太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

自分

2013-05-21 07:52:11 | 日記
毎日、不特定多数の人と会っていると、それぞれの人生の一部を

観客席から眺めているような気持ちになる。


フランスで生まれて、ミリタリーとして日本やアメリカの各地に住み、

リタイアしてハワイにいる人がいる。

今彼は週に3日だけ働いて、1日1冊の本を読む。


近々ラスベガスに旦那さんと行くのだという、日本人の女性がいる。

「私は行きたくないんだけどね、私をおいてゆくのはかわいそうだと思うんじゃない?

でも私はホテルで本を読んでいるだけ。主人が500ドルくれるんだけど、そんなのすぐに使っちゃうし、

つまんないじゃない。

日本に帰ると、100万円ぐらい使うしね、それを思えばラスベガスは安上がりだけどね」

同じ話を、来るたびにする。



仕事がなくて、とても苦しいと訴える人がいる。

記念日に奥さんに花も買ってやれなかったとこぼす。


今幸せな人も、幸せじゃないことだってあっただろうし、

今不幸だと思っている人も、ずっと不幸だったわけじゃないだろう。

幸せそうにみえる人が、幸せを感じているとも限らず、

不幸そうにみえる人が、それほど不幸だと感じていないかもしれない。



たくさんの人の人生の、切れ端にみえるものの一つ一つは、

いくつもの面をもった多面体になっていて

きっとそれぞれが、自分の見たいものを相手の中に見ている。

その証拠に、同じ人と接したときに、人によって感じることが違うことがあり、

私の身に起きたことを人に話したとき、私には思いもよらなかった見方をして、

目から鱗が落ちることがある。



私たちはみんな、自分以外の人を通して自分を知ってゆくというのは本当なのかも。





人に対して、居心地の悪い、不愉快な思いになったとき、

自然に沸いてくる感情を責めてもしかたがないにしても

「これが私の見たいものなんだろか?」

と自分に問うようになった。



あの人が、こうしてくれたら私は不愉快な思いをしないのに。

という場所にいつづけると、

私は私を平和にしてくれる人々を探して、永遠に放浪しなくてはならない。

このことに気づくまで、私はそうして生きてきた。



世の中で、変えられるのは自分だけ。

そして自分を変えられるのは、自分以外の人がいてくれてこそ。

私は今日も観客席で、人に映った自分を探しているのである。







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願い方のトリック

2013-05-20 08:23:17 | 日記
ある映画をみていたら、

登場人物が

『家族の絆が強くなりますように』

と祈った。

すると、家族がばらばらになるような事件が起きて、

それを乗り越えて絆が深まる。

人生は修行だと思っていたのをやめて、

今は自分を幸せにするために生きていると信じている私は、

絆が深まるのはいいことだけれど、面倒なことは起きないほうがいいに決まっている、と思う。



願い事をするとき、祈るとき、

その「願い方」は大事だ。

もっと強さをください、といえば、強くならざるを得ないような出来事が起きるかもしれない。

ほんとうに自分が願っていることを願う。

簡単なようでいて、なかなかトリックがある。






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元気のもと

2013-05-18 08:18:35 | 日記
猫と遊ぶとか美味しいものを食べるとか、

海に行くとか、友達と会うとか元気のもとはたくさんあるが、

たった数分で心からハッピーになれるものがある。

you tubeの

Where the hell is Matt

あまりに有名になったから、見た人が多いだろう。



ハッピーでもそうじゃなくても定期的に見て、もう何年になるか。

くだらないことに見えることを、まじめに楽しむ。

そしてまわりの人もハッピーにしてしまう。

どんなスピリチュアルな本や話より、ずっとスピリチュアルだ。

今朝もまた、仕事に行く前にエネルギーをチャージした。

シンプルでいいんだ。

気がつくと深刻になっている私から、スッと力が抜けていく。




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無理

2013-05-17 08:16:47 | 日記
私の職場では、本のほかにDVDやCDも扱っている。

DVDやCDは、9割以上は英語圏のものだけど、日本のものも少しはある。

DVDはともかく、CDがいけない。

J-POPがさっぱーーーりわからんのだ。


最近のアイドルの顔が同じに見える話は以前に書いたけれど、それと同じで、

モーニング娘。を把握しきれないまま、私のJ-POP知識も止まっている。

AKB48も、嵐も関ジャニもよくわからないし、

東方シンキ(字がわからない・・・)は韓国の人ぐらいはわかる。

それでも聞かれた時やCDを買い取る時には、名前だけでも知っていれば何とかなるだろうと思っていた。



昨日、お客様が持ち込んだCDに、見たこともない名前があった。

AKB48は知っている。

しかしSKEとか、NMB48、HKT48、乃木坂46って何だ????



地方のテレビ局の名前かと思った・・・・



ジャケットを見れば、どれも同じような顔が笑っている。


そもそも、アルファベットの組み合わせに私は弱いのだ。

WHOとかNATOとか、

BYOBとか。


BYOB というのは、ハワイのレストランで、自分のお酒を持ち込めるシステムのことなのだが、

(Bring Your Own Beerとかなんとかいうらしい)

これもいつもわからなくなる。ま、わかんなくても困らないけど・・



家に帰って、ネットでSKEなんかをチェックしてみたけれど、

覚えられる気がしない。



年配の日系の方たちが演歌のCDを探しにみえて、

日本語が読めないので探すのを手伝ってほしいと言われることがある。

橋 幸夫とか、鶴田浩二なんて言われるとすぐにわかってしまう自分は、

演歌は全然好きじゃないけれど、

J-POP世代よかずーっと演歌寄りの世代に近いんだと思わざるを得ない。

鶴田浩二を探していた方が、名前が浮かんでこなくて、

「ほら、戦歌とか歌っていた、ハンサムな人」

「ああ、鶴田浩二ですね。片耳に手をあてて歌う人でしょう」

それを聞いていた同僚が驚いていた。

「何でそんなこと知ってんの」

ほんと、どうして私はこんなことを知っているんだろう????

自分でもわからん。



こうやって、どんどん、どんどん取り残されていくんだ。





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寡黙な人

2013-05-16 09:10:09 | 人生で出会った人々
日本の旅番組をみていたら、ある漁村にレポーターが立ち寄った。

午後の3時だというのに、お年寄りの男性が家の前で一杯やっている。

今日は海が時化て漁ができないので、早々に晩酌なのだという。

にこにことしているが、ぺらぺらしゃべる感じではない。


この村で生まれて、海で獲った魚を行商して、13人の子供を育てあげ、3年前に妻に先立たれ、

きっとこの村で死ぬのだろう。

「おじいちゃん、寂しくないですか」

テレビのレポーターというのは、どうしてこんなことを聞けるんだろう、というようなことを平気で聞く。

「そら寂しいよ。寂しくない、つったら嘘になるわなー」

「おじいちゃんにとって人生ってなんでしょうね」

なんでまた、そんな答えにくいようなことをサラーと聞くんだ!と怒っていたら、男性は見事に答えてくれた。


「天気がいい日もありゃぁ雨の日もある。まあ、そうゆうこっちゃ」



寡黙な人というと、母方の叔父を思う。

母は8人きょうだいの7番目で、1番年長の姉が嫁いだあとに母が生まれた。

その叔父はその姉の下、2番目の兄だ。

叔父は戦争に行った。

終戦になり、しばらくたった朝早くに、母は家の前にいた。

そのときに一面の田んぼにかかった朝霞の中を、ざっざっという足音とともに帰ってきた叔父の姿が、

ずっと目の裏に残っていると母は言う。

叔父は、戦争のことを一切話すことはなかった。

家の者も聞かなかった。

ただ、なにごともなかったように、叔父は教師になった。

もともと寡黙だった叔父が、戦争から戻ったあと、さらに寡黙になった。



戦争が終わって40年以上が過ぎたあるとき、ぽつりと叔父が母に話した。

叔父は、いわゆる赤紙を書く仕事の手伝いをさせられていたのだという。

赤紙が来たら、戦争にいかなければならない。それはすなわち「死」の宣告のようなもの。

未来ある若者たちに、国のために死ねよという紙をつきつける仕事を

同じ日本の若者として、叔父はどんな気持ちでやっていただろう。



前述の男性。

13人の子供を育てるのは、生半可のことではないだろう。

妻に先立たれるつらさも寂しさも、いかほどのものだろう。

わが身の苦難を、くりかえし話したがる人もいる反面、この男性や叔父のように、

その蓋を固く閉じてしまう人もいる。

これはもう、性格としかいいようのないものなのだろうけれども、

寡黙な人の思いがけない過去を垣間見たときのインパクトは強い。


特に私のような、なんでも話してしまう人間には、

彼らのような寡黙さは、修行を積んだ仙人にも似た離れ業に思えるのである。







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