何度か書いているように、昭和54年の春、私に初めて神的なものの現臨感覚が芽生えたのでした。
その端緒のことは、割とハッキリ覚えていて、当時銀座にあった中国の宗教結社「道院」で伝えている「先天の坐法」という簡単な瞑想法を実修し始めたことがきっかけなのでした。
(余談になりますが、現在では正式な修方(道院の会員のこと)でなければ実修は許されないという規定があるらしいのですが、私は未修の身でありながらも、誰にもとがめられることなく取り組んでいたのです。私と同じ頃入ってきた数人の未修の人たちも同様でしたよ。
確かもっと昔は、百日間毎日欠かすことなく実修しなければ正式な修方になれないという厳しい規定があったはずで、私の時はそういう決まりはありませんでしたが、私はその話を聞いて真面目に取り組んでいた次第で、これでは現在の規定と矛盾するのではないかと思われます)
その前年の暮れ、突如天来の霊の一撃(?)を受けて以来、ボーッと思考が後退し、意識が遠のく感じがするなど精神的に不安定な状態が続いていたのですが、これによりかなりその安定化に功を奏したと言えるのです。
具体的に言えば、その意識が無秩序に馳せてゆく感じでなく、ある中心に集まるようになったことです。(これは何度も言っているように、意志想念で意識を集中しようとするのでなく、自ずとそうなるということです)
これは、私に初めて思考とは違う、意識的な状態というものがあることが自覚された端緒でもあるのです。
先天の坐というのは、ただ無理の無い姿勢で椅子などに座り、両手を自然に膝の上に置くだけという実に簡単なものなのですが、その形だけやればそうなるとは限らないと思いますよ。
想像ですが、これには道院にお参りして、そこに立ち込めている(これは当時、その会堂に入っただけで感じられたものでしたが、後年には感じられなくなったのです)ある種の“気“に触れたことにも依るのではないかと思われます。
道院では(というか古来、中国道教のある方面でも説かれていることですが)、後天の気と先天の“き“とかあると言います。おそらくは、先天のそれは人為的な意志想念などに関わらない、無為的な自然な在り様のものを言っているのでしょう?
とにかく私は、その“気“か“き“のようなものに触れることにより、何か本来から備わっていた内的感覚が目覚まされたようなのでした。
その具体的な感覚は、その実修中膝においていた手の辺りに決まって感じる、ある暖かみにありました。
この感覚は手から伝わる!、というのはあくまで私の場合ですが、ここから段々上半身の方にかけて広がってゆくのです。
これが又、しばらくするとその坐から離れた時にも感じられるようになり、やがてそれは耳下腺の辺りに集まって何か膨張するように感じられ、同時にある高揚感も覚えられるようになったのです。ハッキリ神的なものの臨在を感じ始めたのはその時からだと思います。
ちょうど今の時期、公園で満開の桜の下、小池辰雄先生の著作や、日月神示、その後続とも伝えられる要の神示などの書き物を得にも言われない高揚感のうちに読んだことを今でもアリアリと思い出します。そういうものに触れると顕著に、自分を超え出てしまうようにも意識が高まるのです。
小池先生はよく無的実存とか霊的実存とか言っておりましたが、それは実存感覚に目覚めた端緒と言ってもいいでしょう。
といっても、実存の何たるかなど分かった試しなど無いのですが...自分を超えせしめるものの臨在にあって、“私はここに在る“という感じは、この頃初めて覚えたのは確かなことです。(先の不安定な状態はすっかりナリを潜めたのは言うまでもありません)
で、坐の方はというと、その時には“百日行“も終えて遠ざかっていたのでした。ずっと続けていたらどのように導かれていたか分かりません。というか、私はその時には、私の主なる見えない導きに自然に従うよりない感じになっていたのですが...こうした“有形、無形の縁“によってこのように開かれたこと、ただ感謝しかありません。
その端緒のことは、割とハッキリ覚えていて、当時銀座にあった中国の宗教結社「道院」で伝えている「先天の坐法」という簡単な瞑想法を実修し始めたことがきっかけなのでした。
(余談になりますが、現在では正式な修方(道院の会員のこと)でなければ実修は許されないという規定があるらしいのですが、私は未修の身でありながらも、誰にもとがめられることなく取り組んでいたのです。私と同じ頃入ってきた数人の未修の人たちも同様でしたよ。
確かもっと昔は、百日間毎日欠かすことなく実修しなければ正式な修方になれないという厳しい規定があったはずで、私の時はそういう決まりはありませんでしたが、私はその話を聞いて真面目に取り組んでいた次第で、これでは現在の規定と矛盾するのではないかと思われます)
その前年の暮れ、突如天来の霊の一撃(?)を受けて以来、ボーッと思考が後退し、意識が遠のく感じがするなど精神的に不安定な状態が続いていたのですが、これによりかなりその安定化に功を奏したと言えるのです。
具体的に言えば、その意識が無秩序に馳せてゆく感じでなく、ある中心に集まるようになったことです。(これは何度も言っているように、意志想念で意識を集中しようとするのでなく、自ずとそうなるということです)
これは、私に初めて思考とは違う、意識的な状態というものがあることが自覚された端緒でもあるのです。
先天の坐というのは、ただ無理の無い姿勢で椅子などに座り、両手を自然に膝の上に置くだけという実に簡単なものなのですが、その形だけやればそうなるとは限らないと思いますよ。
想像ですが、これには道院にお参りして、そこに立ち込めている(これは当時、その会堂に入っただけで感じられたものでしたが、後年には感じられなくなったのです)ある種の“気“に触れたことにも依るのではないかと思われます。
道院では(というか古来、中国道教のある方面でも説かれていることですが)、後天の気と先天の“き“とかあると言います。おそらくは、先天のそれは人為的な意志想念などに関わらない、無為的な自然な在り様のものを言っているのでしょう?
とにかく私は、その“気“か“き“のようなものに触れることにより、何か本来から備わっていた内的感覚が目覚まされたようなのでした。
その具体的な感覚は、その実修中膝においていた手の辺りに決まって感じる、ある暖かみにありました。
この感覚は手から伝わる!、というのはあくまで私の場合ですが、ここから段々上半身の方にかけて広がってゆくのです。
これが又、しばらくするとその坐から離れた時にも感じられるようになり、やがてそれは耳下腺の辺りに集まって何か膨張するように感じられ、同時にある高揚感も覚えられるようになったのです。ハッキリ神的なものの臨在を感じ始めたのはその時からだと思います。
ちょうど今の時期、公園で満開の桜の下、小池辰雄先生の著作や、日月神示、その後続とも伝えられる要の神示などの書き物を得にも言われない高揚感のうちに読んだことを今でもアリアリと思い出します。そういうものに触れると顕著に、自分を超え出てしまうようにも意識が高まるのです。
小池先生はよく無的実存とか霊的実存とか言っておりましたが、それは実存感覚に目覚めた端緒と言ってもいいでしょう。
といっても、実存の何たるかなど分かった試しなど無いのですが...自分を超えせしめるものの臨在にあって、“私はここに在る“という感じは、この頃初めて覚えたのは確かなことです。(先の不安定な状態はすっかりナリを潜めたのは言うまでもありません)
で、坐の方はというと、その時には“百日行“も終えて遠ざかっていたのでした。ずっと続けていたらどのように導かれていたか分かりません。というか、私はその時には、私の主なる見えない導きに自然に従うよりない感じになっていたのですが...こうした“有形、無形の縁“によってこのように開かれたこと、ただ感謝しかありません。
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