太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

スコッチエッグ

2020-04-16 11:20:18 | 食べ物とか
まだハワイではそうでもないが、アメリカ本土では
バリカンと髪染め剤が品薄だそうである。
自宅待機して、はや1か月。
髪は切りたし、店はなし、ということか。
夫のように、半月に1度、自分でバリカンでくるくるっと刈っておしまい、という人以外は、ワナワナしてくる頃だろう。
義両親のガレージでは、シュートメが義父の髪を切るといって
夫からバリカンを借りていった。
義両親は使い慣れないバリカンで、耳の上に100円ハゲができたと大騒ぎ。

何年ぶりかでスコッチエッグを作った。
お料理上手には普通でも、私にとっては、これは手間がかかる料理の部類。
仕事をしている平日は、時間がないから作らない。
休日は、だらだらしたいから作らない。
これ、典型的なダメ主婦の言い訳。
自宅待機の今は、たーっぷり時間も心の余裕もあるので、
「スコッチエッグが食べたい」
という夫の要求にも
「いいよー」と二つ返事。



今回は七面鳥のひき肉で作った。
グリーンビーンズ(いんげん)は、最近開発して(おおげさ)、気に入っているやりかたで。

・洗って軸をとりのぞいたいんげんを、フライパンにどさっと入れる。
・みじん切りにした玉ねぎを投入。
・オリーブオイルをまわしかけ(あるいはバターを乗せて)、ワインを少し足して蓋をする。
・蒸気でいんげんが程よく料理されたら、塩を振ってできあがり。

いくらでもいんげんが食べられて、いつも完食。
好みでニンニクを入れてもおいしい。







ハワイの海はがーらがら

2020-04-15 13:38:41 | ハワイの自然
1か月以上ぶりに、ビーチに行った。
ラニカイから、カラマに向かって波打ち際を歩く。


みごとに誰もいない。


私が普段行くカラマビーチは、地元民しかこないようなところだけれど
ラニカイからカイルアビーチパークにかけては、旅行者がけっこう来る。
それでも、日本の真夏の海水浴場の混雑とは程遠い。


海水は温かい。


足裏から大地のエネルギーを充電中。(充電の話はコチラ
30分ほど歩いて、Uターン。
白砂が、ほどよく固く締まっていて、歩くのに心地よい。



犬の散歩をする人が3組、エクササイズで歩いている人が4人、
泳いでいる人が3人、カイトサーフィンをしている人が一人。以上。
ポリスマンが、4輪バギー3台に乗って、ビーチをパトロールしていた。

カイルアの海は、もともと澄んでいるので気づかないけれど
人が来なくなって、水はいつもよりも透明になっているかも。
ボートや船の数が激減して、クジラが例年よりも陸に近いところまで来るそうだ。
イルカの群れも、増えているらしい。
ワイキキのビーチも汚染されなくなって、透明度が増したと新聞に書いてあった。
地球のために人間ができることって、「何もしない」ってことなんだなァ。


山に囲まれて住んでいる私。
毎日毎日、緑ばかり。
緑も大好きだけれど、こうして海に来ると、やっぱり海もいい。







現状維持すらままならぬ

2020-04-15 13:08:37 | 日記
自宅待機になってかれこれ1か月になる。
私は気づいてしまった。
仕事に行かなくてよくなって、したいことだけゆるゆるとできる幸せに
心はどんどん若返る。
それに反比例して、見かけはどんどん崩れてゆくことに。

まず、この1か月、私は1度も化粧をしていない。
何日かぶりでスーパーマーケットに行くというとき、
さて化粧でもしようかと思ったのだけれど、顔の半分はマスクで覆われ、
サングラスをかけたら、化粧などする必要がない。
それで素顔にマスクとサングラスで出かける。
たとえ朝、化粧をしても、ずっと一人で家で過ごし、そのまま夕方になって、それを落とす。
それってなんだか空しいではないか。
化粧をすると気合が入る気がして、私は化粧が好きなのだと思っていたけど、
見せる人がいるからしていただけだった。


部屋着だけは、1週間目ぐらいに、おのれの姿をまじまじと眺めて改めた。
もともと私は、気に入った服をずっと着る、という傾向がある。
1週間、Tシャツの色が変わるぐらいでほぼ同じ服装で過ごしていて、
心を入れ替えねば1か月でもずーっとそのままだったろう。
あまり袖を通さない服を引っ張り出して、組み合わせを考えながら着るようにしたら、
少し気持ちがシャンとした。


数日前、夫が私の髪を見て、言った。
「週末に、髪を染めようか?」
夫は1度も自分からそう言ったことはなく、私がそろそろ染めたいと言うと決まって
「まだじゅうぶんきれいだと思うけどね」
と言いながら、染めるのを手伝ってくれる。
その夫が、見るに耐えかねて言い出すぐらいの状態に、私の髪はなっているのである。



いつもは寝るときに、前髪にカーラーを2個つけて寝る。
それもやめてしまって、私の前髪は自然体。
あまりに自然体すぎるので、朝のシャワーのあと、カーラーを付けてみた。
夕方になって気づくまで、カーラーは付いたまま。
これではいったい何のためにカーラーをつけたのかわからない。
子供の頃、頭にカーラーをつけたまま買い物しているオバサンを見て
(あのカーラーはいつ外すのだろう?)
と不思議に思ったものだったが、今私はそのオバサンになっている。


すっぴんで。
白髪まじりの頭で。
外し時のわからないカーラーつけて。


私は特に若返らずとも、ただ現状維持でいければいいと思っていた。
しかしその現状維持もままならぬ段階にきているではないか。
坂道を転がり始めると、加速度がつく。
手遅れになる前に、なんとか食い止めねば私はこうなる。


手入れが楽なので、髪の毛は切ってくるくるパーマ
前髪がうるさいのでカーラーを付けたまま過ごし
出かける時には白髪隠しにネッカチーフをかぶり
かかとのザラザラしたところで、脛のかゆいところを掻き
限られた人だけに使える「素顔が一番」を自分にあてはめ・・・


書いていて恐ろしくなったのでこの辺で。
今日はファンデーションを塗って、まつげをカールさせてみた。

「メイクしなくてもいいのに。でもカワイーね」

何がなんでも「かわいい」と言うように訓練されきった夫が不憫だ・・・・











エゼキエルブレッド

2020-04-14 16:14:44 | 食べ物とか
お米が品薄な折、ひとりのお昼をパンにしようかと思い立つ。
なるべく小麦のものを食べない努力をしているので、
エゼキエルブレッドを買いに行った。
確か何年か前にもエゼキエルブレッドの記事を書いたと思って探したら、
8年前だった・・・・・

なぜエゼキエルブレッドなのか。
8年前の記事の一部をコピー。

パンの原料である小麦のグルテンに含まれるレクチンが、インスリン代謝の妨げをするため、
グルテンを摂取すると太りやすくなったり、アレルギーを引き起こすキッカケになったりする。というのだ。

それはどうやら本当のようで、というのも、夫が小麦を排除した食事をすると、スルスルと体重が落ちる。
アメリカでは、食事療法に関心のある人々のために、グルテンフリーのパンやパスタ、ビールなどがたくさん売られている。

エゼキエルブレッドは、発芽した小麦が原料になっている。
小麦は発芽するとグルテンが壊れるらしく、本によれば「生きたパン」だという。


ということだ。
ちなみにエゼキエルは、聖書に出てくる預言者の名前で、その人の食事が、何種類かの穀物と、発芽した小麦で作ったものだったらしい。

エゼキエルブレッド

私はこのシナモンレーズンが好き。
アメリカのパンは、すでにかなり薄めにスライスされている。
1枚で80キロカロリー(6枚切り食パン1枚が160キロカロリー)
アメリカ本土では、同じパンが2ドルぐらいで買えるらしいのだが、
ハワイでは 7ドル(!) もする。
すべて冷凍で売られているのは、保存料などがいっさい使われていないため。



5ミリぐらいのスライスを、香ばしくトースターで焼く。
炭水化物ダイエットをしている同僚が、誰かがパンをトーストしている匂いを嗅いで
「あぁー・・・炭水化物の焼ける匂いって、ものすごい誘惑!!」
とつぶやいていたが、まさにそう。
パンが焼ける香りって、パン好きにはたまらない。
このトーストに、バターを乗せて、溶けたところを食べる。
カロリーで考えたら、バターはない方がいいに決まっているけど、
一切れのバターを自分に許す。

毎日ウォーキングをして、家の掃除もこまめにして体を動かすようにしていても
家にいるだけなので、仕事をしているときほどには動いていない。
せめて現状維持、のスローガンをおのれに掲げている。
その現状維持が危うくなっている話は次の記事で。


最後は白で

2020-04-14 11:34:48 | 日記
昨日の昼間の雨に引き続き、夜は雷まで鳴り出して
まだそんなに雨の在庫があったんか!というほどの雨が降った。
朝方になって雨はやんだけど、庭の横を通る、山に降った雨を海まで流す川の音が
まるで川のすぐ脇で寝ているかのように聞こえていた。

雨はやんでも滝はしばらく流れ続ける


さて、昨日、夫の車が車上荒らしにあった。

職場の駐車場は囲いがなく、治安もあまりよくない地域でもある。
個人ロッカーがないので、夫は電話と財布を、施錠できるグラブコンパートメントに入れているのだそうだ。
お昼に、ランチボックスを取りに車に行くと、グラブコンパートメントをこじ開けようとした形跡があった。
どうしても開かなかったらしく、中のものは盗られてはいなかったが、
コンパートメント自体が歪んでしまい、鍵を使っても開かなくなった。

帰宅して、工具を使ってコンパートメントの下のボルトを外したが、隙間が開くだけ。
夫より手が小さい私が、隙間から手を差し入れてみた。
すべては出せなかったが、必要なものだけは取り出せた。

思うことも、言いたいことも、いろいろある。
いろいろあるが、財布も電話も無事でよかった。

「願い」は、「思い」。
自分の「思い」は、必ずそのとおりの現実を作る。
だから願いは常にかなっているのだという。
私は過去の、さまざまな「えーーー!!!」と叫びたいような体験から、
渋々ながら、それが真実であることを知っている。
知っているのに、「こんなこと願ってない!」と声を大にして言いたいことが起きると
心が騒ぐ。
生身の人間なので、それは仕方がない。
けれど、心が騒いだあとは、に見えたその出来事を、にして終わらせるようにしている。

数年前まで、思わぬ事態が起こったときに、心が騒ぐことさえも自分に許さなかった。
「そうかそうか、起きることが起きているのだね」
と賢者のようになることを、自分に課していた。
だから騒ぎたいのをグッとこらえて、どうってことないふりをしようとした。
が、あるとき、そんな火事場で宝物を探すようなことはもう無理だと悟った。
私は賢者になれるはずのない、ただのオバサン。
ただのオバサンは、普通に騒いで、それでいい。

ただ、その出来事を、黒いままで終わらせない。
最後は白に変えて、
『ま、どうなるかと思ったけど、よかったよね』
という白いラベルをつけて、よかったことの棚にしまう。
出来事に、どんなラベルをつけるのかは私次第。
『災難』『不運』と書かれた黒いラベルの出来事など、私は欲しくない。
私の心には、黒いラベルのものをしまう棚など、もうないのだ。


かくして、昨日の車上荒らしも
『ま、コンパートメントは壊れたままだけど、盗まれなくてよかったよね』
というラベルを貼って、ツイてたことの棚にしまった。