スカーレット手帖

機嫌のいい観客

テニミュサードシーズン -「始まりから見る」意味-

2015-04-06 | テニミュ



超今更な話ではあるが、「テニミュサードシーズン」(不動峰公演)が、2月から始まった。

セカンドの途中から加速度的にテニミュにはまってしまった私。
昨年11月のドリームライブという大団円の現場に立ち会い、
号泣しながらいったん解脱した気分であった。
すばらしい終わりであった。
いまのところ、私の人生の走馬灯の中に加えたいワンシーンであることは間違いない。


その達成感と、そしてけっこうな喪失感から息つくヒマも与えぬうちに、
サードシーズンは華やかに開幕した。

始点から同じ目線で走ってみるということはどういうことなのだろうか。
終わりのグルーブ感を知ってしまったがために、
始まりのそれを体験してみたかった。
それはどういう空気なのか。

サードシーズンは、ファーストとも、そしてセカンドシーズンとも違う。

ファーストシーズンは、きっとそれが「何シーズンも続くもの」となるとは、
ましてや今や「2.5次元もの」としてまとまった商売のすべての下地になるとは
思われないままに荒野を突き進んだ挙句、出来上がった道程だったはず。
さながら開拓者である。

そしてセカンドシーズンは、「2周目の宿命」として、
今後の恒常的な基盤となって終わるべく、慎重に積み上げられてきたものだと思う。
シーズン自体が「つなぐタスキ」である。(どっかで聞いた事アルー)
そして、綿密で堅調な制作部門と、注意深くスキの少ない出演者たち(※「スキがない」とは言わない)によって、
それは成功を収めた。気がする。

そうして迎えたサードシーズン、徳川政権で言えば3代目家光、
彼は生まれながらの将軍、
そう、つまり「生まれながらのテニミュ」のシーズン開幕、
それがテニミュサードということなのだと思う。
潤沢な成功体験および資源と、とはいえ生じ得る「飽き」の危険性を表裏に抱えながら
それでもけっこうな「攻め」の姿勢でのスタートを切ったように思える。(例:海外公演、しょっぱなからの地方5都市)


・・・ということで
抽象的な前置きは以上、
2月のプレビュー公演&3月の東京公演を見てきた感想を書こうと思う。

―――

◼︎2月 プレビュー公演
2/14昼&15夜
15日だけのつもりだったのに、気が逸ってしまい14日を直前に追加してしまう良い客わたし。

初見の14日、まず、大きく変わった演出とストーリーラインに動揺。
だって、どうしても先代の作品と比べてしまうではないですか。それが観劇者のサガではないか。
出演者の緊張感(はじめてならではのいっぱいいっぱい感)を味わう余裕もなく、
「うーん、、、違う」と言いながら物販に立ち寄ることもなく帰ってしまいました。

まあ、そんなことを言いながらそれでも翌日も水道橋に行くんですが。
15日も行きまして、見ました。
演出・構成について前知識が入ったのと、「比べずに見よう」という気持ちで臨み
だいぶ純粋に楽しめた感じでした。
まだ役になじまない、楽しむ境地まで行けていない出演者の中で
唯一余裕を感じる本田君(菊丸役)を観劇の指針に置きつつ、
初々しさが光る舞台を見つめて、帰ってきました。
お見送りもあるんだけどぎこちない。

しかし正直やはり、構成に不満ではございました。

リョーマが孤高の・異質な存在であることがほぼ描かれていない。
そして何より、重要な仲間であり敵であり、切磋琢磨するメンバーである
青学の先輩たちのことが全然紹介されていない。(曲カット、シーンカットで)
チームとして敵校の不動峰のほうがよっぽどまとまった団体に見える。
誰が主役なのよ、という感じでした。
1作で終わるんならいいけど、これからシーズン通してやっていく、
その扉の公演になるのでしょう、と。
役者さんの不慣れ感はまあこれはしかたないとしても、
あとから見返したときに、「リョーマの勝ちたい動機」「青学が全国制覇したい動機」が
ちゃんとフリとして入っていないと、なんだかよくわからんじゃないかと思いました。

それでも「生まれながらのテニミュ」のメディア戦略すばらしく
初日の様子をテレビで紹介するわ、ドキュメンタリー番組立てるわ、
もちろん舞台雑誌を制覇してくるわで、すごいプロモーション活動が入ってきている。

うーん、良いけど、良いけどいまの段階でそんなに言うほどか・・・?
どえらい下駄履かせてはりますな、まあ何事も商売商売、という感じがあった。
(と言いながらちゃんとチェックしている良いファンわたし)

そんなこんなでいろいろ考えるうちに思いの丈がつのり、
アンケートを郵送するというはじめての所業に打って出ました。
ポストにアンケートを投函しながら、
完全にテニミュに巻き込まれている自分を感じました。
うう、すごいビジネスだよ。時間と手間をかけて微力ながらでも協力したいよ。ファンなんだよ。


◼︎3月 東京公演
3/28昼&夜
2月があんな感じだったから、とりあえず東京は1公演見といて
5月の凱旋でもっと味わおうと思っていたのに、
構成変更と出演者の成長にアドレナリンがいいかんじで噴出し、
夜も追加してしまった良い客わたし。

おいおいおい、もうこの作品、「テニミュの面白さ」に到達している。
プレビュー公演との800円の差、どころではない。
「見に行ったら絶対面白くて前向きになれてコスパを感じる舞台・テニミュ」が戻ってきている。

あの2月はなんだったんだ と言いたくなるぞ。
ちゃんと、先輩たちの説明が入りました。
そして、校内ランキング戦はシーンとしては相変わらずなしではありましたが、
後述のとおり、イメージとしての追加がありました。

 〈ここから余談〉
  というか、これどうみても構成変更(追加)の余地を残してのプレビューだったよな~~
  レギュラー紹介曲もそんなすぐにできたわけでもないだろうし。
  なぜカットしていたのでしょうか。
  ちょっと考えてみたんだけど、これ「シーズンの扉公演」と考えていなかった可能性ある。
  「VS不動峰」という物語。
  例えば、このあとのルドルフ戦、六角戦、氷帝戦、それだけ見た人にとっては
  レギュラー陣がどんな人たちかなんてわざわざ説明されない。
  断片的に「手塚は強いのか」「不二は天才なのか」と拾うしかない。
  それと同様の「言わなくてもいい前提」として置いていたのではないか、という可能性。
  どうでしょうか。かなり大胆なお客さんへの理解お任せ方式。
  でも結局レギュラー紹介を追加したってことは、やっぱ情報として足りなかったんだな。たぶんな。
 〈以上、余談おわり〉  


意見はいろいろあると思いますが、個人的に、シーズン初戦である不動峰公演は、
「公式戦で青学が敵校を打ち負かすおもしろさ/光る敵校の個性と負けの美学」というテニミュの基本フォーマットだけでなく、
すべての始まりとしての「リョーマの闘志に火がつく」というところが
めちゃ重要だと思うのです。
越前リョーマというキャラクターにとっては、彼の父親がひとつの壁なわけですが、
それ以外にも敵がいるということに気づかせ、
その挑戦心を煽り世界を広げるきっかけになるのが、
青学テニス部への入部 というかさらにいうと 主将手塚との負け試合(非公式戦)にあります。

ここの場面、「高架下の試合」のシーンということで
手塚が越前を打ち負かした上で「お前は青学の柱になれ」と宣言する名場面として
今公演も健在です。
ちなみにこの高架下のシーン、今回「柱」2名(手塚越前)以外のメンバーが幻影としてあらわれるのが
どうなんだ という話もあるんですが、
手塚が歌ってる歌詞が「お前の前に現れる敵をひとりひとり倒していけ」とかいう
冒険の旅に出る勇者への予言みたいなことなんで、
「お前には仲間がいる その中で自分の居場所を見つけろ」→幻影
も、個人的はそんな違和感なかったなあと思います。
演じる財木くんの雰囲気もあいまって、あまりに手塚くんが巫女さん的すぎるんじゃないか
というおもしろさは感じますけど。

で、その高架下のシーンの意味が、3月本公演で別場面の演出(構成?)変更が入ったことにより
より際立つようになったと思うんですわ~~~~

それが父親(オヤジ)との打ち合いシーンです。
①地区大会前②地区大会後で打ち合いが2回あるんですが、
そのうち①で変更が入ったのです。
そう、そこに、カットされていた校内ランキング戦のイメージが追加になりました。

その結果ですね、、、

①地区大会前の父親との打ち合い(手塚対戦前)
 → 幻のように校内ランキング戦で打ち負かした先輩たちの様子が出る←演出new!
 → オヤジ以外には誰にでも勝てると思っているリョーマ


②地区大会が終わってのエピローグの場面での父親との打ち合い(手塚対戦後)
 → オヤジを驚かす球を打つ
 → 手塚への負けから学び、敵は他にもいる、負けたくないと思っているリョーマ


みたいな風に見ましたよ、私は!!(色変えたとこが追加で感じた感覚です)
before-afterの「before」がね!
明確になったよね!!?
いやいや、これはしびれる構成になったわ・・・
と思いました。
場面としてはどちらもかわらないのらりくらりとした日常シーンなんだけど、
前後で小さな革命が起こった感がものすごい出ている。

このね!

彼の小さな革命が!!

今後の快進撃、そして最終的に天衣無縫の極みにつながるんだから!!!


いやー、これだけでもこの公演おもしろいと言えるね。ようやく固まったね。
テニミュはじまったよ。
ぜひ見てほしいでございます。


そして、役者ののびのびし具合ですね。
テニミュの一番のみどころ、「俳優が役とリンクして成長」ですよ。
それが始まっているよ。
何より2月のプレビューで「彼はことによると小学生なのではないか」と思わされた
主演の古田君が、力が抜けてだいぶ等身大の自分になっている感じでした。
普通にリョーマの衣装をつけて出てくると、放っておいても
年のわり(19才)には幼い雰囲気の人だと思うので
本人が気合を入れて幼い演技をすると、慣れの少なさも相まって
なんか、この子倒れたりしないかしら心配、という感じでハラハラしてました。
なので、この人等身大でできるんだ、大丈夫なんだとわかってなんだか安心しました。
新しい演技の方が好きですね。

思うに、別にリョーマだけじゃなくて、俳優陣も、
テニミュをじっさいにやってみるまではある意味「コスプレ」だと思っているんじゃないか
と思うのです。
キャラの扮装をするし、声も場合によっては声優に寄せるし。
でも、あくまで私は、ですが
キャラというフィルターを通して、本人の姿が垣間見えたときにぐっとくるので
別にアニメみたいに12才や15才にならなくたっていいんじゃないかなと思うんです。
キャラクターのお約束項目はやってほしいけど。
多分、表現しなくちゃいけないことが歌もセリフも踊りもいっぱいあって、
全部キャラのままではいられない瞬間があるんですよ。コスプレでいられない瞬間。
でもそんなこぼれ落ちる瞬間に、パッと何が出るかというのを見たいんだ。

本人が作り込んで研究して苦労して、そして作り込んだものを突破したときの輝きを、見たいですね。
それがきっと「役と自分が同化したとき」なんだと思います。
ほんとに、歌舞伎みたいなもんですね。テニミュ。こわいよー。

あと、おもしろソングは健在です。
「理不尽すぎる部活動の歌」「にゃろう!の歌」
「じゃかじゃかじゃーんの歌」「アンコールのニューウェーブ」
聞いてください。楽しい。前向きになれる。
不動峰のジャージってダンスするときにラインがうごいてかっこいいすね。
あと、どうでもいい話として
不動峰の橘役の人はどう見ても石原軍団の若手だし、
伊武役の人は東宝ミュージカルの若手プリンシパルの雰囲気だしで、
不動峰おもしろいです。

ああー
書き始めるとおわらねーな、いつものごとく。
そんなわけで、
福岡を皮切りに、地方公演が始まっております。
テニミュを最初から見る というなかなかない機会を、ぜひこのニューウェーブを
いろんな人が体感したらいいのになあと思いつつ、おわり。