人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

在らしめられるままに受け入れる

2023-12-06 09:06:50 | 意識、照明
私が書いていることは、これまでそうと知らずに感じていたことというのが多いのです。
神的なものの臨在というものは、全心身がジンジンしてくる感じがあってすぐ分かります。
ところが、それ自体到底一言で言えないことなので(何しろ全心身的なことなのですから!)、別の感じ方があるということに気が付かないようなのです。
その一つが私が“照明“と呼んでいる、“思いを超えて、私のすべてが照らし出されている感じ“です。
精神的な道では、ありのままの自分を受け入れることが如何に重要なことか、ということは何度も言ってきました。そこからしか何も始まらないと言っても過言ではないのです。
おやっ?、そういうことは昨日書いたばかりではなかったかしら?
そう、だからそれは、祈り、瞑想の元となるものと一つのものなのです!
しかしですねえ、これって言うのは、もう祈りも瞑想も超えちゃってるようなことなんですよ!
とにかく、受けるだけなんですから!...照らされるままに、在らしめられるままに...
これは、受けなければ、ありのままを受け入れなければならない、と言っているんじゃないですよ。それは、思い、為そうとする人間が“やっていること“なんです。
ありのままの自分を見なければならない、とか観察しなければならないとか...
私にはそんなん、でけまへん!...在らしめるものを受け入れるだけ!...って、もう、受け入れられちゃっているんです!、私のすべてを!
それは、自分の正しき、善なるもの、光っているところだけを受け入れるのではありません!
それは、そう思いたい自分が“思って、やっていること“なんです。
“真我は善なるもの、完全なるもの、それにもとっているものは、自我だ、偽我だ“、なんて、何で思っているだけの自分にそんなことが分かるのか?
照らされるまま、在らしめられることに真も偽も無いのです!...それを言うのなら、その光に照らされないものは、すべて偽り、幻想だと言うことでしょう!
その光に覆いをかけ、ありのままを見えなくしているものは何ものだ?!
そして、照らされるまま、在らしめられるままのことは、すべて善なるものに決まっているではないか?!
何故ならば、そこに愛、安らぎがあるから!
だから...これはもう、思いを超えたものを受け入れること...それに尽きるのです!
我ながら、こういうことをいつも書かしめられている自分が幸福に感じてなりません!
これでいいのか?...“いいに決まってるだろ!“(←誰?)
今はすべてを照らし、映し出す光がますます強くなって来ている、そういう時なのでしょう!...

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