日々描いたマンガやスケッチ、似顔絵などを貯めていく貯金箱のようなブログ。
スケッチ貯金箱
うたのイラスト(或る日突然)
今までただの友達だったのに、「或る日突然」思春期の恋に目覚める二人を歌った歌なのですが、こういうテーマは今は歌にできないでしょうね。
今なら純朴な中学生か、あるいは小学生高学年くらいの感じかもしれない。
でも当時は、それを二十歳前後の二人が歌って大ヒットした。
人々の感性がやはり少しずつ変わって来たのでしょう。
歌謡曲で好んで取り上げられたテーマが、後の世では理解できなくなる、ということは結構あるように思います。
「義理と人情」「渡世人の孤独」「ままならぬ(思うようにならぬ)世」など、今となっては実感を持ちにくくなったテーマ。
今の歌で好まれるテーマもいずれそうならない保証はありません。
それにしても、この恋愛へのいじらしい目覚めを歌った歌も、古びてしまうのでしょうか。
それともやはり今でもいい歌だ、と思う人がたくさんいるのでしょうか。そうあって欲しい、と思う気持ちもあるのですが。
うたのイラスト(「誰(たれ)か故郷を想わざる」)
作詞・西條八十(さいじょうやそ)、作曲・古賀政男の名曲。昭和15年の歌。霧島昇(きりしまのぼる)が歌った。
私の母は、この歌が好きだった。
母は、年の離れた姉が若くして亡くなったので、その幼い娘(つまりは姪っ子)を連れて小学校に通った。先生も特別に許可してくれたらしい。姪っ子(つまりは私にとっては年上の従姉)は、おとなしく教室の後ろで遊んでいたということである。
ほとんど赤ん坊に近い幼児と共に学校に通う小学生、というのは今の時代では考えられないけれども、当時は子供は親を助けるもの、というのが常識だったらしい(特に農村では)。
当時の農村ではもし子供が小学校で落第したら、「新しい教科書を買わなくて済んだ。」と親が喜ぶ、などということもあったらしい。中学校に進学するなど、裕福な家の子だけだったそうだ。私の父母は共に尋常高等小学校卒業だが、当時の人の学歴としてはありふれたものだろう。母には女中奉公のような(詳細はよく知らないのだが)経験があり、亡き父も丁稚奉公をしたことがあると言う。今では考えられないことである。
さて、その村のエリートとも言うべき中学生たちが登下校の道々、この「誰か故郷を想わざる」(誰が故郷を想わないことがあろうか=誰だって故郷を想うものだ、という意味)を歌っていたのだそうだ。そして母はこの歌が好きになった。なんていい歌だろう、と思ったという。
母は「蓄音器を持っている人」のお嫁さんになりたかった、という。私が中学生の頃レコードを掛けるステレオを買ったように記憶する。進化した蓄音器は手に入ったが、父はさほど歌の好きな人ではなかった。でも母は嬉しかっただろう。
今、病床でも母は歌番組を好んで見る。旅番組も好みである。それを見ながらどういうことを考えているのだろう。息子といえども、その心の奥まで知ることは出来ない。そんな部分は人に説明できるものではないだろう。
母は今でもこの歌を思い出すことはあるのだろうか。そんなことを考えつつこの歌を聞く。
母の肖像 3 (portrait MY MOTHER 3)
母の肖像 2 (portrait MY MOTHER 2)
以前、母の肖像を描いた時は、父が病気だった。
そして2枚目の母の肖像を描いている今は、その母が病である。
この絵は、実家の母の寝床の傍らで描いた。
古いアルバムの中で、幼い長女(私の姉)を抱いて笑っている母の姿である。
母は前向きな人だから、必ず治る気でいる。
私もそれを信じようと思う。
退院してから、家で好きなものが食べられるのが嬉しそうである。
おいしく食べられている限り、人間は大丈夫だ。
うたのイラスト(Music Book)
山下達郎のアルバム「FOR YOU」の中のナンバー。
このゆったりとした、幸福感に満ちた感じが何とも言えなく好きな曲だ。
浮かぶシーンは人さまざまだろうけれど、私は暖かな雨が降っている都会の、昼下がりのビルの谷間なんかの情景を眺めているような気持ちになる。
私などが説明するまでもない有名なナンバーでしょうが、もしお聞きになったことがなければ、是非どうぞ。