印象に残ったシーンがある。
シュタージに生活の全てを監視されている舞台脚本家の男と女優のカップル。
女優は自分の才能を信じることが出来ずに、薬の服用やシュタージ芸術部門の大臣との関係をもつことで、東ドイツでのトップ女優の位置を維持している。男は女優の才能を信じ、もう大臣とは会うなと女優に告げる。
女優が大臣との逢瀬を終え、車から降りて帰宅する瞬間を、脚本家の男に目撃させようと、二人を監視するシュタージの大尉が意図的にドアのベルを鳴らす。男は玄関でその瞬間を目撃する。その場で出ては行かず、家の中に戻る。
そのとき大尉は、「見ものだぞ」と独りつぶやく。
家に帰ってきた女優は、何も告げずにすぐにシャワーを浴びる。
シャワーから出てきた女優は、男に抱きしめてという。
男は何も問わずに、ただ強く抱きしめる。
このシーンに、僕は、知識や芸術の存在意義を確信した。
芸術や文学を信じる人間のその場の感情に身を任せるのではなく、思慮深い行動。
うまく表現することは出来ないのだけれど、そこには愛を呼べるようなものがあったと思う。
理想の行き着く先には何があるのか。
思想が作り出した世界とは何であるか。
芸術や文学は何のために存在するのか。