哲学は分子生命学だと思うようになった。
現在では脳死と定義される状態においても
いつの日にか、生命のもつ可塑性を分子レベルで調節できると信じています。