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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

内向きの心

2023-06-08 09:33:29 | 覚醒
例えば、悟りの境地を求めて禅寺に行って、和尚さんに、”悟りを開くには前世からのカルマを浄めなければならないのですよね?”、とか”輪廻転生から解脱するためにも悟らなければならないのです”、”もうすぐ、最後の審判のようなことが起こるので悟らなければならないのです”、というようなことを言ったとしましょう。
多分、”ここはあなたのような人間が来るところじゃない、お引き取り下さい!”、と言われるのがオチだと思いますよ!(笑)
そうでなくても、所謂悟り系スピリチュアルの教師のところに言っても、本格的な(?)教師ならきっとそう言うか、そういう思いのクセを改めるように仕向けるでしょう。
私は何人かそういう教師も知っているし、又、所謂覚醒体験に与ったという人、あるいはそういうことを真摯に求めている人とも会って、親しく交流したこともあるのです。
まず、先のようなやたらと固定観念に囚われ、自分のその信仰観念を押しつけてくるような人間にはお目にかかったことがありません。
真剣にそういうことが語られている時には、そのような観念に浮いたような話題は、全く場違いのように感じられるのです。
そうです!、我々は真剣に話し合っているのであり、夢のような空想ごとに興じている訳じゃないのです!
”お兄さん、ちと目がコワイよ!”(笑)...彼らの目は一様に一点に、ある焦点に向けられているのが分かります。自ずから意識がそのようになるようです。
これは、狂信的にある観念につかれているような人間とはまるで意識の方向性が違うということを物語っていると言えるでしょう。
端的に言えば外向きか、内向きかの違いです。心が内に向いているとは、実存的になっているということです。
前者は完全に思念世界に巻き込まれており、後者にはそれを超えた世界に開かれる契機が生まれやすいと言うことが出来るでしょう。
内向きの心こそは、本心の座が開かれる、神的なものと一体になれる土壌なのです。
私の知り合いの例の画伯は、何十年も信仰、修業生活をしていて、長いこと精神的な目覚めなどのことにも関心が無かったようなのですが、数年前にわかにそちらに向けられたキッカケは、悪いことに外向きの情報ばかり流しているカルト教師に入れ込んだからだったようです。
こういう人はそういう縁がまるで育っておらず、素養が無いということを知るべきなのです。
知識的にも、覚醒とはどういうことなのか、どういう心の状態で起こることなのか、という理解が全く足りないようなのです。見識が狭すぎる、向きが偏り過ぎている!
心の向きが変わらない限り、そうした契機は開かれないでしょう。
ま、あの宙に浮いたような、外向きの教えにトップリ浸かっている状態では無理だろう...聞く耳も持たないようだし...
自分の思い、力ではどうにもならない、神縁によらねば開かれない事態に対し、如何にも我心に駆られているようなその心的態度...魔障に陥らない方が不思議なくらいです。
救いは、多少なりとも五井先生の道に触れているということでしょうか?
そういう縁が無ければ、私もここで要らんこと書いてやしないのですが...

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個人の悟りというものは無い!

2022-12-03 09:54:28 | 覚醒
精神的な道を求めている人なら一度は、”悟ってみたい!“、と思ったことはあるでしょう。
勿論、私にもありましたよ。...しかしそれは、自分だけそういう境地を求めていることであり、ある種の利己的な在り方、精神的利己主義の表れなんじゃないか、と感じたのか、あまり深く思ったたことは無かった、というか実際は意識がそれに向けられることは無かったようなのでした。
ただ、小池辰雄、手島郁郎両先生の影響からか、”聖霊によるバプテスマ、回心体験“のようなものを求める気持ちはやたら強かったのです。
”なんだ!、そりゃ悟り体験を求めていることと同じじゃないか?“、と思われるかもしれないですが...そうですね、”ハイ”になる感じは同じかもしれませんが、少なくともその聖霊体験からは、利己主義的なものはあまり感じて来ません。
そういう場にあると、他の多くの人たちもそれに与る訳で、むしろ私が中々それに与れないことで、自分だけ取り残されるような思いに駆られたりしたのです。
それと、もう一つ重要なことは、その求め方の違いにあるようです。
悟り体験と結びつくような瞑想修行など、自分個人からそれを志すということでは無く、神的な恩寵を求めることにあるのです。
言い方は様々でしょうが、先の場合なら神、キリスト、聖霊を求める...その三つは別々にあるんじゃなくて、一つの、思いを超えた主なるものということ...同一の主そのもの...これは異なる場にあっても、阿弥陀様だろうとアラーだろうと、一なる主につながることに意識が向けられるのです。
これは、普通に祈ることに触れている訳ですが、神的なものに意識でつながる、ということは、“自分個人だけが悟る...“、という感じにはなってこないはずなのです。
何故ならば、神というものは、個であると同時に普遍的なものであるから...
いや、神はどういうものか分からないもの...私的には、その意識の世界で、“私はここに在る”ことと同時に、自己以外の“あらゆるものにも開かれている“、ということを感じさせてやまないものを仮に神と言い表したいものがある、と言ってもいいでしょう。
“なんだ!、そりゃ悟り体験のことを言っているのか?”...そ、そうかもしれないが、んな訳ないでしょ!...正直、そういうことは(思おうとしたことはあるけど)どうでもいいことなのです!
だってだって、私だけの悟り体験などある訳無い...普遍的なものと切り離された私というものは無いんですから!
私にそういうものが目覚めることがあったとしても、どうしてもどうしても心の底から頷くことが出来ないものがある...本当には、最愛なるもの、神を目の当たりにしていないものが残っているようです。
普遍世界の目覚めは如何に?...
私は唯々、神の全きみ顕れを祈る...否祈らされるばかりです...。
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神と空

2022-08-06 09:56:49 | 覚醒
精神的な道において、特に修行を伴うものでは、決まってと言っていいほど“空“とか“無“の状態になることに目標が置かれたりします。
それは、多く悟りと結びつけられる訳ですが、端的に“思いを超える“ことを言い表していると言っていいでしょう。
そうした状態に与った人たちは、禅の見性体験など、一様に“心がからっぽになる“ことは、例えようもなく素晴らしいことなんだ、と語ったりするので、否応なしにその境地に惹きつけられてしまうようです。
しかし私はここで、空とか無になることそれ自体のことを取り上げることはほとんどありません。
だって、ただ思いが超えられた、何にも思わなくなった、からっぽになっただけのことってそんなに幸せなことなんですか?...ご冗談でしょ!
私もそういう風な状態に何度かなったことありますよ。自分がそれを求めた訳じゃありません。誰が求めるか、そんなもん!
ただ何も思えない!...そう、悟り系スピではお馴染みの...私は居ない!、全体しかない!、いや違う!、全体もない!...全体と一つになんかなれっこありません!...何が私で、何が全体なのか分かりゃしないのです!
そこには、似たような状態とも言える、あの魔的なものに包まれ、暗闇に吸い込まれるような恐怖も感じないし、あらゆる苦しみも無い...そして愛、幸福も感じられないのです!
生きる意欲も無い...生きているのか、死んでいるのか?...な~んにも無い!
探求は終わった?...そりゃ探求というか、惹きつけられるものが無いんだから...
そうです。そこには神的な現臨が感じられないのです!
例えようの無い幸福感、愛...それはこのものあってのものなのです!
意識が向けられる、惹きつけられるものがある...生の律動感、大生命との一体感...
禅僧でも、ヨガ行者でも、このものにあって、心がからっぽになったことの消息を伝えているに違いないでしょう。”禅病“のようなことである訳ないでしょう!
ブッダの涅槃の境地というものが、あるいはこうした“空”の状態を想起させるかも分かりません。
しかし、ブッダは涅槃に入れば、そこには”安らぎ”があると述べられているのです。
それは、我々の思いを超えたもの(ブッダにおいては”ダンマ~法“)から来る...
私がいつもここで言っていることは、それを神と言おうと何と言おうと、思いを超えたものにあって、初めて思いが超えられる、ということに他なりません。
それは、古来から精神的な道で言い伝えられていることに違いないのです。
あったりまえでしょ!...それは生きている人間のために伝えられているのだから...
コメント (8)
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寝るか目覚めるか

2022-06-29 10:16:16 | 覚醒
まるで梅雨が明けたかのような猛暑が続いてると思ったら、ふ~っという間にホントに開けてしまいました! 
そんなんで、いきなり危険レベルに! 皆さん熱中症には呉々も気を付けましょう!
私も二度ほど罹ったことありますが、手足とか後頭部の辺りがつまるような感じになったら、それは前兆ですので、無理をせず涼しいところで(なるべくなら横になった方がいいです)休みましょう。
そうすれば、自然に眠たくなります。寝て起きたら大概すっきりしているでしょう。
思考も覚束なく、体もいうこと効かなくなり、意識が遠くようになったらもう手遅れですよ! 人の助けが必要です...。
前にも書きましたが、これと私が”神の手がかかる”と呼んでいる状態は、実によく似ているのです。この場合は、後頭部ではなく、ヒタイとか前面の方に異変を覚え、つまるというよりシビレる感じか...って、これはとても微妙な違いなのですが、大きな違いは熱中症にみられる、体の苦しみ、シンドさといったものはあまりなく、何よりも眠気を感じないことです。
それもそのはず、覚醒体験のようなものを伴ったりするのですから!...こりゃ、寝てる場合じゃない!
この二つのことが同時に起こる、という話はほとんど聞いたこと無いですが、その可能性は無いとは言えないでしょう。
熱中症から覚醒体験に移行してしまうケース...多分、意識が遠く時がその分岐点でしょう。
ただ、熱中症に罹ると多くの場合、神サマじゃなくて、医者が面倒を看ることになるからメンドーなことになるのです!
”僕は目覚めたのです!”、なんてこと聞いてくれるはずもなく、点滴とか睡眠剤の注射して、寝かされてオシマイでしょう。(いや、睡眠中でも覚醒状態が続くということもあるかもしれませんが...)
おまけにちょっとヘンなこと言ったら、意識障害だとか言って、別の専門医の厄介にされることだってあり得ます。
北米、南米のネイティブたちの伝統では、メディシンマンと呼ばれて、医師は精神世界の導師も兼ねた存在だそうです。
意識の変容の事態を病理学のみに結びつけようとする、現代医学は重大な病理を抱えているとしか言いようがありません!
少なくとも、それが寝ずにはいられないことなのか、寝てなどいられないことなのかは、当人がよく知っていることでしょう。どちらも自ずからそうなることなのだから...
いずれにしても、何やら意識が常態のままでいられなくなりそうなことを想起させる、この夏の到来であります。
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ハートの目覚め

2022-06-18 10:11:55 | 覚醒
「心がハートにとどまっていれば、個我は消え去り、真我が現れる」(ラマナ.マハルシ)

精神的な目覚めに与る時、思考マインドが後退し、純粋意識が顕わになるということは、何度か言っています。意識の転換が起こるのです。
このことは全くその通りで、私は長年そのように、それだけであるように理解していたのですが...
だから、再び思考マインドに心が覆われると、又その意識状態になるようにと、色々”思ったり“するのです(笑)
意識がどうとかならんかなあ、と...意識次元のことに囚われていたのです。
しかし、その覚醒の事態には、もう一つハートの目覚めというものがあるはずなのです。少なくとも私の場合は...
このことは、何で理由も無しに涙が止めどもなく溢れてくるのか、説明の付かないことから伺えられるでしょう。
思考的部分に隠れているので、あまり自覚されることは無かったのですが、二つのことは分けることが出来ませんが、本当に実感されたことは、こっちの方だったと言えるでしょう!  
これは、思考が飛んでいたのだから、当然のことなのですが...要するに思考に囚われ、ハートにとどまることに意識が向けられなかったということです。
(これは、誤解されることですが、ハートのチャクラのことを言っている訳ではありません。そこに意識を集中しないと、とか囚われちゃうでしょ?)
思考は、もっと高い悟りの段階、もっと覚醒意識状態を定着させねばならない、などと駆り立てられる...そうなっている時、魂はあの愛、平安に安らぐことは無いのです!...これを欠いた悟りなどある訳が無いではないか!
いや、ホンモノ?の、究極?の悟りを追い求めることなどどうでもよい!
愛、平安はどこから来るのか?、その源、最愛のものとの出会い...原点に帰ることで、そういう思いから吹っ切れることが出来ました。そして追い求めても得られない、そのものが恒常的に感じられるようになったのです。
私は、それで真我が実現したのかどうかは分かりません。んなこた、どうでもいいでしょう!
分かっていることは、そう思っているのなら、思いたいヤツがそう思っているというこでしょう?
だけど、真我だろうと偽我だろうと、そう思っている私とは別に、私は在り続けてますよ!
あっちの私がこっちに臨むことで...
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