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似顔絵(多部未華子さん・「デカワンコ」花森一子) (portrait MIKAKO TABE)

何の気なしにテレビを見ていたら「デカワンコ」というドラマの再放送をやっていた。
あり得ない設定のドラマで、原作はマンガだろうと思ったら、当たりだった。
ゴスロリという格好(ゴシックロリータの略だというが、結局何のことやら。)をした女子刑事。
フリフリの姿で尾行などをしているが、誰がどう考えても不可能である。
そんなことは承知の上のドラマなので、キャラがどれくらい立つか、が勝負である。
その主人公を、「タベちゃん」こと多部未華子さんがやっている。
これが意外に合っている。意表を突かれた感じだ。
確かNHKの朝ドラもやっていたが、こんな演技が似合うとは思ってもいなかった。
役者さんというのは本当に分からない。
なんでも挑戦してみることが重要なんでしょうね。
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ラジオ講座その他

そろそろ受験のシーズンだけれど、
自分が受験したその昔を思い出すと、
予備校などというのは浪人生の行く所で、
現役の生徒は独学で受験勉強していたように思う。
少なくとも、私の居た相模原ではそうだった。
そういう独学の受験生の心強い味方が、旺文社の「大学受験ラジオ講座」だった。
(確かこういう名前だったと思う。違ったかな?)
私もお世話になった。数学なんて、これで分かるようになった記憶がある。
数学の勝浦捨造先生とか、英語のJ・B・ハリス先生とか、
本当に生徒一人一人に話しかけるような講義で、
夜中に一人でラジオを聴いている受験生は温かい気持ちになった。
こういう先生のあり方、っていうのは今は考えられないだろうなあ。

ラジオの話のついでに、同じ音に関する話で、
私の学生時代は、レコードしか無く、テープもオープンリールからカセットへの移行期だった。
レコードに針を落とす時の感触は今でも覚えている。
今から思えば決して良い音ではなかっただろうが、
レコードから出てくる音は、温かい感じがしたように思う。
音に関する環境はずいぶん変わってしまったものだ。
昔は、「チャチ」かもしれないが「温かい」音や声の時代だったなあ。
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昔話の案内キャラクターを描いてみる。

雪江さんは漱石の小説から生まれたキャラクターなので、
明治時代が背景である。
しかし明治時代のことは正直簡単に分からない。
でも自分が過ごした昭和30〜50年代のことなら、
まあ記憶で描けるだろう。
それには、その時代を紹介するというか、
その時代の話に付き合ってちょっと演技をしてくれるキャラクターがいると
具合がいいのではないか。
というようなことを考えて、「昭子(あきこ)さん」というキャラクターを考えた。
少しレトロな感じがいいかな、と思い、
当時はコンタクトレンズは装着が難しくてメガネの女の子も結構いたな、という記憶から
メガネ少女にしてみた。
さて彼女に助けてもらって昔の思い出でも書いてみましょうか。
上手くいくかどうかわかりませんが。
とりあえずご紹介まで。
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春は名のみの

寒い。
こんなに寒い冬は久しぶりの気がする。
こんな時季、「早春賦」の歌をよく思い出す。
「春は名のみの 風の寒さや」で始まる、あの歌だ。
その後に
「谷のうぐいす 歌は思えど
 時にあらずと 声も立てず」
とある。
我が家の近くにもウグイスは居て、
藪の中で、チャッ、チャッと鳴いている。
「笹鳴き」と言うらしい。
こんな寒い季節、ウグイスもまだ本格的に鳴く気にはなれないのだろう。
さて、寒い日、我らが雪江さんもお出かけである。
「吾妻(あずま)コート」というコートを着て。
これは被布(ひふ)という合羽の一種の発展したものらしく、
明治時代に和服用のコートとして流行したそうだ。
一枚絵を描くのにも、こんなことを調べたりする。
面倒だけれど、知ってみれば面白い。
襟の所は、図などではもう少し違う形だけれど
参考にした写真がこんな形に見えたので、そちらに従った。
まあ、それはいいとして。
「早春賦」の
「今日も昨日も 雪の空」という歌詞はいい歌詞だ。
もっとも私の住んでいる所は、あまり雪がふらないのだが。
さて、あとどれだけ寒い日が続くのだろう。
花粉症も待っている。
そんなものの無かった明治時代が、ちょっと羨ましい。
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似顔絵(高峰秀子・「名もなく貧しく美しく」 秋子) (portrait HIDEKO TAKAMINE)

名残は尽きなくとも
もう高峰さんに別れを告げなくてはならないのだろう。
最後に(と言っても、これからも似顔絵は描くだろうが)、
やはり初めて高峰さんの演技に打たれた「名もなく貧しく美しく」から一枚描こう。
この映画は耳の不自由な夫婦の話で、
夫婦間の会話は全て手話(妻だけは声を出すことができるが)。
その結婚から子育てのさまざまな困難を描いている。
DVDが出ているので、詳しくは見ていただきたいが、
手話をしながら、気持ちが顔に溢れ出る、その演技が素晴らしい。
この映画で、人間の表情の美しさに目覚めた、と言ってもいいくらいだ。
描いたのは、映画のラスト近く、
両親を疎んじて逆らっていた息子が、成長して両親の有り難さを知る。
その卒業式で、「仰げば尊し」が流れる中、
校庭に面した窓の外から、いとおしそうに、息子を眺める
高峰さんの「母親のまなざし」である。
高峰さんは私の両親とほぼ同世代だから、
こんなシーンを見ると、母とダブる部分があり、
私には特別な感慨があるのだ。

もう、高峰さんはいないけれども、
教えてもらった「人間の美しさ」は忘れずにいようと思う。
高峰さん、本当に有難うございました。
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似顔絵(高峰秀子さん・「秀子の応援団長」 秀子) (portrait HIDEKO TAKAMINE)

昭和15年製作、というから高峰秀子さんも15歳。
まさに明朗なアイドル映画である。
プロ野球アトラス軍の監督を叔父に持つ女学生・秀子(役名も)が、
主戦投手を戦争に取られて苦戦する球団を、
応援歌を作って応援する、という映画。
なんだかプロ野球というより、町のチームでも応援するかのようなのどかな設定。
そのアトラス軍で孤軍奮闘する先発ピッチャー・人丸を
後の大歌手、ハワイ出身の灰田勝彦が演じている。
全体に他愛ない、といえばその通りだが、ほほえましい映画である。
特に時折見せる高峰さんのコメディエンヌ的演技が見もの。
灰田勝彦が練習後の球場で夕空を見上げながら歌う「燦(きら)めく星座」がなかなか良い。
後年の歌唱と違って、あっさりした中にうまさがある。

男純情の 愛の星の色
冴えて夜空に唯一つ あふれる想い
春を呼んでは夢見ては うれしく輝くよ
思い込んだら命がけ 男の心
燃える希望だ憧れだ 燦めく金の星

さてアトラス軍は、最後に巨人軍と優勝をかけた一戦を行うのだが、
応援団長の秀子は、親に外出を厳禁されてしまって見に行けない。
ラジオで中継を聴きながらやきもきしているのだが、
いよいよアトラス軍のピンチ、マウンド上の人丸投手が懸命に投げる中、
秀子の作った応援歌が、球場に流れ出す。
それをイラストに描いたような表情で聴き入る秀子。
この場面のカメラアイが素晴らしい。モノクロ映画ならではである。
ついに決然と家を飛び出して行く秀子。
試合終了までに球場に辿りつけるか・・・

この映画はVHSにしかなっておらず、DVDにして欲しいと思う。
VHSで出ている古い映画の多くがDVDでは見放されている。
コンテンツだなんだと言う癖に、映像の保存に全く無頓着なのが、この国と企業の常である。
VHSデッキがなくなったら、こういう映像も見られなくなる。
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似顔絵(高峰秀子さん・「綴方教室」豊田正子)(portrait HIDEKO TAKAMINE)

昭和13年の山本嘉次郎監督「綴方教室(つづりかたきょうしつ)」で、
高峰さんは13歳とは思えない出色の演技で、
いわゆる子役からの脱皮を果たした、と言われている。
いまその映画を見ると、随所にその天分のきらめきを感じる。
例えば、こんなシーンだ。
ブリキ屋一家の娘・小学6年の正子は、貧しい中でも明るく暮らしている。
しかし、先の見えない貧窮の中、ある朝食事中に、近所で芸者になった娘の噂話をしていた母が、
あんな生活もいいかもしれない、きれいな着物を着てなあ、と、
正子の方を笑って見て言う。
その瞬間、穏やかにご飯を食べていた正子の顔が、
ふっと不安に曇るのだ。
その無言の表情の移り変わりを、高峰さんは見事に演じた。
無言で、その心理を痛いほど感じさせる名演である。
この年齢の演者によく用いられる、清新な瑞々しい演技、などという型にはまったものではない。
堂々たる大人の演技である。
高峰さんは、只者ではなかったのである。
(ビデオからの模写なので、ラフにしか写せないのが残念だ。)
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似顔絵(高峰秀子さん・「浮雲」 幸田ゆき子) (portrait HIDEKO TAKAMINE)

成瀬巳喜男の傑作「浮雲」で、
戦時中、仏印で知り合い関係を持った男と、終戦直後の荒んだ日本で
離れるに離れられない不倫関係を続けながら、どこまでも堕ちて行く女を
最後には神々しい輝きすら感じさせる演技で、高峰さんは演じ切った。
森雅之が言い放つ、自虐に満ちた皮肉が、
見ている自分も言ってみたい衝動に駆られるような秀逸なもので、
それを鋭く切り裂くような高峰さんの台詞と、
それでいながら男に惹かれて行く、矛盾した心情を
小利口な解釈などせず、そのまま鮮烈に我々に示してくれた。
この少々くたびれたカップルの行く末を、
地の果てまで見放さずに見つめ続ける作者の冷めた視線が、
成熟した映画を生みだしたのだった。
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似顔絵 (高峰秀子さん・「阿片戦争」麗蘭) (portrait HIDEKO TAKAMINE)

戦時中の映画「阿片戦争」で、
中国の美人姉妹の盲目の妹・麗蘭(れいらん)役を演じた時の高峰さん。
「風は海から」という歌を酒場で歌うシーン。

風は海から 吹いてくる
沖のジャンクの 帆を吹く風よ
情けあるなら 教えておくれ
私の姉さん どこで待つ

映画は戦時中のものだから、今から見ると微妙である。
英国人役を日本人が演じたりしている。
しかし姉の愛蘭(原節子)と、妹の麗蘭が歌を歌う(別々の)シーンは出色だった。
YouTubeでも「風は海から」は見ることができる。
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高峰秀子さんが逝ってしまった。(似顔絵・高峰秀子さん) (portrait HIDEKO TAKAMINE)

高峰秀子さんが逝ってしまった。
私の尊敬する女優の逝去に
言葉がみつからない。
私は戦後生まれだから、高峰さんの最盛期を
リアルタイムで経験したわけではない。
しかし、大学生の時にリバイバル上映で見た
「名もなく貧しく美しく」にすさまじい衝撃を受けて、
そののち週刊朝日に連載された「わたしの渡世日記」を毎週貪るように読み、
すっかり高峰さんのファンになった。
というより、人間の持つ表情の美しさ、というものが
私の脳裏に深く刻印されて、物の見方が一変したのだ。
高峰さんは、私の心の恩人である。
彼女の演技は、性別などというものを超越して、
見る者の心に訴えかけてくるもので、
こんな演技をする人は後にも先にも、
国内国外を問わず、
彼女以外に知らない。
「二十四の瞳」の大石先生役。
教え子の松枝が貧しさゆえに一家離散となり、
四国の金毘羅様の近くのうどん屋で働いているところを、
修学旅行の引率に来た大石先生が偶然発見する。
大阪に奉公に言ったと聞いていたのに、こんなところで働いていたとは。
わが身のみじめさに、うつむくばかりの松枝に向かって
先生は、先のイラストに描いたような表情で見つめたあと「さよなら。」と言うのだ。
こんな慈愛に満ちたまなざしを、他の誰ができるのだろう。
他にも忘れられない演技をたくさん見せてくれた。

私はこれからも高峰さんの似顔絵を描き続けたいと思う。
私の絵の原点だし、
彼女の映画を見、
その演技を描き写すことによって、精神的に何度も救われたのだから。
高峰さん、本当にありがとうございました。
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