goo blog サービス終了のお知らせ 

sky is blue

言わなければよかったのに日記

エレファントカシマシ @SHIBUYA-AX

2007-09-30 23:53:45 | エレカシ
そういえば、「夏フェス」に行かなくなってしまったなぁ。最後に「夏フェス」に行ったのはいつで、どこのフェスだったっけ。次に私が行くとしたら、本気で「a-nation」になってしまいそうでコワい。

エレカシは、2007年も『ROCK IN JAPAN FES.』、そして初となる『RISING SUN ROCK FESTIVAL』に出演した。行きたかったなぁ、観たかったなぁ、ライジングサンでのエレカシ。「風に吹かれて」の映像を見たけど、すっごい良さそうだった。あれはマジックが起こってた。「風に吹かれて」が名曲だってことは知ってたけど、こんなにもこんなにも名曲だったとは。

そんな夏フェス出演を経ての単独ライヴ。

濃い!! というか、渋い!?

まず、選曲が意表を突かれた。ユニバーサルに移籍して心機一転、新曲のリリースも決まったし、良い意味で潔く、掴みやすい派手な選曲でくるかと思ったら、「甘き絶望」とか「覚醒 (オマエに言った)」とか。お世辞にも、「親しみやすい」とは言えない内容だったように思う。「面影(おもかげ)」をまた聴ける日がくるなんて。

とはいえ、新曲もやり、「悲しみの果て」や「今宵の月のように」といったヒット曲もやったし、こうして改めてセットリスト(下記参照)を見てみると、派手じゃなかったわけでもないように思えてくるのだが、とにかく、ハードだし、ヘヴィだし、ブルージーだし。もしかしたら、曲云々ではなくて、エレカシのモードがそうさせていたのかも知れない。骨太なんて一言で片付けてしまうにはもったないほど、骨太だ。

中でも、「東京の空」は圧巻だった。複雑で混沌とした東京とそこに生きる人々の心象風景を描いた大曲を、見事に表現し切った。うわぁ、プログレみたい! でも、あくまでシンプルなロックバンドの演奏。

終盤、久しぶりの「コール アンド レスポンス」、更に、「男は行く」でたたみかける。そんなハードな展開の後に、可愛らしさが漂う「流れ星のやうな人生」で本編終了。

ああ、なんだろうな、今日のライヴは。

こんなにも濃くて、ある意味コアで、渋いはずであろうライヴなのに、「渋いねぇ」なんて言葉をこちらに言わせない迫力がある。

エレカシの核の部分、根っこにあるコアな部分を、自己の世界に留まらず、あくまでも外へ出していくんだという気概を感じた。ともすれば、自家中毒を起こしてしまうような内容なのに、確かな演奏力とそれでも完成してしまわない貪欲さ(ある意味ストイックさ)でもって、エレカシの濃いぃ~部分を昇華し、成立させていた。

エレカシはもちろん、新人バンドではない。

かといって、ベテランバンドというのとも違う。

この日、エレカシのプライドやら魂やら底力を見せ付けられた気がする。

「ブレない」、「揺るがない」、そんな言葉が似合うような気がした。

ここからエレカシはまた、這い上がっていくんだろう。

アンコールでは、これまた久しぶりの「傷だらけの夜明け」、「今宵の月のように」、そして、桜の歌という新曲を聴かせてくれた。二回目のアンコールで、「ガストロンジャー」、そして本日最後に、新曲「俺たちの明日」。
(今回、夏フェスでも名古屋と渋谷の単独ライヴでも、すべて最後の曲は「俺たちの明日」)

「俺たちの明日」、新春ライヴで初めて聴いたときには、「明日というより昨日になってないか?」なんて突っ込んでたんだけど、もうそんなんじゃなかった。これからのエレカシを導いてくれそうな、いや、エレカシだけじゃなく、私たちのことも導いてくれそうな、そんな力を持ち始めていた。この曲がもともと持っていた「可能性」を、エレカシ自身はもちろん、YANAGIMANやその他たくさんの人たち、もしかしたら私たちファンも含めて、たくさんの人たちが育てていってるのかも知れない。リリースされる頃には、もっと大きな力を持った曲になっているに違いない!
って、もう既にリリースされた後に書いてるんだからズルイんだけどさ(移籍第一弾シングル『俺たちの明日』は、2007年11月21日にリリースされました)。

<セットリスト>

01. 笑顔の未来へ (新曲)
02. この世は最高!
03. クレッシェンド・デミネンド -陽気なる逃亡者たる君へ-
04. さよならパーティー (新曲)
05. 甘き絶望
06. 面影(おもかげ)
07. 覚醒 (オマエに言った)
08. 誰かのささやき
09. 悲しみの果て
10. 東京の空
11. コール アンド レスポンス
12. 男は行く
13. 流れ星のやうな人生

14. 傷だらけの夜明け
15. 今宵の月のように
16. 新曲 (桜の歌)

17. ガストロンジャー
18. 俺たちの明日 (新曲)

「風に吹かれて」、やらなかったんだなぁ。


ayu rock?

2007-09-15 17:30:10 | AYU
音楽を聴いていて、「不自由」を感じたことなんてない。

私は、好きな音楽を自由に選んで、自分が良いと思ったものを自由に聴いている。時にはそれを人に「○○がカッコ良いよ~!」とか言ってみたりもする。

そう思っていた。

しかし、「浜崎あゆみ」を良いなと思ったときに、私はそれを人に言うことに抵抗を感じ、どうしてこの音楽を良いと思うのかの理由を求めた。自分が信じていた音楽、いや、自分が信じていたロックとは相反する“向こう側の世界”に飲み込まれていってしまうような気がした。
自分が良いと思ったものを良いと言えない。心では惹かれているのに頭がそれを理解できない。それを認めたがらない。

私は初めて、音楽を聴いて「不自由」を感じた。

そうして、自分の心がいかに「不自由」であったかに気付いた。

私が信じたはずの音楽。私が信じていると疑いもしなかったロック。それは蓋を開けてみれば、ぜんぶ人が作り上げたものだった。あれもこれもそれもすべて、誰かが語った言葉、誰かが用意した定義、誰かが掲げたテーマ、誰かが描いたロックだった。現に私は、自分が良いと思ったものさえ良いと言えずに、そのことについて語るべき言葉も見つけられないでいるじゃないか。

自分の手と足で見つけたロックなら、そんなことにはならない。

自分が良いと思ったものを良いと言えなくて、何がロックだ! 何が自由だ!

私は、おそらく初めて、自分が信じたロックというものを、つまりは、自分自身を、疑った。

「サンボマスターや銀杏ボーイズが日本ロック界の一番新しい力だということに異論はないし、自分も良いと思うしグッとくる。けれど、心の奥底にある俺の肝まで響いてくるかと思えば、うーん、そうではない」というようなことを書いている人がいた。その人はその理由を色々と考えているのだけれど、人から「ナンシー関さん亡き後の表現だからじゃないですか」と言われハッとしたという。

なんとなく、なんとなくだけれど、分かるような気がする。別にそれは、「ナンシー関」でなくても良い。サンボマスターも銀杏ボーイズも、ここで私が言いたいこととは関係ない(後に、この人は銀杏ボーイズを認める文章を書いていたし)。文章はそのあと、「自分への疑い」という言葉をキーワードに書かれていた。

私は「浜崎あゆみ」に出会って、初めて自分のロック観(なんて言うとカッコつけ過ぎかも知れないけど)みたいなものを疑った。いや、疑わざるを得なくなった。つまり、浜崎あゆみは私のロック観(再びスミマセン)を壊し、私は浜崎あゆみに負けたのだ。

そしてそれは、私が初めて、音楽に、ロックに、負けた瞬間だと思っている。

そのとき、自分が持っていた「ロック」も「自由」も、まったく役に立たなかったよ。

そういった色々が、ガタガタと崩れ落ちていくような、ベリベリと剥がれ落ちていくような、そういう感覚。

でも、不思議だね、そのとき、「自由」を感じたんだ。

あゆと出会って、自分の心の中の不自由さに気付き、自由に一歩近付いた。

そんな風に思っている。

ロックを捨てて、ロックを手に入れる。

自分を疑って、自分を信じる。

負けなければ、知ることのできないことがあるんだと思う。

あゆと出会えて、本当に良かったと思うよ。