人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
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意識の向かうところ

2022-04-02 10:08:59 | 意識、照明
スブドに伝わるラティハンという修練と、金井先生が提唱されている元波動瞑想(金井メソッド)には、形なき命の受容という共通した原理がありますが、その初めの姿勢においては明確な違いがあります。
前者は、通常立ったままの姿勢で行われるのに対し、後者はやはり瞑想なのであり、足の組み方とか決まった形は無いものの、無理の無い姿勢で座って行うのが普通です。
このことに関し私見では、もし形なき命を受けることを主眼にするのであれば、形は全く自由で構わないのではないかと思います。思いを超えたものが主導で行われるのだから...
ただ、両方を経験した私の感想を言えば、前者は思考マインドから離れるのに即効性があり、その修練の大きな特徴である自動的な身体運動が誘起されやすいということ、一方の瞑想では、意識が内面に向けられ、深く入ってゆきやすいということが言えます。
これはどちらが精神のバランスが崩れるなどの危機的状態に陥りにくいか、ということを考慮した場合、はっきり後者の方ということは言えるでしょう。即効性はあまり無いけど安全なのです。
私がスブドをやめたもう一つの理由はここにあったのです。
加えて、意識がどこかに飛んで行きそうになってしまった際、どう対処したらいいのか?
これには、自分の思い、意志的な力を持ってしては限界があると言わざるを得ません。
だが、そのより深いところの意識の在り方、その動きにゆだねることは可能なのです。
意識が自ずとある中心へと収斂されてゆく動きがある!
自然界においても、どこかにバランスが乱れ、崩れた現象が起これば、常にニュートラルな点に戻る作用があるように...
これは、意志的な努力といったものでなく、自然な動きであるのは言うまでもありませんが、どうして意識がそのある点に集まるのかと言うと...そこに愛、平安があるからでしょう。自ずとそこに落ち着くものがあるのです。
こういうことを金井先生から直接教示を受けたという記憶はあまり無いですが、そういう風なことは随所で述べられていました。「瞑想をし続けていたらいいんです!」という話の関連で。
私は現臨感覚というものを身に覚えた40年くらい前から、あまり意識的では無かったですが、なんとなく感じるようになったのです。
いや、そのそもそもの発端は、正にその精神的危機に見舞われ、そこから脱することが出来たことにあったのでした。
先生が示唆しているように、その意識の動きは、真我に向けられているのかどうかは...分かりません。
あんまり自分の思いに絡められないように、それを超えたものにゆだねることが肝心でしょう。
しかし、まあ年々そうした“惹きつけられる力“が強くなってきているのは、ヒシヒシと感じています。
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