人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

こんな時だからこそ

2020-03-01 10:04:09 | 雑感
あなたの周りでよくこんな人を見かけませんか?
落ち着きが無く、目が虚ろで焦点が定まっておらず...その話も同様にとりとめがなく、アチコチ飛び回っていて、だらだらと何が言いたいのか分からない..."よし、じゃあ失礼するよ"と言っておきながら、どっかへ長電話していたり、"あっ、そうそう、ところで..."なんて、話を思い出して結局いつまでたっても失礼が終わらないような人(私はもう、イラーッとして"さっさと行けーっ!"と言いたいのですi  私だったら"帰る"と言ったら五分以内に帰るぞi  可愛いネエちゃんに呼び止められたら別だが...)...じっつに疲れますよねえ。
これは、私がちょいちょい言っている意識的になっていない状態の典型的な例です。
何でこういうある種の精神分裂のようなことになるかと言うと、自分にとって何が大切なのか、何が好きで、愛していて、何がしたいか、どうありたいか、ということが分からないからでしょう。
好きでしているようなことで混同され勝ちなことは、例えば"タバコや酒がやめられない"というのがありますが、これは先の状態などから引き起こされる、ストレスから逃れるための習慣、嗜好のことで、本当に心から好きなものというものじゃないでしょう。
心から好き、愛しているのなら、もっともそういうものであるほど、そもそも意識をどっかに向けるとか、ましてどっかに集中しようなんてことは必要ありません。
自ずと向けられ、集中してくるのです。
こういう人と話しているとこっちが生き生きとして来ます。先のツカレる人とは真逆です。
これはエネルギーをもらうか、奪われるかの違いを如実に物語っていると言えます。
そしてそれは、幸福であるか不幸であるかの違いでもあります。
だけどねえ...いくら幸福なことだからと言って、ちっとも役には立たず、利益にもならないかもしれませんよi...
って、ここが肝心なんですi(ドンと机を叩くi)...ここで世の中という神~それはサタンの別名かもしれない~の声になびくか、自分のハートの声に従うかで本当に愛、平安に導かれるか、どうかに別れてしまうのですi
こう言って私は、浮わついた単純な"幸福追求主義"のことを言っているつもりもありません。
だって、今の世の中にわかにヤバくなってるみたいで、役には立たないが、何かの"疫"がもたげてきてるみたいだし...
いや、こんな時だからこそ、こう言いたい気持ちに駆られるのでしょう。
人生には色々つらいこと、苦しいことは望まずともやってくるものです。
だけど、苦行者みたいに自ら進んで苦しみを背負うというのは、どこかMっぽく、へんたいじみたところがあります。
しかし、そういう人の中には、そういうことを通して、一時のへんたい的快感でなく、心から幸福に与っている人も居るかもしれません。
幸福に与ることには、おかれた境遇とは直接関係が無く、人にはネガティブに写るようなことの中にもあるものです。
ラマナ.マハルシが言うように、幸福であることは我々の自然な状態なのでしょう。そしてそこに知らず知らずにあるエネルギーがもたらされる...
浮わついた思いでなく、今だからこそ、そのことに向き合えるのではないでしょうか?
コメント
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