魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

絶対的な差異

2009-04-16 20:09:03 | Weblog
どんなに想っても、どんなに伝えたくても
他者には絶対につながることは現時点ではありえない。


だからこそ、決して理解し合うことないという立場をとること。
だからこそ、共通の言葉を用いて向き合い、真摯に議論すること。



人はみな同じではないということ
日本では認識することが困難なこの事実に気づくこと




受け容れ難い意見でも、まず傾聴することから全てが始まると僕は思う。


心の支え

2009-04-14 22:04:34 | Weblog
結論を言うようだが、「弱さ」は「強さ」の欠如ではない。「弱さ」というそれ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象なのである。それは、些細でこわれやすく、はかなくて脆弱で、あとずさりするような異質を秘め、大半の理論から逸脱するような未知の振動体でしかないようなのに、ときに深すぎるほど大胆で、とびきり過敏な超越をあらわすものなのだ。部分でしかなく、引きちぎれた断片しかないようなのに、ときに全体をおびやかし、総体に抵抗する透明な微細力をもっているのである。

フラジャイル/松岡正剛

過去に引用した弱さについての考察。




僕は、賢くもなければ強くもありません。



賢くないからこそ、信じることができる。

弱いからこそ、信じることで強くなれる。

変化・成長

2009-04-13 22:24:14 | Weblog
最近、大好きな読書をしても昔のような感情の起伏が起こらないということに気づいた。 感情移入して、本気で感動したり、泣いたりすることがなくなった。



繊細の代わりに強くなったから?

分別が身について、大人になったから?



社会に出るということは、心を鉄のように固く閉ざすことなのだろうか…

今の世界で起こっている出来事に対してドライというか、想定の範囲内というか…



僕は、本気で何かをするということを切望しているのかもしれません。