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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

その気はありますか?

2025-07-13 06:01:04 | 求道、探究
宗教、霊性の道の目指すものは、何でしょうか?
悟り?...正直、私はそういうことに意識が向けられていたこともありましたが、どうしても今の私は、“神と一つになること“という方に意識が行ってしまうのです。
神に意識を向ける...向けられてしまう、といつも言っているくらいなのだから、それは自然にそうなる訳なのです。
いつも言うように、悟り、覚醒ということがあったとしても、私にはそのことを抜きにしてはあり得ない、起こり得ないと感じてならないのです。
思考、分別智から離れるとか、こちらからそうしようとするのでなく、離れさせられてしまう...神に向かうのでなく、向けられてしまう!...自然に!
そこに、親鸞さんが“弥陀の本願“というもので言い表した、神の絶対恩寵というものを感じずにおれません。
それは、“惹きつけてやまないものがある“ことで示されるものなのです。自然にそうなるということは、何らの努力というものを感じさせないことです。
そういうものに対して、“あなたはもっと神に意識を向けかければなりません!“、などと説いたりするのはおかしいことです。その人に自ずとその気が起こっていないのであれば!...
意識を向ける、意識的になるとは、その気があることと言ってもいいでしょう。これは“やる気“ということとは違いますよ。自分がやろうとすることじゃない!
微妙なことながら、その気をより明らかにするために、“あなたはもっとそのことを意識しなければならない!“、というようなことは言ってあげてもいいでしょう。
しかし、何とこの界隈には、その気も無いのに、まっ中心に神、本心に意識が向けられることなく、どうでもいいようなオカルト的な現実に浮いた、真偽の分からない空想ごとに囚われる者が多いことか!...
例えば、“人々(これは自分のことですよ。自分のことは棚に上げているのです)が、中々悟りや覚醒に導かれないのは、サタン、闇の勢力、太古の昔から暗躍するフリーメーソン(通常理解されている、〈近代〉フリーメーソンの通史のことは全く知らないし、知ろうともしないで、そういう他人の説を信じ込んでいる)の所為だ“、などとずっと妄想し続けている御仁が居ます。
そんなのは、自分にその気が無いからに決まっているじゃありませんか?
その気が無いから他人の言葉に容易く依存し、支配されてしまうのでしょう?
自分の中にそういう闇の力が暗躍しているんじゃありませんか?...こういう人は、それを自分のこととして、認めることが出来ないようです。
自分の中にそういうものがあることを受け入れられる人は、自分の中に神が息づいている、神が在ることも受け入れられるハズです。自然に...
しかし、外向きにはともかく、内向きには、そういう実存的な神を受け入れることに恐怖を感じているのでしょう。そのために、それを遠ざけんがために、陰謀論とかどうでもいい空想ごとに囚われ続けているのでしょう。
要するに、これがその気が無いということなのです。しかし、ある恐ろしそうな気はどっかで感じているらしい...だから恐れている!
だから本当は、その気の出所の無い人というのは居ないはず...諸々の思いに囚われ、それを覆い隠しているだけなのでしょう。思いの世界で、内なる神から遊離しているのです。
その気というのは、考えている私からは出て来ません。本心に尋ねてみる...自分の中の神に聞かなければ...
しかし、その気が無いんならどうしようもないですよ!
最後の審判みたいなことを待つしかないのかもしれない?
それを裁きと取るか、救いと取るかはあなた次第でしょう?
あなたにはその気がありますか?...人生はその気で決まる!
これは、本当にあなたや私の一大問題と言わずして何であろう!...


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