人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

導師と秘儀伝授

2024-02-08 09:30:14 | ガイダンス
仏教や道教など東洋の宗教的な道では、導師の存在が重要なものとされています。
あたかも導師無くして悟り、道の体得は不可能とされるが如くです。
取り分け、禅仏教にみる師子相伝による法の伝授はよく知られていますが、チベット仏教には“ゾクチェン“と呼ばれる、インドの非二元の道に通ずるような、余計な階程を通さずに直接経験に導く道が知られています。
ここでも導師の存在は不可欠で、そこから弟子にその経験に開かれる、秘儀?が伝授されるのです。
それは“リクパ“と呼ばれ、それに与ると純粋意識が開かれると言います。
純粋意識が開かれることは、思いを超えるということであり、神的な現臨感が深まることで開かれるものと同じと言っていいでしょう。
しかしながら、もしその導師が“自分自らがこの秘儀を授けよう!“、などという思いに囚われているとしたら、それは間違いなくエセ導師ですよ!
このことは、チベット仏教の教えをかなり取り入れていた、あのオウム真理教を思い起こすまでもないでしょう!
その導師は、空性とか無化のプロセスを通っておらず、自我意識を超えておらず、むしろ肥大化しているということなのです。
これを思うと、本当の師とは弟子によって見極められてこそのものであり、この意味で“相伝“のものと感じざるを得ません。子弟の関係は、支配し、盲従する道にはないということでしょう。
しかしそれは、そういう特定の導師とは縁が無かった(実際に弟子入りした訳ではないが、大調和協会の「命位様」との交流で、しばしば思いを超えたものに導かれたことはあります)私には関係ないことなの...でもありません!
私にはもう最初から“見えない導師“の存在が意識されていたのです!
ハッキリ覚えています。そこからリクパだか分からないが、あるものを伝授されたのです。そう純粋意識が開かれたのです。
見える人間導師という存在は、例外なく空性、無化の道を通っているはずなのです。そうでなければ私は信用出来ません!
ということは、見える導師と相まみえることは、いつもそこに見えない導師が見据えられているということになるでしょう。
この点、仏教でも浄土系のそれやキリスト教などでは、導師の役目は、本当の見えない導師を指し示し、その執りなしをするという、プリーチャーの性格が強いということが言えるでしょう。
というより、実質修行の道も帰依の道も変わりはない...いや、元より師も弟子も変わりはないのでしょう。
人間は、皆見えない、超越者あって在らしめられているということでしょう!

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