goo blog サービス終了のお知らせ 

人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

それでも太陽は東から上る?

2025-03-24 04:50:29 | 哲学・思想
先月初め、ここで「ホントの真理?」という記事で、“地動説という科学的真理は知ってるけど、私は地球が太陽の周りを回っていると感じたことは一度も無い!“、というようなことを書いたのでした。
そこで、そういう真理を知ることと、実際に感じていることは別のことだ、ということを言ったのです。
“万有引力の法則“でも、ガラスのコップが落ちて割れてしまったことを、いちいち引力でそうなったと思う人は普通は居ないでしょう?
それを、“それは錯覚なんですよ!、真実はね...“、な~んて“科学万能の法則“みたいなことをしたり顔で言われても、現実にそう感じちゃってんだからしょうがないですよ。それを無視してそれだけで通してしまうことは、別の観(感)点で錯覚というか、顚倒した在り方と言わねばならないでしょう。
頭では誰しもそういう真理のことは分かっているのですよ。それを否定するということではありません。
それを疑う人はあまり居ないでしょうけど、頭で分かって、頭で疑うことは出来ます。要するにそのように考えられていることなのです。
考えられていることは、ヘンな人なら否定したり、ネジ曲げることは出来ますが、現実に感じていることは誤魔化しようがありません。(だからこっちが真実だ、ということには勿論ならないですが...)
“現実に感じていることは誤魔化しようが無い!“...これは思考を超えた次元では絶対的なことと言ってもいいでしょう。といっても“絶対的真理“ということでは無いですが...その性質上、頭で知る真理というものは、直感的感性の前には後退せざるを得なくなるのです。
定理なんてものは、感じないので感じ方は人それぞれでしょうが、自己と自己以外の事物、世界との関係として、それは分離したもののように感じない、ということがあります。
私なんかは、世界は自分の周りを回っているように感じたりもするのです。
おそらくは、“ああ、今日も太陽は東から上る“、という感覚は、どっかでこの感覚が反映されているのかも分かりません。
自分が世界の中心なんだ、いや私が世界、宇宙なんだ!...自己中心!、悪いか?
私が“ここに在るから世界は在る、私が無ければ世界など無い!“、とは私が初めて人生の裏側に入り込んだ時、感じたことなのでした。
といっても、それは言うまでもなく、考えている“私だけ“という意味ではありませんよ。本当に、現実にそう感じられますか?
現実に、この生の真っ只中に感じられることは、そのここに在る私は、霊なる太陽みたいなところからのすべてを照らす光によって在らしめられている、それと切り離されては居ないということなのです。これは疑いようがありません。(その太陽のようなものは、東から上って西に沈むようには一度も感じたことは無いですよ。見えないし!)
このリアルな現実無しには、世界はリアルなものには映らないのです。
これが考えている私だけでない、裏側を含めたすべての私の真理なのです。というか、真理というものは感性と離れては無いのです。
そう感じちゃうんだからしょうがない!...

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私の本心、神に聞くとは? | トップ | それだけを求めて »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

哲学・思想」カテゴリの最新記事