「来年」を失わないために。

……来年があるってことは、ものすごく幸せなことやねんで。

「来年」を失った私から、プロ野球を愛するすべての人へ

2007年12月31日 | ノーモア2004年
2004年。
大阪近鉄バファローズはオリックスブルーウェーブと合併し事実上消滅しました。

秋になれば、プロ野球ファンは「来年こそは」「来年も」と思いを馳せることが多くなります。
今年不調だったあの選手は来年頑張ってくれるだろうか、
怪我で活躍できなかった選手は怪我をちゃんと治してまた活躍してくれるだろうか、
あの若手選手は来年どれだけ伸びてくれるだろうか、
こんど入ってくる新人はどんな選手に育つんだろうか、
今年は負け越したあのライバルチームに来年はきっと勝ち越そう………

けれど、大阪近鉄バファローズのファンは、その「来年」を奪われました。

何気なく「来年は…」と話せるオフがどれほど幸せなことなのか───
「来年」を「今年」にすることが出来た全てのプロ野球ファンの皆さんに感じて欲しい。

それなのに、まだどこかで火が燻っています。
私たちと同じ涙を、もう誰にも流して欲しくない。

私は情報を集める能力も、それを分析したり理論的に組み立てたりする能力もありません。
でも、何かをせずにはいられないのです。


ブログ開設のご挨拶にかえて。
管理人:さいん(メインブログ:day by day

あれから3年~6月13日

2007年06月13日 | ノーモア2004年
お久しぶりです。

こちらで話題にしたい、しなければならない事が山積みになっていたのですが、記事にまとめることが出来ずに現在に到っています。
(言い訳になりますが、ここのとこ仕事が忙しく、ただの勢いで書ける毎日の試合レビューを書くのでいっぱいいっぱいということで…)

けれども、とにかくこの日のことを書かなければこのブログの存在意義は失われてしまいますからね。



3年前の出来事。
実のところ、時間が経てばもう少し別の───第三者的な視点であの出来事を見てみるということも出来るのかもしれないと思っていました。

でも、この日付を見ると───

あの時の衝撃や、
あの夏の不快な暑さや、
胸につまったドロドロの塊や、
焦燥や、

そんなもろもろのことがリアルに思い出されてしまいます。

「第三者的」になど、
もしかしたら10年経っても見ることは出来ないのかもしれません。



先だって、オリックス球団(と何故か阪神球団)がこの合併によって特別に認められていたダブル・フランチャイズ制が今年いっぱいで終了することが発表されました。
来年からは、正式にあの球団は「大阪の球団」になります。

小耳に挟んだ程度の話なので、話半分で読み流して頂きたいのですが……
近頃では、もとブルーウェーブの応援団はどんどん撤収(解散?)し、残っているのは1団体程度だと聞きました。
当初からそうでしたがメインで指揮をとっているのは近鉄バファローズの応援団です。
今年の神戸や大阪でのイーグルス戦の時には、「近鉄ユニデー」と称して応援常連の人にかつて着用していた「大阪近鉄バファローズ」のホームユニやビジユニを着て欲しいと要望するようなこともあったようです。
おそらく、彼らは彼らのやり方で、「自分たちのバファローズ」を取り戻そうとしているのでしょう。そしてそれは徐々に形になりつつあるのだろうと思います。
けれど、もう袂を分かってしまった私から見ればそれはただの自己満足のようにも見えます。
あのチームでそれをやるということは、もう一つのチーム・ブルーウェーブを意識的に消去し、踏みにじるのと同じことではないのでしょうか。

いくら2004年以前と同じスタイルで同じヒッティングマーチを歌ったとしても、私はそれを魅力的だとは───あそこに戻りたいとは、とても思えません。



そんな諸々の事もあって、徐々に
「より喪失感が大きいのはブルーウェーブの方じゃないか」
という感覚が強まっています。


でも、どちらがどちらを奪ったとか、どちらが消えたのだとか、そういう話ではなくて。
そもそも、この合併があったからいつまでもこんな複雑な思いを抱いていなければならないのです。



あの年、あるチームの監督さんが
「1リーグ8球団がいい」
と発言しました。
その監督さんは、あれだけの騒動を経て12球団が現在のチーム構成になったあとも、同じことを言いました。

あなたのチームがその当事者になっても『その方がいいと思ってたからどうぞ』と言えるの?

いまだにそのチームの指揮を執っているその監督さんを、私は許すことが出来ません。



ファンの中にも、応援するチームが不調ならば、本気ではないにせよ
「いっそどっかと合併して作り直せや」
と平気で言う人もいます。



ね、
ちゃんと想像してみて下さい。

もしあなたの愛するチームが、どこかのチームと「合併」なんてことになったら。
チームが突然解体されてバラバラにされて、別のものになってしまうというのがどういうことなのか。

きちんと想像してみて下さい。


いやでしょ?



それだけの、単純なことなんです。





「6月13日」(2004年6月13日の日記)
今日は、6月13日。
そして今年も6月13日がくる
2004年猛牛泣き言総まくり
【あの9月】シリーズ

「来年」を失った私から、プロ野球を愛するすべての人へ

それは継承の証でなく、破壊者の。~決意表明をひとつ~

2007年02月24日 | ノーモア2004年
さて、「バファローズ」という人質が解放される日というエントリを3日前に上げました。
(メインブログでも同じエントリを上げています)


このことをゆっくり考えるにつけ、あるいは2004年のあの恐ろしく長く暑い夏のことや、最期を迎えた秋の日のことや、オリバのユニフォームが発表された時の戸惑いや、岩隈が所属すべきチームを巡ってのあれこれや、……昨年の私を少々悩ませていたことなどを色々思い出していました。

先に、告白することがあるのでそれを暫く書いていきます。



「オリックス・バファローズ」は誰がなんと言っても、それとして認知され始めていました。
正直なところ、「合併球団」や「海牛」「オリ近」などの「合併という凶行の末出来上がったキメラ」であることを表現するための呼び名ですら、記号化して徐々に意味を失いはじめていると私は感じていました。

本来の意味とは違う「意味」を持たされた言葉は、使われれば使われるほど、擦り切れ、疲弊し、やがてそのインパクトを失ってゆくものなのです。

それでも、言葉しか武器がなかった。

「球団合併」がどんな苦しみをもたらしたのか。
それを忘れずにいるための武器は。


2005年の9月。
私はこのブログで、「あの9月」という連作のエントリーを書きました。
「1年を経て、あの時のことをどんな風に振り返ることが出来るか」という試みでもありました。
結果は、たった1年では全く消化などできずにいるということを再確認したにすぎませんでした。

2年目の9月。
私は当初、「あの9月・2006」とも言うべき連作を書くべきか迷い、書かねばならないと思っていました。

ここに、とても判りやすいサンプルがあります。
2005年9月8日のエントリ
2006年9月8日のエントリ

9月8日という日付は2004年において本当の最期へのカウントダウン開始を意味しています。
1年を過ごしたその日のエントリは、同じようにそれを忘れまいと上げられたエントリの数々がトラックバックされていました。
それから1年が過ぎた昨年の9月8日の記事には───
トラックバックもコメントもひとつもつきませんでした。

いや、私も積極的にそういう記事を検索してこちらからTBを送るという作業もしなかったのですが、その時私はふと、

「もしかして『合併』はすでに風化しているのではないか」

という気持ちに囚われてしまったのです。
そういった記事を上げたり、記事中で触れておられるブログもけっこうあったのだと気付いたのは少し後になってからでした。

───もしかして、私ってただのイタイ人になってる?

どこも良くなったとは思えないNPB。
そんな中でも、私自身ですらイーグルスを応援していることで「平和な日々」を取り戻したような錯覚に陥りがちで。
そんな中で「9月」だからとことさら特集を組んで「あの時あんな痛い思いをしたんだ」と訴えるのは、

せっかくいい気分で野球を楽しんでいる人の楽しみに水を差しているだけなんじゃないのか?

いつかは大波が来ていとも簡単に崩れてしまうだろう砂の城の舞踏会。
そこで今だけだとわかっていても楽しむだけ楽しんでいればいいんだろうか?
そのほうが、幸せなんだろうか?

本当はそれじゃいけないと判っていたのに、指がぱたりと止まってしまいました。
用意していた2006年9月の記事の素材もすべて捨ててしまいました。
いけないと思っている欠片は、メインブログの鷲の試合結果を書く日々の記事の片隅に少しずつちりばめるのが精一杯だったのです。

あの時私は、確かに「何か」に失望していました。
もしかしたら、「9月だから何か書かなきゃ」というプレッシャーをどこかで感じていて、この日の無反応というだけのきっかけでポキンと折れてしまったのかもしれません。
発信し続けることに疲れていたのかもしれません。

そして、
いつかオリックスという球団が「バファローズ」や「猛牛」などと称されることに私ですら慣れていってしまうのかしら───という絶望に似た気持ちに襲われていました。

この『「来年」を失わないために』を続けることも出来ないのではないかと思うくらいに。

いっそ、もうBuのことは本当にしまいこんでしまって、いつ崩れるか知れない砂の城の舞踏会に参加して、崩れる時は一緒に大波にのまれればいいかと思ったこともあります。
崩れるなら崩れてしまえ、それまでは楽しいことだけ見てミーハーにきゃあきゃあ騒いでいれば、確かにその時だけは楽しいんだからと。
でも、そうしたらこんど崩れる時には私はもう戦わないし泣かないのかもしれない、と。
2004年に、悔しいとも哀しいとも思わなかった人たちと同じように。






そこへ、今回の「バファローズ」のニックネームを変更するかも?というニュース。
まだ決定したわけでもないのに、多くの方がこれについて取り上げられました。

これが今オフに本決まりとなったなら、その時にはまた話題を集めるでしょう。
そしてその時また、多くの人が「あの合併の悲劇を忘れてはいけない」と声を上げるのでしょう。



ああ、そうだ。
痛みをうけた者こそが、悲鳴をあげつづける義務があるんだよね。

大袈裟ですが、天啓のような気がしました。
本当に立ち直れずに野球そのものに背を向けてしまったり、難民を続けている人たちも多く、それに比べれば(Buの身代わり役を託すのではなく)イーグルスファンになることが出来た私は幸せです。だからその幸せだけを見ていくことだって出来る。でも、あの時味わった悔しさをダイレクトに伝えられるのは本当に愛するチームを引き裂かれたという経験をした者だけ。

なら、誰が反応してくれなくてもいいじゃない?
数が少なくても確実に読んでくれている人がいる。
ひとりでもふたりでも。
誰かの胸にチクリと刺さればそれでいいじゃないか。





オリックスがバファローズの名前を「返上」するなら望むところです。
本当に、その名を見たり聞いたりするたびに、愛しい猛牛の屍骸から皮を剥いで、剥製にするでもなく振り回して見せびらかされているような気分でした。
それが企業の営業戦略として当時は最善策だったとしてもそんな事情などくんでやるものか。

でも、「バファローズ」の名前を捨ててしまえば───
「合併」のモニュメントのようだったあの猛牛の皮が捨てられてしまえば───

今度こそ、「合併」の風化は進むのではないだろうか?
ジレンマがまたやってきます。
「合併」の事実を常につきつけられて忘れなくする為に、私たちはずっと「バファローズ」と耳にする度に不快な思いをさせられ続けなければならないのでしょうか。毎日、毎日、毎日。おそらく多くの人が普段はそこまで意識することなく「バファローズ」とあの球団を称するようになっていく中で。

面白いことに、「バファローズ」の名前を返上するにあたって、現在の略称「Bs」を軸に新名称を公募するとかいう話らしいです。
それには、ユニフォームや帽子のマークや色んな部分につけた「Bs」のデザインを変更することなく移行するため、であったり、
「ブレーブス・ブルーウェーブ・バファローズの3球団の歴史を引き継ぐもの」
というスタンスを今後も取っていきたい(=それぞれのファンを取り込んでおくよすがにしておきたい)という意図もあるのではないかと思います。

けれど、たとえニックネームが変わったとしても。
「Bs」のマークが残っていれば───

今度は「ブレーブス・ブルーウェーブ・バファローズを破壊し葬り去った者」という印になりはしないでしょうか。
(選手にその印を負わせることをよしとしているわけではありませんが)

否、仮に「Bs」も消えてしまったとしても、言い続ければいい。
もうイタイ人とか思われることなんて恐れない。
「バファローズ」の看板を下ろすことが「合併球団イメージの払拭」を目的として行われるのなら、その目論見通りにさせてなどやらない。

私たちのバファローズがいない3度目のシーズンが始まろうとしています。
年月が経ったなら経ったなりのものの言い方があるはず。
今年はそれをちょっと探していきたいと思います。



オープン戦の開幕を数時間後に控えて。

「バファローズ」という人質が解放される日

2007年02月20日 | ノーモア2004年
久しぶりに更新します。
書こうかと思うことが無かったわけではないのですが、色々思うところがあって滞っていました。

さて久しぶりの記事はこういうの。
ちょっと釣られてみようと思います。

「バファローズ」今季限り?

こんなニュースが出てるのはスポーツ報知だけ、というのが非常に焦げ臭いのですが、とりあえずここでは深く追及しないでおきましょう。きりがなくなりそうだし。
もちろん「決定」とかいう話なら他のニュースソースに出てくるような話なのですが、「そういう動きがあることがわかった」程度のモノ。普段はこんなものに一喜一憂するほど暇ではないのですが、あえて釣られてみます。

 オリックスの愛称「バファローズ」が、今季限りで消滅することが濃厚になった。近鉄球団の親会社だった近畿日本鉄道が、合併3年目を迎える今季を最後に、球団経営から完全撤退する見通しであることを受け、オリックス本社、球団がすでに愛称変更に向けて検討に入っていることが19日、明らかになった。新名称は現在ロゴとして使用している「Bs(ビーズ)」を軸に、一般公募で募集する案も浮上している。
 2004年オフの合併以降、続けていた球団経営への出資について、近鉄サイドが「今年の成績には関係なく、3年で終わり」と、今季いっぱいの打ち切りを内定。合併球団のイメージから脱皮を図りたいオリックスは、新愛称命名への検討に入った。
 既に、移行に向けての作業は着々と進んでいる。今年、ウインドブレーカーの胸の文字が「Buffaloes(バファローズ)」から「Bs(ビーズ)」に変更。ユニホームにバファローズの文字は残さず、機谷(はたたに)俊夫球団代表(44)は、「今年はBsを前面に打ち出していく」と、イメージ刷新を強調している。

(2007年2月20日06時05分 スポーツ報知)※文中太字強調byさいん


………あまりにも予想通りなのでかえって嘘くさいのですが、近畿日本鉄道が球団から完全に手を引く3年をもってチーム名は捨てるだろうという予測がその通りになりそう、という記事ですよー。
この分だとダブルフランチャイズの期限切れとともに神戸を捨てるというのもそのまま現実になりそうな勢いです。


もとBuファンの人間でも現在の立ち位置は千差万別で。
オリックスに奪われても「バファローズ」の名前を大事にしてる人も多いでしょう。
オリバになってから新しくファンになった人にとってはあのチームこそ「バファローズ」なのでしょう。
そういう人たちにとっては(「決定」とは言ってないけれど)こういうニュースは噴飯ものだろうと思います。

でも私は……

合併の悲劇の最後に足高代表がせめてこの名前だけはと尽力したにせよ、「バファローズ」の名前を、略奪者であるオリックスに冠することは現在に至っても嫌で嫌で仕方ないし、ニュースなどでオリバのことを「バファローズ」と呼ばれるたびに「ちゃうわ!」と突っ込んでしまうし、どうしてもあのチームを「バファローズ」とは呼べずに最終戦のエール交換に参加できなかったりするし、表記の際も素直に「バファローズ」とは書けずに「バ『ふぁ』ローズ」とかいうややこしい書き方をしてしまったりしているのです。

Buのない3度目のシーズンが始まろうとしている今に至ってもそこだけは変わらないまま。

だから、もう名前を返してください。
「バファローズ」の名前を、「オリックスバファローズ」を応援できずにいる近鉄バファローズのファンの手に。

変えるなら変えてほしい。今シーズンが終了して近鉄が球団から手を引くのを待ってなんてまだるっこしいことを言わずに。今日変えろ。すぐ変えろ。今変えろ。



………というのが私の正直な気持ち。



これが現実になったなら、正式にオリックスという会社はプロ野球史に
パの老舗球団を「2つ」も喰い荒らして捨てた会社
として燦然とその名を残すことでしょう。おめでとうございます。
そして、「バファローズ」は永久に「近鉄バファローズ」として……(最後の3年は黒歴史w)



で、オリックスさんは

合併球団のイメージから脱皮を図りたい

らしい(報知の想像?w)けど、おあいにく。


いくら名前を捨てても、その凶行を忘れることはないから。
だって、現実に、「近鉄バファローズ」はもう存在しないんだもの。

9月8日なんか来なきゃいい

2006年09月08日 | ノーモア2004年
何が変わったんだろう?

セ・リーグが来季からプレーオフを導入し、パもそれに合わせて制度を変更し、ついでに交流戦の試合数を削減した。
皆が頼りにしていた讀賣球団の地上波テレビ中継はどんどん減少している。1億と言われた「巨人戦放映権料」も現在はどの程度まで下落しているのかは知らないが、そもそも中継そのものが無い場合が増えた。
2年前に比べて、「巨人戦に頼ってばかりもいられない」という状況が深刻になりつつある。
なのに、いまだに年寄り会合は「どこか」(ぶっちゃけ、巨人がダメなら阪神に)ぶら下がる方法ばかり皆で考えてるように思えてならない。

あの時必死で戦った選手会。
そういえばあの時は、自分たちの年俸水準を下げるという覚悟も口にしていた筈だけれど、結局オフになれば変わらぬ水準での抗争が続いている。
あの時の決意は何だったのだろう?
勿論、選手の方から一方的に折れて年俸を下げて下さいと個別に働きかければいいという問題ではない。
けれど、球団の経営を圧迫しない為にどういう方向へ進めばいいか、という話し合いはもたれる気配もない。

パの球団は効果があったかどうかは別として、ずっと集客のための努力を続けてきた。
セの球団もようやく尻に火がついたのか、様々な企画を繰り出して球場へ足を運んでもらえるようにと努力を始めている。
もちろんより利益を得るためには一人でも多くの客に来てお金を落としていってもらわねばならないし、そこらあたりの営業努力はより一層進めてもらいたいのだが───
そうじゃなくて、もっと根本的に、現実的に、経営が破綻せずに長くやっていけるためのシステムづくりは進んでいるのか?と疑問に思う。

そして、

もしも、球団経営が破綻して。
親会社が球団を持ちきれずに。
売却しようにも買い手がつかない。

そんな時に、選択する道が
「合併」や「解散」しか無い、という現実は変わっていないのだ。

親会社が破綻してもチームはNPBが一定期間預かって維持し、次の経営者を探すとか。

そういう、親会社の経営に左右されずにチームを維持するためのシステムを最優先で作るべきじゃなかったのか。

それはつまり、

近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの消滅が、
何の教訓にも礎にもなっていないということじゃないのか。




今、私は東北楽天ゴールデンイーグルスを応援していて。
今日の予告先発は有銘だ、頑張れよ、とか思っていて。
パはプレーオフに参加するチームはほぼ確定したと言ってもいいだろうがアドバンテージを巡って一つでも上の順位でPOを迎えるために熾烈な順位争いを展開していて。
そんな一つ一つの試合に一喜一憂する日々が私には戻ってきたと思う。

でも、心のどこかでこれが砂上の楼閣であることに気付いている。




もしも、次に「何か」が起こっても、
今度は私はあの時ほど苦しまず、涙も流さず、ただ

「ほらごらんよ」

と言ってしまいそうな気がする。
そんな日は決して来てはならないのだけど。

05/09/08 記事の隅についでのように書かれた一文
04/09/08 運命の臨時オーナー会議。

(シリーズ)あの9月

そして今年も6月13日がくる

2006年06月13日 | ノーモア2004年
6月8日の深夜のこと。
いつものようにその日の試合に関する記事をアップしたあと、他の試合はどうだったのかと何気なくスポーツ新聞サイトをめぐり記事に目を通したりしていた。
ふと、こんな記事が目についた。
この試合はたまたまサンテレビで中継されていたこともあり、結果も知っていたので特に何を見るつもりでもなかったのだが───

私の目にとまったのは、最後のこの一文だった。

阪神、中日、日本ハムに次ぐ4球団目の4000敗のおまけまでついた。ニッカン

4球団目の4000敗………。


「オリックス・バファローズ」は2005年からのチームである。
2005年には70敗、2006年この試合で34敗。合計で104敗目だ。
では、残りの3896敗は、いったいどのチームが負けた数?

オリックス・ブルーウェーブ、オリックス・ブレーブスそして阪急ブレーブスが長い年月負けてきたその積み重ねの数なのだろう。
こんな、「球団史上○○」や「球団通算○目」などという記録が飛び出してくる度、あらためて思い知らされる。


大阪近鉄バファローズはやはり「消滅」したのだ、と。


去年から現在に至るまで、自分でも驚くくらい私はイーグルスの試合をつぶさに見てきた。
飲み会などで中継の映像や音声やネットでの速報が見られないときでも、PHSのサイトから得られる速報を逐一チェックしてきた。
ふと不思議になった。

何故ここまで一瞬たりとも見逃さないと言わんばかりに追いかけているのだろう?

今はブログで試合についての記事を書くのが日課のようになっているので、もちろんそのせいもあるだろうが、それにしても。
近鉄バファローズを応援していた頃は、大阪ドームの試合も特に全試合足を運んでいたわけでもないし、ビジターの試合は最終的な結果をチェックする程度だったのだ。

いつのまに私はそんなに野球ヲタになったんだろう?
考えていて、思い当たった。

2004年の6月13日。

余命宣告を受けたあの日から、少なくとも大阪ドームでの試合は全部見ようと心に決めた。
(実際には2試合はどうしても行けなかったが、それ以外は全部行った)

「一瞬も逃さずに、このチームを目に焼き付けたい」

そんな思いに駆り立てられたのだ。
そして、同時に後悔した。
ああ、どうしてもっともっと、このチームをきちんと見つめてこなかったんだろう───。


今、イーグルスを見つめている私の眼は、あの時の後悔をそのまま引き継いでいるのだろう。
まだ2年目のこのチームがどんな戦いを経てどんなチームになっていくのか。それを自分の目できちんと見つめていかなければ───というなかば強迫観念のような衝動に私は動かされているのだ。

「Buファンである私」
「イーグルスファンである私」
とそうあたかも「私」が二人いるかのように書くことがままある。
しかし、Buファンとして受けた瑕がイーグルスファンの私の礎になっていることをあらためて確認した気がした。


オリックス・バファローズが「本拠地」を大阪ドームに移すらしい。来年からでも主催の殆どの試合を大阪ドームでやることになる。
応援団を実質仕切っているのは、元近鉄私設。
両方の歴史をリスペクトしていますよといわんばかりの企画も色々考えられているらしい。
そのどれもが、私の神経を逆撫でする。

地下鉄長堀鶴見緑地線に乗ると、どうしてもあのチームのポスターが目に飛び込む。
その度に、踏みにじられて唾されている気分になってしまう。
そして、その度にあのオーナーや球団社長の薄ら笑いが脳裡に浮かぶのだ。

私のバファローズを返せ。
もう二度と戻ることのない2004年のあのチームをそっくりそのまま時間ごと返せ。

そして、そう思う自分にほっとしたりもしている私がいたりもする。


2005年は「改革元年」だったそうだ。
で、結局元年には何が「改革」されたのだろうか?
交流戦が導入されたこと?
アジアシリーズが思いのほか盛り上がったこと?
分離ドラフト?
ファンサービス向上?
WBC?

2005年が「元年」なら2006年は何?
今年はもう「改革」という言葉すら見なくなったけれど?

相変わらずパもセもそれぞれの権益を少しでも損なわないようにプレーオフやポストシーズンの戦い方についてくだらない平行線を成している。
役立たずのコミッショナーの役割を「司法」から「行政」へとかいうなにやら意味不明の言葉遊びのような決定がなされたらしい。

「楽天」が新規参入したことで、「これから参入したいという企業に道筋が出来た」という見方も少しはあったけれど結局それ以後そういう動きが活発になったとはお世辞にもいえない。
クラブチームなどは有名人やOB,現役選手などがチームを運営し始めたりと地味に活性化している感もあるが、肝心のプロ野球だけはまったく相変わらずだ………。


で、「改革」って何をどうしたいんだっけ?
最終的に何を目的にしてるんだっけ?

うやむやなまま、また目先のことばかりに振り回されているうちに───そっと忍び寄ってくる大きな破滅の音に気付かなかったということがなければいいけれど。


2年経って、あらためて問いたい。

何故、合併でなければならなかったのか?
何故、近鉄バファローズは消滅しなければならなかったのか?

そして、近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブのファンだった人以外の総てのプロ野球ファンの方にもう一度───

「あなたの応援するチームは、今年いっぱいで無くなりますよ」

突然そう宣告されることを、想像してみて欲しい。



なにができるだろう?
ちっぽけなファンひとりの手で、いったい何ができるんだろう?


昨年の「6月13日」の後、この「来年」を失わないために。をオープンしてまもなく1年となります。
結局私の泣き言がメインになってきたわけですが、これからもこのようなスタンスで細々と運営していきたいと思います。
(内容によっては、せっかく頂いたコメントのお返事をするのがひどく遅くなったり出来なかったりすることがあるのは大変申し訳なく思っております…)
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


「6月13日」(2004年6月13日の日記)
今日は、6月13日。
2004年猛牛泣き言総まくり
【あの9月】シリーズ

「来年」を失った私から、プロ野球を愛するすべての人へ

「2年目」のビジター

2006年05月16日 | ノーモア2004年
 「大阪ドーム」が私のホームではなくなってまる1年以上経過して、2年目に入りました。
 今年の大阪ドームの「鷲ファンとしての私」にとってのゲームは(今年は1カードしかない為)3試合だけで終わりました。

 ふと、青いレフト側の通路やトイレや看板に慣れてしまっている自分に気付きます。
 レフトから眺めるグラウンドの風景にもすっかり慣れてしまいました。

 Bsの応援団は、今年も試合開始前の1-9で自軍の選手の前に現在鷲にいる元近鉄の選手の「近鉄時代のHM」をやっていました。
 去年はあれほど聞く度に鉛でも飲まされているような重い気持ちにさせられたのに、今年はちょっと皮肉に笑ってスルーすることが出来るようになりました。タオルマフラーのチャンステーマにしてもそう。
 ただ、でてくる感慨といえば───
「山村が投げていてブランボーでタオルマフラーをやるような人たちに、礒部や吉岡やケンシたちのHMなど我が物顔でやられたくない」
 ということくらいです。
 元Buファンじゃない現在のオリファンの人たちはあの1-9前の鷲選手のHMをどのように感じているんでしょう?むしろそれが知りたい。
 タオルマフラー踊り用のタオルは球団のグッズとしてちゃあんと販売され、応援ガイドにもちゃあんと振り付けが掲載されている。どうやら応援団と球団はちゃんと和解しているようです。合併を受け入れたと言われても仕方ないと思います。
 では彼らが礒部たちのHMをやるのは何故?
「元Buファンでイーグルスへ流れた人たちに対するいやがらせ」
 くらいの意味しか感じません。

 礒部たちのHMをあちらの応援団が演奏している間、何も知らないリプシーがそれに合わせて踊っていました。
 彼女はあれが元Buの、現在は鷲の選手のHMとは知らないのでしょう。皮肉な光景に写りました。


 去年は、レフト外野下段席の通路には
「ここはビジター応援席です。ホームチームの応援の方はご遠慮願います」
 という張り紙がありました。警備員による拡声器でのアナウンスも度々ありました。
ビジター席でのトラブル防止という名目で、Buのユニを着ている人がそれを脱がされる人がいるということもありました。
 今年は、あの張り紙も無くなっています。
 Buユニの人も何も言われなくなりました。
 それどころか、Bsユニを着た集団がレフト下段の真ん中近くに堂々と座っていても、誰もなんの注意も与えません。
 Buユニを着てる人がどれだけいても何の不快も感じませんが、Bsユニの連中に座られるとやはり不快です。客が入るならビジターの客が不快な思いをすることなどもうおかまいなし。
 最初からやってなくて「そんなもの」だったのならここまで言いませんが、「トラブル防止の為に元々やっていたはずのホームとビジターの棲み分け」を、この球場とこの球団は放棄したのです。

 去年のあれは何だったんでしょうか?


 すっかりイーグルスファンとなった私。礒部や吉岡や高須や藤井にも新しいイーグルスのHMが出来て、それにも馴染みました。

 こうして月日が過ぎていくごとに、Buの存在は遠い思い出になっていくんでしょうか。
 私の中ですら、合併は「風化」していくんでしょうか。

 でも、私はやっぱり大阪ドームのライトスタンドには足を踏み入れることが出来ません。まるで結界でもあるように。



 SMAP×SMAPに清原とノリが出演していたのを見てしまいました。
 ノリが、「キャンプで宮内オーナーが来た時に若いのが一発芸とかやるんですよー。めっちゃオモロイですよー」などと楽しげに話しているのを見て、吐きそうになりました。
 清原はいいです。宮内に何の恨みもないでしょうから。
 でもノリがそうやって宮内の前でご機嫌取りをする若い選手たちの話を楽しそうにするのが心底許せなかった。
 もう、悲しいとか悔しいとか腹が立つとかいう具体的な言葉で表現できない感覚でした。とにかく吐き気がした。

 そして、その時あらためて確認したのです。
 やっぱり、何年経っても、どれほどイーグルスファンとしてのめりこんでいっても、その1点だけは絶対に譲れないのだということ。
 「オリックス」という会社が何を奪っていったのか。何を踏みにじってくれたのか。そして今も踏みにじりつづけているのか。それは絶対に忘れることは出来ないのだということ。

 オリックス・バファローズ側に座って応援するくらいなら、30年来アンチを続けたジャイアンツ側に座る方がまだいい。

 むしろその感覚は去年より強くなっている気がします。
 多分ね、友達とかに手を引っ張られて無理やりあっちに連れていかれそうになったら、泣いて抵抗すると思う。多分本気で泣くと思う。


 わだかまりなく大阪ドームのライトに行けるようになった時、私の中で合併は「風化」したんだと思ったこの3日間だったのでした。 


 ごめん。
 あんな騒動があったのに、いや、あれがあったからこそ、
 12球団皆仲間、等しくリスペクトし合いましょう───なんて奇麗事を私が言ってはいけないのだということを痛感しています。

 どうしても、何があっても、何をやっても、選手に罪はないとどんなに胸に言い聞かせても、絶対に愛せない、認められない球団がひとつだけあるのです。

「大阪オリックス」なんて「地元球団」とは思えない

2006年05月01日 | ノーモア2004年
なにか、書こうと思った。
でも、考えがまとまらなかった。
私がこちらのブログの記事を書こうとする時には、何らかの「怒り」や「憤り」が核になっていることが多い。
それなのに、核となるほどの「怒り」や「憤り」が驚くほどわいてこなかった。

だから、これを書くまでに時間がかかってしまった。

来季は「大阪オリックス」、大阪D買収で

そうなのだ。
私は、阪急ファンではなく、ブルーウェーブファンでもなかった。
だからかもしれない。
もう、近鉄バファローズは蹂躙され奪われて2004年11月30日に歴史を閉じたのだ。
その後に、あのオリックスという会社が奪いつづけてきた(「阪急ブレーブス」と)「ブルーウェーブ」の残り香である「神戸」を用済みとばかりに捨てようが、今更「大阪」と冠されようが、大きな感慨を持つことができないでいる。


「あ、そう。やっぱりそういうつもりだったのか」

と、何に対する嘲笑か解らぬ笑いが漏れただけである。
そしてただぼんやりとした「悔しさ」が胸のあたりをもやもや覆っている、そんな感じだろうか。



「愛されない存在として生まれた球団を、それでも頑張っている選手や監督のために、応援しよう」
と、選択した人たちがいる。
その人たちに支えられて1年を経過した。
最初は戸惑いながらでも、1年も応援していればなんとなく「うちのチーム」と情が移るのは仕方のないことだ。しかしそれはすでに合併前のチームに対する想いとは似て非なるものである。(ちなみに現在イーグルスを応援している私の気持ちは、Buを愛した気持ちとは「似て」すらいないと思っている)
仰木監督の他界、そして清原・中村紀の入団。
清原効果でマスコミの注目度は何倍にもなった。
そのおかげで、ブルーウェーブも近鉄バファローズも、その合併の身を裂かれるような痛みをも「知らない」、新しいファンも増えた。
合併直後には「合併球団は応援しない」と声高に唱えた手前気まずくておおっぴらにBsを応援できなかった人がこっそり応援し始めたりもしているかもしれない。
「オリックス」はことさら必死になって「旧BWファン」や「旧近鉄ファン」の力をかき集めなくても、ある程度商売が出来る目処がたったことだろう。

そして、大阪ドームを手に入れて、「大阪オリックスバファローズ」になったとして………?

私は現在大阪市民だが、「これはうちの地元チーム」だとは(応援できる出来ないは別としても)とても思えない。



オリックスは、これで完全に「ブルーウェーブ」を捨て去ることになる。
あの「日本一居心地のいい球場」をも、捨ててしまうのだろうか。
「がんばろう神戸」も。
神戸ですらなくなったら、ネピリプの意味って何になるんだろう。
そこで、権利だけをこっそり買い取っていた「バフィ」を再登場させる気だろうか。

納得いかない神戸のファンには「サーパス神戸がありますよ」とでも言うつもりだろうか?


生憎と、「大阪××バファローズ」だろうが本拠地が大阪ドームになろうがバフィがマスコットに返り咲こうが、あのチームは私の愛したチームを引き裂いて多くの涙の海の中であたふたと繋ぎ合わせて作ったチームであることにかわりはない。
そのことを、自分の胸の中で確認した。

そうして、あの球団のオーナーは次には何をファンから奪い、踏みにじって商売を成立させていくのだろうか。

こんなやり方はいずれファンからしっぺ返しをくらって商売立ち行かなくなる、と思い知らせてやりたかったのに、彼の商売は着々とうまくいっているようだ。
合併の「痛み」はそれにすら何の効果も上げられなかったのだ。

こんなんじゃ、これからまた何が起こっても「ファンの声」なんてたいして力を持たないと証明したようなものだ。



それだけがただ悔しい。


【追記】
今、ニュースで正式に「大阪ドーム買取」を表明したというのを見ました。
「神戸からは撤退しない」
と言っているようですね。
ゼロにはならない、とは言っても地方球場なみの試合数になることも十分ありえます。

「大阪オリックス」は断念したんでしょうか?

でもダブルフランチャイズの期限がきたら………


あの会社のやることは、いちいち信用おけません。

ライブドア騒動に思うあの夏

2006年01月19日 | ノーモア2004年
ライブドアに強制捜査が入ったということで、連日報道されているわけですが、その時にいちいちあの2004年7月4日のホリエモン映像が流れるもので「どさくさまぎれに人の傷に粗塩塗りこむような真似しやがって」と暗~い気持ちになりつつついまたその頃の日記などを読み返している今日このごろ。

2004/06/30 ライブドア近鉄球団買収交渉正式表明
 全体的に無理に平静を装った空気に溢れていますが、冒頭で言いたいことを全部言っちゃった感じの記事です。

もー買ってバファローズが1チームとして残るんだったら
大阪ライブドアバファローズでも全然いいです~(泣)
藁をも掴みたいのよ。ライブドアが藁でもいいのよこの際。



今回のことで、「やっぱりライブドアに売らなくてよかった」とか「新規参入を認めなくてよかった」みたいな流れは必ず出てると思うんですけどね。
でも、私は「堀江貴文」本人ははどうしても好きにはなれないけれど、ライブドアがこの時期に球団買収の意思があることを表明してくれたことを今でもずっと感謝しているのですよ。

6月13日の発表からわずか3週間ほどですんなり決定されていたはずの、そして世間もすっかり「しょうがないんじゃない?」みたいな空気になっていた「球団合併」にとにかく一度は待ったをかけるキッカケになってくれたのだから。
「買うっていう企業があるのに何故合併を強行するのか?」
「何故売却ではいけないのか、本当に売却先はないのか?」
しょうがないんじゃない?と思っていた人にも疑問を持ってもらう隙間を空けてくれた。

パフォーマンスだろうがなんだろうが、赤シャツ着て外野席で北川の同点ホームランにファンと一緒にバンザイする、それを実際に体験してくれたのは事実だもの。


そりゃ、現実問題としてもしライブドアがバファローズを買ってくれていたとか、イーグルスではなくてフェニックスが参入していてこんな問題が起こっていたらものすごいおおごとになっていただろうから。「やっぱりライブドアでなくてよかった」と言われても仕方ないのだろうけど。
そのどさくさ紛れに「やっぱり合併して正解だったでしょ?」みたいな流れだけは勘弁願いたいものです。

てゆうかヒルズ族狙われてるっぽいので、楽天は大丈夫でしょうか…。それも心配だが。

というようなことをいつものようにぼつぼつ書いていたら、いつもお世話になってるこちらのブログでど真ん中の記事が上がってましたのでご紹介。

『Livedoor騒動』を出汁に球団合併を美化しないでほしい…(なにわっち's Weblog)
ロッテが「ライブドアスポーツ大賞」とやらを受賞しましたよ(Starless and Bible Blog)

合併は「成功」してしまった(一部追記あり)

2006年01月12日 | ノーモア2004年
ご挨拶が遅れましたがあけましておめでとうございます。
無事2006年を迎え「来年」を「今年」に出来たプロ野球ファンの皆さま、本年もなにとぞ宜しくお願い申し上げます。
更新頻度は遅いですが、これからも気になることには目を注いでいきたいと思います。


さて、年明け一発目からブルーになるような記事ですが……
普段、一般の新聞のサイトまで見て回っていないので知らなかったのですが、巡回先のマリンブルーの風さまで、讀賣新聞のこんな記事が紹介されていました。

これぞ統合効果 赤字が大幅減
 近鉄と統合したプロ野球オリックスの初年度の赤字が、当初試算した34億5000万円より大幅に少ない19億円台に収まったことが、29日明らかになった。清原和博選手、中村紀洋選手という“大砲”獲得に動いた背景には、こうした収支改善もあったようだ。

 一昨年に約37億円の赤字に苦しんだオリックスは昨年9月、統合初年度は34億5000万円の赤字という試算を公表していた。ところが、年間観客動員はリーグ3位の約135万6000人で、入場料収入が昨年の2・8倍となった。

 その理由について、ある球団幹部は、スカイマーク球場と大阪ドームのダブルフランチャイズ制を挙げ、「それぞれの球場の年間試合数が半減し、ファンの飢餓感が生まれて、1試合あたりの有料入場者が増えたのでは」と説明する。また、交流戦導入による巨人、阪神戦のテレビの放映権料も大きかった。

 支出では、岩隈久志投手ら近鉄に在籍していた高額年俸選手の何人かが楽天に移り、日本人選手の年俸総額は約1億円減少。大阪ドームの使用料も、近鉄時代の年間6億円から半分以下の3億円弱に抑えることができた。

 オリックスは日本一になった1996年に赤字幅が10億円を切ったが、最近は年間30億円を超えていた。大幅な赤字減らしで、47年ぶりの球団統合は一定の成果を上げたといえる。


不思議とこの記事そのものには腹が立ったりはしません。
あくまでも、人の心というものを考慮に入れなければ(ここに登場する数字が正しいものなのか特に検証はしていませんが)ごく客観的に見て確かに「合併は成功」したのです。
もっとも、合併に伴う効果のほかに交流戦やマリーンズの躍進によるビジター客の増加、巨人戦の放送権料なども含まれているのですから、赤字改善を即「球団合併の成功」と結びつけるのもおかしな話です。
けれど、この記事を読んだり記事を読んでいなくても単純にオリックスの赤字が大幅に改善と聞けば、するりと「合併は成功」したのだと判断するでしょう。
【追記】
非常に言葉足らずになっていて申し訳ありません。
最初にこれを書いた昨日の時点で、この記事の内容についてあまり詳しく検証したり讀賣新聞でわざわざこんな記事を書いていることの意味についてはむしろ深く考えることを避けていたような気がします。
もともと球団が自分で言ってる「赤字額」がどうせいい加減なものだという前提が頭の中ではできていたのですが…
そのあたりについてはなにわっちさんのエントリをご覧下さい。
この記事の主題はここから下に書いていることです。
【追記ここまで】


ただそれは、あくまでも経営上の話です。
それ以上に私の気持ちを重く重くさせていること。

あの合併球団は2年目を迎えます。
関西マスコミは記憶にないほど紙面を割いて清原や中村紀や谷の記事を掲載するようになりました。
また、仰木彬監督の死が球団のイメージアップに繋がったことは言うまでもありません。
(この表現は「良くない」かもしれませんが、実際にそうなのだから仕方ありません)
仰木さんの死を免罪符や美しい宣伝文句にしてるのは球団やマスコミや能天気なタレントOBだけではないのです。

「仰木さんのために優勝して欲しい」
「オリックスが強くなれば関西も盛り上がる」(本当か?)
「今年のオリックスは楽しみだ」
そんな言葉が浮かれたマスコミだけでなく一般の野球ファンの間からも聞かれるようになりました。
着実に「オリックス・バファローズ」は市民権を得始めているのです。



これが「合併成功」でなくて何でしょう?

どんなにファンが泣き叫んでも、とにかく押し切って実行してしまえばファン心理というのは結局選手を応援せざるを得ない。
そんな「合併成功例」にとうとうなってしまった。

歯痒い。もどかしい。腹立たしい。そして哀しい。

私のメインブログ「day by day」の記事で「合併が風化していくのが悔しい」ということを何度か書いたのですが、最近はこれは「風化」とは言わないと考えるようになりました。

風化とは忘れ去られること。

そうじゃない。
「合併したのは良い結果をもたらした」と考える人が増え始めているのです。
結局、合併して強くなって赤字も減ったなら良かったじゃない、と。

「風化」より全然悪いじゃないか。

※念のため言っておきたいのは、昨シーズン迷いながらBsを応援することを選択した人にはその人なりの葛藤があり、親会社を許したわけではないということは承知しております。でも、経営者たちは応援しているファンの心の葛藤などまるで見ようとしないで、ただ応援しているファンがいれば「許してもらえた」と判断するというのも確かだと思います。



私は先日、野球とは関係なしに大阪ドームで開催されていたとあるイベントを見に足を運びました。
ベンチの奥やブルペンにも入れたのですがその時は私の頭は完全に2004以前に戻っていたようで、ただブルペンに入れたのが嬉しくてはしゃいでいました。
けれど。
内野の通路の、2004年まではバフィの顔が描かれ近鉄の選手の顔写真が並んでいたコーナーが、オリックスのスローガンとBsの選手の顔写真に変わっているのを私は初めて見て───2005年の観戦時にはそこを通らなかったので───

これを私は直視できなくて、目を逸らして足早に通り過ぎました。
無理。絶対無理。

いまだにです。
イーグルスファンだと胸を張って言えるようになった現在ですら。



通路なので何度かこの前を通ったのですが、帰り際にやっと気付いてとにかく仰木監督のユニフォームの写真だけは撮影してきました。
尊敬する大好きな監督だからこそ、文句を言わせてください。

なんであんなにうまくやっちゃったんですか。
それでいなくなってしまうなんて、ずるいよ…。

なお、土曜日ですがスカイマークで催されるという追悼セレモニーには私は行きません。
福岡の方になら行きたいけど、そこまでも出来ません。
ところで同じ1/21にやるのは何か意味のある日なんでしょうか?
意味のある日なのだったら家で静かにご冥福を祈っていたいと思います。



さて、合併成功例が出来てしまいましたので………

今後、また経営不振などの問題が起こった時に「合併」という手法を使ってもなんとかなると経営者たちは学習してしまいました。

あなたの愛する球団は、大丈夫ですか?

2005年もオールスターはありました

2005年07月25日 | ノーモア2004年
オールスターも終わり、シーズンは後半戦を迎えます。

皆さんはオールスターゲームを楽しみましたか?
中継の質はともかく(笑)それぞれの楽しみ方をされたかと思います。

そして、こう思っている方も少なくないと思います。

ああ、今年も12球団2リーグでオールスターが出来た───

選手の側からはこんなコメントが出ています。

礒部“伸び伸び”2安打2打点(7/23 スポニチ)
「去年とは違って全然気楽です。雰囲気を楽しめました」。昨年の球宴は近鉄・オリックスの合併問題に端を発する球界再編騒動のまっただ中。選手たちは12球団存続を祈り12色のミサンガを腕に巻いて舞台に立った。
 近鉄選手会長で「合併反対」運動を率いていた礒部は1年前を思って言う。「今も野球界を何とかしようという気持ちは衰えていません」。昨年来の構造改革は今も懸案として横たわる。
 昨年訴え続けた「2リーグでオールスターができる喜び」は今も胸に残る。1リーグ制構想が現実化していれば、この夜の夢舞台はなかった。生き残った球宴で野球の原点を思い返し、礒部は心地よい汗を感じていた。


確かに、12球団で、2リーグで、オールスターが出来たということは「昨年球団数削減や1リーグ化に反対していた者」にとってはその成果であり、心から喜ぶべきことなのだと思います。

でもちょっと待って。

この記事に綴られているのが礒部の言葉の全てとは思わないし、逆にごく一部なのかもしれません。
それにしたって、礒部は
「(2リーグでオールスターが出来て良かったから)楽しめた」とは言っていません。

去年のように「差し迫って」プレー以外のことに頭を悩ませる案件がなく、球宴に参加できる。
だから「気楽」で「雰囲気を楽しめた」だけ。
去年はそれどころじゃなかったから。

私たちも、去年のオールスターの時は悲壮な気持ちでいました。
選手会が、各球団カラーの12色のミサンガを作って、球宴参加選手が全員(その後全選手)身に付けたのもオールスター戦からでした。
急遽、選手会の事務員の女性たちが材料を買い集め、球宴参加選手の数だけのミサンガを作って配布したといいます。
私はその話を聞いてこんなことを書いてました。、
あれ、自分で作ろうかな。そして、応援の時付けていく。
たくさんの人は同じ思いでした。
ネット上ではミサンガの作り方が出回っていたし、色んな人がそれぞれ自分なりにそれを作っていました。
やがて、選手会からもキットとして販売されたことを記憶されている方も多いと思います。

その「ミサンガ」は今は私の携帯ストラップとして、去年の12色のままいつも私と共にあります。
その中でひときわ赤い一本は、バファローズのメガホンを繋いでいた赤い紐でした。

あの「祈り」は。

「2リーグ存続、12球団存続」
それだけのための祈りじゃなかった。

「あの12色」で残ってくれなければ意味がなかった。


「ダイエー」の「オレンジ」が「ソフトバンク」の「黄色」に変わるくらいならまあいいか、で終わりですが。



今年も、2リーグでオールスターが出来たこと。
内訳はともかく12球団が維持できたこと。
それらには一定の評価はできるとは思います。

でも、ノリがホームラン競争で勝利し岩隈が投げる姿を、涙を浮かべながら見つめた───
あの時の想いはトゲトゲの小さな結晶となって心の中でちくちくと転がりつづけています。


「元近鉄勢」の中で唯一の出場となった礒部。
そのヒッティングマーチが去年まで歌い慣れたあの歌であることですら、素直に嬉しいと思えない私がいます。
去年まであんなに信頼していた人たちに対する反感や不信感を持ってしまったことも。


去年あんなことがなければ、否、最後に私たちの望む結末を迎えることが出来たのなら。
こんな想いを抱くこともなかったのに。

この季節が来るたび、オールスターがある度、きっと2004年のオールスターを思い出してまたあのトゲトゲの結晶が転がりだすのでしょう。
でも、その痛みが、去年のことを忘れないために必要なものであることを私は知っています。


それでも、礒部が「楽しめました」と言ってくれたことは私の中で救いだったかもしれません。
少しではありますが、「2リーグ残ってよかったね」という気分にはさせてもらいましたから。

七夕がいやな思い出の日になったのは

2005年07月07日 | ノーモア2004年
今日は7月7日です。

昨年の7月7日、こんなことがありました。

6月13日からわずか3週間。
これほど重大なことを承認するのにわずか3週間です。

あのまま進んでいけば、結局、「もうひとつの合併」も実現したんでしょうね。


今年、2リーグ12球団は維持されています。
消えたチームがあり、新しく誕生したチームがあります。



「2リーグ12球団が残ってよかったね、交流戦も実現できて良かったね、ファンや選手会が戦ってこの結果を引き出せたことは、勝利したといっていいよね」

って、安心している人もたくさんいるのではないでしょうか?


来年の交流戦の試合数とか、セもプレーオフを導入しようとか、
目先のイベントを工夫するだけが「改革」ですか?
ファンは飽きるもの、飽きられないように工夫する、それが「改革」ですか?

野球って、そんな浅くてつまらないスポーツなんですか?
違うでしょ。

野球離れしていくファンはイベントに退屈して離れていくわけじゃないと思うんですよ。
野球が好きなファンこそ嫌気がさすような構造だから、離れていくんでしょ。
それをどうにかしようとしなくて何が「改革」なんでしょうか。

ドラフト改革の案もあるみたいですが、「自由獲得枠を最低一つは残す」のは今年の最低条件のような雰囲気です。
そりゃ、今年の自由獲得枠が撤廃されたら、裏金を積んで獲ることが確定している選手を逃すことになりますから裏金出し損ですからね。
金を積んだ分はちゃんと回収しなければいけないんです。

そんな連中に、何を「改革」できるっていうんでしょうか。

去年、どうしてあんなことが起こったのか。
何故、球場が常に満員でも赤字で経営が立ち行かなくなるのか。

そんな根本的な部分には目を向けず手をつけず。
経営が立ち行かないのは野球人気が低下して客が減っているせいだ、ではファンサービスをしよう、タレントを呼ぼう、ペナントでのイベントを変えよう・・・・・・

ファンをばかにするのもいいかげんにしてもらいたい。


あれから、カープとオリックスの合併話は噂の域を出ないまま続報はない。
でも、それが「カープとオリックス」でなくても「スワローズとベイスターズ」でなくても、
隙あらばそれを目論もうとする魑魅魍魎は去っていないのです。




あなたは、自分の愛する球団を消滅させられるという決定が、こんなに楽しそうになされていたとしたら

────どうしますか?

※上記リンク先:なにわっち's Weblog

2004年猛牛泣き言総まくり

2005年06月01日 | ノーモア2004年
※この記事は2004年12月31日付day by dayの記事から転載しました。


球界再編問題のまとめをやろうかと思ったんですが
それを急いでやらなくてもどこででも「まとめ」は見れるでしょうからこの際、今年私が主に合併問題関連で泣き言をどれだけ垂れまくっていたかを総まくりするという鬱陶しいことこの上ない企画です(苦笑)
自分の中で気持ちの整理というか、こうやってまとめて振り返る機会が欲しかったので完全に自己満企画ではありますが、今年の苦しみを忘れないためにもまとめておくことにします。

合併問題の当事者の一端を担っていた当該球団ファンとしての泣き言を振り返ることでひとつの側面からの合併問題の姿がきっと浮かび上がってくることでしょう。

流れの問題もあるので泣き言ではなく怒ってたり淡々と述べたりしてるものも混ざったりしています。
太字は泣き言度の高いものです。

1/31 球団命名権売却。
2/1 2月です。
2/3 なんであかんの?
2/5 撤回…。撤回して、大丈夫なのか近鉄?やっていけるのか?
2/22 地元球団のはずやのになんでこんな扱いかなぁテレビ局~(怒)※再編問題には直接関係ありませんが、地元のはずの関西のマスコミにどの程度の扱いしかされていなかったかという部分で遠いところで関連してるかと。
5/17 鈴木貴久さん急逝※これも直接関係ありませんが泣き言としては重要(笑)

6/13 「6月13日」 運命の日のこと。

6/14 一夜明けて。
6/15 選手にはインタビューしないで下さい。
6/16 ウェスタンリーグ前期優勝! ※嬉しいニュースなのに、泣き言言ってます。
6/17 なにかできることを。
6/18 客を呼ぶ努力って何よ。
6/26 巨人と阪神だけで・・・・・・・・・・・・・・・やっとけ!
6/30 ライブドア近鉄球団買収交渉正式表明
7/7 七夕だってのに。
7/9 フレッシュオールスターゲーム
7/10 岩館ブーイング記事&オールスター第1戦
7/14 壮行試合そのに&TBS好珍
7/21 ナベツネ語…?
7/16 さて始まった後半戦!!
7/23 延長で10-5て何?&反巨人同盟(笑)
7/31 朝まで生テレビ…
8/4 そぼくなぎもん
8/5 値ごろ電波
8/8 たからもの
8/11 東京でデモ。※これは自分が参加したという話ではなく。
8/13 ナベツネ辞任!!
8/19 しゅくしゅく
8/21 合併反対街頭署名(梅田)
9/3 老害と選手会
9/5 合併反対デモ行進。
9/6 選手会臨時運営委員会
9/8 運命の臨時オーナー会議。
9/9 まじで、昨日負けてたら
9/10 スト回避。
9/15 9月15日は何の日でしょう?
9/17 スト決行。
9/19 スト2日目。
9/23 礒部の涙

9/24 9・24ドキュメント ~1~ ~2~~3~

9/27 笑顔の最終戦


この後にももちろん、楽天参入決定、分配ドラフト、岩隈問題などの間で泣き言をこぼしていることもありますが、最終戦のところで区切ることにします。
よくまぁボヤいてますね。
やはり夏ごろから泣き言度の高いものが増えています。
ちなみに現実世界でもかなり涙もろくなって、平年の10倍くらいは泣いてると思いますワ。

「岩隈問題」おさらい

2005年06月01日 | ノーモア2004年
おさらい、と言ってみたものの。
つまり「岩隈問題」の時に私がday by dayで書いた記事の総まくりです。

今年2005年は不調に苦しんでいますが、彼はそれで終わる投手ではありません。
さんざん彼を批判した連中の目を覚まさせてやって欲しいもんです。
ま、そんな後ろ向きなことじゃなくて。
隈には「これぞ岩隈!」というピッチングで私たちを楽しませて欲しい。
結局そういうことなんですけどね。

04/11/22クマはどこへ…。
04/12/01センセーショナルな見出し(追記あり)
04/12/05今日はちょっと黙ってられません。やい張本!!
04/12/09たまには野球以外の話題と思ったのに
04/12/1221番あいてます
04/12/13岩隈ついに怒る?
04/12/14ひどい…
04/12/17岩隈は拒否
04/12/21小泉スマイル消える
04/12/22岩隈、楽天入り決定!!!
05/01/19完結!ゴーグルス入団発表!