魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

現代医学

2008-10-26 10:47:32 | Weblog
ところが、現状のICUは、肉体の生理的システムの状態を推し量るための徴候として、血圧や体温や心拍数や少数の成分濃度しか検査できてはいない。例えば、心拍数が減少して警告音が鳴っても、生理的システムを回復させるために出来ることは余りにも少ないのだ。

だから、ICUの末期状態の病人については、スパゲティ症候群などというふざけた呼び名で管の多さを嘆くのはまったく間違えている。そうではなくて、複雑な生理システムを繊細に調整して病人を生き延びさせるためには、管の数が少なすぎると憤るべきなのだ。そして、いつか膨大な数の管が開発され、一つに纏められ、肉体に内臓される日が来ることを願い信じるべきなのだ。

病いの哲学/小泉義之




現代医学は完成されたものではない。

人間の全てを解明し、理解したのではない。
 
全てを理解したような態度で、生死を語ることは余りにも無知であると思います。




この本と出合うまでは、医学こそ死を語る哲学だと考えていた。

現在は、生死を語りうる哲学は分子生命学だと思うようになった。






現在では脳死と定義される状態においても

いつの日にか、生命のもつ可塑性を分子レベルで調節できると信じています。





transcriptome

2008-10-24 21:46:33 | Weblog
例えばこんな話がある。

肥満遺伝子をもっているから肥満になる。

言語遺伝子があるから言語を話し、理解することができる。




これはBeadleとTatumが導いた「一遺伝子一酵素説」に依るところが大きい。

アルギニンを生育要求するアカパンカビ変異株を人為的につくり、
ある特定の遺伝子に変異を起こした。

この変異株はアルギニンをつくりだす酵素を合成することができないため、生育することができなくなる。



この実験は完璧に美しい。



しかし、最も単純な真核生物である真菌での結果である。

最も複雑な真核生物である人間に「一遺伝子一酵素説」を当てはめるのは、慎重さを欠いた横暴な態度だと思います。

そしてこの説を容易に疾患の原因として使うべきではないと思います。




ヒトを理解するということは、決して簡単でない。



生命の本質は多様性と冗長性。


動きのない物質世界での一対一対応とは根本的に異なる。





遺伝子という言葉の誤った使用法は最も危険だと思います。


indifference

2008-10-23 21:00:30 | Weblog


好きの反対は嫌いではなく、「無関心」であると思います。


そして、「無関心」はこの世界で最も罪であると思います。



知らなくていいことなんか存在しない。
それは意図的に隠されているということ。




greed

2008-10-19 20:32:50 | Weblog
生まれたときからお金持ちだった人は、きっとお金なんかに降りまわされない。高い教養を受けた人に限って、学位なんか何の役にも立たないよ、と言ったりする。人は誰でも、自分がすでに持っているもの知っているもの―あるいはかつて持っていたもの知っていたものには、興味を示さないものだ。

 持ったことがないもの知らないもの見たことのないもの―。人が貪欲に求める対象は、いつでもそういう種類のものだ。

さいはての二人/鷺沢萠





僕は本当の理解者を求めているのかもしれません。