スカーレット手帖

機嫌のいい観客

観劇趣味と私の消費

2016-04-06 | わたくし
観劇を趣味にすると、お金がかかる。
それは勿論そうなのだが、
観劇それ自体+「もっとよく楽しむための活動費」部分にかかる金のほうが多いような気がしてきたのである。

私が見ている規模感の舞台の話で言うと、大体、「観劇1回1万円」である。
これは、「その現場に行って座席に座るためにかかるお金」という意味での1万円で、
チケット代(手数料が多いと1000円ぐらい発生する場合もある)+交通費(都内近郊)
で、これくらいで見ることになる。
これでもそこそこ金がかかるぞ、ブルジョアの遊びめ、という見方もあるだろう。
1万円とは1000円が10個、100円が100個の集団である。
私は中学生の時の小遣いが月に3000円、高校生の時が6000円だった。
1万円とは年に一度正月に会える人々だ。それを思うと遠くへ来たものだなあ。

ただ、席に座って1万円なのだが、たいてい「よし!もっとよく楽しむぞ」という
「意識の高い客」然として劇場にやってくるのが常であるため、
まず演目に興味のない家族の分までチケットを買って備えて当日に臨み、
劇場についたらパンフレットを買う、写真を買う、グッズを買う、DVDを予約する、
そして劇場の周辺で飲食をし可能であれば周辺施設も見物する、
さらに時には帰宅後に原作を買い揃える、関連商品を購入する、等、
意識の高い行動については枚挙にいとまがない。

もっとよく楽しむ、というよさげな言葉は恐ろしいのだ。
悪いことはしていないよ。楽しむだけだよ。よく知りたいだけなのよ。だからお金がかかるのよ。
むしろもっと楽しみたい際に飲食の数百円を圧縮してみても焼石に水だ。
行くのをやめるしかない。オールオアナッシングである。
そんな中、時折、
「チケット手数料込7500円+交通費300円+パンフレット1500円+ランチ800円」
など、1日の満足度を1万円に収められることもある。
この場合は大変ありがたいという気持ちになる。コンパクトに動くとこのようなことも可能である。
しかしなかなかこのような事態には至ることは少ない。

それはそうだよ、
学生のときだって、学校の教科書は安くても副教材にどれだけ金かかったのか、ということである。
買った参考書の一体何割を本当に参考にしたのか、そして「参考にしない参考書とは、書なのか」
「書とは人なり」「花に水、人に愛、料理は心、神田川俊郎です」といったような無駄な連想が発生してくる次第である。

しかし、補足しておきたいこととしては、
高い副教材を使っている人が必ずしも勉強ができるかというとそうではない ということである。
兄弟にもらった青チャートで医学部受かる人もいれば、
無理やり家庭教師に来てもらった挙句センター数Ⅱで赤点を取る人(私です)もいるのである。
前情報があってもなくても、ファン意識があってもなくても、先行で取ろうが当日券で取ろうが、
2時間そこに都合をつけて座っているという意味では平等なのである。

結局、「どんなに感動して入りこんでも、観客は舞台上には、でられない」という
最高に痺れる平等を味わいに行きたいだけなのでである。
舞台も、客席でも、それだけでは成り立たない哀しい装置である。
一万数千円とともに、刺激という名の何がしかの傷と希望を負うために集うのが観劇という趣味である。
現実生活では、傷も希望も、なかなか綺麗には負えるものではないので虚構は大切である。
そういうわけで、私は引き続き観劇と消費の渦の中で生きていくつもりなのであります。