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プロ野球もがんばれ

東日本大震災の復興応援のために
サッカーがチャリティー・ゲームを行い
キング・カズがさすがのゴールとダンスを決めて
キングたる所以を見せた。
一方プロ野球は開幕問題で揉めて、
散々のていたらく、である。
高校野球は、被災者の方々を慰めているのに。
経営者やコミッショナーなどのお偉いさんは、
責任を云々されても今回はやむを得ないだろうが、
どのチームにいようが、選手まであれこれ言われるのは
ちょっと気の毒である。
地方球場だろうが、デイゲームだろうが、
早く全力プレーで、国民を元気付けてほしい。
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似顔絵(吉高由里子さん 2) (portrait YURIKO YOSHITAKA 2)

こんどはシリアスな表情の吉高さん。
まるで別人です。
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似顔絵(吉高由里子さん) (portrait YURIKO YOSHITAKA)

こんな時だからむしろ
いつもと同じように似顔絵を描こう、と思いました。
吉高さんの笑顔の明るさを。
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慈悲にすがる気持ちで

あまりの悲惨と不安と怒りで
日本中が疲弊しています。
絵など描く気になれず、何日も過ぎてしまいました。
原発事故もどうなるのか、不安が消えません。
ましてや被災地の方々の状況に関しては
言葉もありません。本当に心配です。
今、古代や中世の人々の抱いたような恐怖が
私たちの心を占めてしまっているのでしょう。
こんな時、神仏にすがりたいと思うのは、
功利的な意味でなく、自然なことと思います。
「観音様(呼び方や分類については、素人ですからご容赦下さい)を描こう」と思いました。
仏像については、無知です。
ただ、この「すがりたい気持ち」を慰めるのには
それしか考えられなかったのです。
人を救おう、などという思いあがった考えではなく、
自分自身が落ち着きたい、と思って。
本で、いろいろな観音様を見て、
「普悲観音」という観音様が、やさしい母親のように思えたので、
その図像から、私なりに描いてみました。
いろいろ間違いはあるでしょう。絵の技量も足りないでしょう。
でも、描かずにいられない気持ちだけは本物です。
観音様は、いろいろな姿で私たちの前に現れてくださるそうです。
普悲観音は、平等普遍の大慈悲心を表わした存在だといいます。
きっと私たちをその慈悲心で見守ってくださるでしょう。
そう信じて描きました。
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うたのイラスト(「愛して愛して愛しちゃったのよ」)

子供の頃、さんざん聞かされて、「もう飽きた。聞きたくない」
と思っていた、正直な話。
ところが、BSでRag Fairが戸田恵子さんと歌っているのを聞いて、
「こんないい歌だったんだ。」と認識を新たにした。
作詞・作曲、浜口庫之助。1965年の大ヒット曲。
実はこの歌、もしかすると日本語に大きな貢献をしているかもしれない。
というのは、まだこの当時、「愛している」なんて言葉は
翻訳くさい、馴染まない言葉だった記憶があるからだ。
そこをこの歌が、「愛しちゃったのよ」とすこし砕けた感じで
繰り返し人々に口ずさませたおかげで、
「愛する」という言葉を日本人が抵抗なく使えるようになったのではないかと、
私は一人勝手に思っているのだ。
たしか成瀬巳喜男の「稲妻」という映画で、
娘が母親に、「(亡くなった)お父さんの事、お母さん、愛してた?」と訊くと、
母親がてれくさそうに、「愛してるだなんて、そんなハイカラなこと。」
と言うシーンがあった。
それくらい、ハイカラだった「愛する」を、庶民の使える言葉にしたのだとしたら、
大変な貢献、ということになる。
さて、今から見ると、そういう先進的なところより、
誠に素直で愛らしいところがむしろ好ましい。
特にこの歌は、男性がリードするように歌いながら、
実は歌う女性を最大限に可愛らしく見せる工夫があり、
ある意味やはり凄い歌なのである。
浜庫(はまくら)さんて、大変な才人だったんだなあ。
イラストは、田代美代子さんの似顔絵、というわけではないが、
この歌を歌う可愛らしい女性、というイメージで。
意図的に、服だけ着色しました。
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うたのイラスト(「恋のひとこと」〔Somethin' Stupid〕)

1967年、フランク・シナトラとナンシー・シナトラの父娘が歌った曲。
愛する女性に、気の利いた愛の言葉を言おうと努力するが、
その場になると「I love you」という、馬鹿なこと(something stupid)を口にしてしまい、
全てを台無しにしてしまう男の、しかしその極度にロマンティックな思いを描いて、
逆に秀逸なラブ・ソングになっている。
メロディー・歌詞ともに素晴らしい仕上がりになっていて、
名曲と言っていいだろう。
「somethin’ stupid」と打って動画の検索をすれば、
シナトラ父娘の歌声を聴くことができる。
こういう曲は、日本人にはなかなか書けないものかもしれない。
才能あるアメリカ人の作り上げた音楽の精髄を、
素直に楽しみたい。
また、当時、父娘でデュエットということが話題になったが、
まるで父親の若い日の、恋愛失敗談を、
「しょうがないわね。でもその気持ち、一緒に歌ってあげるわ。」とでも言いたげな、
ナンシー・シナトラの歌唱も今となると微笑ましい。
このラブバラードの名品を聴きながら、この歌の相手の顔を思い描いてイラストにしてみました。
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似顔絵(原節子・「生命の冠」有村絢子) (portrait SETSUKO HARA)

伝説の女優・原節子がデビューの翌年に出演した
「生命(いのち)の冠」(内田吐夢監督)のDVDが
月刊誌「新潮45」3月号の特別付録として発売された。
雑誌を買わなければ手に入らないので、3月号は1万部増刷したそうだ。
早速見てみる。
10代の原節子は、山中貞雄監督の「河内山宗春」と
山本嘉次郎の「ハワイ・マレー沖海戦」で見たことがある。
戦後の原節子しか知らない人には想像できないほどの美女である。
戦後だって美人だったのだが、何と言うか、
10代の若々しさと美貌が、天性の気品とあいまって、
この世のものとは思えない美しさである。
ちょっと、動いている姿でないとうまく伝えられないかもしれない。
しかし、遠目にも品の良さがオーラのように立ちのぼっていて、
ああ、これは伝説の女優になったのも無理はない、と思うのだ。
今回の映画は、樺太のカニ缶詰工場の物語で、
良心的な経営者である兄弟の妹役として、ごくつつましい演技をしている。
しかし、無言の演技にすら、15歳とは信じられない深い表情を見せて、
あの小津安二郎監督がヒロインとして使いたがった理由も納得するのである。
映画自体は縮約版らしく、どうにか筋が辿れる、といった程度のもので、
内田監督の力量からいって、カットされている場面にも
相当いいものがあっただろうと、それが残念でならない。
確かこの映画のスチール写真には、このDVDには無い、
広い大地に、赤子を抱えた原節子が佇んでいる写真があったように思う。
今は見られないシーンの原節子の姿を想像して、ああその姿を描きたかったなと思う。
今回は、数少ない登場シーンから、兄が工場の整理を決意し、
しかしまた新しい一歩を踏み出そう、という力強い言葉を聴きながら、
徐々に心強い気持ちになっていくという、無言のシーンでの表情。
これで15歳である。大女優だったのだな、と感じ入る。
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