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sky is blue

言わなければよかったのに日記

walking proud

2007-02-28 00:39:54 | AYU
※この記事は「2007年4月16日」に書いています。

これまで、表面上は、頑ななまでに“日付通り”を守ってきた当ブログですが、今回ばかりは、そんなこと言ってられません。3月10日から始まった『ayumi hamasaki ASIA TOUR 2007 A ~Tour of Secret~』。私は既にさいたまスーパーアリーナ公演に行ってきたのですが、そのことを書く前に、今回の件について書きたいと思います。

「あゆは口パク」発言にファン激怒!CD不買運動の動きさえ―香港

ファンならば、こんなことにはなるべく触れたくないというのが心情だと思いますが、逆に、ファンだからこそ、何かを言うべきだと思ったので、今までの頑なな“日付通り”を破って、書きたいと思います。だって、やっぱり、“実際にライヴに足を運んでいる人”こそ、今、物を言うべきだと思うから。

先に言っておきますが、私は、「口パク」を一概にNGだとは思っていません。演出上、どうしても必要なときだってあると思うし、国内アーティストに限らず、海外アーティストだって、その方法をとっている人もいます。でも、大事なのは、そういう口パク云々を超えて、結果的には、人々を熱狂させているということだと思うのです。もちろん、結果オーライで何でも良いと思っているわけではないですが、歌っていればそれで良いということでもないと思います。エンタテインメントとして、そのへんの線引きというのはとても難しいところであると思いますし、それに携わる人達は、日々そういった部分で戦っているんだと思います。

今回のことを、闇雲に「口パクじゃない!」と言って終わりにしてしまうこともできます。ですが、ファンだからこそ、一度冷静になって、見つめ直してみたいと思います。

私が、あゆの単独公演に行った回数は、「10回」です。そのうち、同じツアーのものもありますが、口パクかな?と思ったことは、一度もなかった……と言いたいところですが、そう言ってしまったら、嘘になります。本当はこんな野暮なこと言いたくないけれど、あゆが好きだからこそ、正直に書きたいと思います。今までライヴに行った中で、私の中で、口パクかな?と思った曲が、1~3曲ありました。もちろん、これは、私が間違っている可能性もあるので、どのツアーのどの曲かは書きませんが、演出上とても凝っていたものであり、歌うのが困難であろう状態かつ曲でした。ですが、それでさえ、もしかして?と思うレベルです。ですから、実際はちゃんと歌っていたのかも知れません。だとしたら、本当にあゆに申し訳ないのですが、ここでは、敢えて、自分の気持ちを正直に書きます。そして、その1~3曲も、そういうことを抜きにして、非常に私を興奮させるものであったことも付け加えておきます。

ですが、今回のツアーでは、口パクだなんて、一回も感じなかったし、考えもしませんでした。それを「3分の1口パク」ですか……。私が今まで10回行ってきた中でだって、もしかして?と思ったのは、1~3曲だというのに。それも、間違いかも知れないし。逆に、私が口パクに気づかなかったということも考えられるわけですけどね。

もちろん、その人がそう感じたのなら、それをとやかく言うつもりはありません。曲数がどうのこうのという問題じゃないのかも知れない。ただ、悔しいのは、それを聞いた、特にファンでもない人が、自分で見聞きしたり感じたりもせずに、「あゆは口パクなんだ」と思ってしまうことです。私だって、ファンじゃなければ、そうなのかなって思ってしまうかも知れない。

信頼は、壊すのは簡単だけど、築くのは大変だとよく聞きます。悲しいかな。こういう発言が、人が苦労して築き上げてきたものを、いとも簡単に傷つけてしまうのです。

「言うは易く、行うは難し」

今回のこと、あゆもスタッフもファンも、悔しくないわけがない。下らないと言って笑い飛ばすこともできるけど、みんな、「誇り」を持ってやっているんだもの。悔しさがないと言ったら、そんなの嘘になるよ。でも、一番悔しいのはあゆに決まっている。なのに、あゆはきっと、ファンやスタッフのことを真っ先に考えていそうだよ。

だから、あゆファンとして、まだまだの私だけど、これだけは声を大にして言いたい。

「あゆは、いつだって、全身全霊、心の底から、歌っている!」

だから私は、「浜崎あゆみ」を好きなんだもん。

でもね、これでますます、あゆ、やる気になっちゃったかもね(笑)。

以上、取り乱し気味の文章になってしまいましたが、当ブログのルールを破ってまで、書きたかったのです。

でもね、これを読んだら、吹き飛んじゃったというか、救われたよ。(特に最後の方ね)

http://blog.honeyee.com/mnoguchi/archives/2007/04/tour_of_secret.html

ミカジョン、ありがとう。
「ヒミツ」を教えてくれて。

やっぱり、私が告白した「ヒミツ」の1~3曲っていうのは、間違いだったのかもなぁ(汗)。
ちっ、あゆに騙されちったぜ。
いやいや、あゆ、ごめん。
出直してきます。

というか、あゆスゲー。

あのね、一回で良いから、あゆのライヴ、観てみなよ。

はっきり言って、ぶっ飛ぶよ。

さてと、私もがんばらなくっちゃ。


Stevie Wonder Japan Tour 2007

2007-02-18 15:44:03 | ライヴ
スティーヴィー・ワンダーのライヴ @さいたまスーパーアリーナに行ってきた。初めてのこと。

スティーヴィー・ワンダーといったら、超有名アーティストだが、私は、アルバムを何枚か聴いたことがあるくらい。そんな私に、友達が、スティーヴィーの元妻であり、今は残念ながら亡くなっているシリータという女性が歌う「シーズ・リーヴィング・ホーム」(ビートルズの曲)を聴かせてくれた。もちろん、スティーヴィーも参加している。最初、それが「シーズ・リーヴィング・ホーム」だとは気付けずに、途中で「え? これって?」と気付いたのだが、私はショックを受けてしまった。私は、なんだかんだ言ってビートルズには誰も敵わないよなぁと思っている節があって、結局のところビートルズが自分の物差しの基準になっているのかなぁと常々感じていた。けれど、この「シーズ・リーヴィング・ホーム」を聴いたとき、初めて、「これは、ビートルズも敵わない」と思ってしまった。リトル・リチャードを聴いても、チャック・ベリーを聴いても、そんなことまでは思わなかったのに。

そんなスティーヴィーの歌が生で聴ける!

それなのに、出てきていきなり、私が思ったことといったら……。

スティーヴィー、可愛い!

なんであんなに可愛らしいの?

そう、スティーヴィーは、とても可愛らしかったのです。

次から次へと演奏される曲達は、眩暈がするくらいに美しかった。そんなことは、彼の作品を聴いたときに分かっていたはずだったけど。

「オーヴァージョイド」が演奏されたあたりで、私はこらえ切れず、涙をこぼしてしまった。なんで? なんで? 私には分からなかった。でも、本当は分かっているような気もした。

生きていくということは、あるときから、あらゆるものを失っていくことに変わるのかも知れない。ポールだって、ジョンを失い、リンダを失い、ジョージを失った。それだけじゃなく、若さを失い、体力を失い、人はあらゆるものを失っていくのだろう。

スティーヴィーが鍵盤を弾きながら歌っているその背中を見て、そんなことを思った。

それが全部、音楽になってるよ!

そんなことは目には見えないのだけど、それはそこには無いはずなのだけど、でも、失ってしまったはずのものも、何もかもが、そこにはすべてがあったような気がした。ノスタルジーとか、そういうものともちょっと違う、大きな何かだった。

そして、私はそれを、愛おしいと思った。生きていくって素晴らしいなぁ。そんな台詞も、今日ならすんなり言えてしまうような気がした。

スティーヴィーの音楽、または、ブラック・ミュージックやソウル・ミュージックを、私は、毎日聴きたいとは思わない。きっと、毎日こんな音楽に包まれていたのなら、私は、フワフワのフニャフニャになってしまうからだ。それよりももっと、聴かなければならない音楽、今の自分が必要としている音楽が、私にはある。大げさな言い方だけれども、ソウル・ミュージックは、今の私にとって、「共に戦える音楽」ではないのだ。もしかしたら、私の心は、ひどく殺伐としていて、複雑にこんがらがってしまっているのかも知れない。

けれど、スティーヴィーの歌を聴きながら、この音楽を否定することなんて、私にはできないと思った。不思議なことに、毎日聴きたい音楽ではないけれど、いつもすぐ側にいてくれている音楽のような気もしている。それが私の素直な感想だよ。

ライヴは、アンコールなしで終わった。終了後、友達は、「あの曲もあの曲も歌っていない! もっともっと聴きたい!」と言っていた。あんなに次から次へと美しい曲を演奏していたのに、スティーヴィーにはまだまだ歌わなければならない音楽があるのだ。