太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

マイペース

2013-12-12 16:14:28 | 人生で出会った人々
私の古くからの友人Aはマイペースである。

中学校で始めた部活で知り合ってから数十年がたつ。



人当たりがよく、ほがらかで、のんびりとしたAは、

まわりの人達とはちょっと違う場所にいた。



Aからの年賀状は、まず滅多に届かない。

「出そうと思っているうちに学校が始まっちゃってぇ~」

というのがAの言い訳だ。

在学中は常に会えるから、べつにいいのだけれど、高校を卒業して

それぞれの道に進んでからも、Aの音信は途絶えがちで、

他の友人とも

「Aから何か連絡あった?」と言い合うようになり、

年賀状にも「Aから年賀状がこないけど元気らしいよ」と書かれる始末。





大人になるにつれ、Aのすごさがわかってきた。



惚れたはれたですったもんだしまくっている私たちを横目に、

Aは悠々と一人を謳歌し、

ゆっくり出会った一人の人と、じっくり愛をはぐくみ、

私たちが通った学校の隣の教会で結婚式を挙げた。



数年後、Aはご主人の仕事の都合で遠くに引っ越すことになった。

なにか手伝うことはないかと聞くと

引越し業者の「おまかせパック」というサービスを選んだから大丈夫、という。

無事に引越しも終わり、新居で落ち着いたころに電話で話をした。

引越しは大変だったでしょうと聞くと


「うーん、引越しやさんが来たとき、私たちまだ朝ごはん食べていたんだよねぇ。

それからいろんなもの箱詰めだから、やっぱり引越しって大変だね」


と言う。

私はまさかと思ったが聞いてみた。


「引越しやさんが来るまで一切荷物をまとめていなかった、とか?」

「そうだよ、だってお任せパックだもの」

Aは平然とそう言ったものだ。


いくらお任せであっても、せめて箪笥の中から物を取り出しておくとか何とかしないものだろうか。

私は、引越し業者が必死で荷物をまとめている横で、Aがのんびり朝ごはんを食べている様子を想像し、

思わず笑えてきた。



Aが落ち着いたのは、夫婦とも車を運転できないからという理由で、西の大都市の真ん中だった。

車の免許を持っていない、というのは、どこで生活するにも不便じゃないかと思うのは

きっと私の思い込みなんだろう。

彼らは不便そうでも何でもなく、電車やバスを使って楽しそうに暮らしていた。



「いかんせん暇だー」と言っていたAは、市役所のアルバイトを見つけてきた。

発掘したものの整理保管をする仕事で、仕事内容も、2ヶ月働いて2ヶ月休みというペースも、

「毎日働くのは嫌だし、毎日家にいるのも嫌だなあ」と言っていたAにぴったりだ。




そのうち、「猫が飼いたいから1戸建てがいいんだよねー」と言うようになり、

まもなく中古だが、しゃれた構えの1戸建てを買った。



私たちがハワイに移住する直前、私と夫はAを訪ねた。

本州以外のところに行くのは初めての夫は大興奮。

私たちはAのお宅に泊めてもらい、偶然うちの夫と同じ名前の猫と遊んだ。


そのときに、「1年ぐらいだったら外国に住むのもいいなあって思うんだよねー」と

Aが話していたのだったが、数ヵ月後に、ご主人の仕事で1年間スコットランドに行くことが決まった。






「Aちゃんって望みを叶えながら生きてるように見えるんだけど」


あるとき私はそう言ってみた。

Aは「そんなことないってばー」と笑って、

その人が叶えたくて、叶えられなかったことを知らないから、そうみえるんじゃない?、と言った。


「私はシロちゃんがいろんなことで苦しみながら、ここまで来たのを知っているけど

知らない人は、好きなように生きてていいなと思うと思うよ」


そうかもしれない。

思えば、人生の厳しい時期に愚痴をこぼしていたのは私で、

Aから「叶えたくて叶えられなかったこと」を聞いたことはあまりなかった。



「何か起きたとき、起きてほしいことが起きないとき、Aちゃんは私ほどにやみくもに考えをこねくり

まわしたりしないのかなあ」

するとAは


「考える考える。最悪のことまで考えるよ。でも最悪のことまで考えたら、あとは放っておくの。

考えたって仕方ないしーって思って」



私は理屈好きで、考えすぎる傾向がある。

意味のないことなんかあってたまるか、という意地もある。

何か起きたとき、傷つき悲しみつつも、その意味をさがそうとする。

それが私の納得できるやり方であるなら、それでもいいのだろうが、

考える時間をもっと短くしたっていいのかもしれない。

ただ両手を広げて、怒ったり悲しんだりしてもいいんだと思う。


折に触れ、Aの「考えたって仕方ないしー」というフレーズが心に浮かぶ。






Aはスコットランドに旅立った。

着いて少ししたあと、フラットの近くの景色を添えてメールが来たのは奇跡といえよう。

またいろいろお知らせするよー、と言ったきり

メールを返してもなしのつぶて。

あれから1年がたったから、もう帰国している頃じゃないだろうか。



日本の両親に滅多に電話をしない私に言われたくはないだろうが、

「便りのないのは元気な知らせ」

これほどAにしっくりくることばはないだろう。






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カピオラニ

2013-12-11 07:38:57 | ハワイの自然
仕事から戻ったあと、カピオラニパークにウォーキングに出かけた。

ペットシッターでホノルルに住んでいるからこそできる。




昼間はぱっとしない噴水だけど、夜はきれい





空の色がなんともいえずゴージャス




太陽が沈んだあとの海は、やけに波の打ち寄せる音が大きく聞こえるのはどうしてだろう。





ヨットがすべるように横切ってゆく。





額に入れた絵のように見えない?





さっきのヨットがちょうど真ん中に。





お城のようなこれは、昔、海水を使ったプールがあったところ。(ナタトリアム)

100年近い歴史があるらしい。

夫が子供の頃にはまだあいていて、泳ぎに来たそうだ。





今日はこのまま、ビーチで夕食を食べていくことにした。




ベアフットビーチカフェ(写真がぶれぶれ)




名前のとおり、泳いでそのまま裸足で気軽に立ち寄れる。

朝7時からあいているので、海を眺めながらの朝食もいいと思う。




店の前は海。



生演奏もある





ステーキと、鮭のシーザーサラダ、フレンチフライ。

どのメニューもおいしい。







お腹が一杯になったあとは、月を眺めながらカピオラニパークの芝生を歩いて帰る。





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SARENTO’S

2013-12-10 20:11:12 | 食べ物とか
夫の両親と知人夫婦と、 ソレント で食事をした。


ワイキキの、イリカイホテルの最上階にある。


イリカイホテルからヨットハーバーをみる




レストランまでは専用エレベーターでいく。



ガラスばりのエレベーターから、吐き気を催しながら撮った(乗り物に弱いのだ)



レストラン入り口のバーから、シェラトンハワイアンビレッジのラグーンが見える。



お店の中は、個室のように区切られたスペースがいくつかあって、

どのテーブルからも窓の外の景色が眺められるようになっている。

キャンドルの灯りと、ほんのりとした照明だけで、メニューを読むのに小型のフラッシュライトが必要。

でも、この暗さは女性をきれいに見せてくれるので、我慢。


食事は、どれも美味しくて満足。





ダブルポークチョップ



アサリのスープ



食後のコーヒーはIlly



ティラミス



トリプルチョコレート



ストロベリーのチーズケーキ



さつまいものパンナコッタ



チョコレートケーキは甘すぎ。さつまいものパンナコッタは美味しかった。


ムードがあって、大切な人と二人で行くとロマンチックかも。






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7年

2013-12-10 08:19:41 | 日記
どのくらいぶりに喧嘩しただろう。

カチンとくることや、ちょっとしたことはいくらでもあるけれど、

本格的に喧嘩することは滅多にない。

きっかけは大したことじゃない。

大抵の喧嘩がそうであるように、きっかけになったことよりも

そこから発生した相手の言動だとか態度にこだわって、喧嘩はどんどん拡大し、収集がつかなくなってゆく。




喧嘩しながら、喧嘩ってなんて嫌なものなんだろうと思う。

互いが自分の正しさを振り回しているばかり。

この部屋の空気は真っ黒で、その辺の嫌なものを喜んで引き寄せているんだろう。

それなのに、気が済まないのだから呆れたものだ。

素晴らしくわからんちんなことを自信たっぷりに主張する夫の目の中に

夫以外のものを探すが、場のエネルギーに呑まれてはいても、

それは確かに夫なのだ。



前の結婚相手とは、こんな喧嘩をしたことがなかった。

言い合いになっても白黒つけてスッキリしたい私に対し、

前夫は貝のように頑なになり、一切口をきかずに、自分が悪くても私が謝るまで無視するという人で、

そのやり方は私を震え上がらせた。

二人しかいないのに、相手を無視して生活するなんて耐えられない。

二人だけだと、それができてしまうから、それが怖い。

だから喧嘩をしないように、相手を怒らせないように、私は自分の平和のために

臭いものに蓋をし続けた結果、11年で蓋がぶっ飛んだ。




今はわかる。喧嘩をする、しないが問題じゃない。

臭いものの蓋を開ける自信と勇気、

そして自分と違う相手を知り、2人で一緒に蓋を締める聡明さが、

夫婦に限らず、誰かと暮らす上で大切なことなんだと思う。

私は、蓋を開けたら何か壊れてしまうと怖かった。

そんな程度で壊れるものは、さっさと壊れてしまった方がいいのだと、

図々しく年を重ねた今は思うのだ。


「どんなに喧嘩しても、相手をわかりたい、わかってあげたいというひたむきな

気持ちがあれば、きっと大丈夫」



離婚するとき、姉がくれた手紙に書いてあった。

そのことはまさに、私の結婚に一番欠けていたことだった。






だから、バカバカしくも、くだらなくも、思いをさらけ出しあえるのはありがたいことだ。

今月で、結婚して7年になる。

その日は仕事が休みで、どこか素敵なレストランで食事しようかと話していたが、

喧嘩のあと、私達が結婚した場所に行き、出会ってから今迄のことを思い出し、

もう一度結婚しようと、ふたりで決めた。



結婚した頃は、喧嘩になると、どうにか相手をギャフンと言わせてやりたくて、辞書を片手の喧嘩。

さらに日本語でまくし立てて煙に巻くという

姑息な手法も使ったものだが、互いの言葉がわからず、上げ足を取ることもできずに

大した喧嘩にもならなかった。


ところが今は、夫の言うことがわかってしまうし、私も応戦できる。

日本語まくし立て作戦も、夫は理解してしまうようで、役にたたず。

お祭り騒ぎですぎた7年のうちに、少しは進歩もしているのだと実感。



日本では石の上にも3年だとか、「3年」がひとつの区切りになっているが、

アメリカでは7年なのだそうだ。





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ジャパニーズクラシック

2013-12-08 15:48:17 | 日記
1月に帰国することになった。

2011年の春にハワイに来てから、「うー、寒い」という体験をしていない。

冬に私が何を着ていたかも、よく覚えていないし、

だからいったいどんな服装で行ったらいいものか、友人と姉に同時にメールをしてみた。



友人からは、コート、マフラーは必須、ヒートテックの2枚重ねや、パンツの下にはレギンスなど、

と返ってきた。

そんなに寒かったっけ?と、思わずスキー場を思い浮かべる。

一応、冬服は少しは持ってきたけれど、箱を開けたことがない。

何が入っているかもチェックしなくては。



姉からは、



「今、日本では花柄のモンペが大流行していて、それに風呂敷(特に唐草模様は品薄状態)をバッグにして、

長い傘をアクセサリーとして持つ、というスタイルがジャパニーズクラシックと呼ばれてウケている」(原文のまま)




という返事が来た。


おまけに、姉が母に、私が着ていく服に迷っている、と話したら母は


「今年は日本は暖冬で、Tシャツと短パンでじゅうぶんだって教えてあげたら」


と、すました顔で言ったというではないか。




これが私の家族である。

忘れもしない、中学の入学式の前のことだった。

同じ学校に既に通っていた姉は、 「実は、新入生は三つ折靴下を履いていく決まりになっている」 と

真面目な顔をして私に言った。

当時の流行は、ソックタッチで靴下をしっかり止める履き方で、

三つ折靴下など、恥ずかしくて履けたものではなかった。


入学式に、私は三つ折靴下を履いていったかどうか忘れてしまったが

(直前に姉が告白したような気がしないでもない)

私は何度、姉のこの、真面目な顔で「実は」から始まる言葉にだまされてきたことか。



「実はあんたはあと少しで ぽち  という名前になるところだったんだよ」


と言ったこともあった。

まさかいくらなんでも ぽち はないだろうと笑うと、

姉はさらに深刻な顔をして言った。


「それが本当なんだよ。千の歩む、と書いて 千歩 で、それをひっくり返して 歩千 」


漢字を当てられたら、なんだか本当のような気がしてきてしまい、私は震え上がったものだ。




その姉が結婚したのが、姉に輪をかけた ヘンな おもしろい人物で、

ジャパニーズクラシック云々も、彼の入れ知恵に間違いない。




とにかく、なんでも笑ってしまえるという、

こんな家族に恵まれて幸せというものだ。






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