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sky is blue

言わなければよかったのに日記

ハウルの動く城

2005-01-19 19:15:18 | 映画
『ハウルの動く城』を観てきました。でも、特に言いたいことも言うべきことも浮かんでこないんだよなぁ。良くなかったわけではないと思うんだけど、言いたいことがあまり浮かんでこない。もしかしたら、この映画自体、言いたいことが特にないまま作られちゃった映画なのかな。

言いたいことっていったって、別に、明確じゃなくったって良い。よく分からないものでも良いし、言いたいことなんてな~んもないってのでも良い。けど、何て言ったら良いのかな、とにかく、こんな映画作ったんだぜオラー!ってのが、あんまない気がするんだよなぁ。同じ宮崎駿監督で言えば、『もののけ姫』とかさ、すっごい、監督のオラー!ってのがあるじゃん。こっちに有無も言わさず、みたいな。たとえ自分の好みじゃなくても、「ああ、監督はこれが作りたくて仕方なかったのね。仕様のない人ね(笑)」みたいなさ。そういうのが、あんまない気がするんだよなぁ。これ、本当に作りたかったのかな?みたいな。一つ一つのシーンにはそれなりに言いたいことがギュッと詰められてる気がするんだけど、ポッと点いては消えていく感じで、連続していかない。

例えば、どーしても、過去の作品のキャラクターなりシーンなりを連想してしまう箇所が結構あったり、同じくテーマにしても過去の財産の寄せ集めっていうか、それに頼ってしまってる感が否めない。ま、それくらい財産を築いてきたんだから良いんだって見方もあるけど。何より、自分自身の財産だし。

ただ、良くないわけではないんだよ。これを宮崎作品って知らないで観たら違ってただろうし。宮崎監督ってだけでハードルが高くなってるところもあるだろうし、または、宮崎作品を知らなければ過去の作品もちらつかないわけで。私は過去の作品も何本か観てるからであって、これが初めてならもっと言いたいことも出てきたかも知れない。宮崎監督ぐらいになると、新しい作品作るのも大変なんだろうね。もう何本も作ってるし、成果も上げてるし、そんな中、ゼロからこれを作りたい!って心底思うようなことってなかなか難しいのかも知れない。でも、次の作品が観たいって人がたくさんいてっていう。

さっきオラー!ってのが感じられないって言ったけど、つまり、それを維持することがどれだけ難しいことかっちゅう話なんだよね。ただボーッとオラー!が沸いてくるのを待っていたら、いつまで経っても作品なんてできないかも知れないし、無理矢理オラー!ってなった気になっても、なんか違うってことになりかねないし。これは映画に限らず、音楽だって何だって言えると思う。そして私は、そのオラー!が好きなんだろうなって思う。なんか、好みだとか価値観だとか、そういうの超えるんだよね、オラー!って。そりゃあオラー!があれば何でも良いってわけじゃあないけど。でもそこは基本っていうか。って、さっきからオラオラ何言ってんだって感じだけど(笑)。

木村拓哉がハウルの声ってことで、キムタクってのが前面に出てきてしまって気になっちゃうんじゃないかと思っていたけど、それは特に気にならなかった。途中からキムタクってこと、ほとんど忘れてたと思う。倍賞千恵子はなぁ、面白いと思うけど、若い人がやるソフィーも見て(聞いて)みたかった気がする。

この映画は、原作は宮崎監督じゃなくて、ダイアナ・ウィン・ジョーンズという人の『魔法使いハウルと火の悪魔』という作品らしい。ここにもオラー!度低しの原因があるのかも。違う人の作品をもとにして作るのって、一度その作品を自分の中で受け止めて、そして、そこから自分の表現したいこと、できることを探して…ってやらなくちゃいけないだろうから。でも、『魔女の宅急便』とかも原作は違う人の作品だったわけで、それでも、その上で、宮崎監督のオラー!は出てたと思うし。(なんか、都合悪いこと、面倒なことはオラー!で説明を片付けちゃってる気もしますね、許してね)

まぁ、これまでの作品でオラー!を出してきたわけだから、たまにはこういうのも良いのかもね。仮に、そんなにどーしても作りたい!ってわけじゃなかったとして、それでここまで作れるのならそれはそれで凄いし。もしかして、これが「老人力」ってやつなのでしょうか? だから私には分かり切れなかったのかも? って、『老人力』読んでないから何とも言えないんだけれども…。ただ思いついただけで。

老け込んだ心につけ込んで呪いをかけられたソフィー(とここでは勝手に解釈)。その心が若返れば若い姿に、老け込めば老人に…と姿かたちがコロコロ変わるソフィーですが、監督自ら、自らに魔法をかけ、老け込んだ心を実践してみた!! …という仕掛けがあったのだとしたら、それは、ちょっと、すごいかも。んなわけないよねぇ?(笑)

映画といえば、ちょっと前にDVDで観たティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』、すごく良かったなぁ。レンタルなのに思わず2回観ちゃったよ(大抵は1回で返す)。「物語を語っているうちに、物語そのものになってしまった」――ううーん、良いわぁ。素敵だね。(ってか、この間行ったラーメンズもそんな感じ?)

「彼(物語)は、永遠に生き続ける」。


ラーメンズ『アリス』

2005-01-18 19:07:33 | その他
友達に誘われて急遽、ラーメンズの第15回公演『アリス』に行ってきました。会場は「本多劇場」という下北沢にある劇場。私は、ラーメンズに関しては名前を知っているだけで、全くと言って良いほど知識がない。お笑い芸人というべきか、小林賢太郎と片桐仁の二人組で、椎名林檎の短編キネマ『百色眼鏡』(DVD)で小林氏の演技を見たことがあるくらいで。しかし、何だか知的な匂いがするような気はしてたようなしてなかったような。

感想は、何やら得体の知れないような、でも実は私達がよく知っているもののような、そんな才能を感じました。前知識が全くなかったので、前からの彼らの活動について知っている人ならばタマラナイ箇所もいくつかあったようですが(お馴染みだけど最近はなかなかやらなかったネタとか)、その辺のところは分からなかったです。でも、なんか引き込まれるというか、見てると悔しくなってきちゃうんですよね。

出演は二人だけで、派手な舞台装置もなく、衣装も黒で、非常にシンプル。笑いとしては、分かりやすいってものではないのかも知れません。だからと言って、分かりづらいってわけでもないのです。もはや、分かるとか分からないという次元ではない気がします。こんなのありなの?みたいな。毛虫とのユニット(?)とかさぁ。成立してるのかしてないのかもよく分かりません。やった者勝ちというか。舞台の上では何をやっても良いんだ、何だってできるんだ、やるべきなんだ、みたいな。そういう強迫観念すら感じました。こう言うと、ハチャメチャで自分勝手で無責任な表現なのかと思うかも知れませんが、それは半分当たってるような当たってないような。ただ、圧倒的であることだけは確かでした。なんか、迷いがない。舞台の上では自由であるべきだということに対しての迷いが感じられない。

だから、悔しくなっちゃう。くそー、もっと知りたーい、分かりたーい、とも思うんですが、分からなくても良いような気もします。分かるとか分からないとかじゃなくて、ああ、今日も彼らは舞台の上で自由になれてるんだなって思えれば、それで良いような気もしたりしなかったり。ズルイなー。

ってか、頭の回転が速いよ。これはこういうこと?と考えている間に、どんどんどんどん進んでっちゃうんだもん。生だから仕方ないんだけど。で、一つ一つが「え?」ってじっくり考えて味わいたくなっちゃうような、多くのことが隠されてるようなそういう魅力を持ってるから、も~っ!みたいな。皆で爆笑!ってのと違って、後からじわじわとふつふつと来そうな笑いかも。で、いつまでも残るというか、居座りそうな笑いかも。そして一人で何回も何回も反芻したくなるような笑いかも。というか、前知識もなくいきなり舞台から見ちゃったから、ちょっと、DVDでじっくり見てみたいかも。頭の回転が追いつけなかったので、落ち着いて見てみたいという。でもね、それは、「追いつけなかった」で終わるんじゃなくて、もう一回ちょっと見てみたいかも…と思わせるものがあった証なわけで。それがなかったら、「もう良いや」で終わるもんね。あと、二人の組み合わせがなんか良い。お互いがお互いを一番笑わせたいんじゃないの?って感じ。

それにしても凄い人気。通路のところにまで座布団席があって全部埋まってたよ。トイレ行きたくなったらなかなか行けないよこれ。もしかして結構貴重なチケットだったのではないだろうか。初日だというし。

公演後のトークで本人も言っていたけど、何がどう『アリス』なんだか。でも、「不思議の国」に迷い込んだ気分を味わえたという意味では『アリス』かも? 他の公演について知らないから何とも言えないんだけど。ま、「不思議の国」にしろ「鏡の国」にしろ作り出したのは人間なんだし、何だってあり?

なんか、ひねくれてるようで実は真っ直ぐっていうか、不敵ながらも、無理に皮肉ってるわけでも自虐的なわけでも毒を吐いてるわけでもなく、健全な笑いって感じがした(でもそこが逆にコワイのかも)。品があるっていうのかな。だから安心感があるんだけど、色々な要素が隠されてそうで油断はできないし、どこからどこまでが作られた部分なのか分からないところもあって、凄く込み入ってる。で、込み入ってるのに真っ直ぐというか。単純であるべき部分と複雑であるべき部分を分かってる人なのかな。って、知識もないし、今回が初めてだし、全然よく分かってないけどさぁ。ま、今度DVD見てみよう。

巻舌 発祥地記念~導火線はこちら~

2005-01-15 14:57:55 | ライヴ
1月17日から始まる東京事変の初ツアー『dynamite!』。その本公演が始まる前のゲネプロ(通し稽古)公開、『yokosuka dynamite!』に行ってきました。会場は「よこすか芸術劇場」。行ったことないところだし、いつもと趣が違う会場なのでドキドキ。Uの字に座席があって、5階くらいまである。普段はオペラとかやるところなのかな? 『ASIENCE』のCMに出てきそうなのを勝手に想像してたけど、まぁ、そんな感じ。

このイベント(?)は、ファンクラブ会員限定で1人1枚までしかチケット取れないから、皆それぞれ1人で来てるわけで、開演ギリギリに入ったけど、座席について開演を待つ間も静かだった。ライヴ中もワーッて盛り上がるんではなくて、みんな凄い真剣にみてた。固唾を飲む感じ。

「2004年を音楽で振り返る」でも書いたけど、私にとって林檎ちゃんについて書くことは非常に難しい。その辺、今回のお客さんの固唾を飲む感じを見てもやはりと思ったのだが、そこら辺は本公演のところで書こうと思っているので、今回の記事では、なるべくレポに徹してみよう。

ライヴは、もうお腹一杯。まず、東京事変名義で出した曲は、C/W含め全曲やってくれた(17曲…DVDにのみ収録されている美空ひばりのカバー「車屋さん」も)。それから、新曲を3曲(うち2曲は亀ちゃん作曲)。ヒラマさんのソロ作品を1曲。洋楽のカバー1曲。そして、椎名林檎の曲も。「ここでキスして。」、「月に負け犬」、「同じ夜」、「∑」(「クロール」とメドレー形式)、「丸の内サディスティック」――。このバンドで一杯演奏したいんだな~。それが伝わってきて嬉しかった。

「顔」では、アコギを弾く林檎ちゃんを初めてみた(かな?)。数曲でピアニカも吹いた。アコギもピアニカも何だかすごく優しい感じで新鮮だった。ってか、ピアニカ吹いてすぐ歌えるのがすごい。で、「ここでキスして。」。事前に、やるかも知れないというようなことを聞いていたから驚きはそんなになかったものの、やっぱクルものがある。そのとき、わけも分からず、とっさに私の頭に出てきた言葉が「おかえりー!」だった。もう何だか、「おかえりー!」だったのだ。そして、「月に負け犬」。これが聴けるとは。この曲は、私が初めて生で聴いた曲だ。ああ、あれから何年たつんだ? あれからお互い色々あったのかそうでもないのか、とにかく、またここで会えたね。同じ時代を生きてきたね。そういうことを勝手に思う。ライヴの醍醐味。どこまでもどこまでも真っ直ぐ伸びていきそうな歌唱であり演奏であったから、ああ、この曲は、すごく、すごく、真っ直ぐな曲だったんだ、やっとあるべき姿で鳴らされたんだ、てなことを思った。前が悪かったわけではない。曲があるべき姿で鳴らされることって、なかなかないことなのかも知れない。むしろ、ズレや摩擦からエネルギーが生まれることの方が多いのかも。ビートルズの「ヘルプ」だって、あるべき姿で鳴らされなかったかも知れないけど、そこにあったズレや摩擦や色んなもんが渦巻いてすごいエネルギーが生まれたには違いないんだ。けれど、この日の「月に負け犬」は、ただただ真っ直ぐ、真っ直ぐに伸びていた。良いとか悪いとかではない。真っ直ぐだった、ただそれだけ。で、それに続けて、「同じ夜」ですよ? これ、反則ですよ。「同じ夜」は、私が林檎ちゃんで一番好きな曲かも知れない。

<飛交う人の批評に自己実現を図り戸惑うこれの根源に尋ねる行為を忘れ>

本当ビックリしたよ。この詞をみたときに。出会っちゃったよ~って感じ。こんなにも私にとって真実を射抜く言葉なり表現を紡ぐ人がいたなんて。こんな人は滅多にいないんだよ。こんな風に聴き手にドッペルゲンガーを起こさせる人なんてそうそういるもんじゃないんだよ。この曲を生で聴ける日が再びくるんだろうかと思っていたけど、きてしまった。もうこの時点で私、「もう今日はこれで帰って良いや」って思ったよ。というか、早く持って帰りたい!ってな気分よ。でも、まだこの時点で中盤だったかなぁ。そんな風に「月に負け犬」~「同じ夜」で「もう良いです」と思っていたのに、一旦、ヒイズミさん以外が舞台から下がり、ヒイズミさんがしゃらら~んとピアノを奏で始める。ああ! 「現実に於て」だぁ。この曲は、東京事変のアルバム『教育』収録の、「現実を嗤う」という曲と繋がってる曲なんだけど、この「現実に於て」~「現実を嗤う」は、『教育』の中で一番好きな時間帯かも知れません。というか、ヤバイ時間帯。どちらかと言うと、東京事変より椎名林檎寄りっていうか、『加爾基 精液 栗ノ花』とかに入っててもそんなにおかしくはないような曲で、自分の中にある煩悩やら何やら全部かき回される気分で。ハッキリ言いますが、これ、男性立ち入り厳禁です! ねえ? 女性の皆様? これがまた、ヒイズミさんのピアノが同じフレーズを繰り返すだけなんだけど、素敵なんだよなぁ。ヒイズミさんって、もう音出してなくても、佇まいだけで、そこに居るだけで、音が聴こえてきそうなんだよなぁ。同じく、ヒラマさんもそんな感じで素敵だし。というか、ツアーみてヒラマさん株が私の中で上昇。で、ポツポツと他のメンバーが出てきて、それぞれの音が重なっていき、林檎ちゃんが歌い出す。もうね、この曲の「どうにかなっちゃいそうになる感じ」がちゃんと再現されてましたよ。メンバーが一旦下がる演出もそのためかも。「同じ夜」から切り替える必要もあったのかもだけど。だから私、どうにかなっちゃいそうでしたよ。またまた言わせてもらいますが、これが男性に分かるかって~の! 一見「クロール」とかがその代表例だと思われがちでしょうが、そんなのまだまだ甘いって!? ねえ? 女性の皆様? 女性の特権よ! うふふ。ああ、その前は「同じ夜」だったのにね。なんか贅沢すぎちゃって……良いの?

それからはよく覚えてない。林檎ちゃんについて書くことは難しいと言ったけど、林檎ちゃんのライヴって、なんか、記憶が飛んじゃうんだよね。だからこの記事も全然レポになってなくてごめんなさい。レポに徹してみようって書いたくせに。ただ、思ったのは、「駅前」とか「夢のあと」とか、ライヴで聴いて私の中で評価が上がったのは確か。というか、『教育』の評価がグンと上がった。CDだと物足りなかった人もライヴみたらガツンときたんではないかなぁ? 少なくとも私は、ライヴのあと『教育』の評価が上がったし、『教育』はCDよりライヴの方が良いと思った。また、『教育』はそういうアルバムなんだとも思った。バンドならではの楽しさだとかハチャメチャさだとかうるささだとか無責任さだとか茶目っ気だとか暖かさだとか人との繋がりだとか、そういったバンドならではの醍醐味や躍動感を『教育』から感じたし、ライヴではそれがより一層ダイレクトに伝わってきたから。それから、東京事変というバンドの持つ瞬発力や攻撃力(演奏力はもちろん)、洒落た部分を感じた。乱暴な言い方だけど、曲なんてどれでも良いっていうか、どの曲でも料理しちゃうよって感じ。で、洒落てるんだよね。粋なんだよ。「ダイナマイト」では「dynamite!」という大きなプレートが下がってきたり、「群青日和」ではバカでかいミラーボールが回るし、ホーンテッド・マンションにありそうなシャンデリアも素敵だった。

MCでは全員がそれぞれ喋って、亀ちゃんか誰かが「ゲネプロって何の略か知ってます?」と言ったら、お客さんが答えていた(答え忘れた)。で、「何語なんですかね」と確か林檎ちゃんが呟くと、「ドイツ語ー!」と同じくお客さんが答え、「へぇ。すごい。ドイツ語って発音が難しいんですよね。ゲーテとか。ゲーテ、ゲーテ、グェーテ…」と一人呟き、呟いた自分に照れていた林檎ちゃんが可愛かった。それから、年末をどう過ごしたかの話をしたりなどして、くりきんとんを作ったとかサザンの年越ライヴを見たとかいう話をし、それから「サザン・オール・スターズ」とか「マライア・キャリー」とか「ブリトニー・スピアーズ」とかの英語発音教室(?)へ。これは、『Mステ・スーパーライヴ』でも言ってたなぁ。そこだけやけに英語っぽい(?)発音で「スタァァァー」って(笑)。

ファンクラブについても触れてくれました。「今日は皆さん、林檎班に入って下さってる方なんですよね?」と林檎ちゃん。「本当に?」みたいに言ってた。会場を見渡して、「すごい…。こんなに居て下さるんですね…」みたいなことを呟かれてました。それプラス、ここだけの話も(ふふふ)。最後、「また本公演等でお会いしましょう」って言ってくれたのも嬉しかったなぁ。

ゲネプロという名目もあってなのか、「その淑女ふしだらにつき」の出だしを間違えてやり直したり、亀ちゃんが「今日はリハのようなもんだから大目に見てね」と言ったり、リラックスしたムードもなきにしもあらずだったけど、基本的には本番さながらだった。それでは、また本公演でお会いしましょう。


2004年を音楽で振り返る

2005-01-01 23:11:52 | 音楽
バレンタインデーも過ぎて、やっと明けました。こんなんで本当に申し訳ございません。やっぱり日付がリアルタイムじゃないとウンザリしてしまうもの……ですよねゴメンなさい。内容は、書いてるときに振り返ってる内容になってるつもりだけど。そっか、日付と更新日、両方書いてあれば良いのか。え? そういう問題じゃない? すみません。こんな調子で申し訳ないですが、直せるところは直していこうと思っていますし、私なりに頑張っていこうと思っていますので、今年も何卒よろしくお願いいたします。やっと言えたぁ(笑)。

そんな挨拶のあとの一発目がこんな内容で良いのか?って感じなのですが、2004年を振り返ってみたいと思います。結果を総合すると、「エレカシとシロップ、そして、あゆが好きだと本格的に気付いた年」と言えそうです。それと、今まで自分があまり触れてなかったり苦手だと思い込んでいたジャンルやアーティストに引っかかったり、以前なら新譜出たら買っていたアーティストの作品をレンタルで済ませてしまったり、「自分内で過渡期」にあるのかなっと思ったりします。

●ベストアルバム (8枚)
2004年に発表されたアルバムの中から。年内に2枚出してる人もいるけど、1アーティスト1枚にしぼりました。順位とかは特にないです。と言っても、そんなに新譜買わなかったし、ガツンと来たのはそんなになかったです。強いて選べばという感じ。だから結局、買ったのを挙げてるだけになっちゃってるかも。しかし、エレカシ『扉』とシロップ『Mouth to Mouse』は良かったです!

エレファントカシマシ『扉』 (日本)
これを聴いてまず思ったのが「青春は終わった」ということ。これまでもエレカシの作品には常に「死」が出てきたけど、この作品からより実感が伴ってきている。人はいつか死ぬって頭では分かっていても、若いとなかなか実感としてなかったりする。けど、歳をとっていけば、身近な人が亡くなったり、必然的に死に実感が伴ってくる。でも、そうすることによって、「生きる」ってこともより深く分かってくるんじゃないかなぁ。そういう意味で「青春は終わった」のかなと。
音的にも、渋い! それに、落ち着きがある。これまではパワーが四方八方に拡散していくって感じだったけど、ここでは照準が定まっている感じがする。エレカシにしては珍しく、ざわついてないんだよね。静かなんだよ。ミヤジの歌い方も穏やかな中に凄味があって、こんな歌い方もできるんだ!という発見もあった。なんか、はじまりでもなく終わりでもない空間がここにはあるんだよなぁ。時間が止まってしまったかのような。過渡期の中で生まれた「一瞬の自由」みたいな。『天空の城ラピュタ』でシータとパズーがラピュタを目指してる途中でポッと台風みたいなところを抜け出す瞬間あるじゃん。そこだけやけに静かなの。そんな感じ?(今思いつきました) でも、最後にはまた何度だろうと航海に出るぞ!と奮い立つ。そんなアルバム。
エレカシはこのあと『風』というアルバムも出してますが、それについてはこちらで少し触れてます。

Syrup16g『Mouth to Mouse』 (日本)
「捨て曲なし」という言葉は、私にとってオリジナルアルバムの良さを語る上であまり意味をなさないのだけど、本当に「捨て曲なし」。オタクなのにポップ。ポップなのにオタク。楽曲もバラエティに富んでるし、アレンジも巧い。その曲の持つ感情や景色を描くのが巧いんだよぉ。ギターでここまでできるのかっていう。いきなり深遠な世界に連れてこられちゃうのに、そこがやけに広大で。オタクがポップになる瞬間? 妄想がリアルになる瞬間? サナギが蝶になる瞬間?

ザ・ヴァインズ『ウィニング・デイズ』 (オーストラリア)
まあまあ。詳しくはこちら

ザ・スティルズ『ロジック・ウィル・ブレイク・ユア・ハート』 (カナダ)
ライヴが良かった。

N.E.R.D.『フライ・オア・ダイ』 (アメリカ)
私、こういうのにも反応するようになったのね。セクシーでちょっと甘すぎるのだが、ロックで、恐ろしくキャッチーでポップ。抜けがないのに、抜けが良い。実力派。

マルーン5『ソングス・アバウト・ジェーン(スペシャル・エディション)』 (アメリカ)
R&B、ソウル、ファンク、ロック、古きから新しきまで、この憎たらしいまでの身軽さ。アイドルにも負けず劣らずのルックスというか色気というかナルシシズム(ヴォーカルのアダムと綺麗な女の人とのキスシーンがもう良いよとばかりに映し出されるプロモを見れば明らかなんです)。これは、米国版オレンジレンジかも? とか言ったら怒られるのでしょうか。そりゃ音楽性や技術や質は違うけど。

浜崎あゆみ『MY STORY』 (日本)
そりゃあ、あゆが好きだって本格的に気付いちゃった年ですから。カミングアウトもしちゃったし。あゆについては、最近こちらとかこちらに書いたので、アルバムの話は今回は省略。最初は嫌いだったのになぁ。はぁ。その辺のことも書いてありますので、暇なときにでも読んでみて下さい。

東京事変『教育』 (日本)
私にとって、林檎ちゃんを書くことは非常に難しい。その辺はツアー行ってきたんで、そのときにでも書いてみよう。
で、『教育』。私はソロのころから椎名林檎のファンだが、本作はソロと何が違うのか。まず、基本的には変わっていないと思う。基本的にはっていうのは、音楽的にはってことで、やっぱり同じ人がやっているから。けどね、これ、まだ数回しか聴いてないうちから、作業しながら聴けたのよ。そんな自分に驚いた。ソロ作品ではそんなこと容易にはできない。これ林檎ちゃんの作品だよ?って自分で自分に突っ込んだもの。更に、聴きながら、良いなぁ私もやってみたいなぁなんて思っちゃったのよ。そんなこと、ソロのときは思いもしなかったよ。だからと言って、簡単そうな音楽というわけじゃない。常に一瞬たりとも気の抜けない瞬発力を必要とするバンド・アンサンブルだ。だけど、だけど、とにかく明るい! すべてがポジティヴな方向に向かっている。バンドって、音楽って、楽しい! そんな一見単純過ぎてバカらしいようなことが実は<未来を造る>一番の原動力なんじゃないの? このパワーは、そんなことを訴えかけてくる。椎名林檎ってこんなに明るかったっけ? やっぱり決定的に違う。でも基本的には同じなの。そこが素晴らしくて、だからこそ、もどかしい。東京事変と椎名林檎は、違うけど同じなの、同じだけど違うの。もしかしたら彼女は、東京事変と椎名林檎でもシンメトリーを描いてしまっているのだろうか。だとしたら私は、彼女のその素晴らしさともどかしさが愛おしくてたまらないのかも知れない。ああ、<貴方になってしまいたい>。

●ベストソング (5曲)
発売年は関係なく、グッときた曲を。ベストアルバムで選んだアーティストはなるべく省きました。

グレイプバイン「ぼくらなら」 (2003年、日本)――切ない!
ザ・バックホーン「空、星、海の夜」 (2001年、日本)――歌心!
スネオヘアー「フォーク」 (2004年、日本)――刺す歌詞!刺さる歌詞!まさにフォーク!
UA「踊る鳥と金の雨」 (2004年、日本)――「Lightning」も良いけど私はまだここかな。
東京事変「心」 (2004年、日本)――東京事変でも椎名林檎でもない(ある)場所。

●ベストニューカマー (1組)
一応挙げておこうかなと思ったけど、これしか思いつかなかった。

キャプテンストライダム(日本)――こちらとかこちら参照。

●ベストライヴ (9公演)
ここでもやっぱりエレカシとシロップの年だったことを再確認。1アーティスト1回にしぼりたかったけど、それぞれ違う良さがあったから無理だった。特にエレカシの『パワー・イン・ザ・ワールドTOUR』(6月@AX)は、あそこで聴けた『扉』の楽曲群がもう聴けないなんてもったいなさ過ぎ! 主要の曲はこれからもやるだろうけど、「地元の朝」とか「ディンドン」とか「必ずつかまえろ」とか「星くずの中のジパング」とか「イージー」とか(要するに全曲)、もうライヴでやらないなんてファンも曲自体も許すわけがありません!

エレファントカシマシ 1/13 新宿コマ劇場――細川たかし公演の花吹雪の残骸がひらりひらり。
エレファントカシマシ 6/17-18 渋谷AX――『扉』のライヴ版。
エレファントカシマシ 7/3 日比谷野外大音楽堂――約15年のエレカシヒストリー。
Syrup16g 1/30 渋谷AX――「翌日」での一体感はバンドと客を繋ぐ線が見えるほどだった。
Syrup16g 5/30 渋谷公会堂――生「リアル」、震えました。
Syrup16g 10/10 日比谷野外大音楽堂――第一期、完結。
UA 9/4 日比谷野外大音楽堂――雷雨の中のSUN(太陽)。
PUSHIM 11/18 Zepp Tokyo――音を楽しむ。ワン・ラヴ。
ザ・スティルズ 11/8 リキッドルーム恵比寿――情熱的で激しくて血の通ったライヴをCDにも。

●ベストイベント (2本)
もう『0724 YAMABIKARI』ありがとうですわ。それがあったから日記を始めたのだから。弾き語りもヤバかったよぉ~。

0724 YAMABIKARI 7/24 神戸チキンジョージ
東京事変/フジファブリック/エレファントカシマシ/JUDE
――日本に生まれて良かった。詳しくは、こちらこちらこちら

ROCK YOU LIVE vol.5 ~QUIET RIOT~ 1/15 O-East
吉村秀樹/宮本浩次/五十嵐隆/草野マサムネ+三輪テツヤ
――普段はバンドで活動している人たちが弾き語り形式で魅せてくれました。各アーティストの自部屋を垣間見ちゃった気分。

いやぁ、思ったのは、洋楽があまり…になってきてますね。ま、新譜ではってことですけど、以前は洋楽ばっか、邦楽はほとんど聴かない状態だったのに。洋楽は、昔のやつの方が聴いてます。最近気になるのは、G.ラヴ&スペシャル・ソース。カッコ良い! その流れで、ベン・ハーパーとかも聴いてみたい。過渡期かもと書きましたが、そういうわけで、今年は、今までの認識は一旦置いといて、色々な音楽に耳を傾けてみたいと思います。こんな風になれたのも、あゆのおかげかも知れないなぁ~。それが良いことなのかどうかは、知らないけれど(笑)。