日本人で初めて8mを跳んだ走り幅跳びの選手。
跳び方は、現在のような空中で2回半足を交差させるスタイルではなく、1回半のみ交差させるオーソドックスなはさみ跳び。
でも山田選手のジャンプは、手足を精一杯大きく伸ばして跳ぶ、大変ダイナミックなものだった。
見ていて気持ちの良い雄大なジャンプ。
スピードも100m10秒台のスプリント力を持ち、素質としては抜群だったろうと思う。
ただ、彼の前に立ちふさがったのは、戦前の南部忠平さんが出した7m98(当時の世界記録)という日本記録と、「8mの壁」という重圧だった。
8mを跳ぶために山田さんは血の滲むような努力を重ねた。朝隈善郎(ベルリン五輪走り高跳び日本代表)コーチの下での、京都・知恩院の階段を使った凄まじい練習は語り草である。自宅に「山田大明神」と名付けた神棚を作り8m突破を祈願していたという話も聞いたことがある。
メキシコ五輪での突破が期待されたが7m93に終わり、限界が囁かれていた1970年の小田原での実業団・学生対校陸上でついに8mを超えた(8m01)。
何でも大会前に風邪か何かで体調不良になり休んだのが、ハードトレーニングで常に過労状態であった山田選手に逆に良い作用をもたらしたらしい。いつも力み過ぎていたのが、適度に力が抜けてリラックスできたのだろう。
「もうこれで死んでもいい」と男泣きに泣いたという。その試合の踏切版を記念に貰った、うれしそうな写真を見た記憶がある。
そして山田選手はその8m突破を以て燃え尽きた。以後、それに迫る記録は出していない。
引退後はホテルの支配人その他をしていたそうだが、39歳という若さで脳溢血に倒れた。
短い生涯だったが、選手としては満足だったのだろう。それぐらいしかファンとしては申し上げられないが、そのジャンプは脳裏に焼き付いて忘れられない。その姿は市川崑監督の「東京オリンピック」でわずかに見ることが出来る。ただジャンプの凄さはその映像でははっきりとは分からない。
NHKの大河ドラマ「いだてん」で、ベルリン五輪の記録映画「民族の祭典」の中での、
棒高跳び決勝で2位になった西田修平選手(大江季雄選手と同記録で2位・3位を分け合った)の跳躍が映っていた。
当時の棒高跳びのポールは多くが竹(日本製が最高と言われていた)である。
当然、現在のグラスファイバーのようには曲らないから、跳び方が全く違う。
グラスファイバーポールの場合、とにかくその弾性を利用しなくてはならないから、とにかく曲げる動作が最初に来る。
腕を突っ張り、強くジャンプして、とにかくポールをたわませる。
その点、竹ポールは多少のしなりはあるが、それほどのものではないから、ポールにぶら下がるようにして、
ポールが立ち上がる直前に体操選手が鉄棒の上へ上がる時のように下半身をスイングする。
そうして上半身の力も使って倒立するのである。大変な力技である。
もうほとんど別の競技といってよいのではないか。
私も昔、遊びで竹ポール(運動具店で注文すると、節を焼いて、先端をきちんと競技用の形にしてくれたポールを売ってくれた)を使ったことがある。3メートルちょっとくらいの恥かしい記録だけれど、それでも倒立することがいかに大変か、というのは分かった。私なんか鯉のぼり程度に横になるのが精いっぱいだった。西田選手のフォームを見るとその美しさに憧れてしまう。
というわけで、イラストは竹ポールの棒高跳び。こんなふうに跳べたら格好いいぞ。
オリンピックに4回も出場した名選手なのに今はあまり語られない選手に、走り高跳びの杉岡邦由(すぎおか・くによし)選手がいる。ローマ、東京、メキシコ、ミュンヘンと出場し、ジャンプのスタイルも正面跳び、ベリーロール、背面跳びと三種類の変遷を経ながら、常に日本のトップクラスの実力だったという、信じ難い能力を持った選手だった。私が陸上に夢中だった中学・高校の頃はベリーロールで跳んでいた。
以前の国立競技場で実際に見た杉岡選手のジャンプは迫力があった。当時の日本記録は2m10センチ台だった。高跳びの予選前に1m80位にバーを設定して、各選手が調整のジャンプを行う。この高さだから落とす選手は少ないが、杉岡選手のジャンプは別格だった。
杉岡選手の特徴は、フォーム全体のリラックス感と、それとは対照的なジャンプの瞬間の切れ味の鋭さである。まるで着流しでも着た長身のアンちゃんが、無造作に手首を脱力したままゆっくりと走り出すような感じで、しかしジャンプの瞬間、それは目にもとまらぬ速さで完了する。そして次の刹那、体はバーの20㎝以上上を、あざ笑うかのように越えて行くのである。フォームも適当に力を抜いた感じで、まだ本気を出すまでもない、といった印象を与える。
これには痺れた。「かっこいいなあ!」と本気で思った。自分もあんなふうに跳びたいなあ。
だからそれを真似た。しかし私のジャンプは杉岡選手と比較にならない低空飛行である。私の記録は1m77が最高で(いちおう1m80に掛けてあったのでそう言ってもいいのだが、念のためと思ってバーの中心地点の高さを測ったら1m77だったのである。あとで「測らないでおいて、1m80を越えた、と信じていればよかったと後悔した」、あの予選のバーも越えられないのである。
その杉岡選手の映像は、残念ながらネットにも発見できない。どこかに残っていないだろうか。イラストは、当時の雑誌の連続写真で見た、杉岡選手の踏切の瞬間を、記憶をもとに描いたものである。雰囲気が伝わるとよいのだが。
日曜の午後など、時折テレビのゴルフを見ることがある。
男子ゴルフは力技的な感じがするけれども、女子ゴルフはそのフォームの美しさが際立っている。
スローモーションのフォームを写そう、といつも思うのだけれど、いつも忘れてしまう。
というわけで、何となく記憶と写真からちょっと描いてみる。
詳しい人から見たらいろいろあるだろうが、今のところこれくらいしか描けない。