魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

愛とよばれるもの

2009-02-27 15:08:59 | Weblog
印象に残ったシーンがある。


シュタージに生活の全てを監視されている舞台脚本家の男と女優のカップル。

女優は自分の才能を信じることが出来ずに、薬の服用やシュタージ芸術部門の大臣との関係をもつことで、東ドイツでのトップ女優の位置を維持している。男は女優の才能を信じ、もう大臣とは会うなと女優に告げる。


女優が大臣との逢瀬を終え、車から降りて帰宅する瞬間を、脚本家の男に目撃させようと、二人を監視するシュタージの大尉が意図的にドアのベルを鳴らす。男は玄関でその瞬間を目撃する。その場で出ては行かず、家の中に戻る。


そのとき大尉は、「見ものだぞ」と独りつぶやく。


家に帰ってきた女優は、何も告げずにすぐにシャワーを浴びる。

シャワーから出てきた女優は、男に抱きしめてという。
男は何も問わずに、ただ強く抱きしめる。



このシーンに、僕は、知識や芸術の存在意義を確信した。
芸術や文学を信じる人間のその場の感情に身を任せるのではなく、思慮深い行動。

うまく表現することは出来ないのだけれど、そこには愛を呼べるようなものがあったと思う。



理想の行き着く先には何があるのか。
思想が作り出した世界とは何であるか。



芸術や文学は何のために存在するのか。


午前一時十六分

2009-02-25 00:54:26 | Weblog
これが一番いいもの
この短い単純きわまりない旋律が
ぼくは息をこらす 僕はそっと息をはく
人を愛することの出来ぬ者もモーツァルトに涙する
もしもそれが幻ならこの世のすべては夢にすぎない

谷川俊太郎



僕は感情において著しい欠陥を抱えて生きています。
自分自身でさえ理解できずにいるのに、誰かを理解しようとすることなんて。



誰かのために何かできることは不可能。

それでも、いつも誰かのために何かをしたいと切実に想っています。



音楽や芸術で表現が出来たなら、
たとえそれが、自分自身の癒しのための演奏や作品であったとしても
奇跡的な確率で誰かの心の琴線に触れるかもしれません。決してnullではないのです。



何もできない僕は、いつも音楽や芸術に頼ってばかりです。
いつか、誰かのためにと想いながら。


細胞周期

2009-02-23 21:44:46 | Weblog
まだまだ知らないことが多くて、今までやってきた勉強の不足を痛感する。


一つの細胞においても、その全てを解明したわけではない。
セントラル・ドグマと分かったような顔をして、細胞生物学を語るのは罪深い。


ひとつ解明されたら、その数百倍もの理解できないことが生まれる。
自然と研究においては、この圧倒的な非対称な関係がある。




知っていることは、知らないということ。

量子力学

2009-02-22 18:45:09 | Weblog
生物、および生物が営む生物学的な意味合いをもつあらゆる過程はきわめて「多くの原子から成る」構造をもっていなければならない。そして、偶然的な「一原子による」出来事が過大な役割を演じないように保障されていなければならない、と。

生命とは何か/E・シュレーディンガー



大学院へと進学した友と飲み語り明かした。
医学、歯学、生物学、分子生物学、遺伝学、物理学、量子力学について


彼は「覚悟」を呈してくれた。


生物学の魅力に取り憑かれた者だけが見ることが可能な世界を
共有できるということの喜び。


僕はずっと独りだった。
彼と語り得るまでは。



これからは、世界一のラボに進学する彼の背中を追うことになるはず。
だからこそ、今まで以上に激しく情熱的に独りで戦い続けること。