6月8日の深夜のこと。
いつものようにその日の試合に関する記事をアップしたあと、他の試合はどうだったのかと何気なくスポーツ新聞サイトをめぐり記事に目を通したりしていた。
ふと、こんな記事が目についた。
この試合はたまたまサンテレビで中継されていたこともあり、結果も知っていたので特に何を見るつもりでもなかったのだが───
私の目にとまったのは、最後のこの一文だった。
阪神、中日、日本ハムに次ぐ4球団目の4000敗のおまけまでついた。(ニッカン)
4球団目の4000敗………。
「オリックス・バファローズ」は2005年からのチームである。
2005年には70敗、2006年この試合で34敗。合計で104敗目だ。
では、残りの3896敗は、いったいどのチームが負けた数?
オリックス・ブルーウェーブ、オリックス・ブレーブスそして阪急ブレーブスが長い年月負けてきたその積み重ねの数なのだろう。
こんな、「球団史上○○」や「球団通算○目」などという記録が飛び出してくる度、あらためて思い知らされる。
大阪近鉄バファローズはやはり「消滅」したのだ、と。
去年から現在に至るまで、自分でも驚くくらい私はイーグルスの試合をつぶさに見てきた。
飲み会などで中継の映像や音声やネットでの速報が見られないときでも、PHSのサイトから得られる速報を逐一チェックしてきた。
ふと不思議になった。
何故ここまで一瞬たりとも見逃さないと言わんばかりに追いかけているのだろう?
今はブログで試合についての記事を書くのが日課のようになっているので、もちろんそのせいもあるだろうが、それにしても。
近鉄バファローズを応援していた頃は、大阪ドームの試合も特に全試合足を運んでいたわけでもないし、ビジターの試合は最終的な結果をチェックする程度だったのだ。
いつのまに私はそんなに野球ヲタになったんだろう?
考えていて、思い当たった。
2004年の6月13日。
余命宣告を受けたあの日から、少なくとも大阪ドームでの試合は全部見ようと心に決めた。
(実際には2試合はどうしても行けなかったが、それ以外は全部行った)
「一瞬も逃さずに、このチームを目に焼き付けたい」
そんな思いに駆り立てられたのだ。
そして、同時に後悔した。
ああ、どうしてもっともっと、このチームをきちんと見つめてこなかったんだろう───。
今、イーグルスを見つめている私の眼は、あの時の後悔をそのまま引き継いでいるのだろう。
まだ2年目のこのチームがどんな戦いを経てどんなチームになっていくのか。それを自分の目できちんと見つめていかなければ───というなかば強迫観念のような衝動に私は動かされているのだ。
「Buファンである私」
「イーグルスファンである私」
とそうあたかも「私」が二人いるかのように書くことがままある。
しかし、Buファンとして受けた瑕がイーグルスファンの私の礎になっていることをあらためて確認した気がした。
オリックス・バファローズが「本拠地」を大阪ドームに移すらしい。来年からでも主催の殆どの試合を大阪ドームでやることになる。
応援団を実質仕切っているのは、元近鉄私設。
両方の歴史をリスペクトしていますよといわんばかりの企画も色々考えられているらしい。
そのどれもが、私の神経を逆撫でする。
地下鉄長堀鶴見緑地線に乗ると、どうしてもあのチームのポスターが目に飛び込む。
その度に、踏みにじられて唾されている気分になってしまう。
そして、その度にあのオーナーや球団社長の薄ら笑いが脳裡に浮かぶのだ。
私のバファローズを返せ。
もう二度と戻ることのない2004年のあのチームをそっくりそのまま時間ごと返せ。
そして、そう思う自分にほっとしたりもしている私がいたりもする。
2005年は「改革元年」だったそうだ。
で、結局元年には何が「改革」されたのだろうか?
交流戦が導入されたこと?
アジアシリーズが思いのほか盛り上がったこと?
分離ドラフト?
ファンサービス向上?
WBC?
2005年が「元年」なら2006年は何?
今年はもう「改革」という言葉すら見なくなったけれど?
相変わらずパもセもそれぞれの権益を少しでも損なわないようにプレーオフやポストシーズンの戦い方についてくだらない平行線を成している。
役立たずのコミッショナーの役割を「司法」から「行政」へとかいうなにやら意味不明の言葉遊びのような決定がなされたらしい。
「楽天」が新規参入したことで、「これから参入したいという企業に道筋が出来た」という見方も少しはあったけれど結局それ以後そういう動きが活発になったとはお世辞にもいえない。
クラブチームなどは有名人やOB,現役選手などがチームを運営し始めたりと地味に活性化している感もあるが、肝心のプロ野球だけはまったく相変わらずだ………。
で、「改革」って何をどうしたいんだっけ?
最終的に何を目的にしてるんだっけ?
うやむやなまま、また目先のことばかりに振り回されているうちに───そっと忍び寄ってくる大きな破滅の音に気付かなかったということがなければいいけれど。
2年経って、あらためて問いたい。
何故、合併でなければならなかったのか?
何故、近鉄バファローズは消滅しなければならなかったのか?
そして、近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブのファンだった人以外の総てのプロ野球ファンの方にもう一度───
「あなたの応援するチームは、今年いっぱいで無くなりますよ」
突然そう宣告されることを、想像してみて欲しい。
なにができるだろう?
ちっぽけなファンひとりの手で、いったい何ができるんだろう?
昨年の「6月13日」の後、この「来年」を失わないために。をオープンしてまもなく1年となります。
結局私の泣き言がメインになってきたわけですが、これからもこのようなスタンスで細々と運営していきたいと思います。
(内容によっては、せっかく頂いたコメントのお返事をするのがひどく遅くなったり出来なかったりすることがあるのは大変申し訳なく思っております…)
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
「6月13日」(2004年6月13日の日記)
今日は、6月13日。
2004年猛牛泣き言総まくり
【あの9月】シリーズ
「来年」を失った私から、プロ野球を愛するすべての人へ
いつものようにその日の試合に関する記事をアップしたあと、他の試合はどうだったのかと何気なくスポーツ新聞サイトをめぐり記事に目を通したりしていた。
ふと、こんな記事が目についた。
この試合はたまたまサンテレビで中継されていたこともあり、結果も知っていたので特に何を見るつもりでもなかったのだが───
私の目にとまったのは、最後のこの一文だった。
阪神、中日、日本ハムに次ぐ4球団目の4000敗のおまけまでついた。(ニッカン)
4球団目の4000敗………。
「オリックス・バファローズ」は2005年からのチームである。
2005年には70敗、2006年この試合で34敗。合計で104敗目だ。
では、残りの3896敗は、いったいどのチームが負けた数?
オリックス・ブルーウェーブ、オリックス・ブレーブスそして阪急ブレーブスが長い年月負けてきたその積み重ねの数なのだろう。
こんな、「球団史上○○」や「球団通算○目」などという記録が飛び出してくる度、あらためて思い知らされる。
大阪近鉄バファローズはやはり「消滅」したのだ、と。
去年から現在に至るまで、自分でも驚くくらい私はイーグルスの試合をつぶさに見てきた。
飲み会などで中継の映像や音声やネットでの速報が見られないときでも、PHSのサイトから得られる速報を逐一チェックしてきた。
ふと不思議になった。
何故ここまで一瞬たりとも見逃さないと言わんばかりに追いかけているのだろう?
今はブログで試合についての記事を書くのが日課のようになっているので、もちろんそのせいもあるだろうが、それにしても。
近鉄バファローズを応援していた頃は、大阪ドームの試合も特に全試合足を運んでいたわけでもないし、ビジターの試合は最終的な結果をチェックする程度だったのだ。
いつのまに私はそんなに野球ヲタになったんだろう?
考えていて、思い当たった。
2004年の6月13日。
余命宣告を受けたあの日から、少なくとも大阪ドームでの試合は全部見ようと心に決めた。
(実際には2試合はどうしても行けなかったが、それ以外は全部行った)
「一瞬も逃さずに、このチームを目に焼き付けたい」
そんな思いに駆り立てられたのだ。
そして、同時に後悔した。
ああ、どうしてもっともっと、このチームをきちんと見つめてこなかったんだろう───。
今、イーグルスを見つめている私の眼は、あの時の後悔をそのまま引き継いでいるのだろう。
まだ2年目のこのチームがどんな戦いを経てどんなチームになっていくのか。それを自分の目できちんと見つめていかなければ───というなかば強迫観念のような衝動に私は動かされているのだ。
「Buファンである私」
「イーグルスファンである私」
とそうあたかも「私」が二人いるかのように書くことがままある。
しかし、Buファンとして受けた瑕がイーグルスファンの私の礎になっていることをあらためて確認した気がした。
オリックス・バファローズが「本拠地」を大阪ドームに移すらしい。来年からでも主催の殆どの試合を大阪ドームでやることになる。
応援団を実質仕切っているのは、元近鉄私設。
両方の歴史をリスペクトしていますよといわんばかりの企画も色々考えられているらしい。
そのどれもが、私の神経を逆撫でする。
地下鉄長堀鶴見緑地線に乗ると、どうしてもあのチームのポスターが目に飛び込む。
その度に、踏みにじられて唾されている気分になってしまう。
そして、その度にあのオーナーや球団社長の薄ら笑いが脳裡に浮かぶのだ。
私のバファローズを返せ。
もう二度と戻ることのない2004年のあのチームをそっくりそのまま時間ごと返せ。
そして、そう思う自分にほっとしたりもしている私がいたりもする。
2005年は「改革元年」だったそうだ。
で、結局元年には何が「改革」されたのだろうか?
交流戦が導入されたこと?
アジアシリーズが思いのほか盛り上がったこと?
分離ドラフト?
ファンサービス向上?
WBC?
2005年が「元年」なら2006年は何?
今年はもう「改革」という言葉すら見なくなったけれど?
相変わらずパもセもそれぞれの権益を少しでも損なわないようにプレーオフやポストシーズンの戦い方についてくだらない平行線を成している。
役立たずのコミッショナーの役割を「司法」から「行政」へとかいうなにやら意味不明の言葉遊びのような決定がなされたらしい。
「楽天」が新規参入したことで、「これから参入したいという企業に道筋が出来た」という見方も少しはあったけれど結局それ以後そういう動きが活発になったとはお世辞にもいえない。
クラブチームなどは有名人やOB,現役選手などがチームを運営し始めたりと地味に活性化している感もあるが、肝心のプロ野球だけはまったく相変わらずだ………。
で、「改革」って何をどうしたいんだっけ?
最終的に何を目的にしてるんだっけ?
うやむやなまま、また目先のことばかりに振り回されているうちに───そっと忍び寄ってくる大きな破滅の音に気付かなかったということがなければいいけれど。
2年経って、あらためて問いたい。
何故、合併でなければならなかったのか?
何故、近鉄バファローズは消滅しなければならなかったのか?
そして、近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブのファンだった人以外の総てのプロ野球ファンの方にもう一度───
「あなたの応援するチームは、今年いっぱいで無くなりますよ」
突然そう宣告されることを、想像してみて欲しい。
なにができるだろう?
ちっぽけなファンひとりの手で、いったい何ができるんだろう?
昨年の「6月13日」の後、この「来年」を失わないために。をオープンしてまもなく1年となります。
結局私の泣き言がメインになってきたわけですが、これからもこのようなスタンスで細々と運営していきたいと思います。
(内容によっては、せっかく頂いたコメントのお返事をするのがひどく遅くなったり出来なかったりすることがあるのは大変申し訳なく思っております…)
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
「6月13日」(2004年6月13日の日記)
今日は、6月13日。
2004年猛牛泣き言総まくり
【あの9月】シリーズ
「来年」を失った私から、プロ野球を愛するすべての人へ