陶子の心の窓

今日わたしの心の窓は開いていたかな?あなたはいかがでしたか?

演繹的?帰納的?

2019-05-02 06:05:19 | 勉強
検定試験対策の勉強会で過去問を読み込んでいます。
問題の選択肢の中に「帰納的な文法指導の場合・・」と、帰納的という言葉が。。

帰納的ってなに?

演繹的ってなに??


時々耳にする言葉だけど、実際のところホントはわかっていない。

ザックリの説明だと、帰納というのは長文を読んでルールを見つけること。演繹というのはルールを先に示すこと。
この説明なら、演繹の方が断然わかりやすい!と思います。時間もかかりません。
文法指導の場面でなら、演繹的に授業を進めた方が学習者たちの負担は少なくて済みます。
(応用できるように言いかえるなら、先ほどの説明の「ルール」を「結論」に置き換えるとわかりやすいでしょうか。)

でも、これが別の場面なら。
仲間とのおしゃべりで、演繹的に「これって○○だよね」というのが先にきて話を展開していくのはちょっと強引かもしれません。
グループの中で発言力のある人、その話題においては一目置かれている人ならアリかもしれませんが。
だいたいは他愛もないおしゃべりからだんだん「それって○○だよね」と、帰納的にしぼられていくような気がします。

勉強の仕方では、演繹的に先に結論、法則を知ることが近道でいいとは思います。
でもね。。
それだと受験勉強みたいになってツマラナイ。もっと寄り道したり、ゆっくり周りの景色も楽しみたい。そういう願望があります。
最近は図書館で勉強することが多いですが、勉強しているテーマの本を探しながらも同じ棚にある分厚い、けれど興味をそそる本に没頭してしまったりしています。
分厚い本はいろんな具体例を出しながら結論に進んでいく帰納的な展開のように思います。
ただし、その本を読みこなせるのはある程度結論、法則、一般論を承知しているからこそかもしれません。
要するに、読み手は演繹的に読み進めるということかな。

じゃあ、知識がないと読めないよ~~

そうです。速く読み進められません。途中で飽きてしまうことも。
でも、その本はまだ自分にとって時期尚早だったということ。同じテーマでもっとわかりやすい本が必ずあるから、その本から取り組めばいい。
大事なのは、知識を確固たるものにすること。本を読了することではない。
本を読むことは手段なのです(と思います)。
Comment    この記事についてブログを書く
« 使われない言葉、追いやられ... | TOP | 小銭 »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | 勉強