太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

そばつゆとめんつゆ

2022-07-15 14:32:48 | 食べ物とか
半世紀以上生きてきて、そばつゆ と めんつゆ が違うものであることを知った。
たぶん、普通の主婦は知ってることなんだろうと思う。


天ぷらのソースにも、かつ丼のときも、レンコンサラダにも使うので、冷蔵庫にはめんつゆが常備してある。
日本食スーパーであっても、日本のスーパーほどには「つゆの素」系の種類は多くない。まして地元のスーパーでは、あればいい方。
日本食スーパーで買い忘れたので、近所のスーパーに行ったら、めんつゆはなくてそばつゆがあった。

ローマ字で書くと違う物のよう

売り場の棚の前でしばし悩む。

ハテ?めんつゆとそばつゆは、どこがどう違うのか?

めんつゆは、麺のためのつゆ。
蕎麦だって麺なのだから、きっと同じに違いない。
という結論に至り、そばつゆを買った(それしかなかったし)。

その夜、天ぷらをそれにつけて食べたら、気のせいか塩辛い。
そこで初めて、めんつゆとそばつゆの違いを調べてみたら、そばつゆのほうが醤油が勝っているのだそうだ。
そうめんやうどんに比べて、蕎麦には独特の風味があるので、それに負けないように、醤油を効かせてあるらしい。

なるほど、それは知らなんだ。

後日、このそばつゆと同じメーカーの、SOMEN TSUYUを日本食スーパーで発見。
たぶん、それがめんつゆなのだろう。
日本にいたときは、肉じゃがなどの煮物も作ったので、めんつゆはよく使っていた。
ハワイに来てからは、煮物は1度も作っていないと思う。
私も夫も、それほど煮物ファンではないからというのもあるし、食事のメニュー構成が、ほぼ主菜のみという、すっかりコッチ式になっているから、日本式に主菜があっておつゆがあって、小鉢があって、という中では居場所がある煮物も、ここでは中途半端なのかもしれない。
それなら、日本式に主菜と副菜と小鉢ものをこしらえればいいのだろうが、もうそんなことはできない。
昔はよくやっていたよなあ、と思う。

日本食スーパーで、日本から輸入した鍋用のスープを売っているが、買っている人を見たことがない。
タンクトップと短パンで年中過ごせるところで鍋ものを売ろうとは、いい度胸。日本だって夏には鍋物は食べたくはならないだろう。
煮物も、暑いときよりは寒いときのほうが食べたいような気がするから、きっと気候も関係あるんじゃなかろうか。

という、煮物を作らない私の言い訳。






夕食事情はどうなった

2022-07-14 07:56:01 | 日記
義両親が2か月のヨーロッパ旅行に行っている間、自由な夕食を謳歌した私たちは、彼らが戻ってきたら、以前のようにお互いの献立をすりあわせることなく、
それぞれの夕食を持ち寄る形にしよう、と決めた(二人の間だけで)。
4人で食卓を囲むのはなにも毎日でなくてもいいのだけれど、彼らは息子の顔が見たいし、ドアひとつで行き来できるのだから、まあ、いいとしよう。

猫に鈴をつける思いで、夫がシュートメに伝えた(と思う)すぐあと、義父がコロナウィルス陽性になってしまった。
症状は少しの咳とのどの痛みぐらいとマイルドで、病院で抗生物質を処方された。

「10日間は隔離!」

シュートメは、家中の洗えるものをみんな洗い、除菌しまくり、義父はゲストルームで寝起きをしている。
ベッドの中で本を読んだり、タブレットで映画をみたりしているらしい。

義両親側とこちら側の家の境には共用のランドリールームがあり、衣類乾燥機の上が、郵便物や、互いに作った料理のお裾分けなどを置く場所になっている。
食べたあとの、洗ったコンテナやお皿も、そこに置く。
ここ数日は、シュートメとだけはドアを開けて話もできる。

「この方式、このまま続くといいなあ」

と私が言うと、夫が、

「ほんとだね。お父さんが1番そう思ってたりして」

やっぱり夫もそう思ってたか。
シュートメに干渉されることなく気儘に過ごせて、義父は一息ついているのではと私も思ってた。
隔離もあと数日で終わり。
どうなることか。





そんなバカな

2022-07-13 08:06:18 | 日記
生きている間には、「そんなバカな!」ということが起きる。
古い話では、私がまだ実家にいたころ、父の鍵がなくなった。
父が出先からお昼を食べに帰ってきた間のことだ。
そのキーホルダーには、家と会社と車の鍵がついていて、家族総出で探しまくった。
あらゆる引き出し、洋服ダンス、靴脱ぎの周辺、上着のポケット、仏壇まで探したが、見つからない。
車に乗って帰ってきたのだから、外で落としたわけじゃないし、合鍵を作るかと話していたとき、ふと思い立って押し入れの下段を開けてみたら、
なぜか知らないが、小型金庫の上にあった。
それも、犬の散歩に使う紐と共に。
「そんなバカな!」
見つかってよかったのだが、なぜそんなところに、しかも犬の紐までなぜ?という疑問が残ったまま。

さらに古い話では、小学校の遠足のとき、帰りのバスで尿意に襲われて、奮闘した甲斐もなく、とうとう漏らしてしまった。
被害状況を確認しようと、恐る恐るジーンズのお尻を触ったら、まるっきり乾いていたのだ。
そんなバカな!
内ももを流れてゆく温かい感触もあったのに、いったいどこに行ってしまったのか。




前置きが長かったが、今朝のことだ。
起きて、冷蔵庫を開けたら、せせらぎ がいた。

 注)せせらぎとは ゴ のつく虫のこと。名前を言いたくないので、伊坂幸太郎氏の小説より引用させてもらっている

冷蔵庫内の棚ではなく、両開きのドアを開けた下の、ドアに限りなく近い部分に、
4センチぐらいのせせらぎが、寒さのためか動けなくなって固まっていた。

「ひ・・・・ッ!!!!!」

そんなバカな!

私が対応できる大きさを超えていたので、階段を駆け上がって夫を叩き起こした。
夫は半分眠ったまま、私に渡されたペーパータオルでそれをつまみ、捨てた。
いったいどこから?
いったいどうやって?
不思議ー。




AI関所を抜けても・・

2022-07-12 07:36:58 | 日記
夫がアルバイトで英会話を教えていたときの教え子さんの一人が、日本から小包を送ってくれたという。
ところが、宛先の住所を書き間違えてしまい、迷子になってしまったようなので連絡をとってみてください、というメールが私のところに来た。

メールにあった荷物のトラッキングナンバーを調べてみたところ、日本からアメリカ本土に行った荷物は、ハワイ島のヒロに行き、そのあとオアフ島のどこかに戻っている。
その人が書いた郵便番号がハワイ島のものだったためで、オアフ島に来た荷物が届かないのは、住所番地の数字が間違っていたから。
その人が正しく書いたのは通りの名前と私の名前だけ。(夫の知人なのに、なぜ私の名前?)

ハワイでの配達を請け負っているのはUPSという会社で、その出先が隣町にあるので、そこで調べてもらえるかもと思い、電話した。
すると、そこは荷物の発送や受け取りをするところで、そういう問い合わせは本部に連絡してほしいと言われた。
教えてもらった番号に電話をすると、ああやっぱりAIの声
昨今、こんなんばっかり。
何を希望するのか選んで数字を押せ、という質問を何回か通り抜けないと、人間と話せない。

いつだったか医療保険会社に電話をしたとき、YESかNOで答えるのに、いくら「NO」と言っても
「申し訳ないけど、理解できません」
と無感情に(AIだしね)言われる。
NOが、ノー以外、どう言えばいいと?
「ノー!」「ノーーゥ!」「ノー――ンン!」と叫び続けてようやく人間につながった。

UPSの電話も、AI関所をくぐりぬけ、人と話せるかと思いきや、混んでいるので次の担当者につながるまでお待ちください、ときた。
これがまた、長い。
医療保険会社のときは、1時間以上待たされたこともある。
とにかく人間と話させてくれ、という思いで30分待ってもつながらないので諦めて、後日かけることにしたのだが、仕事の日は休憩時間が短いので電話をかけていられず、次の平日の休日に、ということになる。

それより1週間後、
「あなたの友達なんだから、あなたが電話しなよ」
と夫に言い、夫が電話をかけた。
今度はわりと早くに人間と繋がって、話ができたのだけれど、驚きの内容。
電話上で、間違った郵便番号と住所番地を訂正して、正しい住所に配送してもらうだけ、と思っていたのが、

1回の電話で訂正できるのはひとつだけ

と言うではないの。

WHY??なんで?ねえ、なんで?
郵便番号だけ訂正したら、今度は住所番地を訂正するために、また一から電話をかけ直し、AI関所をくぐらねばならないのか?

うんざりしていたら、電話の向こうで
「あ、その荷物は期限切れで日本に送り返されて、ここにはないワ、あはは」
あはは、じゃないよ。
人間と話せたと思ったら、これだもの。
AIと同じぐらい融通がきかない。

送り主にはその旨を告げて、送料もばかにならないし、お気持ちだけありがたくいただきますので、再度送らなくてもいいですよ、と言った。
それなのに、ヤマト運輸さんに正しい住所を伝えて、送ってくれたらしい。
ありがたいけど、二度も送料使わせてしまい申し訳ない気持ち。





若作りが、なによ

2022-07-11 08:28:17 | 日記
何日も机の上に放っておいたものを、ふと、これは失くすと困るからしまっておこう、と思う。
いざ、それが必要なときに、どこにしまったのか思い出せなくて焦る。
こんなことなら、常に見える机の上に放ったままのほうがよかった。

たまに、そういうことがある。
そそっかしくて思慮に欠けるのが私であって、今に始まったことではない。
人の名前が覚えられないのも、名前と顔が一致しないのも昔からそうだった。

でも最近、そういうことがあると、ほんの少しだけ不安がよぎる。

(これって、認知症などの初期サイン・・・?)

それを夫に言うと、

「違うよ、やめてよ!前からそうだったし、たいしたことじゃないじゃん!」

と言うが、ムキになって言うところがおかしい、などと思う。



その昔、同年代の友人らと

「私が若作りしてイタイ恰好してたら、言ってね」
「わかった、私こそ、言ってよね」

と言い合っていたものだった。
その時には本当にそう思っていたのだけれども、実際には、たとえ待ち合わせにやってきた友人がイタイ服装であっても、とても言えたものではないし、
私も、指摘されるのは御免で、見逃してほしいと思う。
そう言い合っていた時、私たちはまだ30代後半ぐらいで、ほんとうの若作りの気持ちなどわからないほど若かったのだ。


今、同年代の友人と、

「なんだか記憶にムラがあるんだよね、最近」
「わかるわかる。ちょっと不安になるけど、考えないようにしてる」

なんて話をするが、

「私がおかしな言動や行動してたら、言ってね」
「わかった、私こそ、言ってよね」

という話には絶対にならない。
指摘して治るものでなし、あまりに深刻すぎて、言えるわけがない。

若作りぐらい、なによ。
好きなだけ若作りして楽しめばいいじゃないか。
私がハワイに住んでいるから言えるのかもしれないけど、人の目なんか気にして好きな恰好ができないなんてつまらない。
世間に後ろ指をさされないようにしたとしても、その世間が私を幸せにしてくれるわけじゃなく、私を幸せにできるのは私だけ。


若作りがどうこうと言っている場合ではない場所に、私はすでに立っているのである。