邦楽を積極的に聴くようになる大きなキッカケを私にくれたのは「椎名林檎」だった。それ以前にも、ミッシェル・ガン・エレファント、ホフディラン、トライセラトップス、ブリリアント・グリーンなど聴いてはいたが、やはり私の中心は洋楽だった。(そのもっともっと前まで遡れば、L⇔Rだったりしますがね)
椎名林檎の何がそんなに自分にとって斬新だったのか、今でもよく分からない。しかし、あれから何年かの月日が経った。その間に私は、椎名林檎の対極、もっと言えば敵(笑)ぐらいに思っていた「浜崎あゆみ」を好きになり、そのことによって、自分がどうして椎名林檎にあんなにも惹かれたのかが、当時よりは分かってきたような気がしているのだ。浜崎あゆみ、おそるべし。
それまで洋楽中心だった自分が言えるのは、椎名林檎が洋楽に近かったから夢中になったのでは決してないということだ。もしかしたら、ミッシェル・ガン・エレファントやトライセラトップスなどには、洋楽に近いものを求めていたのかも知れない。つまり、「洋楽ありき」で聴いていたのだ。しかし、椎名林檎は違った(実はここに「エレファントカシマシ」も入る)。彼女の音楽は、私に洋楽を忘れさせるほどの輝きを放っていた。だから私は、実際に洋楽を忘れかけたんだと思う。『ロッキング・オン』(洋楽専門誌)ばかり読んでいたのが『ロッキング・オン・ジャパン』(邦楽専門誌)ばかり読むようになり、(椎名林檎の影響がバレバレですが)ブランキー・ジェット・シティ、くるり、中村一義、UAなどの邦楽を一気に聴くようになった。
もちろん、本当に洋楽を忘れたわけではなかった。クーラ・シェイカーが来日すればライヴに行ったし、レディオヘッドが来日すればライヴに行った。
そうこうしているうちに、転機が訪れた。あれほど嫌っていた、心のどこかでバカにさえしていた「浜崎あゆみ」に、ガツンとやられてしまったのだ。私は、まったく意味が分からなかった。どうして浜崎あゆみなんかに惹かれてしまうのだ? 自分が一番バカにしていた「商業音楽」じゃないのか? 浜崎あゆみはそれを最も象徴する存在じゃないのか? 一体全体これはどういうことなんだ!?
そして、それだけではない「変化」が自分の中で起こっていることに気がついた。自分が盛り上がっていた邦楽のいくつかに盛り上がれなくなり、再び洋楽への興味が増しているということだ(これは逆もあるんだけど)。浜崎あゆみと言えば、「J-POP(邦楽)」を象徴するような存在だと思っていたのに、これはなんとも、不思議な話だなぁ。洋楽への興味は、以前から変わらないと言えば変わらないので、それほど問題ではない。一番の変化は、邦楽を聴くようになったキッカケである椎名林檎(今の)に、以前のように盛り上がれなくなってしまったということだろう。
もしかしたら、浜崎あゆみを好きになっていなければ、私は今も椎名林檎を追いかけていたのかも知れない。何も、浜崎あゆみが椎名林檎に取って代わったと言いたいわけではない。あゆはあゆ、林檎ちゃんは林檎ちゃんだ。椎名林檎に盛り上がれなくなったことと、浜崎あゆみに夢中になっていることは、無関係であろう。
しかし、私が浜崎あゆみの表現に興奮するとき、「私がかつて椎名林檎に求めていたのはこのことだったのかも知れない…」と思う自分がいるのも確かなのだ。それは、音楽性というよりも、「大衆的であろうとする」という姿勢の面でのことだと思っていた。しかし、そもそも、「音楽性」と「スタンス」というのはハッキリ分けられるものなのだろうか。いや、仮に分けて考えることが可能であっても、「スタンス」だけで済むのなら、「浜崎あゆみ」じゃなくたって良かったはずだし、「音楽性」だけで済むのなら、「椎名林檎」で良かったはずだ。もちろん、誤解のないように言っておくが、私は浜崎あゆみに椎名林檎の幻影を見ているわけではない。何度も言うが、あゆはあゆ、林檎ちゃんは林檎ちゃんだ。
では何故、「浜崎あゆみ」を追いかけていくことによって、「椎名林檎」の何に夢中になったのかが分かってきたのか。そう、私は、「椎名林檎」の何に夢中になったのかが分かってきたのではなく、「邦楽」の何に夢中になったのかが分かってきたのではないか。「椎名林檎」は、私にとって「邦楽を聴くようになったキッカケ」の存在である。
近田春夫は、「椎名林檎」についてこう評していた。
「日本語のロックとは何なのか、いつの間にか難しすぎて、ほとんどのアーティストが考えもしなくなった、しかしやはり絶対に曖昧に出来る筈もないその問題に対して、このヒトは真正面からぶつかっている気がする」
(『考えるヒット』1999.11.18より)
私が今、この文章を読んだとき、真っ先に思い浮かべたのは「浜崎あゆみ」だった。だって私は、こんな風に書いていたんだもの。
「日本語のロックに出来ることは何なのか? そんなことをこんなにバカみたいに真剣に考えさせられたアーティストは、私にとって、おそらく、『あゆ』が初めてだよ。あゆを聴いてると、日本語ロックとは何なのか?って、そういうことに向き合わざるを得なくなるんだよ」
(「sweetbox "ADDICTED" to "(miss)understood"」より)
そしてそれは、前回の「流行歌手で悪いかぁ!」で書いたようなことに繋がっていった。
つづく。
(そう言えば、林檎ちゃんとあゆの「今度会おうね」は実現したんですかねぇ)
******
え~、こんなことを書いているうちに、2006年から2007年に変わってしまいました。あゆの最新の動向、ちゃんとチェックしていますよ。色々書きたいこともありすぎるくらいありすぎます。もうちょっと何とかなんないかなと対策も考えております。現在と過去を行ったり来たりして書いても良いじゃないか、とか。でも、やっぱり、変わらないかも知れません(笑)。今回の記事も結局「つづく」になってしまったし、どうなることやら…。こんなブログですが、もう少し更新ペースを上げていきたいと思っていますので、2007年も何卒よろしくお願いいたします。
椎名林檎の何がそんなに自分にとって斬新だったのか、今でもよく分からない。しかし、あれから何年かの月日が経った。その間に私は、椎名林檎の対極、もっと言えば敵(笑)ぐらいに思っていた「浜崎あゆみ」を好きになり、そのことによって、自分がどうして椎名林檎にあんなにも惹かれたのかが、当時よりは分かってきたような気がしているのだ。浜崎あゆみ、おそるべし。
それまで洋楽中心だった自分が言えるのは、椎名林檎が洋楽に近かったから夢中になったのでは決してないということだ。もしかしたら、ミッシェル・ガン・エレファントやトライセラトップスなどには、洋楽に近いものを求めていたのかも知れない。つまり、「洋楽ありき」で聴いていたのだ。しかし、椎名林檎は違った(実はここに「エレファントカシマシ」も入る)。彼女の音楽は、私に洋楽を忘れさせるほどの輝きを放っていた。だから私は、実際に洋楽を忘れかけたんだと思う。『ロッキング・オン』(洋楽専門誌)ばかり読んでいたのが『ロッキング・オン・ジャパン』(邦楽専門誌)ばかり読むようになり、(椎名林檎の影響がバレバレですが)ブランキー・ジェット・シティ、くるり、中村一義、UAなどの邦楽を一気に聴くようになった。
もちろん、本当に洋楽を忘れたわけではなかった。クーラ・シェイカーが来日すればライヴに行ったし、レディオヘッドが来日すればライヴに行った。
そうこうしているうちに、転機が訪れた。あれほど嫌っていた、心のどこかでバカにさえしていた「浜崎あゆみ」に、ガツンとやられてしまったのだ。私は、まったく意味が分からなかった。どうして浜崎あゆみなんかに惹かれてしまうのだ? 自分が一番バカにしていた「商業音楽」じゃないのか? 浜崎あゆみはそれを最も象徴する存在じゃないのか? 一体全体これはどういうことなんだ!?
そして、それだけではない「変化」が自分の中で起こっていることに気がついた。自分が盛り上がっていた邦楽のいくつかに盛り上がれなくなり、再び洋楽への興味が増しているということだ(これは逆もあるんだけど)。浜崎あゆみと言えば、「J-POP(邦楽)」を象徴するような存在だと思っていたのに、これはなんとも、不思議な話だなぁ。洋楽への興味は、以前から変わらないと言えば変わらないので、それほど問題ではない。一番の変化は、邦楽を聴くようになったキッカケである椎名林檎(今の)に、以前のように盛り上がれなくなってしまったということだろう。
もしかしたら、浜崎あゆみを好きになっていなければ、私は今も椎名林檎を追いかけていたのかも知れない。何も、浜崎あゆみが椎名林檎に取って代わったと言いたいわけではない。あゆはあゆ、林檎ちゃんは林檎ちゃんだ。椎名林檎に盛り上がれなくなったことと、浜崎あゆみに夢中になっていることは、無関係であろう。
しかし、私が浜崎あゆみの表現に興奮するとき、「私がかつて椎名林檎に求めていたのはこのことだったのかも知れない…」と思う自分がいるのも確かなのだ。それは、音楽性というよりも、「大衆的であろうとする」という姿勢の面でのことだと思っていた。しかし、そもそも、「音楽性」と「スタンス」というのはハッキリ分けられるものなのだろうか。いや、仮に分けて考えることが可能であっても、「スタンス」だけで済むのなら、「浜崎あゆみ」じゃなくたって良かったはずだし、「音楽性」だけで済むのなら、「椎名林檎」で良かったはずだ。もちろん、誤解のないように言っておくが、私は浜崎あゆみに椎名林檎の幻影を見ているわけではない。何度も言うが、あゆはあゆ、林檎ちゃんは林檎ちゃんだ。
では何故、「浜崎あゆみ」を追いかけていくことによって、「椎名林檎」の何に夢中になったのかが分かってきたのか。そう、私は、「椎名林檎」の何に夢中になったのかが分かってきたのではなく、「邦楽」の何に夢中になったのかが分かってきたのではないか。「椎名林檎」は、私にとって「邦楽を聴くようになったキッカケ」の存在である。
近田春夫は、「椎名林檎」についてこう評していた。
「日本語のロックとは何なのか、いつの間にか難しすぎて、ほとんどのアーティストが考えもしなくなった、しかしやはり絶対に曖昧に出来る筈もないその問題に対して、このヒトは真正面からぶつかっている気がする」
(『考えるヒット』1999.11.18より)
私が今、この文章を読んだとき、真っ先に思い浮かべたのは「浜崎あゆみ」だった。だって私は、こんな風に書いていたんだもの。
「日本語のロックに出来ることは何なのか? そんなことをこんなにバカみたいに真剣に考えさせられたアーティストは、私にとって、おそらく、『あゆ』が初めてだよ。あゆを聴いてると、日本語ロックとは何なのか?って、そういうことに向き合わざるを得なくなるんだよ」
(「sweetbox "ADDICTED" to "(miss)understood"」より)
そしてそれは、前回の「流行歌手で悪いかぁ!」で書いたようなことに繋がっていった。
つづく。
(そう言えば、林檎ちゃんとあゆの「今度会おうね」は実現したんですかねぇ)
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え~、こんなことを書いているうちに、2006年から2007年に変わってしまいました。あゆの最新の動向、ちゃんとチェックしていますよ。色々書きたいこともありすぎるくらいありすぎます。もうちょっと何とかなんないかなと対策も考えております。現在と過去を行ったり来たりして書いても良いじゃないか、とか。でも、やっぱり、変わらないかも知れません(笑)。今回の記事も結局「つづく」になってしまったし、どうなることやら…。こんなブログですが、もう少し更新ペースを上げていきたいと思っていますので、2007年も何卒よろしくお願いいたします。