人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

待つこと

2015-04-01 19:09:44 | 祈りと瞑想
私は毎日きちっとやっている訳では無いのですが、瞑想とも祈りともつかないようなことをしております。
というか、勝手に起きてしまう事もしばしばあります。
今朝などこれから出勤と言う時にそれが起きてしまい、切り替えるのに苦労しました…
方法? テクニック? 別にありません!
むしろ、何にも付け加えないことを意識しています。
何も無し!
実は何も無いのではありません。
コーヒーなり、ジュースなり上手い飲み物はコップの中に何も無いので、満たされるのです。
そのようにジンジンと波動?内流?が立ち上がってくるのです。
それが全心身におよび始めたら、能動的に瞑想するとか、祈りをするといったことから離れてしまいます。
イメージを使うとか、呼吸法といった方法というものも自然と身に付かなくなってしまいました。
もうそれに任せてしまうだけです…。
それが立ち上がってくるまでは…ただ待つということだけです。
それが無ければ何にも始まってきません!
お客さんが来なければ、何時まで経ってもその席は開かないのです。
実際は待たなくとも、ずっと居るんですけども…
何時頃からやり始めたのか…よく覚えていません。
見えざる導師が臨在してくる感じになって自然と始まったのです。
取っ掛かりが無い為か人に伝えるのが難しいです。
最初にあることを確認したりします。
その人の心持ちといったものを…
ドクター・ザボーという架空のマスター(彼は見えざる導師の応身のようです)はこう言います。
「一番肝心なのは他でも無い。君の心の底に大本の君に繋がろう、という意志があるかどうかということだ。それが無かったら縁なき衆生だと思え!」
実は縁なき衆生と言うのは「一人も居ないのだ」とも言っているのですが、「肝心なそれを蔑ろにして様々な方法などに走るのは本末転倒も甚だしい…」
と強調しています。
アジス・クリストフも「本当に求めている者は極く僅かしか居ない」と言っています。
諸々のことに顕在意識が捉われていて、立ちあがってくるものにフタをしているのです。
ここには特別な秘伝などというものは有りません。
腹が減ったら飯を食う…
ホントはちっとも満たされてないのに、満足そうなフリして自分にウソついてたら…
お客さんは待ってくれないで、帰ってしまいますよ!
























コメント
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