人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

原体験と原態

2024-04-24 09:27:11 | 現臨、ハタラキ
私が精神的苦悩を抱えている時、“思い方を変えなきゃ!“、とか、そう、あれです...“神に意識を向けるんだ!、んんんっ!...“な~んて意志想念の力でどうこうしなくたって(意識的になることはそういうことではありません!)、自然に現臨にある状態になって、そういう思いから離れるようになります。
私は元々そんな感じなんですよ...って、そんな訳無いでしょ!
かつての私はそういう重く、絡みつくような思いに苛まれると、為す術無くズルズルとその思いに引きずられてしまうしかなかったのです。
だから、自分を律したり、思いを克服しようとする意志的な力の無力さは、イヤというほど知らされていたのです。
それがかつての私で今は?...何も変わっていませんよ!...
ただ、違うのは、“あれっ、という間にああなる“ことです。これはね、私の長年の修行の成果なのですよ!...そんな訳無い!
そんな修行などしたことも無いし、自分のやった何かを誇示するものなんか何もありません。(一つ言えることは、私のその自分の無力さを知っているという弱みが、自分を超えたものにすぐ意識が向けられるという強みになっていることでしょうか?)
ただ、私はずっと、神的なものと共にあることで、諸々の思いから離れられ、安らぎを覚え、幸福に与れるということは知っていたのです。
これは、つまりそういうものあってのことであるのは言うまでもないですが、そのハタラキが顕著になって来たということなのでしょう?
で、その神的なものと共にあることで幸福に与れることは、いつから知っていたのか?...これは、神の手にかかったりして、眠っていた意識が覚醒したりした原体験というものがある訳で...いや、その前からああいう現臨感覚というものはあった訳で...何でそういうものに導かれたかと言えば、そう、そういうものと共にあることは、幸福なんだ、ということを知らされていた訳で...え、何でそういう体験が無いうちから知っていたんだろ?...
そうです。私は最初から知らされていたのです。だからいつから?...だからだから最初から!
そうでなきゃ、最初から精神的な道など求めちゃいません!
こうして、意識とか難しいこと言わんでも神のことを思うでしょ!...それだけで幸福になるでしょ?
私はここに、神と共にあることが人間存在の原態であることを感じずにおれません。
原体験というものは、この原初的なものから来ているのでしょう?
もし、あなたが精神的な道、霊性の道を求めているのでしたら、どうかこのことに意識的になってみて下さい。
原初の記憶というものは誰しもが持っているでしょう。
あの私の数十年前の原体験にしても、それは単なる記憶で無しに、現在にその原態のことが鮮明に蘇ったということでもあったのです。
それは、一時の体験で終わるものではありません。原態的なことは本来からということです。
これから探し求めるのでなくて、いつでもここにあるもの、帰ることが出来るものなのです。
今は、その原初のものの方が顕わになって、我々にハタラキかけて来たのをヒシヒシと身に覚えています。...

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