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sky is blue

言わなければよかったのに日記

キー・オブ・マイ・ストーリー

2004-12-15 23:43:05 | AYU
随分と間が空いてしまった。これ、日付は2004年12月15日だけど、書いてるのはもう年明けてるもんね(皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします)。せっかくのインターネットだっていうのに、ちっともリアルタイムじゃないよ。いやぁ、書きたいことがあり過ぎるような何もないような、自分で何が書きたいかよく分かってないような、その前に書くべきか書かざるべきか……色々考えてたら、年が明けちゃった。

ええい! もう!

今日はここで一つカミングアウトをしようと思うのです。この日記を始めてから約半年間、色々なことをつらつらと書いてきたわけですが、すべてはこのときのための準備に過ぎなかったと言っても過言ではないでしょう(冗談です)。そして、それは、この日にこそふさわしいと思ったのです。そう、2004年12月15日は「浜崎あゆみ」のニュー・アルバム『MY STORY』の発売日なんです。というわけで、告白します。実は私、浜崎あゆみが好きなんですよー。いや、正確に言えば、好きになりました。なってしまいました。そんなこと、カミングアウトとかいって何を大げさに言ってるんだと思われるかも知れませんが、お許し下さい。おそらく、私にとっては大事件、そんな気がしてしまうのですから。

だって、好きどころか、最初は嫌いだったのです。「大」が付くほどだったかも知れません。それが今では……。今でも、なんで好きになってしまったのか、どうして好きなのか自分でもよく分かってません。むしろ、好きじゃない理由の方が思い付いてしまったり、納得してしまったりするやも知れません。変な話です(そして失礼な話です)。それに、何人かの友人には私が彼女を好きだということを打ち明けたのですが、ほぼ全員、意外だという反応を返しました。皆、私が浜崎あゆみを好きだということが相当意外なようです。カラオケで彼女の歌を歌ってみれば、マイクを手にした私を見て「え? あゆ? なんで?」と本気で理解不能と驚きをないまぜた表情を見せる友人もいました。私が少しでも彼女の話をすると相当可笑しいようで、私が彼女の名を口にしただけで、笑いをこらえ切れない友人もいました(これは私の話し方の問題?)。親でさえ、私の部屋から彼女の歌声が流れてきたのをたまたま聴いて、「あんたがあゆだなんて珍しい。どうしたの?」みたいに言ってきたのですから。ええ、ええ、どーせ似合わないですわよ!(笑)

うん。分かるよ。私も最初は嫌いだったんだし、自分でも驚きだもんショックだもん認めたくないもん(笑)。それに、そういった驚きを見せた友人たちは、少なからず私の音楽の趣味を知っていて、その傾向と浜崎あゆみがあまり結び付かなかったのでしょう。レディオヘッドとあゆの話を同列に同じテンションと情熱でもって話す私に、「頭おかしいんじゃない?」と冗談まじりで言った友人。「うん。頭おかしいんだと思う」と同じく冗談まじりで返した私。うん。分かるよ。分かるけど、分かるけどさー、そんなに驚き? いや、最初は私もネタ的にというかその驚きを自ら楽しんでいたところがあったんだけど(ごめん、あゆ(笑))、だんだんそうもいかなくなってきたのです。気付いてみれば、すごく好きになってしまっていたからです! (完全に私の負け。再び、ごめん、あゆ(笑))

だからといって、何もこんなところで大げさにカミングアウトとかいって書く必要もないとも思いましたが、こんなだからこそ、彼女について私にしか書けないことがあるのではないか? いや、彼女についてだけではない。私の音楽の趣味の傾向と彼女があまり繋がらないというのが世間の認識であるならば(って私みたいな人も一杯いるんだろうけどさ)、私が好きな他のアーティストについても、はたまた音楽についてだって、私だからこそ書ける新しい何かが生まれてくるのではないか!という超自分勝手かつ自意識過剰かつ誇大妄想な思い込みによって(笑)、恥ずかしさをかなぐり捨てて(なんで恥ずかしいんだぁバカヤロー!)、勇気をもって(笑)、書いてみることにしたんです。ってか、これを書かないで何を書く?みたいな(あーあ、大風呂敷広げちゃったよ)。自分でも分かりたいっていうのもあるしさ。

といっても、何から書いたら良いのやら……。もしかしたら、私は、何かを見つけたと思っているけど、何かを見失っているだけなのかも知れないし、目覚めたつもりで、眠らされてるだけなのかも知れない。少ししたら、「あれは間違いでした~」って言ってるかも知んない(笑)。でもさ、分かんないじゃない。私が蝶になってる夢を見ているのか、蝶が私になってる夢を見ているのかは(by 荘子)。って、ちょっと話違う?(笑) まぁ、蝶になってるときは思いっきり蝶でいようと、私でいるときは思いっきり私でいようと、多分、それだけだよ。話違うかもだけど(笑)。とりあえず今回は、長くなっちゃうので、好きだってことのカミングアウトのみさせていただきました。まわりくどくてスミマセン。あ、好きだってこと、秘密でお願いね(笑)。

『MY STORY』の発売日によせて(書いてる日違うけど…笑)。


あなたと私は違うし同じ

2004-12-12 19:09:13 | 音楽コラム
「みんな違う(孤独)ということが同じ(共通)わけだから、共有は孤独から生まれるのだろう」

私は、「PUSHIM @Zepp Tokyo」でこんなことを書いていた。これについてもうちょっと書いてみようかな。

要は、「人は一人一人違う。そして、一人一人違うということがみんな同じ」って言いたかったんだと思う。一人一人違うから、人はやっぱり孤独なのかなと考えていたら、そっか!それ(孤独)が共通点なんだ!と。で、それが共通点ならば、共有ってのは孤独から生まれるものなのかも知れないなぁ~なんて思ったんだ。

例えば、エレカシにしろシロップにしろ椎名林檎にしろ、超個人的な歌に過ぎないかも知れないじゃない。なのに、それに共感する人がいる。それとは対照的に、共感を前提としたもの、かつ、個人が見当たらないもの……例えば、明らかに20代の若者を対象としているような曲で、かつ、作り手の個人も特に見当たらないような曲とか、それはそれで良いのかも知れないけど、例えばそれを50代60代の人が聴いたら疎外感を感じるんだろうな~とか。それが悪いとは言わないけど、私はなんか淋しいなぁって思っちゃうんだよね。すべての人を対象にしろと言っているわけじゃない。そうじゃなくて、なんて言ったらいいのかな……。

例えば、突き詰めていけば「20代の若者」だって一括りにすることはできないと思うの。一人一人違うのだから。

「100匹の迷える子羊を救うために、法律や秩序というものが必要なんだ。それでも救えない1匹のために必要なのが芸術なんだ」

こんな言葉があるらしい。そう、たくさんの人がより良くより豊かに生きていくために法律とか社会とかがある。法律は、ある特定の誰かのためにあるものではなくて、みんなのためになくてはならない。個人的ではなく、一般的でなくてはならない。でも、音楽は法律じゃない。一般的でなくて良い。私達は、法律の中では「20代の若者」とか「ガラスの10代」とかそういう風に扱われるけど、本当はそんな人、誰もいない。「20代の若者」なんて人、どこにもいないでしょ。音楽の中では、「20代の若者」とか「ガラスの10代」とかにならなくったって良いんだ。「ぼく」とか「わたし」であればそれで良い。

すべての人間を完全に一つにすることはできない。でも、世界は一つしかない。だから、「みんな」という“誰もいない場所”を追求することで、あらゆる矛盾と闘い、秩序を保とうとするのが法律なんだと思う。法律はそのためになくてはならないと思う。でも、音楽で法律をやろうとしたって無理だよ。音楽は法律じゃないんだからね。「個人」を忘れて、一部の共感を狙えば、どこかに疎外感が生まれる。そして、その狙ったはずの共感だって、実は空っぽ、無人だよ。「20代の若者」なんて人、どこにもいないんだから。そこには誰もいないんだ。きっと、矛盾しているようだけど、個人が見えれば見えるほど、共感されていくんだ。一人一人違うということがみんな同じなんだから。法律とは違う方法で、人を繋げてしまうんだ。

音楽で法律をやろうとするなんて本末転倒だよ。音楽が法律になるのなら、音楽なんてなくったって良いんだ。

「聴いた人みんなが、“自分のために歌ってくれてる!”って思えるような音楽を作っていきたい」

そんな泣かせることを言ってくれたミュージシャンがいたなぁ(ワタナベイビーさっ♪)。個人が見えれば見えるほど、そこに自分を見つけたりするんじゃないかな。誰もいなきゃ、自分だって見えなかったりするじゃん。他者は鏡なんだ。何も個人的なことだけを歌えと言っているわけじゃない。それは表現方法の問題だから。

宮本が宮本のことを歌う。それを聴いた誰かが「私の歌だ!」って思う。それって、ものすごい素敵なことじゃない?

*********

ところで、最近のカラオケは凄いですねー。何がって曲の充実ぶりですよ。あんな曲やこんな曲まで。キング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」なんて、歌うところほぼないやんけ!みたいな。間奏を<ラ~ラララ~ラッラ~>みたくして歌うんでしょうか。アンダーワールドとかのクラブ・ミュージックもあるんですね。しかし、女子十二楽坊もあるんですよ。映像(PV)を楽しむんだそうです。まぁ、それは序の口、エレカシも一杯あってびっくらこきました。ひぇ~。UAも最新アルバムから何曲かあって、これは拷問じゃないですか?(笑) カラオケでどう歌えと言うんです? ま、歌うけど(笑)。歌うっていうか、入れるけど。入れるだけなら、リモコン押せば誰でもできるもんね(笑)。

これはこれで嬉しくて喜んでたんですけど、こんなにも細分化・多様化されてるってことなのかぁと感慨深い気持ちになりました。その分、やっぱり、みんな知ってる!って曲は少なくなってきたんでしょうか…。そりゃ、ポップ・ミュージックが定着し、ミュージシャンもどんどんどんどん増えてるんだから、当然っちゃ当然ですよね。ジャンルなんて今いくつあるんでしょ? 「一人一人違う」のだから、細分化されて当然ですよね。でもさぁ、「一人一人違う」を突き破って「みんな同じ」になっちゃう音楽ってやっぱ素敵だと思うなぁ。凄いと思うなぁ。それを聴きたいって思っちゃうなぁ。

「一人一人違う」なくして「みんな同じ」にはなれないけど(それを前半で書いたわけだけど)、「一人一人違う」で止まってない、甘んじてない音楽ってやっぱ力を持つと思うし、それを突き破って「みんな同じ」になる瞬間ってやっぱ凄いと思う。

少なくとも私は、自分の好きな音楽は、他の人が聴いても素晴らしいって思うはずだ!って思ってるよ。実際はそうじゃなくってもね(笑)。


平成理想主義の旅を終えて

2004-12-10 21:20:11 | エレカシ
ツアーはまだ終わってないけど、私が行くのは終わったってことで。

いやぁ~、ライヴのことを書くつもりが、軌跡を辿ったり、「ここからはライヴの話」とか書いておきながら、どうもライヴというより曲の感想になっちゃったりしてて、本当すいません。しかも長いし、長すぎるし。ほーら、みんな引いてるじゃないか(笑)。本当は、この投稿も「リキッドルーム恵比寿」の記事内に書こうと思ってたんだけど、字数オーバーで入らないってさ。頑張って削ろうと思って試行錯誤してたんだけど諦めた。懲りない私は(肩は凝ったけど)それでも書く。ますます熱苦しくなっちゃうと分かってても。だってだってエレカシが……。嗚呼、どうしようもない。

ライヴが終わって、ぼんやりと考えた。

“敗北”から始まったなんて書いたけれど、今回のツアーを終えて、エレカシは何らかの“勝利”を得られるのだろうか――。ふとそんなことを思ったら、前作『扉』の制作現場を追ったドキュメンタリー映画『扉の向こう』でとても印象に残った宮本の言葉を思い出した。

「誰も勝った人なんていないんだよ」

宮本からフイにこの言葉が出てきたとき、何かが一気にグワ~ッて込み上げてきて、ブワ~ッて押し寄せてきて、泣きそうになってしまった。だって、宮本の口癖を知ってる?

「勝ちにいこーぜ!」

いつもそう言ってる人がそんなこと言ってるんだよ? つまりそれは、「誰も勝った人なんていないんだよ」って言ってしまえる人と同じ人が言ってる台詞なんだよ? そこにエレカシの、いや、人間のすべてがあった。すべてを感じた。

結局は勝てないのかも知れない。結局は敗北と死に向かうだけなのかも知れない。それでも、勝ちにいく、「勝ちにいこーぜ!」と言う。いや、だからこそ、勝ちにいける、勝ちにいき続けられると言わんばかりに。「勝ちにいこーぜ!」――宮本の口癖。<敗北と死に至る道が生活>だと歌う宮本の口癖なんだ。結局は勝てないのかも知れないと知っていながら言っているんだ。「勝ちにいこーぜ!」――勝利なんてそんなもん、どこにも存在していないのかも知れない。勝利が何かも分からないし、何に勝ちにいくのかも分からないし、どうやったら勝ちなのかも分からない。それどころか、実は知っている。生きることの結末を――。宮本、それでも勝ちにいくのかい? 「勝ちにいこーぜ!」と言うのかい? それが敗北に向かうことだと、死に向かうことだと知っていながら言うのかい? なんてことだ。まるで人間みたいじゃないか。敗北に向かいながら勝ちにいく。死に向かいながら生きる。

勝ち組とか負け組とか、いい加減にしてくれないかな。どんな人もみんな最期は一人で死ぬんだよ。みんな負けるんだよ。誰一人として例外はいない。生きている間は、勝てもしないし負けられもしないんだよ。せいぜい勝ちにいく(負けにいく)ことしかできないんだよ。

「死にたいは生きたいだ」――こんなことを言った人がいるらしい。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」――『ノルウェーの森』に書いてあった。

「死に場所」は「生きる場所」だし、「死に様」は「生き様」なんだ。

勝ちにも負けにも興味はないね。そんなことに構っている暇はないんだ。私たちはみんな、負ける(死ぬ)し、勝つ(生きる)のだから。勝ちにいく(負けにいく)だけだ。

何度目の生だ!
何度目の死だ!
パワー・イン・ザ・ピープル!
何度でも死んでやるぜ!
何度でも生まれてやるぜ!

どーんといこうぜ!(これも宮本の口癖)

こんな風に歳を取っていけたらなぁ――今回のライヴをみながら、私はそんなことまで思った。宮本さん、私にとっては、あなたは、<架け橋たる存在>であり<スーパーマン>ですよ。だってきっと私の未来にあなたは存在しているから(ああ言っちゃった恥ずかしい)。「渋谷AX」でも書いたように、どんなときもエレカシは“今”にこだわる“現在指向”のバンドだった。私には、それがとんでもなく輝いて見えた。でも、今回、宮本はついに歌った。<未来指向>を。ついにエレカシに<未来>が登場したんだ!(これは『風』のことを書くときにでも…多分)

しっかし…エレカシ聴いてると、どんどんどんどん男っぽくなっていってしまう気がするのは私だけ?(汗) 文章の中とは言え、口調も男っぽくなっちゃってるしさぁ。これで良いのか私。ああ、女性ヴォーカル聴かなくちゃ聴かなくちゃ(笑)。

なーんてね。
どーでも良いのさ。(これも宮本の口癖…笑)

さらぬだに風を感じながら、私は今日も歩いていく。
その先が「敗北」であり「死」であっても。
だってきっとそれが「勝利」であり「生」なんだから。

「敗北」に向かうことが「勝利」。
「死」に向かうことが「生」。
「敗北」を知って「勝利」を知る。
「死」を受け入れて「生」を受け入れる。
ハロー人生!!

そうして初めて、「負けた」は「勝った」に変わり、「死んだ」は「生きた」に変わるんでしょう? え? そんなの分からない? そうか…。それでも良いよ。悲しみの果てに何があるかなんて知らないし、見たこともないんだ。

でも、幸運にも私は、好きみたいなんだ、生きてることが。

「勝ちにいこーぜ!」――今日も宮本はそう言っているのだろうか。それが「負けにいこーぜ!」と違わないと知っていても。エレカシは、敗北と死に近づきながら、勝利と生に近づいているんだ。

*** 追伸 ***

『平成理想主義の旅』も残すところ一公演ということで、こんなにも恥ずかしい文章を書いてしまいました~。いつもこう熱苦しいワケじゃないですよ~! 実はいたってクールなのです?(笑) 勝ち組とか負け組とかも言ったりします!(笑)


平成理想主義の旅 @LIQUIDROOM ebisu

2004-12-03 20:43:11 | エレカシ
「渋谷AX」に続いて、行ってまいりました。エレカシのツアー『平成理想主義の旅』。渋谷(初日)から、名古屋 → 福岡 → 岡山ときて、本ツアー5回目となる公演。

それにしても、「平成理想主義の旅 @SHIBUYA-AX」で書いたように、なぜ私は、ここ5年くらいのエレカシの活動ぶりを振り返りたくなったのだろう。そんなことを思いながら、AXでのライヴを思い出してみて、ちょっと納得した。セットリストが、最新作『風』中心ではあるけれど、2002年の『DEAD OR ALIVE』からの代表曲的セットリスト、言わば、2002年後半からのエレカシの総括的なセットリストだったからだ。

エレカシは本気だった。ファンが心配するその何倍もの切実さと厳しさでもって、エレカシはエレカシに危機感を持っていたのだと思う。ファンは勝手に心配していれば良いだけの話だけど、宮本浩次・石森敏行・高緑成治・冨永義之の4人にとっては、“エレファントカシマシ”こそが「俺の道」なんですから。バンド・サウンドに回帰した『DEAD OR ALIVE』発表後、エレカシは対バン形式のツアー『BATTLE ON FRIDAY/BATTLE IN KOBE』を行い、ブラフマン、Syrup16g、モーサム・トーンベンダー、ハスキング・ビー、ザ・バックホーン、怒髪天、DMBQ、キング・ブラザーズといった勢いのある若手バンド(どれも濃い!)と対バンしていった。こんな企画を思いつく発想にもやろうとする勇気にも頭が下がるが、このツアーを終えての宮本の言葉にドキッとさせられた。「完敗」――。そう思えること、そうハッキリ言えることに、感服した。

その“敗北”が全ての始まりだったのかも知れない。一万回目の旅のはじまりだ。1曲目は「一万回目の旅のはじまり」だし(それはこじつけかも知れないが)、そこから始まった、バンドを鍛え上げる旅の成果を確認し総括するのが今回のツアー『平成理想主義の旅』の目的だったのかも知れない。だから、そこにはここ2年間のエレカシの軌跡がギュッと詰まっていて、それで私も、振り返りたくなったのだろう。

それと、この日記を読んでくれてる人の中には、特別エレカシのファンではないって人の方が多いから書いたってのもある(でも長くてゴメンなさい)。だから、ここを読んでくれてるエレカシ・ファンの人からすれば、「そんなこともう知ってるんじゃー! そんなことよりライヴのことを書けライヴのことを! どあほー!」って思っておられるかも知れませんが(笑)、お許し下さい。だって、自分だけにしか分からないことを自分だけにしか分からないように書いたって意味がないって思ってしまうからなんだもん。全ての説明だ!! それが DJ in my life。 しっかし、それも良し悪しなんだよなぁ。っと、いけない、これは独り言(笑)。

話を元に戻すと、しかしその2年の間に、ミニ・アルバム1枚、フル・アルバム3枚ですか…。さらぬだに(そうでなくてさえ)濃密な期間だったため、いま吃驚しちゃった。これ全部、たった2年間の出来事ですかい! 私が受け止めていた何倍もの重みがあったんだね、エレカシが感じたリアルな「完敗」には。<俺の両腕いまだ勝利無く されどこれという敗北も無く>と歌っていたのに…。敗北と死に至る道が生活ならば、エレカシはしっかりと前に進んでいるってことになるんだろうな…。

更に、今回のライヴは言葉を必要としないっていうか、ライヴの様子を事細かに語るよりも、ここ最近エレカシが辿ってきた軌跡を語る方が、もしかしたら伝えられることが多いんじゃないか、それがそのまま今回のツアーが物語っていたことに繋がるのではないかと思ったからだ。“敗北”を知って“バンド”を鍛え上げたエレカシ――それがよく出ていたし、今回のツアーはそれが全てと言っても良いのかも知れない。まだ終わってないけど。

さて、ここからはライヴの話。

AXにはAXならではの、あの会場の広さからくるスケール感と音響の迫力があったが、リキッドは会場が狭いため、より一体感がありパワーが凝縮されていた。回を重ねてきたからか、ミヤジもノッていたと思う。近いためAXのときよりよく見えたからってのもあると思うが、声もよく聴こえてきたし、良い意味でAXのときより幾分かリラックスしているように見えた。しかしそれとは対照的にバンドの演奏はより引き締まっていた。迫力が凄い。一体全体、この迫力はどこからくるんだろう。演奏力や雰囲気が凄いバンドなんて他にもいる。しかしエレカシの持つこの“気”は何なのだろう。年季なのだろうか。でも、同じ年くらいのユダとか、解散してしまったけどミッシェルとかには、この感じはないんだよなぁ。ユダとかミッシェルとかはさ、どーしたってカッコ良いじゃん。彼らのことをよく知らなくても、なんかカッコ良いって気がするじゃん。変な話、自分はカッコ良いって思わなくても、ああいうのをカッコ良いって言うんだろうなって気がするじゃん。素でカッコ良いっていうか、有無も言わせぬカッコ良さ。それはそれで何でなんだろうって思うんだけど、エレカシはどーしてそうなれないんだろう。ならなくて良いし、それがエレカシなのだからなって欲しくないけど、なんちゅーか、エレカシは、全然ロックじゃないのにロックなんだよ。そこにどうしようもないスリルを感じる。ワクワクするしゾクゾクする。私はこの迫力が好きなんだな。

冒頭、「パワー・イン・ザ・ワールド」 → 「生命賛歌」と続けてやっちゃうのって凄いと思う。どちらも締めで歌うような(あるいは1曲目とか)曲だもん。いきなりクライマックスが2回も!みたいな。次の「人間って何だ」から『風』の曲へ。トミの四つ打ちバスドラからの入りがカッコ良い! 『風』はライヴで聴いてこそ映えるというか、ライヴの方が断然カッコ良い。CDだけだとそんなに好きにはならなかったアルバムかも知れない。バンドを鍛え上げることを考えれば、作品よりもライヴにその真価が表れるのは必然的なことかも知れないし、ライヴが良いのならその成果の何よりの証と言えるのだが、CDだってライヴだってエレカシはエレカシだ。バンドは、ライヴとCDの追いかけっこを繰り返して成長するらしいから、こんなに頼もしいバンドとなったエレカシをCDにも刻まなければっ! 一万回目の旅は始まったばかりなのだ。

「風に吹かれて」をハンドマイクで。この曲のハンドマイクを初めて観た(と思う…「JAPAN CIRCUIT -vol.20-」のときはどうだったっけ?)。そして「友達がいるのさ」。これ、イントロある方が好きかもなぁ。クリスマスに合うって! 東京中が電気で彩られるクリスマスにね(笑)。「平成理想主義」を聴きながら、これ、ミヤジの歌がなくても(ない方が?笑)十分カッコ良いって思ってしまった。これは凄いよ。ストーンズでミックの歌がなくてもとか、クイーンでフレディの歌がなくてもとか、オアシスでリアムの歌がなくてもとか、そういうことなんだから(ちょっと違うか)。エレカシでそんなこと思える日がくるなんてね。後半ゆっくりになってバラード調になるところで泣きそうになってしまった。高い山を登り切って見えた朝焼けみたいな。ふと、この曲はエレカシ版「パラノイド・アンドロイド」(レディオヘッド)なんだ!とか思ってしまった。ジワジワと盛り上がり、ギターじゃかじゃーん!、そして、知らぬ間に小さな小さな奇跡が起こったかのように思いがけず静けさが訪れるところ! 一聴すると全然違う曲なのだが、「パラノイド・アンドロイド」は『OKコンピュータ』に入ってるんで良かったらドチラも聴いてみて下さい。

そこからはラストに向かって畳み掛ける。「達者であれよ」は、テンポが遅くなったり速くなったりして、エレカシ、いつの間にこんな演奏できるようになっちゃったのぉ~!? 嬉しくなってニヤけちゃったよ。続いてAXではやらなかった「今だ!テイク・ア・チャンス」。私は「彼岸と此岸の狭間で」で書いたように「勝利を目指すもの」が聴きたかったのだけど、やっぱりライヴ映えするのはこの曲だーね。これこそ、CDよりライヴの方が良い! <サマータイムブルー>を<ウィンターブルー>に変えて歌ってました。<タイム>も入れてたかな? <今だ!テイク・ア・チャンス>と声を張り上げてコーラスしていた石君が印象的でした。

で、「化ケモノ青年」「俺の道」で本編終了。「俺の道」みたいな曲って珍しいと思う。サビらしきサビもないし。というかサビを放棄して、<でゅでゅでゅ でゅっでゅっでゅっ>って爆発してる感じ。ギターもなんか変わってる。コードを弾くんでもないし、リズムを刻むだけってんでもないし。かと思えば、ベースが結構歌ってたり。順番もなんも放棄してる感じ。「JAPAN CIRCUIT -vol.20-」で「何かが壊れていく音と何かが生まれる音を同時に聴ける」って書いたけれど、まさしくエレカシの「破壊と創造」が味わえるのはこういう曲なんじゃないかと思ってしまう。ロックじゃないエレカシがロックになる瞬間。やっぱり私はこの迫力が好きなんだな。

そういや、今日はほとんどMCがなかった。そんなことも忘れていた。もうその「音」だけで全てを物語っていたのだろう。

そしてアンコール。今にもリクエストしそうな客の勢い(エレカシはその場でアンコールの曲を決めることも多い)を前に、ミヤジ「やる曲決まってますから」と言っていたそうだ(聞き取れなかった)。よほど次やる曲に「どうだ!」という思いがあったに違いない。それもそのはず、アンコール1曲目は「凡人 -散歩き(そぞろあるき)-」! 4枚目『生活』収録の曲。も~~~、イントロのギターで頭を殴られ、出だしの<うらやま~しきは>、正確には<うらや>の時点で昇天ですよ昇天。すごいー。バンドとしてのカッコ良さに酔わされていた私ですが、思い出させられましたよ。宮本さんの歌の凄さを。<我が肉食えやと カラスどもに>って歌詞も凄いけど、それを放送コードぎりぎり(?)のこれは良いのか?ってくらいの裏声で…。もう宮本さん素敵すぎるー。おかしすぎるー。キレすぎー。奇人怪人変人……でもそれは凡人の五万倍ぐらい正常ってことなんだ! 正常すぎることが異常というか、正常なる異常。ちょうど読んだばかりの『彼岸先生』のこんな一節を思い出す――「小説家という人種はおかしなことをほんの少ししか考えられない普通人より何倍も普通でなくてはならない。ぼくや砂糖子がせいぜい九十パーセント普通なら、小説家は五百パーセントくらい正気なんだ」――そんなんで<俺は凡人よ~>って歌われちゃうもんだから、こんな嫌味な歌ってないわよ。最高。また、この曲をビシッと演奏できちゃう今のエレカシに感激。いやぁ、ヴォーカリストに感動し、バンドに感激し、ロックバンド・ファン冥利に尽きるわい!

最後は「ファイティングマン」。やる前に、汗だくになったミヤジが「暑くないですか?」と客席に問いかける。「暑ーい!」と答える客。そのあと、ぽつりと一人呟くように「人が一杯いるから」と言っていたのがなんとも可笑しかった。<黒いバラとりはらい 白い風流しこむ>――やっぱり私はこのバンドが好きだぁ。

<セットリスト>
1. 一万回目の旅のはじまり
2. パワー・イン・ザ・ワールド
3. 生命賛歌
4. 人間って何だ
5. 定め
6. DJ in my life
7. 風に吹かれて
8. 友達がいるのさ
9. 平成理想主義
10. 達者であれよ
11. 今だ!テイク・ア・チャンス
12. 化ケモノ青年
13. 俺の道
――アンコール――
14. 凡人 -散歩き(そぞろあるき)-
15. ファイティングマン