太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ユーミン

2014-10-08 08:34:31 | 日記
時々、日本語のラジオ放送を聞いていると、懐かしい歌が流れる。

ユーミンだったり、サザンオールスターズだったり、中島みゆきだったり。




ユーミンは、荒井由美だった時代から聞いていた。

とりたてて美人というわけでもなく、とりたてて歌がうまいわけでもない。

でもユーミンは、とびぬけてまぶしかった。

歌詞に出てくる情景とユーミン自身が重なって、

彼女は最高に都会的な、かっこいいおネーさんだった。


サザンがデビューしたとき、今さっきまで家でテレビ見てましたというような服装で

聞いたこともない雰囲気の歌を歌うので驚いた。



ちょうどその頃、私がそういう年頃だったからそう思うのかもしれないけれど

歌謡曲でもない、フォークソングとも違うものが現れたと思った。



「中央フリーウェイ」を何年ぶりに聞いただろう。

大人になって、中央高速を走ってビール工場と競馬場を見つけたときの感動といったら・・・



「ジャコビ二彗星の夜」は、胸がジンとした。懐かしくて。



十代後半から二十代後半までの間、私が毎日のように聞いていた歌を

いつのまにか私は記憶の奥にしまったまま、忘れて生きていた。




スキーに行けば、ユーミンの歌の歌詞を思い出して滑ったし、

海に行けば、好きな彼にくっついてサーフショップまで砂浜を歩くという歌詞を口ずさんだ。

ユーミンの歌詞に出てくるようなことが、私に起こることがあるんだろうかと思っていたけれど

実際にはそれほど美しいとはいえない、なんだかめんどくさいような出来事がいっぱいあって、

それでも、今ユーミンを聞けば、あの頃にまぶしく感じた気持ちがそのまま蘇る。


私には 戻りたい時代 というものがない。

だから、それはただ懐かしく思い出すだけで、もう一度体験させてくれると言われても丁重にお断りするかも。







演歌のCDを買いに来るお客様が、

「昔はよかった。今の歌はダメね」

と言われる気持ちが、すこしわかる。

今だっていい歌はあるけれど、私たちは歌そのものよりも、

その歌に付随してくる思い出やときめきやらを大事にしているのだもの。






明日、店でユーミンのCDを探してみよう。

ユーミンのCDをハワイまで持ってきたのに、大掃除したときに捨ててしまった私はアホだ。

車で聞いて、心の泉をドックンドックンさせてみよ。









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なかよくお食事のチーズケーキ























新入り

2014-10-06 07:58:36 | 日記
予定よりも早く、我が家に新入りがやってきた。




チーズと、




ケーキ。



もいちど。




チーズと、




ケーキ。




あわせて  チーズケーキ




新しい家ができたら、猫を飼うのが夢だった。

でも11月に日本に行くので、戻ってきたらヒューマンソサエティに行くつもりでいた。


ところが先週、隣家の息子コールがやってきた。

友人の家の庭で野良猫が子猫を生んだか、誰かが捨てたかわからないが

子猫が置き去りにされていて、

その家の家族が面倒をみていたのだけれど、先住猫もいるし犬もいるので飼えない。

誰か欲しい人がいないだろうか、という。

コールはすぐに私達を思い出した。



コールが撮ってきた写真をみたら、もう想像していた猫とぴったりで、

しかも兄妹で、ああもう、これは予定外だったけれど、貰うしかないということになり、

さっそくトイレやフードなんかをそろえて、引き取りに行ったのだった。

生後8~9週間。

健康チェックも問題なく、いたって健康。





というわけで、いきなり我が家はにぎやかになった。

こんなふうな猫、と宇宙にオーダーしたとおりの猫が、

たぶんこれが最善のタイミングでやってきた。




なんでも興味津々。なんでもオモチャ。








走り回って遊びつかれて眠るチーズケーキ。

片手に乗っかるほどの小さな、でもあったかくて大きな幸せの塊。








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「中濱万次郎」

2014-10-04 22:40:03 | 本とか
ション万次郎の名前は、多くの人が知っているだろう。

その万次郎の半生を、万次郎のひ孫さんが書いた本である。



ジョン万次郎の乗った船が漂流しているときに、アメリカの船に救助され、

そのままアメリカに渡り、開国の頃に日本に戻ってきた。

ということぐらいしか、私は知らなかった。

この本を見つけたときに、思い出した。

私は忘れていたが、私は万次郎のことをずっと知りたいと思っていたのだった。

すぐに買い求め、むざぼるように読んだ。



万次郎は裕福とはいえない家の、たくさんのきょうだいの一人として生まれ、

船に乗ったときにはわずか14歳であったこと。

それも、みずからすすんで船に乗ったこと。

学問を学ぶ余裕がなかったから無学だったけれど、万次郎は生来賢い人で

アメリカの捕鯨船に救助されて、ハワイに寄港する間に基本的な英語を覚えてしまったこと。

万次郎を見込んだ船長が、アメリカ本土で彼に教育を受けさせたいと願い、

万次郎自身も強くそれを願って、彼だけが本土に行ったこと。


私が知らなかった万次郎の、いきいきとその人生を波乗りしてゆくさまが、

そこには詳しく書かれていた。



一緒に救助された、他の乗組員たちの数人は、ハワイに残ることを選び、定住した。

彼らの墓が、私が住む地域のすぐ近くにあることもわかった。

この著者も、その墓参りに行っている。



大統領であったフランクリン ルーズベルトの祖父の家の向かい側が、

万次郎の住んでいた家で、ルーズベルトはよく祖父から「賢い日本のBOY」のことを聞かされていた。

ルーズベルトが万次郎に宛てた手紙が残っており(写真も掲載されていた)

自分がどんなにその「BOY」に親しみをもっていたか、家族でアメリカに来ることがあれば

ぜひホワイトハウスに連絡してほしい、と書かれている。




当時の日本人にとって、日本を離れて外国に行くことは、

今でなら、宇宙に行くにも似たことではなかったろうか。

運命の波に勇んで乗り、

日本に戻ってきて晩年をすごした万次郎や、

ハワイに残ることを選び、残る生涯を外国で過ごした乗組員たちのことを思う時

胸が躍るような気持ちがするのである。



今度の休みに、その墓所へ行ってみる。




「中濱万次郎 ~『アメリカ」を初めて伝えた日本人~ 』 中濱 博   冨山房インターナショナル









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うまく作りすぎて失敗するもの

2014-10-03 07:41:41 | 日記
うまく作りすぎて失敗するものが、この世にはある。


私は軽いアレルギーがあって、何かに反応すると、鼻がズルズルになる。

今日は休みで、朝からやりたいことが目白押し。

そんな日に限って鼻がズルズルし始めた。

テーブルに絵の具などを並べてから、アレルギーの薬を飲んで作業開始。


いつもなら30分ほどで、ピターッと鼻が止まる。

これがアメリカの売薬のすごいところで、ものすごくよく効く。

いったい何が使われているのかは恐ろしくて知りたくはないが、たぶん日本では認められないようなものが

コラショと入っているに違いない。




1時間たっても、鼻は止まらない。

もう1錠飲みたいところだけれど、ちょっと怖いのでやめる。

下を向いていると、水鼻が ツツー・・ と垂れてくるわ、

鼻はかみすぎてヒリヒリするわで、エエイ!とティッシュを丸めて鼻に突っ込んだ。



この日は午後からファーマーズマーケットがあって、

お化粧もせずに出かけた。

ついでに銀行にも寄って、スーパーにも行った。


家に戻って、車から荷物を出していると、

隣家のブライアンが声をかけてきた。



「鼻、どうかした?」




ハッと思ったときには、時すでに遅し。

私は鼻の穴にティッシュを詰めたまま、1時間近くも街をうろついていたのだ。




適当に丸めて突っ込んだティッシュが、あまりにもよくできていて、

ほぼ鼻の一部のように、まったく違和感がなかった。

サイドミラーで我が顔を見てみた。

鼻栓の足はテルテル坊主のように、ふんわりと広がった状態で、まるで鼻から白い花が咲いているようでもあったが

鼻から出ているのがティッシュであれ、白い花であれ、不自然な状況には違いない。

鼻栓の足がもう少し長かったら、視界に入って気づけたかもしれないが、あとの祭り。




ファーマーズマーケットで出会った人達、銀行にいた人達、スーパーの人達、

いったい何人が、私の鼻栓に気づき(そりゃ誰だって気づくわな)

そのうちの何人が、「言うべきか、言わぬべきか」迷ったことであろう。



ああせめて出かける前に化粧のひとつもしていれば、

鏡を見て気づくことができたのに。

まあ、でも、

トイレットペーパーを尻尾のごとくヒラつかせてアラモアナを練り歩いていたよりはマシかも。

ここは田舎だし。

ぱんつの中にスカートの後ろがたくしこまれたまま、カナダを歩いていたのよりも、マシかも。




今日の教訓



[鼻栓を作るときには、できるだけ足は長く、見苦しいぐらいのほうがよろしい]









ていうか、アレよりはマシかも、という例がいくらでもあることのほうが問題、といえば問題。








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まるごと

2014-10-01 08:34:02 | 日記
まるごと好き、っていうのは、なかなか難しいものだと思う。



りんごは好きだけど、芯の部分は好きじゃない。

バナナは好きだけど、皮は食べたくない。

りんごの芯は当然のように切り取って食べるし、

バナナの皮も当然のように剥いて食べる。

そこに何の感情もない。

芯があるのがりんごだし、皮があるのがバナナなんだから。

ということを知っている。



しかしこれが人間となると、そうはいかない。

その人間に芯があることを知っていて、それに対していろんな感情がついてくる。



その夜、何かが違っていた。

空気が丸くないというか、ぎすぎすした雰囲気が漂っていて、

それに気づきながら、なんとか表面だけでも平和にいこうと努めてみたものの、

やっぱり夫と喧嘩になった。



人には、ココを押すとこうなる、とか、ココを押されるとこうなる

というボタンみたいなものがあって、その日は互いにそのボタンを押し合った。

日本語が通じたら、あんなふうにもこんなふうにも言えるのに、それが言えないもどかしさが私にはあり、

たまりかねて日本語でまくしたてると、夫はなんとなーーく何を言っているのかわかるようで、

さらに気を悪くする。

何年か前までは、日本語でまくしたてる兵法が有効だったのに、もうその姑息な手が使えなくなったか。



二人だけというのは、気楽なようで、いざというとき逃げ場がない。



前の結婚時代にも痛感したことだけれど、

険悪な雰囲気になったとき、人じゃなくても、せめて犬か猫でもいたなら、

「あんな言い方して、バカだねぇー」とかなんとか、ワンクッションおくことができる。

何があっても、「あなたとわたし」だけだから、どこかでガスを抜いておかないと

互いの一挙手一投足(この字で合ってる?)が気になって仕方がない。



私がまだ独身の頃、異業種交流会で出会った女性がいた。

当時40代半ばぐらいだっただろうか。アパレルの仕事をしていたこともあっていつも華やかで、彼女自身も美しい人だった。

お子さんがおらず、一緒に仕事をしていたご主人と仲がよかったから、

まわりの同世代の女性達から「いいわねぇー、ご主人がおやさしいから」と

妬みと羨望がピリッと含まれた塊を薄ーーいジョークの皮で包んだ言葉を浴びていた。

なぜか彼女は私をかわいがってくれ、自宅にも何度か遊びに行った。

あるとき彼女が言ったのだ。



「喧嘩するときはいつも同じ場所でつまづくの。それは結婚した頃から変わらない。

ここでつまづく、というのがわかっていて、でもそれをどうしようもないの。

人って変われるようで、変われないものもいっぱい持っているものなのねえ」




折りに触れ、彼女の言葉を思い出し、そうなのかなあ、と思う。

自分の何が、相手にとってつまづく場所なのかは、本人だってよく知っている。

お互いに、その出っ張りを許さない相手に怒るけれども、

結果はどうあれ、そこを平らにしたいと願い続けている、そして相手の出っ張りを

できれば許したいと思っている、その一点で、二人は繋がっていられるようにも思う。





平和なときには、相手の、私が嫌いな部分も含めて好きだと思う。

その嫌いな部分が表におもいきり出ているとき、どうしてこんな部分まで私が引き受けなくてはならないのかと

腹立たしさで一杯になる。

それはただの、りんごの芯なのに、ただのバナナの皮なのに、

見過ごすことができない。

芯や皮にむかって、「なんで食べられないものがくっついてるわけ??」と

因縁をつけて怒っているようなものである。



いつの日か、芯や皮のように何の感情もなく、それを受け入れ、見過ごすことができるようになるんだろうか。











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