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sky is blue

言わなければよかったのに日記

MY STORY TOUR

2005-04-24 18:21:49 | AYU
お知らせした通り、浜崎あゆみ『MY STORY TOUR』、行ってきました。

まず、1曲目が「HAPPY ENDING」なのには驚いた。<幸福な結末>で始まりますかぁ(“私には幸福な結末など似合わない事も分かってる”という全然<幸福な結末>じゃない曲…笑)。この曲は、『MY STORY』の中でも地味な方で、私の中でも印象が薄かったから、これが1曲目だとは予想できなかったぁ。で、サウンドとアレンジの迫力にいきなりビックリ。静寂の中響き渡る低音がカッコ良い~! ドドン、ドドン、ドッドッドッってのが。「スター不在」で「私にとってあゆの音楽は、それまで聴いたことなかった新しさをくれるわけでも、特別に自分好みの音楽ってわけでもなかった」なんて書いちゃいましたけど、1曲目にして前言撤回させて頂きます!(笑) これ、CDではそんなに良いと思ってなかったんだけど、ちょっとエイフェックス・ツインっぽいアレンジに、あゆの静かな抑えた歌声が乗って、何と言っても低音がカッコ良く、この曲が持つ“静かな迫力”ってやつに唸らされちゃいましたよ。そうです。あゆは、“音楽的にも”十分カッコ良かったんです。これを見落としてるなんて、音楽ファンは何をやってるんだー! って、見落としてる音楽ファンって誰だよ! それって自分だろ? 1曲目にして猛反省(笑)。

もうさぁ、そこいらのロックバンドより、全然ロックバンドなの。ギターのよっちゃん(野村義男)はじめ、ベースのエンリケさん(元バービーボーイズ)と、メンバーが大体変わってないから、そこいらのバンドより、全然パーマネントなバンドなわけだしね。あゆ含め、共に同じ道を歩んできてるっていう、バンド特有の運命共同体感って言うんですか? もう、これ、立派にバンドでしょう。演奏も曲自体も相当ロックだし、ロックよりロックだよ!(笑) そんでまた、世間的にはロックと扱われてないところが、ますますロックですぜ旦那! よく分かりませんけど(笑)。

一番驚いたのは、前回のツアー、つまり、私が初めてあゆのライヴを観たときとは比べ物にならないくらい、楽しくてたまらない自分。もちろん、ライヴの内容も前回よりパワーアップしてるし、前回のときはちょうど狭間というか区切りって感じだったから(ミニアルバムしか出してなかったし)、前回よりも今のあゆの気持ちがギュ~と込められてるのをビシビシ感じたし(アルバムも2年振りだったし)、よりエネルギッシュになってはいるんだけど、ここまで違うかって、まず自分の変貌に驚いた。これはやっぱり、自分の気持ちの変化が大きいのかなぁ。前回はまだ、あゆを好きな自分にとまどってたというか、よく分からなかったから。でも、そう考えると、代沢レコードのdaimasさんも日記で書いていたけど、ライヴの感想なんてのは、そういった個人の内面的な要因によるところがほとんどなんじゃないかと思ってしまう。その日の出来とかよりも。

でも、それを差し引いても、前回より格段に良くなってたと思う。前回に引き続き、衣装替えが5回以上あって、もちろんその間あゆはステージから居なくなるわけで、その間バンドが演奏してたりダンサーが踊ってたりはあるんだけど、前回は、やっぱり淋しいというかどこか間延びしちゃうところが私の中ではあって。でも今回、不思議とそういうのがなかった。あゆが下がってたとしても、ずーっとステージ上にあゆがいたっていうか、あゆの存在を常に感じられたっていうか。それは、すべてに意味や意志があったからだと思う。私としては、シンプルなステージをやって欲しいって強く思ってるんだけど、ここまでみせられちゃうと、認めざるを得ないっていうか、参りましたの一言。ま、まだ若いし、シンプルなステージはいずれ、ね。だって、ライヴハウスでやったライヴをTVで見たけど、超良かったんだもん(ライヴハウスだから必然的にシンプルな構成)。あゆにはまだまだやってないことが一杯あるんだよ!

おっと話がズレた。だからね、不思議なのは、映像も使って、衣装替えもあるし、噴水も出るわで(超圧巻)、これだけ構築されていながらも、ライヴ感があるってことなんだよね。構築されてるはずなのに、生々しいっていうか人間くさいっていうかさぁ。だからさ、ライヴをライヴたらしめる決め手は、形じゃないってことなんだよね。どんなに構築されたステージであっても、そこに意味や意志を感じられれば、生身のものが伝わってくるっていうか(これはあゆの歌唱によるところも大きいのかも)。ちゃんとその場で作り上げてる感があるもんね。実際は、計算に計算を重ねてるはずなのに、その場で作り上げてる感があるってことは、やっぱり本当に、その場で作り上げてるからに他ならないんだよなぁ。凄いなぁ。

その場感。ライヴの一番のポイントって、そこなんじゃないかと思った。その場を一緒に作り上げてる、同じ時間・同じ場所を共有しているという実感。それを感じられるかどうかにかかってるんじゃないかと。それが伝わってくれば、どんなに会場が広くても、どんなにステージが遠くても、アーティストを近くに感じられるんじゃないかなぁって。今回、私の席は近くもなかったけど、あゆを近くに感じたような気がするなぁ。ただ、これもまた、自分の内面的な問題によるところが大きいのかなぁとも思ってしまう。自分の気持ちがあゆに向かってたからだけなのかなぁみたいな。でも、やっぱりそれは、自分の気持ちだけでは成し得ないことだしね。

「my name's WOMEN」のムチ最高! ここまでやってくれる人、かつ、やれちゃう人はなかなかいないのです! キタキター!ですよ。で、「ワインディング・ロード」で「音としても、メロディに言葉を乗せるセンスとか凄いと思う」って書きましたが、この曲にそのポイントがあるんです! サビの<私達着飾っただけの人形なんかじゃないから>と<私達夢ばかり見てる人形なんかじゃないってば>の、<から>と<てば>、ここなんですよ! この<から>と<てば>の音とメロディの組み合わせの妙! 私が言いたかったセンスってこういうトコなんですよぉ。昔どっかで、人が作曲した曲に歌詞を書くときは、メロディとの兼ね合いで、語尾の上げ下げとか、あかさたな~いきしちに~とか、そういうのまで考えるって読んだ覚えあるけど(自分で作曲したときはあまり気にしないそうです)、やっぱ、努力に基づいた類まれなセンスがあるんだろうなぁ。で、あゆのセンスの凄さって、聴き手がその凄さに気付かないくらい気持ち良くハマってるっていうか、そういうトコもあると思うんだよねぇ。誰でもデキそうでデキないっつうか。

余談だけど、代々木では新曲の「STEP you」をやってくれて、そのときにあゆが曲の紹介をざっくりとしたんだけど、最後に「よろしくぅ!」って言ったときに、永ちゃんの顔がちらついてしまった。だってあゆったら男前なんだもの。そういや、とあるイベントであゆのドラムを担当することになった人(名前失念)のHPに書かれていたなぁ。その人は、最初、あゆのことをアイドルって冷めた目で見てたんだけど、自分がドラムを担当することになってライヴ観に行ったら、鳥肌が立つほど感動してしまったんだって。で、終演後、楽屋に行ったけれど、たくさんの人がいたし、主役であるあゆに自分がわざわざ挨拶に行くのもあれだからと思って帰ろうとしたら、あゆの方から挨拶にきて「よろしくお願いします!」と言われたとき、まるで永ちゃんに「よろしく!」と言われたようなオーラを覚えたって書いてあったなぁ。この人のために良い仕事をしなければ!って。やっぱ、人を惹きつけるオーラがある人って、そうなんだろうなぁ。

で、本当にあゆはお客さんを見てくれてる&客席を把握してる。さいたまでウェーヴをやろうということになり、ここからこうきてという指示をあゆが出したんだけど、そのときに「400レベルの~」とかスラスラ指示出してて、さいたまスーパーアリーナって座席の配置や名称が分かりづらいのよ。それをスラスラ言ってて、あゆは座席の配置をよく把握してるんだな~と感動。そんでまた、遠~い席に向かって「そこの白い服の人から」とか言って、視力が良いっつうか、ちゃんと見てくれてるんだな~とまた感動。代々木でも、終盤のMCで「『INSPIRE』(2曲目)のときから気になってたんだけど言って良い? 工事現場の格好してる人いない? ずーっと気になってたんだけど」。すると、確かにいた。工事現場の格好してる人が。その人の服が、会場が暗くなったときに光ったりして(暗闇で光るやつ)、気になってたらしい。それを聞いて、ああ、本当にお客さんをよく見てくれてるんだな~とまたまた感動。ステージも、どの席からも観やすいように、せり上がったり色々工夫されてるしさぁ。

MCで質問コーナーってのがあって、ネットで募集した質問に答えてくれたり、帰りに配られるカードに書いてあるサイトにアクセスしてアンケートに答えると、ライヴを終えてのあゆのメッセージがメールで届いたりと、そういうのも、ファンのことをいつも考えてくれてるんだな、ファンとコミュニケーションとろうとしてるんだなって思えて単純に嬉しい。それがまた、変にサービスって感じがしないんだよねぇ。本当に心からファンとコミュニケーションとろうとしてるって感じで。ライヴ観りゃあ、それは伝わってくるもんなぁ。あゆみたいに大きい存在だと余計にコミュニケーションとるのって難しいじゃん。でも、そこにあぐらはかかないっていうか、甘んじず妥協せず、そうやって、質問コーナーだのメールメッセージだのして、コミュニケーションとろうとしてくれてるっていうかさ(前回はなかった)。そんなのやらなくても済むことだからね。そういうのは要らないとか賛否両論あっても、チャレンジ精神ってのは買うよなぁ。そういうことに、アイドルだからとかアーティストだからとか、そういうのはもう関係ないよね。

ああ、今更だけど、私ったら、つくづく「ただのファン」ね(笑)。他の人からすれば、そんなことで?みたいなことでも、ひしひしと幸せを感じられるんだから、「ただのファン」になれるって幸せなことだなぁ。それをバカと言うのなら、バカで良いやもう(笑)。もう、あゆなら何でも良いのかも知んない私(爆)。な~んてね。もちろん何でも良いわけじゃないし、バカはバカなりに、ただのファンはただのファンなりに、思うところはあるんだよ。「恋は盲目」と言うけれど、一番大事なものを知っているが故に、他のことには盲目になれるってことかも知れないじゃん(ええ?)。ま、少なくとも、自分がバカであり、ただのファンであることぐらいは、知ってると思うよ。

そう言えば、代々木のときに、私の近くの女の子が、いちいち「カワイイー!」って言ってたのがウケたなぁ。私が心の中で同じ叫びを上げるタイミングとほとんど同じなんだもん。分かったから、分かったからって感じ(笑)。あ、色々語っちゃって基本中の基本言うの忘れてましたけど、あゆ、カワイイーーー!(超今更)

それにしても、誰かと一緒に行った方が楽しいかと思い、ライヴ一緒に行ってくれるような人探そうかと考えてたけど、だんだん不安になってきた。あゆのライヴに行ってる自分の姿、見られても良いのか?と(笑)。「恋は盲目のただのファン」のカワイイ私の姿を(爆)。あゆについて「だってカワイイんだもん」と言ったら、「あなたにもカワイイところあるのね」と言われたことありますが、はい、あります(爆)。「だってカワイイんだもん」(爆)。

ま、聴いてみたい方は、いつでもあゆセレクション作りますから!(笑)


MY STORY TOUR を書く前に

2005-04-23 14:14:08 | AYU
え~、前回の冒頭でも書いたけど、ここまで書いておいてライヴ行ってないって何だよと。もぐりじゃないのかと。サギじゃないのかと。

もっっっちろん、行ってきたよぉ~~~!

もうバレバレだったよね? これでライヴ行ってなかったら私、大嘘つきじゃん?(笑)

だから、なるべく早くライヴの話を書こうと思ってたんだけど、時間が流れていくうちに、ペンが勝手に色々なことを書き走っちゃったみたいで(苦笑)。だから実際は、前回書いたこともライヴの後に考えたことなんだけど、ブログではこういう順番になってしまいました。「架け橋たる存在」でもチラッと書いたけど、書くタイミングや順番も重要だったりするっていうか、物事を理解するのに、時系列で追うことが一番良いとは限らないってことですよ(当ブログが抱えている時間的問題についての言い訳…笑)。

もちろん(?)、あゆのライヴは、これが初めてではありません。3回目です(エヘ)。初めてのライヴは、去年の4月。ちょうどシロップの『Mouth to Mouse』が発売されたころで、それを買ってから、そのCDを大事に抱えながらあゆのライヴに行ったんだった。しかも、その先週はレディオヘッドのライヴだったんだ。レディオヘッドの翌週にシロップのCDを抱えながらあゆのライヴへ。そんな人、私ぐらいしかいないよぉとか思いながら(こんな私はシロップのこともあゆのことも何一つ分かってないんじゃないかという疑念と日々戦っています…笑)、会場である代々木体育館に向かったんだけど、ノーノー、世の中を舐めちゃいけません! もっと色んな人が世の中にはたくさんいるはずだ! 世界は広いよ!(誰に言ってんだ?) そういや、ROSSOか誰かが表紙の『JAPAN』を手にした人もいて、勝手に親近感を覚えたなぁ。行ったのは、もちろん1人。もう家出るくらいから、ドギマギしてた気がする。そのころは、まだ私の中でもあゆに対して半信半疑だったっつーか(笑)、あゆに対してっていうより自分の中でのあゆへの思いってのが処理し切れてないというか、そんな状態だったからなぁ。ま、今でも処理し切れることなんてないんだけど(それはすべての愛すべきアーティストに対して?)。だから、直前まで行くの迷ってたんだけど、行ってきちゃいました。そのときのことも書き出すと収拾がつかなくなるので、まぁ、1曲目からガツーンとやられちゃった、とだけ書いておきましょうか。衝撃ですよ、衝撃。永ちゃんのライヴを初めて観たときの衝撃に近いね。だから、頭がショートしちゃって、よく覚えてません(エヘ←気持ちワル)。私が普段よく行くライヴとは全然違うんだけど、実は同じというか、根本は何も変わらないということを思い知らされたというか。

2回目は、つい最近。『MY STORY TOUR』のさいたまスーパーアリーナ公演。実は、この日にこんなことを書いたのも、これに行ってきたからなんです。そして、この日配られたチラシに『愛・地球博』の開会式であゆが歌うことが書かれていたんです。そして、3回目が、同ツアーの最終日@代々木体育館ってわけです。シロップもスネオヘアーも、諸事情によりワンマン断念したって言うのに、あゆは行っちゃうのね私。一体どうしちゃったんだろ。数年前の私が聞いたら、どんな反応すんだろ(コワイ…)。

で、今回、2回行ってきた『MY STORY TOUR』についてまとめて書こうかなぁと思ってたんだけど、自分が普段よく行くライヴと違うからってのもあるかも知れないけど、もう何をどう書いたら良いのやら。私には分からんよ。前回までで、あゆについてはアホみたいに(笑)気合入れて書いちゃったから、ここらへんからは、ノリを大事にして、ノリを前面に出して書いてっても良いんじゃないかと。逆に言うと、そこまで書かないとそうなれなかったわけで。我ながらどこまで面倒くさい奴なんだって思うけど(苦笑)。本当は、「あゆ最高だぜー!」とか、そういうんで良いんだもの、本当は。

だからね、もう、まとめるのは無理なんです。あんなライヴをみせられて、私に何をどう書けって言うんです? もう言葉は要らないんです。もうね、断言しますけど、あゆは、ライヴを観なきゃ分からないって!! 逆に言えば、ライヴに来ればすべて分かるって!! 私が前回までであゆについてクドクド書いたことなんて、ライヴに来りゃあ一発で分かるよ。私が書いたことなんて、一瞬で粉々になって吹き飛ぶよ。そして、それで良いんだよ。私の長い文章なんて、愛すべきアーティストに粉々にして吹き飛ばしてもらうために書いてるようなもんだもん(ええ?)。

なので、本当はその場にいなくちゃ説明しようもないんだけど、それだと仕様がないから、それを大前提として適当に思いついたことを、パラッパラッと書ければなぁと。

と、言いつつも、書き出したら長くなっちゃったので(爆)、それはまた別記事で。


Where is the Love

2005-04-22 14:13:21 | AYU
もうね、おかしいでしょ。ここまで書いておいてライヴ行ってないって。
カミングアウトあゆはパンク?!曲がりくねった道架け橋たる存在林檎ちゃんとあゆの関係?歌は歌のないところから聴こえてくる言葉のおもさ人間として生きてやれ
んなことゴチャゴチャ言ってないで、早くライヴ行ってこい!って話でしょ。

しかし、我ながら凄いわ(笑)。嫌いと思っていたものを好きになってしまうことって、自分の中で凄い大変なのね。というか、ここまで溜めてたのかぁ。噛み砕くのに時間がかかったからってのもあるけど、それだけじゃないんだよなぁ。カミングアウトするの、ほんと勇気要ったんだよぉ。あゆは国内の大物なだけに、色んな情報が氾濫してるから、そういう意味でも、勇気要ったんだ。やっぱ、歪められた情報とか誤解とか驚くほど呆れるほど多いから。でも、好きじゃない人は、それをそのまま受け取ったりするだろうし、それ以上考えようともしないだろうし。もちろん、私が認識していることが本当のことだなんて言わないし、本当のことなんて私にも分からないよ。でも、いくらなんでもってのはあるよ、やっぱ。だからって、私がイチイチあれはねこれはねって書くのは違うと思うし、そんなことをしたいわけじゃないし、あゆについて誰がどう思おうと、それがその人にとっての真実なわけだから、それはそれで良いんだけど。

エレカシや椎名林檎に比べて、あゆのこととなると、こうして躍起になってしまうのは(そんな自分が嫌だし、みっともないって分かってるけど)、やっぱり、あゆが大物だからってのがあると思う。大物っていうのは、いかんせん、努力しなくても、情報ってのが入り込んできちゃうから。エレカシとかだと、好きでもなければ、今彼らが何やってんのかなんてよく分からないと思う。でも、あゆの場合、情報の一人歩きってのが本当凄いから。

ただ、言いたいのは、やっぱり、大物だろうが小物だろうが、自分の目や耳で確かめないと分からないってこと。それは皆同じだよ。やっぱり、情報は情報にしか過ぎないよ。それが本当だろうが嘘だろうが、情報は情報でしか、イメージはイメージでしかないよ。

ライヴ(実物)を観なきゃ分からないとか、具体的なことだけを言ってるんじゃない。なんつーか、「自分 対 ○○」にならなきゃってことかなぁ。もちろん、知り合いにでもならない限り、何かは絶対に介しているけれども。でも、仮に知り合いになったところで、人の本当の気持ちなんてそう簡単には分からないしね。だから、すべての人間は同じくらい「分からない」と思うのよ。その「分からなさ」ってのが、ないがしろにされてしまうと、嫌なのよ。

そんなこと皆分かってるのかも知れない。その上で色々言ったり聞いたりしてるのかも知れない。でも、嫌なのよ。そして、いちいちムカついてしまう自分も、嫌なのよ。さっき、特に好きじゃない人は、一方的に流れてくる情報を受け取って、それ以上知ろうとしないって書いたけど、当然、私だってそうだよ。けど、自分が好きだと思ったものに対しては、大切にしたいじゃない。で、その気持ちが分かりさえすれば、自分が興味ないことであっても、調べたりはしなくても、一方的に流れてくる情報をそれ以上のものに扱ったり、知った気になるなんてことできないと思うんだけど。好きじゃないものだって、自分が掘り下げないだけで、同じだけの奥深さがあるはずじゃない? 同じだけの「分からなさ」があるはずじゃない?

当然、好きなことに対してだって、すべてに触れることはできないよ。でも、大事なのは、自分が触れた一欠片からすべてを感じようとするっていうか、自分で考えてみるっていうかさぁ。そうすることによってのみ、一方通行じゃなくて双方向になるんじゃないかなぁ。何かを介してても、それが繋がるってことじゃないかなぁ。一方通行のままだったら、やっぱりそれはしょせん情報やイメージでしかないと思う。

情報に振り回されるのが嫌で、何も見ないようにするって方法もあるかも知れないけど、それは私にはできそうにない。自分の目や耳で確かめないと分からないからって、自分の目や耳で確かめたものしか信じないと言うのであれば、最終的には、何も見えなくなっちゃうと思うもん。自分の好きなことだけを選んでいくって方法もあるかも知れないけど、それも私にはできそうにない。そんな自分に嫌気がさしたりするけど、やっぱり、世界と繋がっていたいって思ってるからかなぁ。そうじゃなきゃ、自分ていう存在なんてすぐ吹き飛んで消えちゃうって思ってるからかなぁ。もっと自分に自信があれば、こんなこと書かないで済むのかもね。

純潔を突き進むならば、純潔を蝕もうとする邪悪よりも邪悪さを持っていなければならない。

こんな言葉があるらしい。よく分からないけど、純潔を全うしたいなら、邪悪よりも邪悪を知らなくちゃいけないのかも知れない。純粋な人って、案外、汚いことをたくさん見たり感じてきた人だったりするんだろうなって。それを真正面から受けてきた人っていうか。汚いことを見なければ、純粋なものなんて知れないのかも。逆に、純粋でなければ、汚いところになんて向かっていけないのかも。

ま、なんだかんだ言ったけど、エレカシだろうがあゆだろうが、届けられる作品とかステージ上で彼や彼女が発しているもの、私にとっては、それがすべてなんだよ。だから本当は、それ以外はどーでも良いの。それ以上でもそれ以下でもないの。だって、そこにすべてがあるでしょ? そこにすべてを感じられないようなら、結局それはどーでも良いんだよ。それに比べたら、情報なんて風に吹かれて消えちゃいそうだよ。だけど実際は、そういう情報の方が世の中には蔓延してしまう。本人の声とか作品とか表現とかよりも、情報の方がずーっと素早い勢いで蔓延していく。情報は軽いから。きっと、有名であればあるほど、本人の声や顔は埋没してってしまうのかも知れない。だけど、大物ってのは、やっぱり、それに埋没しないだけのものは持ってるんだと思うよ。それに触れようとしないのは別に良い。だけど、そこに埋没している、表層的で形式的なこととは別の部分が、誰にだってあるということぐらい、簡単に想像できるでしょ。ほんのちょっとの想像力さえあれば。

結局私は、エレカシのことも林檎ちゃんのこともあゆのことも、永遠に分からないのかも知れないよ。でも、うまく言えないけど、例えば、あゆで言うなら、「“私が思い描くあゆ”と“実際のあゆ”は違うと知りながら、同じだと信じる」っちゅうことなのよ!

あゆについては、結婚→引退ってのも多いよね。つい最近のライヴでも、マイクを置いて肉声で「ありがとうございました」って言ったら、山口百恵さんを彷彿…とか、またも引退につなげられてたけど、あゆがマイクを置いて肉声で「ありがとうございました」っていうのは、毎回恒例だっつ~の! ってか、ドームでもやったからね、あの人。ドームで肉声だよ! そりゃ誰だって、本当んとこは分からないけど、前インタビューで「結婚と引退がセットになってる妙な習慣も違うと言いたい。あゆは結婚しても、仕事をしなくなるということはないと思う」って言ってたからなぁ。もちろん、気が変わることだってあると思うけど、今回のツアーでも、最後に「また必ず会おうね!!」って言ってくれたし。仮に、あゆに「引退」がちらつくのであれば、それはあゆが「永遠ではない」ってことに意識的な表現をしているからじゃないの? でも、それでこそ表現ってものじゃないの?

極めつけは、これかぁ。これ、挙句の果てには、「長○ファンの陰謀説」まで出たらしい。もうさ、やっぱ、言いたくなっちゃうよ、大概にせえよって。そりゃ、誤解を招く失言だったかも知れないけど。ってか、あゆだから大騒ぎになるわけで、エレカシなんて何回大騒ぎになってるか知れないよ(笑)。でも、あゆは、「あの時は誤解されて確かに傷ついたけど、それよりも、その話を聞いてあゆを信じたい気持ちと、信じられなくなってくる気持ちとの間で揺れている状態の子たちが一杯いたのなら、それが一番苦しかった」って言ってるんだものなぁ。それだから、「Free & Easy」って曲作って、思いを伝えてくれたんだよなぁ。あんな言葉、そう簡単には歌えないよ。結局、ファンしか聴かないのかも知れないけど、それで良いのかも知れない。そこにも書いてあるけど、ファンが分かっていれば、それで良いのかも知れない。だから、ファンじゃない人は、せめて、分かってないってことを分かって下さい(笑)。

そこにも「複雑な環境」とか書いてあるけど、あゆの両親があゆが小さいころに離婚してる話、どれくらい有名なんだろう。私はてっきり凄い有名なことだと思ってたけど。ま、別に知らなくても良いんだけど。だから、話は戻るけど、結婚についても、私なんかよりずーっと結婚(家族)ってものに対して真剣っていうか重く捉えてるみたいで。そんなこと思ったら、結婚、結婚って、普通の神経なら言えない気するよね。

ああ、こんなしょーもない話ゴメンなさい。こんなバカ恥ずかしいこと書くのなんて、今回が最後にしたいよ。でもなぁ、ビートルズやクイーンだって、アイドルってバカにされてたらしいし、好きって言うとバカにされた時期もあったらしいから。別に、あゆがビートルズやクイーンと同等とは言わないけど。でも、結局あゆは、今も人気じゃん。そりゃ、一時期の人気よりは落ちてるかもだけど、本人は「私はもう旬じゃないから」って笑って言えてるらしいし、ずーっと走ってきて、セールスとかそういうものより大事なものを見つけられたんじゃないの? なんと言っても、今も活動してるじゃん。それがすべてっていうか。だから、最後は真実が勝つんだよ! 破壊されんだよ駄目な物はいずれ!(by ガストロンジャー)

とにかく、世界は素晴らしくない!ってことなんだよ(笑)。誰に言ってるのかも何に言ってるのかも分からないけど。おそらく自分にも言ってるんだよ。

ブラック・アイド・ピーズの「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」って曲があって、テロとか戦争のことが歌われてて、こんな世界で<愛はどこにいっちゃったんだ?>と歌われてて、最後に、

当然だよな、だから時々俺は気分が滅入っちまうのさ
愛が見つかるまで、俺はビートを鳴り止ませないぜ


って歌ってた。そうなんだよねぇ、なんか強がりばっか書いちゃったけど、本当は、凄く疲れるよ(笑)。気分が滅入っちゃうことばかりよ。いつも負けそうだよ。でも、

世界は素晴らしくない! だから私も、ビートを鳴り止ますわけにはいかないよ! ミヤジだって「どこへ?」で<俺はペンを置きかねている>って歌ってたし(「ホエア・イズ~」って題名も近いね)。だから私も、ペンを置くわけにはいかないんだよ! 結局は、間違ってることに、負けることになろうとも。


リヤル探しの旅だぜベイベー

2005-04-20 00:13:45 | 映画
前回でも、前々回でも、“リヤル”、“リヤル”とうるさく書いてるようなので(笑)、リヤル探しの旅に出ようぜベイベー!!

ってことで、『真夜中の弥次さん喜多さん』観てきました。

いやぁ、面白かったぁ。また観たいなぁ。何度も観たいかも。細かいところを楽しんだり、そんなこと気にしないで大きく楽しんだり、人の数&観た数だけ色んな楽しみ方がありそう。

面白いのは分かるけど、笑っちゃうのは分かるけど、なんで泣けてくるんだろ。いや、ちょっと待てよ。なんでこれが笑えるんだ。泣ける話だろ。いや、でも笑える。いや、泣けるよ。笑える。泣ける。笑える。泣ける……。も~、わけ分からん! いや、分かるよ。分からない。分かる。分からない。分かる……。もう良いか(笑)。

とにかく、私が言えることは何もない、こんな作品を前に大したことは言えそうもない、うっかり何か言っちゃったら台無しになっちゃいそう、もしくは、思い浮かばないだけとも言えるんだけど(笑)、面白かったなぁ。これは映画館の迫力の中で観た方が断然良いかも。そうだなぁ、強いて言えば、今ふと思ったことだけど、なんていうか、「幸せ」とか「不幸」ってのがないんだよね。そこがすごく良い気がする。幸せも不幸もない。なんだって良いじゃんって。いい加減だけど、いい加減じゃない。なんだって良いって、すごくパワーが要るよ。自分を受け入れるのって、すごくパワーが。『彼岸先生』で描かれていた世界にも近いものがあったりして…。自分を受け入れるパワー。結局それが欲しくて、映画も音楽も小説もあるのかも知れないし、自分を受け入れようとする、そういうパワーを持ってるものに、私は惹かれてしまうのかも知れないなぁ。

劇中に流れるZAZEN BOYSの音楽が良いんだな~、これがまた。そういや、監督のクドカンこと宮藤官九郎が、タワレコの『くど監キャンペーン』というので、お薦めのCDを何枚か挙げていて、もちろんそこにはZAZEN BOYSもあって、他には、銀杏BOYZ、『タイガー&ドラゴン』のクレイジーケンバンド、そして、エレカシも挙げられていた。洋楽では、THE WHOが挙げられていた。そんな中、WINKも挙げられていて、そのコメントで「なんだかんだ言いましたが、理屈抜きで好きなのはこの1枚だけかもしれません。」と書かれてあった。そこでふと「スター不在」で書いていた自分のこんな言葉を思い出してしまった。

“私はどうしてあゆの音楽に惹かれてしまうのだろう。エレカシや椎名林檎、ビートルズやクイーン、シロップ、ブランキー、ビョーク……他の好きなアーティストについてなら、どうして惹かれるのか何となく分かるのに。”

私が理屈抜きで好きなのはあゆだけってこと??

いやいやいや、な~んちゃってね。あゆについても、さんざん長いこと書いてるくせにね。

どうして人は理屈を欲しがるんだろうね。それがリヤルとでも言うのだろうか。だとしたら、リヤルってのは、それとは正反対のところにあるのかも知れないのにね。あるいは、それを超えたところ…。もしかしたら、「理屈じゃない」ってことを言うために、理屈こねてるのかも知れないよね。

あなたと出会って 理屈はなくなって 理由だけ残って

ある日、そんなことをぼんやり考えていたら、シロップの「Your eyes closed」のこんな一節が飛び込んできた。自分の中にある、あらゆる理屈が意味をなくしてしまうとき、リヤルってのは顔を出すのかも知れないね。ま、そのときのためにも、理屈をこねにこねていきましょうか!!(笑)


人間として生きてやれ

2005-04-19 14:29:01 | AYU
どんだけクサいタイトルなんだって感じだけど(笑)。今回、GWで皆出かけてて読まないかも知れないから恥ずかしいのは今のうちに書いちゃえ!ってことで(笑)、書き走っちゃいました~。GWスペシャル大放出です(笑)。読んでくれた方には大感謝です。予告通り、「言葉のおもさ」の続きです。

結局、あゆを好きになっちゃったわけだけど、だから私はお終いなのかなぁ(あゆの歌詞を良いとか思っちゃったらお終いだと思っていた)。うーん、そうかも知れないね。だとしたら、もう一回始めれば良いんだけど、あゆ自体、終わりから始まってるような人だもんね。それが、究極の癒しなのかもと感じる部分でもあるわけで。あの人、一回、自分を葬ってるもんなぁ。

2000年の『vogue』~『Far away』~『SEASONS』の「絶望三部作」と呼ばれてるシングル一連の流れがまさにそれだもんなぁ。「vogue」っていう“流行”とか“人気”って意味のタイトルで、<君を咲き誇ろう 美しく花開いた その後はただ静かに 散って行くから>って歌ってるし。まだ、ベストも出してない、四大ドームツアーもこなしてない、つまり、傍目には全然これからって見える時期で既に。そして、「Far away」で、<新しく 私らしく あなたらしく 生まれ変わる>で、三部作最後の「SEASONS」では、前二作の自分の写真をあゆ自身が持っているというジャケットで(遠近法?を使って三作のジャケが繋がってる)、PVでは喪服みたいな黒い服着てたもんなぁ。ちょっとこれって、結構凄いと思う。あのときのあゆの状況でこれを発想できたのは。自分を見つめるもう一人の自分の目みたいのが、常にある人なんだろうな。インタビューとか読むと、周りが思ってるよりずーっと、自分の置かれてる立場とか状況とか、音楽的にもそれ以外の面でも自分が世間にどう捉えられてるのかとか、良い面も悪い面も驚くほど認識しててビックリするもん。ま、ときどき、何もそこまでっていうか、言わなくても良いことまでバカ正直に言っちゃってるとこあるけど(笑)。

そんな、自分を多角的に見ることのできるあゆちゃんですが、そんな彼女ですら、デビューしてからの超多忙なスケジュールに、自分がやっていることやそれが世間にどう広まっているのかを確認することもできなくて、体を壊して休養したときにやっと確認する時間を持てて、世間での扱われ方を見て「何も伝わってないのかな」と絶望すら感じたらしい。「“浜崎あゆみ”をやっている自分を凄く恥じた」らしい。だからか、上記の「絶望三部作」ぐらいから音楽と(そして自分や自分の状況と)向き合おうって意志が感じられてきたんだけど、追い討ちをかけるようにして、本人の意向を挟む余地もなくレコード会社から「ベストを出します」と決定され、更にそれのアルバム同日発売「宇多田ヒカルvs浜崎あゆみ」騒ぎまであり、「ああ、私は“人間”浜崎あゆみではなくて、“商品”浜崎あゆみなんだな」と思い知ったらしい。当時は、「消費されていく対象となる典型的なアーティストであるというのも分かってる」なんていう卑屈というか皮肉というか、そんな発言までしてたし(やっぱりあゆちゃんは生意気ね!笑)。

だけど、あゆはそこで終わらなかったのです。だからこそ、私と出会えたのです(私エッラそ~笑)。そう、ここでキマシタ! 極道あゆ(笑)の名台詞!

「人間として生きてやれ」

キタ―――!

はい。取り乱してすみません。あゆが自らに下した決断は、組織のせいにするでもなく、世間のせいにするでもなく、諦めてしまうでもなく、「人間として生きることを自分に課した」わけですよアナタ! そりゃ、逃げられない状況だったってのもあるだろうけどね。自分の行動一つで株価動いちゃうんだから(汗)。でも、そんな状況から逃げないどころか、その中で人間として生きようとしたワケですよ! 思えば、ベストのジャケが涙なのも、ベストなのに曲を歌い直したのも、人間としての必死の自己主張だったんだろうなぁ。

そっからのあゆは、凄いよなぁ、やっぱ。ああ~、このときをリアルタイムで体験したかったよぅ~!(悔) それを体験できなかったから、こうして長々と書いて疑似体験しようとしてるのかも知れない(笑)。

よく、否定的な意味で商業音楽とか言うけど、どんな音楽だって、お金もらってる以上、構造的には一緒だよね。大切なのは、そこじゃなくて……。あゆはそのへん、全部引き受けてるっていうか、逃げも隠れもしてないっていうか、誤魔化してないっていうか……。

社会の中で人間らしく生きる難しさを、私達は知っている。ともすれば、すぐに社会の歯車、商品になってしまう。傍から見たら、輝かしく見えた彼女だって、自分が大きな社会の歯車に過ぎない、商品に過ぎないと感じていた。けど、社会と言ったって、蓋を開けてみれば、一人一人の集まりに過ぎない。色々な人間がいるゆえに、一人一人が人間らしく生きることが難しくなってしまうんだろうけど、でも、それができなければ、何のための社会なんだろう。それに、人は一人では生きられないということも、私達は知ってるはずで。あゆは、社会の中で人間らしく生きて、自分らしさを獲得しようとしたのだと思う。

あゆは、「あそこまで作り込まれてて凄い」とかよく言われると思うけど、私が本当に凄いと思うのは「そこ」じゃない。「あそこまで計算されていても、その計算に飲み込まれていない」ところだ。「ワインディング・ロード」で書いた「とてつもないバランス感覚」ってそれかも。確かに、あゆのステージや衣装に対する徹底ぶりは凄いと思うし、「浜崎あゆみ」を作っているのは、あゆ一人ではなくて、たくさんのスタッフやファン、メディアの存在なんかも感じる。その辺が、「アーティスト」ではなく「アイドル」として捉えられる要因だと思うけど(でも、どう考えても「人形」じゃないなぁ)、言わば、「浜崎あゆみ」という社会を、「あゆ」を含めた大勢の人達が作っているんだなという印象はある(でも、それってどのアーティストでもそうだよね)。でも、その中でも、しっかりと「あゆ」が見えるんだよね。普通なら、あれだけ巨大な「浜崎あゆみ」というシステム(社会)の中に放り込まれれば、それこそ本当に機械(商品)みたいになってしまうと思う。でも、そうはなっていない。少なくとも私の目には、そう映る。「浜崎あゆみ」という社会の中で、しっかりと人間としての「あゆ」が生きていると思う。「マイ・ストーリーは突然に」「スター不在」で言っていた「99%の中の1%」って、そういうことを言いたかったんだと思う。

きっと、逆説みたいだけど、生身の確固たる部分(人間)がないと、あれだけ機械(社会)のように作り込まれたことってできないんだと思う。私も最初、「機械みたい」って思ってたけど、あのときのあの状況でそうならざるを得なかったというか、でも、そこにある信念というか生身な部分を感じてしまったから、今では、それはまるっきり逆転してしまった。

例えば、B'zとか、それが良い悪いではなくて、その音楽を聴いて、稲葉さんってこういう人なんだろうな~とか、松本さんってこういう人なんだろうな~ってのは、あまり伝わってこないんだよね(私には)。けど、あゆの音楽からは、あゆの人物像というか物の考え方や感じ方、そういう人間くさい部分が伝わってくるんだよね。それは、私があゆを好きだからだけなのかも知れないけど(B'zもちゃんと聴いたら違ってくるかもだけど)、好きになる前からそれは感じていたし、そう思う。

私の目にはそう映るだけかも知れないけど、あれだけの場所にいながら、人間らしさを獲得してるんだもの。だってね、私があゆと同じようなことになったら、す~ぐ本当の機械っぽくなっちゃうよ。す~ぐ飲み込まれちゃうよ。ああいう衣装だって、「着飾ってる」とか「着せられてる」って印象になっちゃうよ。私、あゆの衣装は「着飾ってる」って印象ないんだよね。「+」ってシークレット・トラックがあるんだけど、そこであゆは、<姿を飾れば飾るほど 心が虚しいでしょう 必要ないでしょ そういうことでしょ>って歌ってるんだよね。最初、「うわっ、あれだけ着飾ってるあゆがこんなこと歌ってる~。おもしれー」とか思ってたけど(笑)、本当<そういうこと>なんだよね。思うに、あゆの衣装や演出は、戦闘服みたいなもんなんだよ。「言葉のおもさ」でも不器用な言葉で勝負してるって書いたけど、そんな風に表現が丸裸だからこその戦闘服。だからきっと、あゆの中では「着飾ってる」とか、そういうんじゃないんだろうな。どんな機械みたいな衣装着てても、生身の体一つでぶつかってきてるっていう真逆の印象なんだもん。あまりに丸裸かつ不器用な分、戦闘服が必要になるんじゃないのかな。ギターウルフの人が着る皮ジャンとか、ビジュアル系の人がする化粧とか、そういうようなもん? 衣装に限らず人によって手法は様々だけど、「戦ってる人」なんだなってことは確かに感じるな。しかもその「+」の歌詞、歌詞カードに載せないんだよね、あゆは。粋だな~。

ダメだあ。話がまとまらなくなってきた。とにかく、こういうあゆだからこそ、「社会の中で人間らしく生きる難しさ」と「人は一人では生きられない」という矛盾を知っている多くの人に指示されたのかなぁ(もし、本当に計算されただけの人だったら、ここまでなってなかったと思うし)。この世で生きる人なら、特にここ日本で生きる人なら、誰もがぶち当たることだろうしね。あゆも私とかと大して変わらないんだろうね。

ちょっと前のインタビューであゆはこんなようなことを言っていた。「今までは、機械っぽいっていうか、サイボーグっぽいっていうか宇宙人っぽいっていうか(笑)、そういう感じだったと思うけど、今は、もっと人間くさくありたいと思っている」(発言うろ覚え)。私含めて、あゆについては色々なことを思う人がいると思うけど、もうとっくに色々、分かってるんだろうね、あゆちんは。

ああ、やはり長くなってしまった。やっぱり、私にはできないんだよ。アーティストや音楽を、機械やアクセサリーやゲームやオモチャのように扱うことは。バーチャルなもののようには、扱えないんだよ。やっぱり、人間としてだったり、そういう風にしか捉えられない。基本的には。だからこそ、こんな風に恥ずかしーーーい文章になってしまうのかも知れないけど、でも、私には、あゆを機械だとかアクセサリーのようには扱えないの。

これでやっと、疑似体験(整理とも言う)が一段落して今のあゆの『マイ・ストーリー』に追い付けるかな?(ウマイ!) それが、あまりにも絵に描いたようなストーリーだったとしても、事実は小説よりも奇なり! 「本当のような嘘」だと思ってるものも「嘘のような本当」かも知れない! そりゃ本当のことは分からないけどね、ただ言えるのは、これは、バーチャルじゃないんだよ! リアルなんだよ!

非常に長く熱苦しい話、失礼いたしました。ああ、恥ずかしい。冒頭でも述べた通り、読んでくれた方に大感謝です。それにしても、最初は嫌いだったのに、何こんなに語ってんだろ(笑)。っていうか、いつの間にこんな語れるネタ(?)溜まってたんだろ。ここで語ったようなことって、そんな語られてることじゃないし、それこそ好きでもなければ知らないことだと思うし、大分後になってから明らかになったこともあるのに。もちろん、ほんの少し前まではこんなこと全っ然知らなかったし。私いつの間に? 自分、コワっ(笑)。