魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

for you

2007-07-31 00:15:59 | Weblog

伝える方法は言葉しかないのに、言葉だけでは足りないのかもしれない。
僕が有する言語体系とあまりにも異なるからなのだろうか…





私がその石を青いと言うとき、それは青いというのが正確な言葉であるからなのだ。私を信じてほしい。

フロベール







終わりのない追いかけっこ

2007-07-29 19:52:15 | Weblog
最後の夏休みです。


夏休みの過ごし方で、一番幸せを感じるのは
読みたかった本、読まなければならない本、難しい本
全て山積みにして、それを読み続けることです。


そのような読書の中でも、最高に幸せを感じるのは
翻訳された小説と英語で書かれた原書を読み比べることです。



この読み方は時間がある時にしかできない贅沢な読み方。





翻訳された文章の中には、―既成の翻訳家が訳した文章も含めて―いわゆる「透ける」という現象がしばしば起こる。


良い訳文というのは、「あたりまえの」文章である。あたりまえの平明な文章でありながら、どれだけ原文の意を損なわずにいられるかということが勝負になる。だから言うまでもなく、「透ける」ような文章は良い訳文とは呼べない。

町へ出よ、キスをしよう/鷺沢萠





自分で訳しながら読んだ印象と翻訳家が訳した印象とはこんなにもギャップが存在するものかと感慨に耽ることがある。

つまりこれは、その人が母国語ではない言語を学ぶ・使うスタイルにおいての神経シナプスの表現型であると思う。


もっと言うと、その人の言葉に対する考えの表現型である。


ある言語体系における言葉は共通概念であるにもかかわらず、
その定義は個人によって微妙に異なる。







言葉というものに魅せられているからこそ、人は読書するのだろう。



confusion worse confounded

2007-07-26 22:24:21 | Weblog

たしかに「あきらめる」ことや「信じない」ことは、ことばとしてはあまりキレイではない。けれど、「あきらめないことにしたから」、「信じることにしから」と、真綿のように白く美しいことばの中にぬくぬくと埋まっているのは、それの何倍もたやすいことだ。



最後まであきらめるな、あきらめされしなければ必ず望みは叶うものだ、というようなことを本気で口にする人は、きっと、奥歯を噛みしめて、額に血管を浮かばせながら、それでも「あきらめる」を選択するしかなかった、信じたいのに、信じられればそれほど楽なことはないのに、それでも「信じない」を選択するしかなかった、そういう経験のない人ではないかと思う。

ありがとう。/鷺沢萠






自分のことを必要としてくれること

誰かのために頑張れること





自分のために頑張ること

自分を信じること、あきらめないこと