一人で外で食事ができるようになったのは、いつからだろう?
正確には、一人で外で「リラックスして」食事ができるようになったのは、だろう。
ずっと若い頃は、だいたいどこに行くにも家族か友人と一緒だった。
初めて一人で外食したのは26ぐらいの頃で、かなり遅かったかもしれない。
当時、インテリア関係の仕事をしていて、知り合いの建築家に頼まれて
図面を熱海市役所に届けることになった。
用事が済むと昼をまわっていて、このまま電車に乗って帰るにはお腹が空きすぎていた。
何かを買って食べることも考えたけれど、一人で外食できなくてどうする!という思いもあり、
私は蕎麦屋に入った。
いきなり蕎麦屋は敷居が高かった、と思う。
せめて喫茶店で軽食ぐらいしておけばよかった。
蕎麦を頼んだが、味などしなかった。緊張して、ギクシャクしたまま店を出た。
一人が寛げないのは、「誰かが見ている」気がするからで
しかもその誰かが「あの人はどうして一人なんだろうと思うのではないか」という危惧にある。
実際には、自分が思うほど人は見ていないものだし、
ましてや、一人の理由など憶測したりはしない。
前の結婚時代も、単独で行動することはなく、
単独と向き合うことになったのは、離婚したあとだった。
交際相手とうまくいっていた間はよかったが、それも3ヶ月で終わり、
相手が冷たくなって、なかなか会えなくなり、私は単独行動に慣れる必要があった。
一人は楽しい、と、自分に催眠をかけようとした。
一人で楽しそうに生きている人のエッセイを読みあさったのも、
一人なのは私だけじゃないと思いたかったからだ。
新しい自転車を買い、片道40分かけてコジャれたカフェに行き、ランチを食べた。
車だと10分もかからずに着いてしまうので、暇な時間が有り余ってしまうのだ。
ところが、私が優雅に1人を楽しんでいると思おうとすればするほど、
気持ちはどんどん惨めになっていった。
カフェにいるアベック達(死語?)が羨ましい。みんなツガイでいるのにどうして私は一人なんだろう、と思う。
帰り道、坂道を漕ぎ漕ぎ、心がかさかさに乾いていくような気がした。
気がつくと、私は平気で単独行動ができるようになっていた。
1人でいることが怖くなくなったからではなく、
1人でいることを気にしなくなったからかもしれない。
蕎麦屋も、ラーメン屋も大丈夫。行ったことはないが中華料理屋も大丈夫だと思う。
美術館もドライブも海も大丈夫。
ただ、映画と一人旅はダメだ。
映画は行くことは行けると思うが、見終わった後で感想を言い合う相手か欲しい。
それが煩わしいから1人で行くという人もいるけれど。
ハワイに住むようになってからは、英語の台詞についていけなくなったときに
隣にいる夫をつついて、今なにがどうなったのかを聞く必要がある、というのも
一人で行きたくない理由である。
一人旅は、行こうとも思わない。
沢木耕太郎の「深夜特急」を読むと、気ままな一人旅には憧れるけれども、
映画と同じで、私は食べたものや行った先々について
誰かと体験をシェアしたいのだ。
サンフランシスコでは、1週間昼間は単独行動で、それはそれで楽しかったが
夜もずっと一人だったらと思うと、ものすごくつまらないだろうなあと思う。
友人は若い頃、カナダやオーストラリアなどをバックパックを背負って行き、
ホテルで働いたりしていたという。
「23の時かなあ、仕事が終わって帰り道、真っ暗な道で犬に吠えられて服の裾をかまれたとき、
それと一人でクリスマスを過ごしたとき、グワーッて孤独がこみあげてきてねー」
孤独と自由はセットで、
自由を手に入れると、もれなく孤独もついてくるものなんだろうか。
もしそうなのだとしたら、その孤独さえも楽しめる人が、一人旅をするのだろう。
私はまだそこには行けないけれど。
にほんブログ村
正確には、一人で外で「リラックスして」食事ができるようになったのは、だろう。
ずっと若い頃は、だいたいどこに行くにも家族か友人と一緒だった。
初めて一人で外食したのは26ぐらいの頃で、かなり遅かったかもしれない。
当時、インテリア関係の仕事をしていて、知り合いの建築家に頼まれて
図面を熱海市役所に届けることになった。
用事が済むと昼をまわっていて、このまま電車に乗って帰るにはお腹が空きすぎていた。
何かを買って食べることも考えたけれど、一人で外食できなくてどうする!という思いもあり、
私は蕎麦屋に入った。
いきなり蕎麦屋は敷居が高かった、と思う。
せめて喫茶店で軽食ぐらいしておけばよかった。
蕎麦を頼んだが、味などしなかった。緊張して、ギクシャクしたまま店を出た。
一人が寛げないのは、「誰かが見ている」気がするからで
しかもその誰かが「あの人はどうして一人なんだろうと思うのではないか」という危惧にある。
実際には、自分が思うほど人は見ていないものだし、
ましてや、一人の理由など憶測したりはしない。
前の結婚時代も、単独で行動することはなく、
単独と向き合うことになったのは、離婚したあとだった。
交際相手とうまくいっていた間はよかったが、それも3ヶ月で終わり、
相手が冷たくなって、なかなか会えなくなり、私は単独行動に慣れる必要があった。
一人は楽しい、と、自分に催眠をかけようとした。
一人で楽しそうに生きている人のエッセイを読みあさったのも、
一人なのは私だけじゃないと思いたかったからだ。
新しい自転車を買い、片道40分かけてコジャれたカフェに行き、ランチを食べた。
車だと10分もかからずに着いてしまうので、暇な時間が有り余ってしまうのだ。
ところが、私が優雅に1人を楽しんでいると思おうとすればするほど、
気持ちはどんどん惨めになっていった。
カフェにいるアベック達(死語?)が羨ましい。みんなツガイでいるのにどうして私は一人なんだろう、と思う。
帰り道、坂道を漕ぎ漕ぎ、心がかさかさに乾いていくような気がした。
気がつくと、私は平気で単独行動ができるようになっていた。
1人でいることが怖くなくなったからではなく、
1人でいることを気にしなくなったからかもしれない。
蕎麦屋も、ラーメン屋も大丈夫。行ったことはないが中華料理屋も大丈夫だと思う。
美術館もドライブも海も大丈夫。
ただ、映画と一人旅はダメだ。
映画は行くことは行けると思うが、見終わった後で感想を言い合う相手か欲しい。
それが煩わしいから1人で行くという人もいるけれど。
ハワイに住むようになってからは、英語の台詞についていけなくなったときに
隣にいる夫をつついて、今なにがどうなったのかを聞く必要がある、というのも
一人で行きたくない理由である。
一人旅は、行こうとも思わない。
沢木耕太郎の「深夜特急」を読むと、気ままな一人旅には憧れるけれども、
映画と同じで、私は食べたものや行った先々について
誰かと体験をシェアしたいのだ。
サンフランシスコでは、1週間昼間は単独行動で、それはそれで楽しかったが
夜もずっと一人だったらと思うと、ものすごくつまらないだろうなあと思う。
友人は若い頃、カナダやオーストラリアなどをバックパックを背負って行き、
ホテルで働いたりしていたという。
「23の時かなあ、仕事が終わって帰り道、真っ暗な道で犬に吠えられて服の裾をかまれたとき、
それと一人でクリスマスを過ごしたとき、グワーッて孤独がこみあげてきてねー」
孤独と自由はセットで、
自由を手に入れると、もれなく孤独もついてくるものなんだろうか。
もしそうなのだとしたら、その孤独さえも楽しめる人が、一人旅をするのだろう。
私はまだそこには行けないけれど。
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一人で大丈夫な場所ってみんな違うよね?
あたしも強いとこと弱いとこあるなぁ
孤独と自由がセットか。。
なんか自分もそんな呪縛にかかっているような気がする^^;
大勢の中にあってもそれぞれが自由っていうのが
一番いいよね
お酒を飲む場所も一人じゃ行けないな。
お酒がそれほど好きじゃないから、楽しめない。
今まで生きてきて、ああお酒を飲みたい!と思ったことがないもの。
大勢の中にいて自由。
そうだね、それぞれがみんな自由ならいいなあ。