魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

公聴会の前だから

2014-01-20 23:41:42 | Weblog
「神あるいは自然」と考えたスピノザは、真理は変わらないからこそ真理であり、
真理に触れるということは永遠に触れることだと考えていた。

現実は真理だけでできているのだから、今ここでの現実を生きる者は
永遠としてこの瞬間を生きるのだと。

論文を読み、研究計画を構築して、実験を行う。
得られた結果を元に、論文を作成して他者の評価をもらう。

これが博士課程の全てです。それ以上でも、それ以下でもない。
(人間的に成長するとか、世界で一番賢くなるとかでない)


自分の仮説や実験系を偽ることなく、真摯に研究に向き合ったならば、
目の前の現象は真理なのだから、僕の論文は永遠に触れたことになる。



世の中的には、学位なんて意味のないもの、
ただの自己満足でしかないと評価されるけれど、



僕にとっては、学位はやっぱり必要で大切なものだと、こんな風に思うのです。






振り上げた拳を

2014-01-08 21:19:25 | Weblog



やはり、人生に対して期待してはいけないのです。


誰からも必要とされないこと。

自分の実力の無さを痛感すること。

運も必要であること。



たったこれだけを学ぶために、随分と人生を浪費したような気がします。






抗ってきたすべてが虚しく感じるのです。