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sky is blue

言わなければよかったのに日記

COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A

2005-12-30 15:32:48 | AYU
さ~てと、そろそろ年を越さないとね。

2005年最後のライヴは「あゆ」でした。カウントダウンライヴってやつです(私が行ってきたのは30日の方だから、カウントダウンは無かったけど)。昨年のをDVDで見て、これは行かなあかん!と。だって、ツアーと全然違うんだもん。あゆのライヴは、ツアーとカウントダウン両方見なきゃ語れん! で、見てきたけど、見ても語れん!

ほんと、語れないのよ、あゆのライヴは。改めて、あゆはライヴを見なきゃってことは分かったし、ツアーとカウントダウン両方見なきゃってのは分かったんだけど。カウントダウンはね、ツアーと違って、一言で言っちゃうと「シンプル」。いわゆる「ライヴ」って感じ。だから、単純にあゆの「音楽」を楽しみたいって人はこっちの方が好きかもね。「ストイック」な感じで、あゆの「底力」を知ることができると思う。それでいて、年越というお祭りだから、ライヴで盛り上がる、ここぞ!という勝負曲みたいのあるじゃん。それが怒涛の勢いで連発された後半なんか(evolution → flower garden → Humming 7/4)、心の中で「ひえ~!」って悲鳴上げちゃったもん。この「ひえ~!」って何かって言うと、私にもよく分からないんだけど、おそらく、高揚してるんだろうね。一瞬、「ついていけるかぁ?」なんてことが頭をよぎったのは、体力的にとかじゃなくて、もう細胞全部で「うわぁもうどうしよう!」っていう、そういう感じよ。

例えば、いくらライヴといっても、仕事のことや他のことを考えてしまったりすることあるじゃん? それとか、ライヴを見ながら湧き上がってくる感情を、そんなことしたくもないのに、脳が知らず知らずのうちに言葉に変換しようとしてたりさ(ない?)。でもね、そういうのが吹き飛ばされちゃうわけよ。思考停止? いやいや、思考を停止させるって容易じゃないよ? 正確に言うと、「思考超越」だな。だって、ただの思考停止だったら、こんなに高揚しないもん。思考停止したときってのは、もっと冷めてると思うんだよね。じゃなくて、思考を超越してるから、こんなにも高揚できるんだと、私は思うわけです。

だから、時間という概念も吹き飛んじゃったんだな。ほんと、あっという間に時間が過ぎていた。そして、私の心と体は満たされていた。ライヴ後、あまりに閑散としている原宿近辺を歩きながら、「うわ~、現実に戻りたくないよぅ!」なんてことを本気で思ってしまった。「現実に戻りたくない」って気持ちと「あの時間は現実だったんだ」って気持ちとが入り混じって、なんだかとっても不思議な気分で、たぶん、興奮していたんだ。ライヴ中、これを知らない人がいるなんて、なんて勿体ないんだ!とか思っていたけど、そんなこともすっかり忘れていたよ。

だから、いわゆる「ライヴ・レポート」ってやつは書けそうにない。でも、書いておきたいことがあるんだ。

会場は代々木体育館だったんだけど、アリーナ席に段差が作られていることに感動した。こんなの初めて。

で、で、開演前にマドンナがかかったのです! マドンナの最新アルバム『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』がそのまんま。私、開演前にして、泣きそうになってしまいました。感激して。あゆはよく「マドンナのパクリ」って言われるんですよ。で、それには、揶揄や中傷の意味が込められてることが多いような気がするんですね。本当に「音楽」のことを考えて言ってるんだろうか?みたいな。「音楽」以外のところに目的があるのなら、「音楽」は利用しないでもらえるかなぁ?みたいな。愛情のない引用が「パクリ」って言われるように、(引用元も引用先も含めての)「音楽」に対して愛情がないのなら、簡単に「パクリ」って言ってしまうことは、簡単に「パクる」ことと同じくらい、危険だと思うんです。節操がないって言ってる人に、節操がないってこと、ままありますからね。

ま、それは置いといて、そんな中、あゆが堂々とマドンナをかけてくれたことが嬉しかったんですよ! ネタばらしじゃないですか?(笑) もう本っ当に、あゆは、マドンナが大好きで、そして、音楽が大好きで、そしてそして、ファン(音楽を愛する人)を大事に思ってるんだってことが伝わってきて。あゆの立場や状況を考えると、いくら本当に好きでも、かけるのはちょっと躊躇するんじゃないかな~って思ったりするんです。でも、そこで、敢えてかけてきた。そこに私は、あゆの並々ならぬ覚悟と正真正銘のリスペクト精神と、何より深い愛情を感じたんですよ。逆に、私はあゆを見くびっていたんだな。こんなことで逃げたり隠れたりするような人じゃなかったんだ。それでも、これも話題作りだとか戦略だとか言う人は、もう「音楽」なんて聴かない方が良いんじゃないですか?

ああ、今日の私はやけに挑戦的になってしまう。あゆに影響されちゃったかな。でもね、<私はこういう人間なの あなたに 好かれても嫌われても構わない 愛されても、見捨てられても 私は決して止めないから No No わかるでしょ?>、この言葉が何だか分からない人は、「あゆはマドンナのパクリ」って言う権利ないですよ(笑)。

あゆは、「マドンナに影響されてる自分」も包み隠さず、私達にぶつけてきた。伝えようとしてきた。何もこんなところで、正直にぶつけてこなくったって良いわけですよ。単なる開演前のBGMなんだから。でも、ぶつけてきた。そこに、あゆの、音楽とファンに対する真摯な気持ちを感じたし、その気持ちに嘘はないんだなって思いました。本当に丸裸でぶつかってくる人なんだな~。それに、これ、マドンナをうちらにも聴いて欲しいってことでしょ? 可愛いよね。しかも、開演に近い時間にかけてきて、そのままSEに繋げたから、より多くの人に聴かせてたし。

あゆのその姿勢は確実にファンに届いてるらしく、「あゆは、マドンナに憧れて、マドンナになりたくて、がんばってるんじゃないかな」とか言ってるファンもいるもんね。

でもね、ここまで書いておいてなんなんだけど、そんなことどーでも良くなっちゃたんだよね。だって、先日『スマステ』でマドンナ特集やってたから見たんだけど、それ見てたら、な~んだ、「マドンナのパクリ」ってチョー誉め言葉じゃん!?って思えてしまったんだもん(笑)。だって、あれ見たら、マドンナを目指そう!なんて、生半可な気持ちじゃ、恐ろしくて思えないもん。あんな凄い人と比べられたら、たまったもんじゃないよ。だからね、マドンナ物凄いって思うと同時に、あゆ凄いなって。ライヴ前にかけるなんて、よくできたな(笑)。もう日本でマドンナを目指すのはあゆ一人に任せるから良いや!って思っちゃった。っつうか、ロックバンドがビートルズの影響から逃れられないように、女性アーティスト(ポップス)にとって、もはや避けて通れない道だと思ったね。だったら、そこを通ろうとするあゆは立派じゃん! 「マドンナのパクリ」ってみんな鋭い! よく分かったね。そりゃそうだよ。私マドンナ好きだもんbyあゆって感じで(笑)。私、マドンナについてはまだまだ初心者なんで分からなかったんだけど、「マドンナのパクリ」って捉え方によっては凄い誉め言葉になり得るね?(笑) その言葉自体、似合う人なかなかいなくない? 称号として、あゆは誇りに思って良いかもよ?(笑) もう、「“マドンナをパクッてる(マドンナに立ち向かってる)あゆ”が好き」で良いかな~。とにかく、ここ日本でマドンナを目指すのはあゆに任せた!

以前、矢沢永吉がこんなことを言っていた。「ビートルズになりたかったけど、まさか矢沢永吉になるとは思わなかった」。あゆもいつかそういうことが言えるときがくるのかな。「マドンナになりたかったけど、………」。

私は、「ハング・アップ」が聴こえてきたあの瞬間を、忘れちゃいけないって強く心に誓った。

ライヴ本編は、「Bold & Delicious」で締め括られた。その前が、「Boys & Girls」。「Boys & Girls」は初期の代表曲で、ライヴでもお馴染みの曲。あゆとお客さんが一体となって一緒に歌う曲。あゆもお客さんにマイクを向ける。そんな曲の後に「Bold & Delicious」を持ってくるあゆの感性が好きだ。

「Bold & Delicious」は、私にとって、この日一番のハイライトだった。総勢20人くらいのゴスペル隊が表れて、その中の一人がバラードっつうか聖歌っつうかそういうのを静かに歌いだし、静寂を突き破るようにして、例の<ya..ga..da..wo..>が響きわたる。20人ものコーラスと勝負しようっていうあゆの根性も凄いと思ったが、私が一番興奮したのは、その場の空気そのものにだった。さっきまで「Boys & Girls」で一体となっていたお客さんが、今度はぽかーんと圧倒されているのだ。白けているのではない。目の前の表現に圧倒され、でも、どうして良いか分からず、立ち尽くしているって感じ。リズムが難解とかそういうことじゃなくて、どうしたら良いか分からず、とまどいながらも、ただただ目の前の出来事を受け止めてるって感じ。そして、その前では、多分、子供も大人も男も女も関係なくなっていたんだ。なんてったって、みんな、釘付けになっていたんだから。私は、「これ」こそが私が求めていたことかも知れない!って思った。なんだか嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。「これ」については、うまく言えるか分からないけど、また別の機会に書いてみたいと思う。

そうそう、「Bold & Delicious」の記事で書き切れなかったんだけど、あの曲、カッコ良いながら、「笑える」ってところもポイントなのよね。あそこで<意味不明♪>ってバリバリにキメられても、「お前が意味不明だよ!」って突っ込みたくなる感じの。<一番さむい♪>って、「お前がさむいよ!」って感じのね。で、この曲に限らず、あゆの音楽には、常にちゃんと「笑い」があるんだよね。で、これは私にとって凄く重要なことだと気付いたの。私の好きな音楽には、すべてどこかに「笑い」があるんだよ。どんな曲であっても、必ずどこかに「笑える」っていうのがある。うん、これだわ~。

帰り際、「凄かったねぇ」と興奮してる人、「最近はノリの良い曲やらないんだよな」と不満げに言ってる人、初めて見に来たっぽい人と、色々な人がいた。それがなんとも心地良かった。

*** 後記 ***

『スマステ』のマドンナ特集は、第2弾もあるらしいです。そして、あゆ、3/10に『Mステ』と『音楽戦士』、3/11に『CDTV』に出るよ~。そして、3/23には、この『COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A』の12月31日公演を収録したDVDが発売されま~す。

パクリだのなんだの、色々書いてしまったけど、3/8発売のシングル『Startin' / Born To Be...』の「Startin'」のプロモ見てたら、「私、なに小さいこと言ってんだろ」って思ってしまったよ。


ボ~~ルド & デリシャァァス

2005-12-25 22:01:26 | AYU
『HEAVEN』に続き、やっとここまで来ました、2005年最後のシングル。

●Bold & Delicious / Pride
あゆの2005年を代表する曲は?と聞かれたら、迷わず「Bold & Delicious」と答えます。ほんと、今までのはなんだったんだ?っつうくらいの気合の入りよう。衝撃だったなぁ。ほんの数秒試聴しただけで、「え? これがあゆ? あゆがこんな曲やっちゃうの?」ってドキマギしちゃいました。ソウルフルでファンキーで、何やらコーラスがやたらと入ってて。「Pride」にしても、やたら荘厳な雰囲気で。今までにもこういったターニング・ポイントとなる曲はあったんだろうけど、好きになってからリアルタイムでそれを体験するのは初めてだったものですから、ドキドキしましたよ。進化(深化)しようとするあゆの意志を嬉しく思うと同時に、どうなってしまうんだろうという不安が交錯して。明らかにハードルが上がってるし、超えられるのか?って感じで。音楽自体は特別新しいといったものではないかも知れませんが、あゆにとっては“新しい”わけで、それを如何にして、その音楽が持つ“新しさ”に繋げられるかだと思うのです。

今回は両曲とも、スウィートボックスのGEOが作曲しています。スウィートボックスといえば、バッハの「G線上のアリア」を取り入れた「エヴリシング・イズ・ゴナ・ビー・オールライト」が有名で、作曲&プロデュースのGEOと女性ヴォーカルによるユニットです。ティナ・ハリスという黒人女性が初代ヴォーカルで、現在はジェイドという白人女性がヴォーカルです。といっても、私は詳しくなく、今回のあゆの曲によって認識した次第です。「エヴリシング~」はよくかかってたので知ってましたが。

で、スウィートボックスを良いなと思っていたあゆが、「こういうの歌ってみたいな。スウィートボックスみたいな曲、というより、本人が書いてくれるといいよね」と現実味もなくポロッと話していたら、スタッフが知らない間にGEOに話を通していて、あゆが忘れた頃になって、「好きなのがあったら歌って」と突然12曲入りのデモが送られてきたらしいです。しかし、その時には、既に次のシングルは録り終えてて、アルバムもほぼ内容が決まっていたそうです。が、デモを聴いたあゆは、「歌いたくてしょうがなくなっちゃった(笑)」ってことで、急遽、シングルを変更。それどころか、アルバムも、一旦ゼロに戻して、一から構築し直すことを決定。そういや、今回のシングルはオリコンか何かの記録がかかってたんだよね。それでこの決断。録り終えてたのに。今までとガラリと変わる挑戦曲なのに。男前!

「Bold & Delicious」は、デモの中で特に印象的だったとあゆは言う。で、デモでは、ジェイドが一人で声を重ねていて、もっと静かでキレイな感じだったそうです。そこから「パワフルでソウルフルでファンキー」なものを感じ取ったあゆは、そこを増幅させて、「これはもっと大袈裟にして、みんなでクラップしながら歌えるようなもっとハッピーなものにしたい」と思ったそう。NYの教会でパイプオルガンの音を聴いた時、「あ、ゴスペル」と思い、「私以外の声でコーラスを分厚くしたい」と。でもって、デモは当然ながら英語詞なわけで、「日本語だとハマらない譜割とかもあるんで、けっこうイジッてる」とのこと。日本語をハメる作業には結構苦労したらしく、後に「テンションが全然違った」と本人が語っているように、洋楽のテンションの違いを肌で感じたんだろうな。「Pride」の方は、「個人の主張というより、みんなが同じ気持ちで何かに対して叫び続けてるみたいな感じにしたかった」~「キレイに歌う合唱団みたいな声のイメージだったから、小学生から50代くらいまでの人を大勢集めて、みんなでガーッと歌ってもらった」とのこと。「『オペラ座の怪人』にしよう」って思ったらしいね。

ここまで書いてみて思うのは、もうあゆのやってることって、アレンジでありプロデュースじゃん。じゃなきゃ、ここまで語れないでしょ。実際には、CMJK(ex.電気グルーヴ。あゆの作品ではお馴染み)にアレンジを依頼したりしてるわけだけど、全体を司ってるのは、まぎれもなく「あゆ」。今回の大胆な変貌ぶりにしたって、「GEOのおかげじゃん」と言う人もいるかも知れないけど、それを決断したのは「あゆ」なんだよ。

そういったわけで、この『Bold & Delicious / Pride』には、今までのあゆの作品にはない“新鮮味”があり、それがこの音楽に宿る“新鮮味”にも繋がっていて、それでいながら、しっかり“あゆ”であるという。GEOとの出会い(洋楽との直接的な接触)などに、正面からぶつかっていった賜物であると思います。言ってみれば、“洋楽の洗礼”を受けたって感じかなぁ。と同時に、あゆの直感力のすごさに脱帽というか、恐ろしささえ感じました。“洋楽の洗礼”を受けたとき、あゆは“ゴスペル”を選択してるんだからね。「Bold & Delicious」は、近田春夫も『考えるヒット』で誉めてくれてます。「浜崎あゆみの冒険的な新曲にマドンナに近いセンスを見た」! 「Jポップのメインストリームから音がはみだしていた」! 「去勢されていない」、これすごく分かるなぁ。あゆの音楽って「飼い馴らされてない感じ」がするんだよね。引用だってあるだろうに、ほんと、なんでなんだろ? ひょっとしたら、これが音楽の不思議ってやつ? 「パクリ」とか言って切り捨てる人は、この「飼い馴らされてない感じ」を出してみてくださいよ。

今回の、誰の目(耳)にも明らかな変化について、あゆはこんな発言をしている。「(『MY STORY』やそれに伴うツアーで)ここはみんなもOKなんだよねっていうのが築けてることが嬉しかった。でも一方で、そのOKのことばかりやってても仕方ないなと思った」~「こうやれば喜んでくれる、こういう曲はみんなが好きだよねってわかってしまって。でも、ここにきて、こんな球を投げたら、みんなどうする?ってことをやりたくなった。そこに正直に向かった」~「みんながどう受け取るかなとは思ったんだけど、そこに不安は別になかった。必ず伝わると信じていたからね」。ああもういちいちバカみたいにカッコ良い! モー娘。だっけ? いや、Def.Divaか。「好きすぎてバカみたい」!!

忘れちゃならないプロモですが、「Bold & Delicious」が、ビョークの「ビッグ・タイム・センシュアリティ」のプロモにそっくりだそうで。またかよあゆー!とも思いましたが(笑)、あゆ、ビョーク好きなのかな。ま、あゆの嗜好からすると、好きでも全然不思議じゃないよな。しかし、プロモは、どこまであゆが考えてるんだろう。プロモでは「素材に徹する」と言っていたあゆだけど、ある程度監督に任せてるとは言え、何も意見を言わないわけじゃないだろうし。昔、プロデューサー並みに動くことに対して、「どうしてそこまでやるの?」と聞かれ、「あゆがやらなかったら他に誰がやるの?」と言ってのけたあゆなだけにね(かっくいい!)。最終的な責任は「あゆ」にあるんだもんね。そんでもって、かなりのMTVフリークなあゆのことだから、ビョークのこのプロモのことだって、知らないわけがない! というか、これは私でも分かるわい! せっかくだから調べてみると、「ビッグ・タイム・センシュアリティ」の監督をしたステファン・セドナウィーは、レッチリやアラニスやU2のプロモも手がけているらしく、マドンナにミルウェイズ・アマッザイを紹介した人物だとか。なるほど~。あゆ、色々教えてくれてありがとね! そういや、これ、映画『バニラ・スカイ』でもチラッと流れるのよね。ま、そんな色々も、あゆちゃんのこんな一言で吹き飛んでしまいました。それはこのプロモについて語っていたわけではないのですけど、「よしとされても、そうじゃなくても。だって、私が今やりたいことはコレなんだもんっていう、それだけなの」。ま、まいりました~。でも、うん、がんばっていこうね☆

ただ、もちろん、それだけではありません。このプロモは、ゴージャスで大胆なあゆの姿に混じって、普段のあゆの姿も映し出されるのですが、それについてあゆは、「そこに私は、どの笑顔が本当だと思いますか?っていうディレクションしてる人の問いかけを感じた」って言ってて、「そういうのがすごく感じられるから、なんて悲しいPVなんでしょうと思って見ていました」だってさ。ちきしょー! そこまで気付けなかった…。「悲しいPV」かぁ。続けて、「『Bold & Delicious』は、超アゲアゲでノリノリで、すごく言い切っていてカッコイイんだけど、その裏にある悲しさとかを感じてもらえると嬉しい。だからビデオもそう」だってさ。やはりちゃんと繋がってるのね。「ハッピーなものにしたい」って言って作った曲なのに、そこにちゃんと「悲しみ」も込める。バランス感覚の優れているあゆちゃんのことだから、考えてみれば当然のことなんだけどね。言い切ることによって、そこに至るまでの迷いや葛藤も含めて表現できると思ったのかな。この曲聴いて“悲しさ”を感じ取った人がどれくらいいるんだろか。精進します!

ちなみに余談ですが、面白い発見をしたので。今回、ビョークのプロモに似てるっつうことで、ビョークのプロモを色々見直してみたんです。あ、私、ビョーク好きです。で、「alterna」のプロモのことを書いたとき、ビョークの「バチェラレット」を彷彿とさせるって書いたじゃないですか。で、「バチェラレット」も見直してみたんですけど、そしたら、思いっきり『MY STORY』って出てくるじゃないですかぁ! 『MY STORY』っつうのはもちろん、あゆの6thアルバムのタイトルでありまして、「alterna」って曲は、『MY STORY』の延長上にあってプロモもそのダイジェストのようだって書いたと思うんですけど、いやはや、面白いっすね~。

そうそう、これに収録されている「Will」のHeigo Tani(Co-Fusion)によるリミックスが結構イイ感じでした。

そんなこんなで、非常に長~く、事細かに書いてしまって、お恥ずかしい限りです。別にこんなに細かく書かなくても良いんだけどね。でも、その有名さに反して、こういうことが知られてない気がして。もっと言えば、あゆは、それに見合う評価をされてない気がして。「正当な評価」ってもんが、この世の中に存在するのかどうかは疑問としてもね。あゆが、まったく売れていない無名のミュージシャンだったら別に構わないんだけど、今や、あゆを知らない人を見つけることの方が困難じゃん? まぁ、それこそが「評価されてる」って証なのかも知れないけど、それでいながら、こういうことがあまり知られてない気がするのは、それは私の被害妄想かも知れないという疑いはありつつも(笑)、なんとも歯がゆいじゃん? だから書いてみました。

最近、あゆは、「クラシックやオペラも聴いてみたいし、歴史も学びたい」と思っているらしい。意外かも知れないけど、あゆの温故知新ぶりは、音楽に限らず、そこかしこに垣間見られるんだよねぇ。私が彼女をすごいと思うのは、「変化は常にしていたい」とか「新しいことを取り入れるのは良いこと」と彼女自身が語っているように、そういう姿勢を見せながらも、「けど、それだけじゃ何も残らない気がして」なんてことも言ってたりするとこなんですよね。貪欲に学び、積極的に変わろうとする一方で、変わらない芯の部分を常に見つめてるっていうか探してるっていうか。芯があるから変われるんだし、変化によって芯の部分が更に磨かれていくんだもんね。変化のための変化ではない。知識のための知識ではない。絶対失くしたくないものは?と聞かれて、「愛かな。それは全てにおいて」と彼女が答えていたことをフッと思い出した。


和な二曲

2005-12-24 20:03:48 | AYU
前2作シングルに続き、2005年発売のあゆのシングルについて。

●HEAVEN
これは、明らかに映画『SHINOBI』のために書かれた曲ですね。どうしても「『SHINOBI』のために書いたんだな」ってのが先にきちゃいます。特に詞がそう感じさせるんだろうけど、曲自体も、前2作シングルで今までにない感じを見せたのに対し、従来のあゆの王道バラードって感じで。ただ、人(作品)のために曲を書くという行為自体が、新しい挑戦だったと言えるのではないでしょうか。そのために自己主張を抑えたのかも知れない。今まで、ここまでハッキリとした形で、あゆが人(作品)のために曲を書いたことはなかったと思うし、そういうことにトライできるようになったのも余裕の表れなのだと思います。従来のバラード路線と書きましたが、ちょっと展開が新しいですね。サビが来るかと思ったらなかなか来なくて、来たと思ったらそのまま戻らず最後までいくところとか。あと、これはc/wの「Will」にも言えるんですけど、ものすごく“和”を意識した音作りとか。

c/wの「Will」。これはビックリしました。今までのあゆにない!って。曲も詞も歌い方も。力強くて研ぎ澄まされてて。歌詞は、ちょっと無理があるかも知れないけど、エレカシが書いてもおかしくないんじゃ?とか思っちゃいました。こういう歌詞も書けるようになったんだ。で、作曲者を見てこれまたビックリ。「CREA + D・A・I」なんですよ(CREA=あゆ)。共作ではあるけれど、こういう曲も書けるようになったんだ。ストリングスを弦一徹ストリングス、ドラムを玉田豊夢(100s)、バック・ヴォーカルのアレンジを小林信吾が担当しています。で、サビが『魔女の宅急便』の「海の見える街」に似ていると。他にも、小田和正の「キラキラ」とかバックホーンの「空、星、海の夜」とか言われてるみたいですけど、『魔女の宅急便』のは私も思いましたね~。日本の代表的アニメ映画だし、あゆもリスペクトしているユーミン(あゆは自身のアルバムで「卒業写真」をカヴァー、「春よ、来い」を歌ったりもしています)が主題歌だし、あゆも見聞きしているんでしょうね。でも、凛とした歌声によって、このメロディに新たな生命が吹き込まれたような気はします。そう、歌い方がね、今までになく力強くて。表現力が増してるんですよ。以前、2~3年前ぐらいからビブラートが減ってきたと書きましたが、そういった鍛錬を経て、表現力に磨きがかかってるんだろうな。それと、やっぱりCREA作の曲を歌うときのあゆのヴォーカルには、他の人が作った曲を歌うときにはない“特別なオーラ”があるなって思いました。最近、CREA作は減ってきてしまったけど、もうちょっとCREA作の曲も聴いてみたいな~。うん。

「HEAVEN」「Will」と聴いて、やっぱり私は、より“浜崎あゆみ”な曲が好きなんだなと実感しました。つまり、「Will」の方が断然好き。「Will」はね、あゆの“新境地”を感じたし、曲・詞・ヴォーカルが渾然一体となったパワーに、思わず唸っちゃいましたもん。で、カラオケで歌ってみたら、これが意外と難しい。この“特別なオーラ”を出せないのはもちろんのこと、歌も結構難しい。あゆ、成長したな~。(エラそうでごめん)

プロモは、「HEAVEN」のみ。「fairyland」とは打って変わって、全編モノクロ・ワンカメラ・ワンシーンになってます。

さて、次の『Bold & Delicious / Pride』については、長くなってしまうと思われるので、今回は『HEAVEN』のみで。特に意味もなく、クリスマス・イヴの日付でこの記事を書いてみましたが、この日、ラジオに生出演したあゆは、「デビュー当時を思い出すナンバー」というお題で、一曲セレクトしてかけてくれました。それは、スウィートボックスの「エヴリシング・イズ・ゴナ・ビー・オールライト」で、初代ヴォーカルであるティナ・ハリスが歌う方のバージョンでしたとさ。


第1回林檎班大会 @代官山UNIT

2005-12-20 21:29:59 | ライヴ
椎名林檎のファンクラブ「林檎班」のイベント、『林檎班大会』に行ってきた。これは、林檎班の会員でなければ参加できないイベントであり、それに参加したということからお分かりの通り、私は林檎班に入っており、つまりは、椎名林檎のファンであり、椎名林檎が好きなのだ。まわりくどい書き方をしてしまったが、要するに、「私はファンクラブに入るほど椎名林檎が好きなんだよ~」ってことであり、これから書くことを前に、それだけはまず最初に言っておきたかったのだろう。

私は、椎名林檎が好きだ。だから、こんなことは言いたくないし、誰も聞きたくないかも知れない。けど、好きだからこそ、一回は書いてみよう。

私は、東京事変には不満だ。といっても、椎名林檎がバンドを結成し、東京事変として活動するようになってから、すぐその気持ちに気付いたわけではない。だんだんと「これはもしや」と思えてきて、最近になってやっと「書いてみようかな」と思った次第である。つまり、ボンヤリとした不安が、よりハッキリとしてきたというわけなのだが、そうすると、例えば、「dynamite! 最終日」で書いていた自分の記事に潜んでいたものの正体も分かってくる。ああ、私は、この頃から漠然とした不安を感じていたんだな、と。簡単に言っちゃうと、「どうだ!」って気持ちで書けてないのよ。どうしても、「フォローしようとしてる」って感じが漂っちゃってる。そういえば、あの時期、「東京事変と椎名林檎って何が違うの?」って言われても、スッキリとした気持ちで言い返せない自分がいたし、アルバム『教育』を「良いよ!」って自信を持って言うこともできなかった。何より、「東京事変、最高!」って一点の曇りもなく言うことができなかった。――と、こんな風に、解きたくもない謎が解けてきてしまうのである。

では、東京事変のどこがどう不満なのか――。これが、なんともかんとも。言葉では非常に説明しにくい。おそらく、東京事変(椎名林檎)の「言葉では説明できない部分」が不満なのだろう。音楽的には、相変わらず素晴らしい。でも、だからこそ余計に、事は重大に思える。何故なら、その「言葉では説明できない部分」こそ、音楽にとって一番大事な部分ではないだろうかと、私なんかは思うからである。

きっと、バカみたいに単純な話だ。例えば、東京事変の最新シングルである、ドラマ『大奥』の主題歌にもなった「修羅場」。これに、涙する人はいるのだろうか? 心が震えたり、胸が掻き毟られたり、訳も分からず胸が高鳴ったり、どうしようもなくなって、なす術をなくす人がいるのだろうか。音楽にそんなこと求めてないよ。そんな毎回毎回、心が震えるような曲が生まれるわけがない。そりゃ、そうかも知れない。心を震わすような曲が、そんなにポンポンポンポン出てくるってのも、それはそれでおかしな話かも知れない。けど、じゃあ、「歌舞伎町の女王」や「ここでキスして。」や「本能」や「ギブス」や「罪と罰」は何だったの? 椎名林檎の音楽は何だったの?

人は変化していくものなのだから、東京事変に椎名林檎を求めるなって言われるかも知れない。けど、そうじゃないんだよ。これは、名義やスタイルのことを言ってるわけじゃないのだから。東京事変のことを「音楽的には、相変わらず素晴らしい」と書いたが、音楽的に素晴らしいのなら、それで良いじゃないかって話かも知れない。けど、椎名林檎時代からのファンから敢えて言わせてもらう。それなら、椎名林檎がやる必要ないんだよ。音楽的に優れているだけの作品なら、他の人に任せておけば良いじゃないか。あなたは他でもない、『無罪モラトリアム』を、『勝訴ストリップ』を、『加爾基 精液 栗ノ花』を作った、あの、椎名林檎なんだよ? それとも、私の買い被り過ぎなのかな。

今の東京事変がやっている音楽が、椎名林檎とはまったく関係のないバンドからの音楽であれば、素直に「良いね」って思えたかも知れない(「良いね」だけで終わってしまいそうだけど)。でも、椎名林檎を知っている者からすると、いくら音楽的に優れていたって、いや、音楽的に優れていればいるほど、「だから何?」って言いたくなっちゃうんだよ。こんなことは言いたくないけど、ヌルく見えちゃうんだよ。大体、林檎ちゃん、本当に今、イッてる? イキながら音楽やってる? 私は、これじゃあ、イケそうにないよ。「ハートで汗をかいているかどうか」(by 矢沢永吉『成りあがり』)だよ。大好きな林檎ちゃんだからこそ、林檎ちゃんにそんな音楽をやって欲しくないんだよ。「なくても困らない音楽」なんて……。

今の東京事変の音楽は、現実を吹き飛ばしてもくれないし、現実を突き付けてもくれない。

ああ、やっぱり、嫌な文章になっちゃうよ。こんなの、誰も読みたくないよね。私だって、書きたくないんだ。そりゃね、林檎ちゃんがどんな風に音楽と向き合おうと、それは林檎ちゃんの自由だ。今の東京事変を指示する人もいるのだろう。それをとやかく言うつもりはない。ただ、一時期バカみたいに熱をあげてたファンの一人として、思ったことを書いてみただけなのだ。これだって、精一杯のラヴレターのつもりだ。

あ、イベントの話、全然書いてないや。

この日は、何部かに分かれていて、最初は、ゲストに長谷川きよしさんというミュージシャンを迎えてのアコースティックなライヴ。林檎ちゃんの歌は、やっぱ凄い。聴きながら、「ああ、あゆなんかは、手の届かないところにいる人なんだな~」とか思ってしまった。それでも、あゆには、それを補って余りあるものがあるんだけどね(ここ重要!)。そこで、ふっと、友達が「ケイト・ブッシュとマドンナ」について書いていたのを思い出してしまった。ケイト・ブッシュとマドンナ、同い年なんだって。ふとそれを「林檎ちゃんとあゆ」に重ねてしまった。「全然違うよ!」って怒られそうだな(笑)。ま、林檎ちゃんとあゆも同い年ってことで許して~。よく知らないで言ってるだけなの(ごめんなさい)。思い付いちゃって、言わずにはいられなくなっちゃったの。というか、林檎ちゃん、「お聞き苦しい歌を」とか「つたない歌で」というようなことを言ってた気がする。あんなに上手くてそれは…、嫌味に聞こえちゃうよ(苦笑)。そんな言葉は要らないよ。

続いて、質疑応答&プレゼント抽選会のコーナー。司会進行の人が出てきて(林檎ちゃんは出てこない)、ファンから林檎ちゃんへの質問、林檎ちゃんからファンへの質問ってのを発表。ファンからの「10年前、今の状況を予想できていましたか?」という質問に対して、「予想できていたと思います」と林檎ちゃん。……そうなんだ。あと、林檎ちゃんからファンへの質問で、「ゲテモノ好きと言われて、気分はどうですか? 辛くないですか?」ってのがあった。司会の人は「林檎さん、自虐的ですね」とか言ってたけど、だから~、もうゲテモノなんて誰も思ってないって!(よね?)

最後は、東京事変でのライヴ。晝海幹音とH是都Mが抜けて、浮雲(ギター)と伊澤一葉(キーボード)が加入した新生・東京事変。バンド演奏、カッコ良かった。ただ、やっぱり、東京事変がバンドとして成長すればするほど、椎名林檎の顔は見えなくなっちゃうんだなぁ~と改めて実感してしまった。どんどん顔が隠れていくんだよ。だから、東京事変は椎名林檎が隠れるためのバンドなのか?とか思っちゃったりするんだよ。それは違うじゃん。なんか違うじゃん。音楽の後ろに隠れる? 音楽にどんどん裸にされていくのが椎名林檎だったのに。そりゃ、こういう音楽があっても良いよ。それどころか、東京事変の音楽、結構好きだよ。でも、カッコ良いバンドなら、他にもたくさんいるよねぇ?

顔が見えなくなる、かぁ。先ごろ復活することが発表された(やったーーー!)、クーラ・シェイカーの「ミスティカル・マシン・ガン」を思い出しちゃったよ。

借り物のアイデンティティーで
その可愛い顔を僕から隠さないでおくれ


なんだか一杯いた、かつての椎名林檎ファンの人にも聞いてみたいよ。今の東京事変で本当に満足してるの? ねぇ、あれもこれもみんな、どこにいっちゃったんだよー!

そんなこんなでイベント終了。結局、私がグッときたのは、「幸福論」(林檎ちゃん一人による演奏。泣きそうになった)とか、やっぱり椎名林檎時代の曲で。東京事変の曲にもグッとくるのはあったけど、でもそれは、「落日」とかさ、もう椎名林檎じゃんっていう曲なのよ。やっぱり、そういうことなのかな~。

帰り際、「胸が一杯~!」と興奮気味に話していた女性客とのギャップを感じてしまった私。ファンクラブ・イベントだからというのを考慮しても、どこか「内輪受け」な匂いを感じてしまった私。こんなハズじゃなかったのに…。

こんなこと言うと、またかよ!って言われてしまいそうだが、私が東京事変の何にそんなに不満なのかの答えが、あゆにあるような気がしちゃうんだよ。「あゆを見てください」って答えたくなっちゃうんだよ。林檎ちゃんとのすれ違いが、私を、あゆへと加速させたのかな~なんて思っちゃうよ。あゆを見てると、世間にどう評価されようと、音楽の後ろに隠れるなんてもってのほか、音楽の前で裸になってるよ。裸で音楽にぶつかってるんだよ。裸で大衆にぶつかってくるんだよ。当然、賛否両論だって巻き起こる。でも、今の林檎ちゃんの音楽=東京事変の音楽は、かつての椎名林檎のように、賛否両論なんて巻き起こしてるかな? まさか林檎ちゃんは、裸でぶつかることを、「みっともない」とか「恥ずかしい」とか思っているのだろうか。今の林檎ちゃんは、ビクビクしているように感じてしまう。「できることをやっている」って感じが先に立っちゃってる気がする。それじゃ、遊びに見えてしまうよ。あゆの場合、自分の足で常に進化し深化していこうっていう姿勢が伝わってくるし、「できなくても良いからやってやる」みたいなものがビンビン伝わってくるんだよ。

守るべきものがどこにあるのか。音楽がどこにあるのか。この点で、私はあゆに強く共鳴しているのかも知れない。そんなあゆの音楽は、私にとって、そして、おそらく大衆にとっても、「なかったら困る音楽」だ。

あゆの最近の曲で「Will」という曲がある。そこで彼女は、

悲しき事は自分の為に
自分の姿見失うこと


と歌っている。「音楽」のために「音楽」を見失ってしまうなんてことがあるとしたら、それは悲しい。

林檎ちゃん。あなたが今そう思っているかどうか分からないけど、あなたが「みっともない」とか「恥ずかしい」とか思ってるものの先に、「音楽」はあるのかも知れないよ。あなたがそこに向かうというのなら、私は何度だって、そう何度だって、きっと見つけてみせるよ!


アイ・アム・クレイジー

2005-12-18 22:32:49 | AYU
「クレイジー・フォー・ユー」だなんて記事書いちゃったんだから、調子に乗って、どんどんクレイジーな部分を出していこう! え? もう出てるって? いやぁ、クレイジーっつうか、ミーハーっつうか、バカっつうか、何でも良いんだけど、そういうのをね……。

一年前のこの日、こんなことを書いていたのを覚えてくれてる人がいるだろうか。そう、一年前のこの日、すっごいことがあったんです。渋谷の「スペイン坂スタジオ」ってあるじゃないですか。そこで、あゆに会ってきちゃったんです! もう、「見た」じゃなくて「会った」と言いたい。いや、言わせて。

ある日、ネットを見ていたら、浜崎あゆみが、TOKYO FMの『COUNTDOWN JAPAN』に生出演するっていうんですね。つまり、渋谷のスペイン坂スタジオに遊びにきてくれるってわけですよ。スペイン坂スタジオっていったら、東京事変を見てきたときも書きましたが、凄い間近でアーティストに会えるんですよ。でね、私は、「こりゃあ凄いな。きっとたっくさんの人が来るんだろうな。何時間も前から並ばなきゃ見れないんだろうな。あゆだもんな」とか思ってたんですよ(ちなみに、あゆは結構スペイン坂スタジオ来てます)。そしたら、よく見てみると、「抽選」って書いてあるんですよ。凄いなぁ。あゆともなると、これすら抽選なんだ。ふんふん。ココから応募するのか。どれどれ…とかやってるうちに、え? これもう応募したことになっちゃったの?ってくらい簡単に応募終了。応募するしないを考える間もなく、当日の予定を確認する間もありませんでした。ま、どうせ当たらないだろうし、気にしなくて良いっか。応募したことすら忘れかけていました。

数日後、一枚のハガキが。公開生放送? COUNTDOWN JAPAN? 何これ? あれ? 「浜崎あゆみ」って書いてある。え、ええ~? も、もしかして、あ、あのスペイン坂? 天にも昇る気持ちというのは、こういうことを言うのでしょうか。いやいや、まだ昇るのは早いぞ。

いや、だってさ、「あゆに間近で会える!」なんて、思ってもみなかったことなんですよ。だって、好き嫌いはともなく、「あゆ」だよ? いや、「アノ人」や「アノ人」なんかに比べりゃ全然だろうし、冷静に考えれば、なくはないんだろうけど、今は大きく言わせてよ(笑)。そりゃ、いずれは…ぐらいには思ってたかも知れないけど、このときといえば、まぁ、今みたいに熱烈(笑)に好きになってからは、一年経つか経たないかぐらいですよ。それがまさかこんなにも早く機会が巡ってくるとは! なんでも、10000通ぐらい応募があって、当たったのは500通だったかな? とにかく、2004年12月の時点で、もう2005年の運を使ってしまったのではないだろうかとさえ。そして、それでも良いやと(バカ)。と同時に、運命も感じたね(笑)。やっぱりあゆは私を呼んでるのね!みたいな(大バカ)。

というわけで、スペイン坂スタジオ。観覧は、一定時間内での入替制。なんだか実感もなく並んで待っていると、係の人がグループ分けをし始めて、ちょうど私の後ろで区切られてしまったんですよ。つまり、グループ内の一番最後になってしまったんですね。でも、それがどうした! 当たっただけでも万々歳!

そして、いざ、ブースの前へ。

それから先は、もう、書けません(ええ?)。

だってだって、可愛すぎて~!

いや、可愛いでも足りないかな? 素敵? いや、「神々しい」だ!(笑) もうね、私が今まで見てきたどの芸能人よりも、オーラが眩しかったです! いや、ま、ポールとかミヤジとかもいますけど、こう、女性ならではのね。もうね、神社とかで「頭が良くなりますよ~に」とかって煙を引き寄せるのあるじゃないですか。それ、やりたかったですもん(気は確かか?)。そして、ふと気付くと、私たちファンの後ろには、たくさんの報道陣が。私、スペイン坂スタジオでこんなにたくさんのカメラマンが並んでるの初めて見ました。さ、さすが、あゆ…。

もう、本っ当に可愛いんですよ! あ、違った、神々しいか。もう何でも良いんだけど、ちゃんと間近で見ましたが、本っ当に可愛い!(それしか表現できんのか) いやぁ、これを前にしたらどんな言葉も効力を……。レポらしきことを書けるとすれば、服装は、ラフな格好で、黒のジップアップのフード付きのニット?カットソー?に、ジーンズだったかな。ああ、私にあゆの服装のことを書けってのが無理な話だわ(笑)。髪はショートで、左手の薬指には指輪が☆

で、私が観覧しているときは、トークが始まってないときだったのが良かった! トークしてないから、あゆはフリーなんですよ。だからね、もう本当に一人一人の顔を確かめようとするかのように、目を向けてくれて。メッセージ書いた紙かざしてる人がいれば、ちゃんとメッセージ見て頷いてくれるし。あゆが犬好きだからだろうけど、犬を連れてきてる人がいて、そしたら、超反応してくれて、口をパクパク動かして何か言ってるし(ガラス越しなので声は聞こえません)。それでも、またすぐ、全体を見てくれて。ああ、なんて良い人なんだー!とバカみたいに感動してましたよ私。冷静に考えてみれば、当たり前のことをしているだけかも知れません。でも、それに感動できる私たちは幸せであり、それを決して忘れないあゆは素晴らしいんですよ! だって、もう、トップスターじゃないですか。ふんぞり返ってても良いわけですよ。なんで今更「一人一人の顔を確かめよう」としてくれるの?(涙)

というかね、可愛いはもちろん可愛いんだけど、なんつーか、物凄い優しいオーラが出てんのね。なんか、優しさが伝わってくるんだよ。見てるだけで、フワ~って何かに包まれて、幸せな心持ちになっちゃうんだよ。何なんだアレは。と同時に、なんて言ったら良いのか、凄く厳しいものも感じさせるし。優しさと厳しさ。う~ん、素敵だ。で、全然気取った感じがない! さっき書いたようなファンへの対応も、凄い「さり気ない」んだよ。いつも思うけど、あゆのこの「さり気なさ」がタマラナイんだよな~。変に慣れちゃってる感じがなくて、初々しさすらあんだよね。いつも新鮮な気持ちでファンと向き合ってるのかな。だから、分かったんです。あゆが、可愛くて、そして、神々しいオーラを発しているのは、やっぱり、中身が素敵だからなんだなって。あの神々しさは、魂の美しさなのね!(はいバカ確定)

3分くらいだったでしょうか。時間終了で交代の時間が。そしたらです! ここからなんです! 奇跡の瞬間(笑)が訪れるのは! 私、グループの一番最後になっちゃったって言ったじゃないですか。だから、交代でその場を去るとき、一列になったんですけど、自然と私が一番最後になったんですよ。で、まぁ、皆、あゆに手を振りながら名残惜しく去っていくわけですよね。で、私、一番最後だから、このままいけば必然的に、最後の一人となり、「あゆと一対一」になっちゃうんですよ! で、なっちゃったんですよ! 1秒あるかないかの時間ですが、その瞬間だけは……。

はぁ。

これが「永遠の一瞬」ってやつですかね(笑)。

これが、「見た」ではなく「会った」と言いたくなる原因です。

これも、グループの一番最後にならなければ、そして、トークのときを外れなければ、訪れなかったであろう「永遠の一瞬」だもんなぁ。ああもう色々、ありがとう!

でもねぇ、トークがなかったからといって、最後の一人まで、そしてそれがちゃんと立ち去るまで、ずっと手を振り続けてくれるなんて、スペイン坂スタジオで何回か公開放送見てるけど、こんな人、初めてです! ま、今までいつもトークのときだったっていうのもあるし、最後の一人になったのが初めてだったってのもあるけどね。ああ、やっぱり、あゆは、可愛くて、優しくて、厳しくて、気さくで、神々しーーーい!(バカは死んでもなおりません)

何故、あゆがこんなにも人気があるのか、そしてそれを維持しているのか、ちょっと分かった気がしました。あゆは、「ファンがどこにいるのか」をちゃんと分かっている人なんだよ。何となく、そう思いました。それは、言い換えると、「自分がどこにいるのか」を分かっている人ってことなのかもな。あの位置にいながら、それは凄いことなんですよ。いや、だからこそ、あの位置にいられるのか。たかがラジオの公開放送で何をそこまでって思うかも知れませんが、たかがラジオの公開放送でそこまで感じさせたんですよ。

自分がこの歳になって、しかも、年下の小娘(笑)を相手に、こんなことになってるとは…。逆に、中高時代の方が冷めてたかも…。私の、遅れてきた青春?(笑) でもね、そんなことはどうだって良いんですよ。それより何より、一年前のことを書いてるのに、この興奮ぶりは何だ? それの方が問題だ! これぞリアルタイム体験? あゆ、青春をありがとう……。