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sky is blue

言わなければよかったのに日記

COUNTDOWN LIVE 2007-2008 Anniversary

2007-12-31 18:57:07 | AYU
いやぁ~~~~~~、なんと“二ヶ月”ぶりの更新です。

ほんと、ご無沙汰して、申し訳ございません!

その間に、ここを訪れてくれていた人達も、もうどこかへ去って行ってしまったかも知れない…。ただでさえ、有名人でも何でもない人間の書くブログなのだから、こんないつ更新されるかも分からないブログに……すみません、そんなこと言ってる場合じゃないですね。

ここが停まっている間も、当然世の中は動いているわけで。

私はといえば、あまりにも更新していなかったため、書き方を思い出せない!という感じなのですが、ここはひとつ、気持ちを新たにして、また書いていきたいと思っていますので、以前から訪れてくれてる方も、新しく訪れてくれた方も、何卒よろしくお願いいたします。

そういうわけで、「このこと」について書かなければっ!!!!!!

そうなんです。

2007年12月30日、31日、浜崎あゆみの年越ライヴ、『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2007-2008 Anniversary』に行ってきました。

30日、私は思いました。

“今まで観たあゆのライヴで一番かも!”

31日、私は思いました。

“今まで観た全てのライヴで一番かも!”

「あゆのライヴの中で」という範疇ではなく、「全てのライヴの中で」私が最も興奮し感動したライヴなのではないか。

今まで、洋楽も邦楽もフェスもイベントも、色々なライヴを観てきましたが、自分のライヴ体験数なんてまだまだ大したことないと思います。けれど、数ではなく、種類でもなく、こんなに自分が高揚し感動し熱くなったライヴは今までになかったと感じたのです。そんなものは比べようがないものだと分かっていても、今まで体験したことのないような気持ちになったのです。

そんなライヴが、自分にとってどのような体験だったのか、また、浜崎あゆみにとってどんな意義のあるものだったのか、浜崎あゆみにまつわる全てにとって、音楽というかけがえのない得体の知れないものにとって、どのようなものだったのか。

きっと私は、語る術など持ち合わせていない。

ただそこには、「歌」だけがあったんだ。

ライヴ全体を貫いているのは、浜崎あゆみのこんな「矜持」だった。

“私は歌手なんだ”

もうそれが全てだった。

それは、誇りであり、信念であり、まさしく「矜持」と呼ぶにふさわしいものだった。

“私は歌手である”

あの日のライヴの全てから伝わってくるのは、結局「それ」だった。それは、コチコチに固まったものでもなく、重々しくシリアスなものでもなく、背伸びや虚勢でもなく……。私は、そんなシンプルすぎる結論に、シンプルすぎるがゆえに、ただただ胸が奮えた。

セットリスト的に、私のツボだったってのもある。

「talkin' 2 myself」ではじめるってところにも、あゆの気合が伝わってきたよ。「Ladies Night」なんて、やると思わなかった! でもこれ、例の口パク発言への逆襲だって私は思ったね。そこに私は、歌手・浜崎あゆみの意地を見たよ。とても嬉しかったし、痺れたし、痛快だった。「Bold & Delicious」、超嬉しかった! やっぱこの曲は、ことあるごとにライヴで歌って欲しい! しかも、以前より、どんどんモノにしてるよ、この人。「+」もやったしねぇ。

『A BEST 2 -WHITE-』『A BEST 2 -BLACK-』発売時に、「これは、“浜崎あゆみのベスト”を考えて選曲した。“あゆのベスト”となったら、また違う」みたいなことを言っていたのね。で、今回のセットリストって、もしかしたら、“あゆのベスト”に近かったんじゃないかなって思う。対して、前回のカウントダウンライヴは、“浜崎あゆみのベスト”的なセットリストだったと思うし。といっても、今回のセットリストには、新作『GUILTY』からの曲も多かったから、そうとも言い切れないんだけどね。

そして、思ったのが、あゆは「エモーショナル」なんだなぁってこと。

面白いのが、「fated」「Together When...」という、“感情を抑えた歌い方”をしている2曲で特にそれを感じたこと。いや、十分感情を込めて歌っていたんだけど、歌い方としては抑えた歌い方をしていたと思う。

「Together When...」、メチャメチャ良かったなぁ。一番後ろから一番前まで作ってある長い花道をたった一人で歩きながら歌うんだけど、これが本当に良かった。それまでバンドやダンサーを従えながらパフォーマンスしていたあゆが、いきなりたった一人になって一本道を歩いていくわけですよ。たくさんのファンが見守る中。うん、確かにこの曲は、このとき、あゆがたった一人で歌わなければいけなかった曲だ!

「decision」の間奏で、ヨッちゃんを睨みつけるあゆも、メチャメチャ格好良かったですよ。

ヨッちゃんといえば、MCで泣かせることを言ってくれたなぁ。ちょっと正確ではないんだけど、2008年で10周年を迎えるってことで、「ずーっと一緒に音を出してきている浜崎あゆみというアーティストが10周年ということで、大きなことじゃないですか、だから……」

「とことんついていこうと!」

あゆもちょっとウルッときてたみたいだったよ。
小林信吾さんも、ニヤッとしながら、「このバンドを、より一層、鍛えて鍛えて、更に更に、素晴らしいステージを届けたいと思います!」と頼もしいこと言ってくれたし。

あとは、『GUILTY』の発売日に関して、あゆが「クリスマスには店頭に並ぶんだったら、12月25日発売で良いじゃんって言ったんだけど、大人の人達がさー、『いや、それはダメです。元旦発売じゃなきゃ』って言うからさー」ってブーブー言っていたのが面白かった。「『GUILTY』聴いてくれた?」って話から、そんなような話になったと思うんだけど。(これは30日の話)

「untitled ~for her~」は、至上の名曲!

ユーミンの「卒業写真」を歌ってくれたのも嬉しかった! ユーミンといえば、エレカシも「翳りゆく部屋」をカヴァーしたし、ライヴでも歌ってるもんね。一語一句、一音一音、すごく大切に歌っているあゆが印象的だった。

最後の「MY ALL」では、あゆ史上一番ってくらい、ボロ泣きでした。ボロボロに泣きじゃくりながら歌ってました。いやぁ、うん、こちらも、こんなこと歌われたら堪らないよ。

“浜崎あゆみは歌手なんだ”

そんなシンプルすぎる答えを提示した今回のライヴの後、私達は、あゆの「告白」を聞くことになる――。

「evolution」で私は本気で叫んでいたよ。

“こんな時代(とき)に生まれついたよ だけど君に出会えたよ”

うん、「かも」ではなく、確信した。

“今まで観た全てのライヴで一番だ!”

<セットリスト>

00. starting over (SE)
01. talkin' 2 myself
02. STEP you
03. Ladies Night
04. fated
05. Together When...
06. decision
07. SURREAL
08. Bold & Delicious
(メッセージ映像)
09. RAINBOW (曲の途中でカウントダウン…31日)
10. evolution
11. Boys & Girls
12. glitter

(MC)
13. untitled ~for her~ (31日のみ小林信吾さん参加)
14. 卒業写真 (Aco ver.) (31日のみ小林信吾さん参加)
15. +
16. Humming 7/4
17. MY ALL

できるだけ皆の近くにいきたいと考えてると言っていた通り、花道やら後ろや横のステージやらクレーンやら、とても工夫されたステージでした。というか、生中継の映像で確認したら、「Boys & Girls」で、長ーい花道をあゆが駆け抜ける間奏のところで、ヨッちゃん何気にすごいギター弾いてる。

いつか生で聴いてみたいと思っていた「RAINBOW」を聴くことができた。しかも、最重要なところにこの歌を持ってきて、歌詞のある部分はスクリーンに映し出された。2007年から2008年に変わる瞬間、そして、2008年の一番最初に、あゆが伝えたかったことは……。


ayu rock?

2007-09-15 17:30:10 | AYU
音楽を聴いていて、「不自由」を感じたことなんてない。

私は、好きな音楽を自由に選んで、自分が良いと思ったものを自由に聴いている。時にはそれを人に「○○がカッコ良いよ~!」とか言ってみたりもする。

そう思っていた。

しかし、「浜崎あゆみ」を良いなと思ったときに、私はそれを人に言うことに抵抗を感じ、どうしてこの音楽を良いと思うのかの理由を求めた。自分が信じていた音楽、いや、自分が信じていたロックとは相反する“向こう側の世界”に飲み込まれていってしまうような気がした。
自分が良いと思ったものを良いと言えない。心では惹かれているのに頭がそれを理解できない。それを認めたがらない。

私は初めて、音楽を聴いて「不自由」を感じた。

そうして、自分の心がいかに「不自由」であったかに気付いた。

私が信じたはずの音楽。私が信じていると疑いもしなかったロック。それは蓋を開けてみれば、ぜんぶ人が作り上げたものだった。あれもこれもそれもすべて、誰かが語った言葉、誰かが用意した定義、誰かが掲げたテーマ、誰かが描いたロックだった。現に私は、自分が良いと思ったものさえ良いと言えずに、そのことについて語るべき言葉も見つけられないでいるじゃないか。

自分の手と足で見つけたロックなら、そんなことにはならない。

自分が良いと思ったものを良いと言えなくて、何がロックだ! 何が自由だ!

私は、おそらく初めて、自分が信じたロックというものを、つまりは、自分自身を、疑った。

「サンボマスターや銀杏ボーイズが日本ロック界の一番新しい力だということに異論はないし、自分も良いと思うしグッとくる。けれど、心の奥底にある俺の肝まで響いてくるかと思えば、うーん、そうではない」というようなことを書いている人がいた。その人はその理由を色々と考えているのだけれど、人から「ナンシー関さん亡き後の表現だからじゃないですか」と言われハッとしたという。

なんとなく、なんとなくだけれど、分かるような気がする。別にそれは、「ナンシー関」でなくても良い。サンボマスターも銀杏ボーイズも、ここで私が言いたいこととは関係ない(後に、この人は銀杏ボーイズを認める文章を書いていたし)。文章はそのあと、「自分への疑い」という言葉をキーワードに書かれていた。

私は「浜崎あゆみ」に出会って、初めて自分のロック観(なんて言うとカッコつけ過ぎかも知れないけど)みたいなものを疑った。いや、疑わざるを得なくなった。つまり、浜崎あゆみは私のロック観(再びスミマセン)を壊し、私は浜崎あゆみに負けたのだ。

そしてそれは、私が初めて、音楽に、ロックに、負けた瞬間だと思っている。

そのとき、自分が持っていた「ロック」も「自由」も、まったく役に立たなかったよ。

そういった色々が、ガタガタと崩れ落ちていくような、ベリベリと剥がれ落ちていくような、そういう感覚。

でも、不思議だね、そのとき、「自由」を感じたんだ。

あゆと出会って、自分の心の中の不自由さに気付き、自由に一歩近付いた。

そんな風に思っている。

ロックを捨てて、ロックを手に入れる。

自分を疑って、自分を信じる。

負けなければ、知ることのできないことがあるんだと思う。

あゆと出会えて、本当に良かったと思うよ。


ASIA TOUR 2007 A ~横浜~

2007-05-27 00:12:25 | AYU
さいたま公演に続き、浜崎あゆみの『ASIA TOUR 2007 A ~Tour Of Secret~』の横浜公演(@横浜アリーナ)に行ってきました。

セットリストが2曲変わった以外は、基本的に同じ内容でしたが、さいたまのときと大きく違うのは、やはり、「海外公演後」ということになるのでしょう。が、特別に何かが変わったという印象はなく、強いて言えば、さいたまのときより楽しんでいるように思えたぐらいでした。ですが、何かを感じたような気もします。今回の経験が反映されてくるのは、もうちょっと後になるのでしょう。

今回思ったのが、あゆは「歌の中で一番素直になれる」のではないかということです。以前、タモリさんが「仕事してるときの方が、本来の自分のような気がする。普段の自分の方が、仮の姿のような気がする」というようなことを言っていました。プライベートのあゆなど、私には知る由もないですが、彼女の歌声が「嘘」だとはどうしても思えないのです。だって、「Secret」とか、あれを歌っているときの彼女ってば、本当にすごいよ。冗談ではなく、「神がかり的」だと思います。<真実にだけ届かない>と歌っているけど、真実に届く「真実の歌」だと思います。

あゆはきっと、「音楽の前では嘘のつけない人」なんだろうなぁと思う。だから、ある種の「懺悔」でもあるのかも知れない。自己を懺悔することが、音楽に必要なのかという疑問はあるけれど、この世にどうして「音楽」なんてものが存在するのかを考えてみると、やっぱりそれは「自己表現」なんだなぁと思う。それはいつも、「自己満足」と表裏一体かも知れないけど…。

録音技術も情報獲得手段も発達した今、優れたアーティストはたくさんいるのだろう。しかし、なんて言ったら良いのか、最後の最後で「音楽にひざまずいていない」と感じてしまうアーティストがいる。お前に何が分かるのだという話なのだが、自分の好きなアーティストの中にも、そう感じてしまう人はいる。ひょっとしたら、あゆのような存在って、「音楽をあまり大切にしていない」と思われがちなアーティストなのかも知れない。しかし、私には、「音楽を大切にしているかのように見えて、実は、最後の最後で音楽に心を開いていない」と思えるアーティストもいる。そういう中で、あゆは、「音楽を大切にしている」といったポーズもお構いなしに、「懺悔」とも思えるような歌を歌っている。私はこれを「音楽への愛」だと思っているし、だからこそハッキリこう言いたい。あゆ、あなたの歌は「真実」です。

今回のツアーでは、今まで感じられなかった何かがあったような気がして、ずっと考えていたのですが、それはきっと「キャリア」です。懐かしい曲を含んだセットリストも、『A BEST 2』の影響もあったのでしょう。今回のツアーには、「浜崎あゆみとしてやるべきことをやった」という印象を受けました。それは、「仕事っぽかった」とか「こなしていた」という意味ではなく、「皆が求める浜崎あゆみ」に対する一つの回答を提示していたように思えたってことです。「Do You Want To Know A Secret」でも「浜崎あゆみと折り合いをつけた」と書きましたが、「皆にとっての浜崎あゆみ」であるとか「これまでの浜崎あゆみ」に一つの回答を与えているような気がしたのです。そして、それ(過去の楽曲の演奏)が「懐メロ大会」になっていなかったことから、それらが「現在の浜崎あゆみ」の視点から行われている何よりの証でした。

あゆも、来年でデビュー10周年なのだから、「キャリア」がにじみ出てきて当然と言えば当然で、そういうときっていうのはきっと「大事な時期」で、そこでこういうライヴができたことはとても大きなことだと思います。なんだかんだ言って、過去に負けていなかったし、閉じていなかったもんなぁ。

過去の楽曲は深みを増していて、特に今回は、「M」の<それでも全てには 必ずいつの日にか 終わりがやって来るものだから>という一節に、胸に迫ってくるものがありました。そこに「歌う理由」を感じたような気がします。

そして、今回もう一つ思ったのが、セクシー!! 「appears」とか、特に思いましたよ。これでもう、「あゆに足りないのは色気だ!」とは言わせませんよ!←誰が言ったんだ(笑)

1曲目の「evolution」を、いきなりバラードで歌いだしたのにはビックリしたなぁ。最初だけでなく、1番をまるまるバラードで歌ったからね(オリジナルはガンガンにロックな曲です)。ああいうのを聴くと、あゆのヴォーカリストとしての成長を感じるよ。「kiss o' kill」に入る前のパワフルなヴォーカルだってそうだし。あのね、今更だけど、あゆは相当の努力家よ? 過去の作品を聴いてみたりすれば、単純に「歌うまくなったなぁ」って思うもの。

それでいながら、変に技巧的にならずに、あくまで音楽主義というか。「evolution」をバラードで歌ってみたり、「kiss o' kill」の前にパイプオルガン風の演奏(それが十字架にも繋がっているのね)とパワフルなコーラスをつけてみたり、ライヴならではのアレンジが組み立てられているのだけど、変に技術に走らず、なんていうか、音楽的って感じなんだよね。それはやっぱり、音楽を大切にしているバンドメンバーによるところも大きいんだろうなぁ。

ああ、このまま書いてると、延々と続いちゃいそうだわ。

最後に歌った「Who...」。いつもは<これからもずっとこの歌声が あなたに届く様にと>の<あなた>を<みんな>に変えて歌うのだけど、この日は、最後の部分で力を込めて敢えて歌詞通りに<あなた>と歌った。それがやけに心に響いたよ。

んでは、今回もセットリストを。
「SEASONS」は、さいたまのときと違ってバンド演奏だったような…。

*** セットリスト (青字さいたま公演と違う曲) ***

SE. LABYRINTH
01. evolution
02. UNITE!
SE. taskinst (映像)
03. 1 LOVE
04. until that Day...
05. M
06. appears
07. part of Me
08. Secret
09. kiss o' kill
SE. Not yet (映像)
10. SURREAL
11. AUDIENCE
12. Boys & Girls

13. momentum
14. SEASONS
(MC)
15. independent
16. Humming 7/4
17. Who...

2007年5月27日のこの日、ZARDの坂井泉水さんが亡くなられた。ZARDのことを特別意識したことはなかったはずなのに、大きなショックを受けている自分に驚いた。それだけ彼女の歌声が日常的なものになっていたのだと気付かされるとともに、以前は分からなかった何かが胸に押し寄せてくるようだった。坂井泉水さん、ありがとう。この「揺れる想い」を胸に抱き続けていきたいです。


Live To Tell

2007-03-11 15:17:17 | AYU
2007年、浜崎あゆみは、台北・香港・上海の海外公演を含むツアー『ASIA TOUR 2007 A ~Tour Of Secret~』で、「十字架にハリツケにされる」パフォーマンスを行った。

「十字架ハリツケ」といったら、2006年に行われたマドンナのツアー『Confessions Tour』でも大胆に取り入れられ、話題になったばっかりだ。私も、マドンナの東京公演を目撃しており、今回のあゆの「十字架ハリツケ」を観たときは、真っ先にそのことを思い出した。

どうして、あゆはこういうことをするのだろう。こんなことをすれば、また「パクリ」と言われるに決まっている。「言ってください」と言っているようなものだ。私は「パクリ」だなんて思わないけど、世間はそうもいかないだろう。あゆがマドンナを敬愛していることは十分に知っているつもりだが、どうしてここまでマドンナにこだわるのか。一体、この「執念深さ」は何なのか。私は、正直、「ここまでやらなくても良いじゃないか」と思ってしまった。

しかし、ここまでくれば、認めざるを得ないだろう。これは、単なる「パクリ」で済まされるようなことでは、決してないと。そんな言葉では済まされない「何か」がある。それは、前から分かっていた。私はそれを「リスペクト」という言葉で捉えようとしていたのかも知れない。しかし、今回はそれさえも揺るがしてきた。「パクリ」どころか、「リスペクト」でも済まされない「何か」がそこにはあった。

これまで、こういうことがある度に、私は思っていた。あゆは「分かっててやっている」と。それは、話題作りでも何でもなく、「自分がそれに影響されている」ということを分かった上でやっているということだ。しかし、今回ばかりは、私も戸惑ってしまった。「もしかして、あゆは、本当に何も考えていないだけなのか?」と。そのくらい、衝撃的で大胆なことだった。

しかし、思い出して欲しい。あゆは、『COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A』(2005年12月30日~31日)で、既に、「十字架ハリツケ」を行っているのだ。前の記事で書いたように、あゆは、同じことを繰り返すのを嫌うアーティストだ。にも関わらず、敢えて、再び同じことをやったのだ。(だから、私は、マドンナの「十字架ハリツケ」を観たときは、あゆのそれを思い出していた。あ、そうだ、『COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A』では、開演前にずっとマドンナがかかっていたなぁ)

『ViVi』で連載されている「浜崎あゆみのデジデジ日記」に写真付きで掲載されたところによると、あゆ自身、マドンナの『Confessions Tour』をマイアミで2回観ているとのことだ。当然、「十字架ハリツケ」のシーンだって観ただろうし、あゆも、自身がカウントダウンライヴで行った「十字架ハリツケ」を思ったに違いない。そして、自身との「決定的な違い」を思い知ったに違いないのだ。そうでなくても、世間の反応が嫌でもそれを教えたはず。

マドンナが行った「十字架ハリツケ」は、世界中の宗教団体から非難を浴びた。ローマ公演の際は、「神への冒涜に近い」など、公演前から非難の声が続出する中、それは決行された。特殊部隊や警察官約7000人が動員されたという。マドンナは、「エイズ撲滅の慈善事業への寄付を観客から募るため」と反論し、実際にスクリーンには貧困に苦しむ人々の映像などが流された。このことは大きな話題になり、日本にもニュースで伝わってきた。マドンナの世界的な影響力の大きさを証明するような出来事だった。

一方、あゆの場合は、『COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A』のときも、『ASIA TOUR 2007 A』のときも、そういう話題にはならないし、そのようなバッシングも起きない。それは、知名度の違いや開催地の宗教的な背景の違いもあるだろうが、何よりも、あゆには、マドンナのように、宗教的な背景や必然性、政治的なメッセージ性があるわけではなかったからだ。彼女の中にどのような思惑があったにせよ、世間にとっての「浜崎あゆみ」はそうだった。

マドンナは、今回に限らず、「ライク・ア・プレイヤー」(1989年)のプロモでも十字架を燃やす演出をしたり、また、自身もカバラの信仰に傾倒するなど、宗教的な結び付きが深い。それは、そんなことを詳しく知らなくても、あの圧倒的なパフォーマンスから十分に伝わってくるものだった。一方、あゆのパフォーマンスからは、そういった深い結び付きを感じ取るのには無理があった。過去に「M」のような曲を出してはいるものの、やはり、あゆの「十字架ハリツケ」は、あくまでも演出の一つであり、エンタテインメントに過ぎなかった。

そして、重要なのは、そういった「決定的な違い」を、誰よりもあゆ自身が思い知ったに違いないということだ。だって、そうでしょ。形式的には同じことをやっているのに、その意義や世間の反応も全くもって違うということを、実際に自分の目で、目の当たりにしたのだから。私は、マドンナのライヴを体験して、あゆがマドンナから影響を受けていることを強く実感しながらも、「マドンナとあゆ、全然違うじゃん!」とも感じた。実は、それを最も痛感したのが、この「十字架ハリツケ」のシーンだったのだ。全く同じことをやっていながら、全くもって違っていた。私は、あのときの感覚を忘れない。私でさえそうだったのだから、本人がそれを体感するというのは、どれほどのものだったのだろう。

そして、私は強く思った。「自分はマドンナにはなれない」ということを、誰よりも深く分かっているのは、「あゆ」なんだと。

だから私は、ここまでやらなくったって、あゆはあゆなんだから、自分の表現をすれば良いのにと思った。あゆがマドンナから影響を受けていることは、もう十分に分かったから、後は自分の表現をしてくれれば良いと。もちろん、あれだって自分の表現ではあったが、そんな誤解を招きやすいようなことをしなくったって良いじゃないかと。しかし、そうではなかった。

確かに、マドンナとは違い、あゆの「十字架ハリツケ」は、単なる演出であり、カッコ良いからといってする十字架のネックレスみたいな感覚で、政治的なメッセージもなく、ただのエンタテインメントにしか過ぎなかったのかも知れない。けれど、あゆは、それに「誇り」を持ってやっているのだ。私は、そんな大事なことも見落としかけていた。

あゆは、何もかもを分かった上で、2007年に再び「十字架ハリツケ」を決行した。何もかもを分かっているからこそ、やれたのだし、やる必要があったのだ。何故なら、あゆは「浜崎あゆみ」に誇りを持っている。自分がやっていることを、自分自身に証明するためにやる必要があったのだ。「決定的な違い」を突き付けられても尚、自分の表現の中にある「真実」を証明するために。そんなことは自分の心の中にだけあれば良いのかも知れない。けれど、そうはいかない。何故なら、あゆは、「大衆音楽家」なのだから。

あゆが自分自身に証明するということは、それを大衆にも証明するということなのだ。だから、あゆは、あれを決行した。私はそう思う。そういう意味では、マドンナにもあゆにも「必然性」はあった。

そして、そんなことができたのは、彼女が、誰かと同じことをしても「自分がやれば違うものになる」という確信があったからなのだろう。でなければ、あんなことは怖くてできやしない。もし、あゆが「ものまね芸人」にしか過ぎないのなら、「上っ面だけをなぞるだけの人」なら、こんなことはできなかったはずだ。

そして、話が飛躍してしまうが、あゆのスゴイところは、それがしっかりと「洋楽への批評」になっているところなのだ。少なくとも私はそう思っている。それこそが、あゆが「他の人と違う!」と思っている点でもある。

ただし、あゆが、そこまで考えてやっているかどうかは、私にはちょっとよく分からない。もしかしたら、あゆにしてみれば、「自分にしかできない表現」を追及している結果、そうなっているだけなのかも知れない。しかし、意識・無意識は別にしても、そんなに都合良く「偶然」が続くとは思えない。少なくとも、「リスペクト」の名のもとに、「愛」を売り物にしたり隠れ蓑にしたりはしていないだろうなぁ。

余談になってしまうかも知れないが、今回のことで、マドンナの『コンフェッションズ・ツアー・ライヴ』のDVDをじっくりと観てみた。やはり最初は、その「決定的な違い」を見せ付けられ、愕然としてしまった。しかし、ショーが進んでいくにつれ、イキイキと輝いてくるマドンナの表情の、その笑顔は、たぶん、あゆのそれと「同じ意味」を持っていた。


ASIA TOUR 2007 A ~さいたま~

2007-03-10 15:16:24 | AYU
2007年3月10日、さいたま公演を皮切りに、浜崎あゆみの『ASIA TOUR 2007 A ~Tour Of Secret~』がスタートした。で、3月10日と11日のさいたまスーパーアリーナ公演に行ってきましたよ! 「2日連続」であゆのライヴに行くのは初めて。その2日間を「さいたま公演」として、1つの記事に書きたいと思います。

今回のツアー、特に思ったのが、どんどんシンプルになってきているということ。それは、演出が派手じゃなくなったとかではなくて、より「な~んも考えないで楽しめる」ものになっているということだ。かなりエンタテインメント性が高い。前までは、そこに込められたメッセージ性や物語性が全体を支配している感じが強かったが、最近は、そういったメッセージ性や物語性をことさら主張しなくても、自然とそれがにじみ出ているといった感じ。ここまでエンタテインメントに徹するライヴをやれたのは、自信の表れだと思うし、それだけ彼女の表現が「余計な説明」を必要としなくなってきているということだろう。なんだかとても吹っ切れているように見えた。

選曲は、やはり、今回初めて、台北・香港・上海という海外公演を含むアジアツアーというだけあって、それを意識したであろう曲も選ばれていた。『A BEST 2』の影響もあるだろう。特に、「M」や「appears」が聴けたのは嬉しかった! しかし、聴かせるポイントには、最新アルバム『Secret』の曲と新曲「part of Me」が配され、しっかりと「現在の浜崎あゆみ」を伝えていた。

つくづく思ったが、あゆは、同じことを繰り返すのを嫌うアーティストだなぁ。本来ならば、「~Tour Of Secret~」ということで、オープニングSEは「Not yet」がふさわしいとも思えるが、この前のカウントダウンライヴでやってしまったからか、それは使わず、それどころか、「BLUE BIRD」や「Beautiful Fighters」といったシングル曲でさえも、これまたカウントダウンライヴでやったからか、歌わなかった。考えてみれば、「Startin'」や「Born To Be...」だって、『Secret』の曲なのだ。それなのに、それらは前回のツアーで取り上げてしまったためなのか、今回はやらない。つくづく「現在(いま)」にこだわる人だなぁ。それは、リリースとライヴにも時差が出てしまうほどだ。
(今回は時間が短かったような気もしたので、海外公演における演奏時間との兼ね合いでそうなったのもあるかも知れない)

そんなあゆが、わざわざ同じことを繰り返した場面があった。それは、「kiss o' kill」でのこと。間奏で瞬間移動してみせるというイリュージョンを披露し、その後、「十字架にハリツケ」にされたのだ。「十字架ハリツケ」は、『COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A』のときにも既にやっていたことだった(そのときの曲は「Endless sorrow」)。それだけに、この「十字架ハリツケ」には、特別な意味が込められていることを感じた(それについては「Live To Tell」参照)。

演出が、色々な国を思わせ、多国籍・多文化な感覚に溢れていた。友達の指摘で気付いたのだが、「part of Me」~「Secret」のときに着物を着ていて、おそらくカツラを被っていたのだが、「カツラまで金髪かよ!」ということらしい(笑)。確かに…。私もそのときは、着物で金髪という姿を観て、「ナニジンだよ!」と心の中でツッコミを入れていた。前までは、そういう風に色々な国の文化を取り入れ、一体ナニジンだよ!というところこそが「ニッポンジンだ!」と捉えていたのだが、なんだかもう、それすら超えていたよ。あゆは、「日本的」を超えたってことだ。そう、あゆは「超日本的」!

こんな風に、「何でもあり」ってことをやると、「節操のなさ」や「借り物感」ばかりが目立ってしまい、「一体、この人は何がやりたいんだ?」ということになりかねない。しかし、あゆの場合、何でもありでありながら、どこまでいってもそれは「浜崎あゆみ」であり、「浜崎あゆみ」でしかありえない。これを「オリジナル」と言わないで、何を「オリジナル」と言おうか! だからこそ、こちらも気持ち良くツッコミを入れられるし、それは結局、賛辞の言葉になってしまう。

あゆ曰く、今回のテーマは、「ASIA IS ONE!!」。構想を練るにあたって、各国のルールの違いなどに苦戦したらしいが、「分けちゃったら話にならない」と。「同じステージで、同じセットリストで、同じ演出で見てもらうことが大事だと思ってる」と語っていた。こういうあゆの考え方が、好きなんだよなぁ。だから、“日本とアジア”という風には分けないで、“日本もアジア”ということで、基本的には同じステージとのこと。もちろん、あゆは、「郷に入っては郷に従う」ところも大事にしているけれど、そういう中でもブレないところが、あゆがあゆたる所以なのさ。「ASIA IS ONE!!」、伝わっていくと良いなぁ。

そして、今回、要注目のツボ!
それは、「kiss o' kill」の後だったか。衣装チェンジに入り、合間に映像が流れたのだが、この映像がすごかった! もう、なんて表現したら良いのやら…。呆然と立ち尽くしてしまったよ私は。言葉で説明したって伝わらないかも知れないけど、あゆは、自分のあの大きな瞳をふんだんに使って、万華鏡を作り出してみせたのだ。

やっぱり、あゆは変態だ!

ここまで自分のことを切り刻んでみせる人は、なかなか他に思い当たらないよ。一体、何なんだよ、これは! 一体、どういう思考回路してるんだよ、この人は! すみません、お腹抱えて笑ってしまいました。こんなところで笑ってしまうのは私ぐらいかも知れませんが。でも、友達も爆笑してたよ。

そして、思ったね。やっぱり、他の人とは違うなって。とにかく、ぶっ飛んでいたんだよ。自己プロデュース能力があって、かつ、ぶっ飛んだ変人って、、、

やっぱり、あゆは最強だ!

「kiss o' kill」の「十字架ハリツケ」で、色々な意味で衝撃を受けていたら、その次にはもうこれでしょ。まるで、あざ笑うかのようにさ~。

ここで「さいたま公演」ならではの話を書いておくと、1日目は初日だけあって、あゆの素の部分というか、ポロリと出てしまったかのような本音に触れられたのが良かった。今回は初のアジアツアーということで、色々思うところがあるのだろう。まだツアーは始まったばかり、初日だというのに、最後の方、泣きそうに見えて、最後の最後にこう言ったのだ。

「初日が皆で良かった」

泣かせることを…。あゆも、ポロリと本音が出てしまったというか、こんなあゆは珍しいような。貴重な瞬間を共にむかえることができて、私も嬉しいよ。

なんでも、初日はあゆ、自分一人で車を運転して会場に来たらしい。皆が信じられないという表情をしていると、「言っておくけど、ゴールド免許だから!」とあゆ(笑)。「あまり運転しないからってのもあるんだけどね」とは言っていたけど。あゆ、かわいい…。trfを聴きながら一人でノリノリで来たらしい。しかし、さいたまスーパーアリーナの駐車場に入る直前、入り待ちしているファンがいたから、運転しながら窓を自分で開けて、手を振って応えていたら、やってしまったらしい。車を会場にぶつけてしまったとのことだ(笑)。カッコ良く颯爽と決めたはずなのに、これだよ(笑)。結構凹んだらしい。あゆ、気を付けてね!

一方、2日目は、色々な気持ちを切り替えたのか、初日のように本音が出てしまうという感じはなく、バシッと決めていた。初日は、「SEASONS」あたりで、声が不安定に聴こえたのだが、2日目は初日よりも安定していたし、よく出ていた。

そして、驚いたことがあった。2日目は、私は4階のスタンド席で、立ってはいけない席だったので着席していたのですが、にも関わらず、そう、あれは確か「Humming 7/4」のとき、地震か?ってくらい席が揺れたんですよ。もちろん地震ではありません。お客さんが揺れていたんです。4階のスタンド席ですよ? あゆは、こんなところまで揺らしてしまうのかと思って、とんでもないなと思いました。もうそれだけで、十分すごいことじゃないですか。

これは初日のことですけど、私の位置的に、あゆが花道を進んでいくと、彼女の背中を見る形になったんですね。彼女の背中とその前に広がるたくさんのお客さん。あの光景はすごかったなぁ。一瞬だけど、あゆが見ている光景を体験したってことですよ。ずっと前に、大貫妙子、奥田民生、鈴木慶一、宮沢和史、矢野顕子らが出演した『Beautiful Songs』っていうコンサートをTVで見たんだけど、そのときに、その中の誰かが、「アーティストの背中を見ながら歌を聴けるっていうのは贅沢。その人の向き合い方とか、背中に全部出る」みたいなことを言ってて、ああ、こういうことなんだなぁって思った。歌ってるあゆの背中を見る機会があったら、あゆだけじゃなく、お客さんとか色々、全体を見てみて、色々感じてみるのも良いと思う。

では、SEがちょっと自信ないんだけど、セットリストを。

*** セットリスト ***

SE. LABYRINTH
01. evolution
02. UNITE!
SE. taskinst (映像)
03. 1 LOVE
04. until that Day...
05. M
06. appears
07. part of Me
08. Secret
09. kiss o' kill
SE. Not yet (映像)
10. SURREAL
11. AUDIENCE
12. Boys & Girls

13. JEWEL
14. SEASONS (アコースティック)
(MC)
15. flower garden
16. Humming 7/4
17. Who...

あゆ、自信を持って、アジアへ羽ばたけ!