親和会

地域自治会の親睦会の活動&トピックスなどなど~

人間・出光佐三の魅力

2014年08月14日 13時08分41秒 | サロン関連資料

海賊とよばれた男 人間・出光佐三の魅力

  平成26年9月6日 親和会サロン 於畑自治会館

 はじめに                     

昨年出版された「海賊とよばれた男」(著者百田尚樹)は本屋大賞を受賞しベストセラーになった。海賊とは出光興産の創業者社長・店主出光佐三のことで、今年4月にはTV・Bs朝日の「昭和偉人伝」でも放送された。出光佐三の魅力とは何か?

どの企業にも社風がある。出光独特の理念・社風あり。人間尊重、大家族主義、消費者本位、変わった会社。抽象的な言葉でなく、佐三の生涯の中で起きた事実を紹介しながら魅力に迫りたい。

1―1 出光佐三の生い立ち

  明治18(1885)宗像郡赤間生れ(8月22日)。       

 昭和56(1981)95歳(3月7日)心不全。鈴木総理、三木、福田、稲山、土光さん、芝増上寺に参列北鎌倉・東慶寺に師・鈴木大拙と眠る

         国の為ひとよつらぬき尽くしたる君また去りぬさびしと思う(昭和天皇御製)

 藍問屋 6男2女の次男 父藤六・母千代。虚弱、眼疾 ①一生懸命に働け ②質素に暮らせ贅沢する 人の為に尽くせ・・・・・父の口癖。生家の近くに 宗像大社 神を崇敬する風土に育つ。 皇室、日本、日本人という意識をもつようになった原点 敬神崇祖の念。福岡商業から神戸高商へ父:「役人外交官になるより独立自営の商人になれ」.4明治38(1905)第3回神戸高商入学。同期生に高畑誠一、永井幸太郎、和田恒輔 日露戦争終り、成り金続出、投機をやる。消費者をだまして金を儲ける。買い占めて高く売りつける。金を儲けさえすれば手段を選ばない、黄金万能の風潮に反発。黄金の奴隷となるな。社会は人間がつくったものであって人間が中心である。人間尊重

1―2 恩師との出会い

 初代校長 水島銕也(豊前中津、福沢諭吉と姻戚、東京高商卒  横浜正金銀行、三国干渉、軍力・経済力)  愛情によって人が育つことを身をもって教えて頂いた「人を育てることを学ぶ」.

士魂商才:清廉潔白で責任感強い武士の魂を持つ 「人間尊重、黄金の奴隷たることを戒めつつ黄金を尊重するの呼吸を会得した事は先生の教導によるもの。先生なかりせば今日の出光はない」今年は生誕150周年

 配給論 池内廉吉 投機的、問屋業・中間搾取する商人はいらない 生産者と消費者の間にあって社会的責任を果たす配給者としての商人のみが残る 消費者にとっていいと思ったことを何が何でもやりぬく実行力が凄い.「生産者から消費者へ」大地域小売業=消費者本位   「商人のあり方」商売は金儲けではない。生産者と消費者の為に働く・・・・ 真の商人を目指すことを決意する

1-3 酒井商会丁稚(一つの歯車でなく商いの全体を把握できる)  神戸高商の面汚し

    小さい事がやれないで大きい事は出来ない  一番下からやって下のものの気持ちが分かる。・・・丁稚奉公をやった

    小麦と機械油の販売をしていた  卒業証書を捨てよ

    酒井賀一郎 受けた恩を忘れない 神戸支店に行くまえに遺影 謝恩の間 

1-4 藍問屋傾き家族がばらばら、自立したい。日田重太郎 息子の家庭教師、淡路の資産家、京都

     の別荘売る、8000円のうち独立資金6000円「返すにおよばぬ。初志を貫き、家族仲良 く 暮ら

     せ、他言するな」陰徳を積む 日田丸命名   当時の月給20円×12=240円/年 

    出光商会の立上げ明治44年6月 25歳 

2   出光興産の経営理念

    「父の教訓や先生や日田さんから受けた教訓が自然と理想を作り主義や方針になった。私の

受 けた教訓をそのまま素直に信じ実行に移そうとしたまでのこと」

2-1 人間尊重 

    拝金主義的風潮へ反発 金に人間が振り回されるのでなく人間が中心. 人間の尊厳尊重だけでない、「みずから顧みて尊い人になれ」人が馬鹿と云っても自分が馬鹿でなければいい。自分を顧み

   て、人間として恥ずかしくない人であればいい。物を与えて人を尊重するのではない。恥:心に耳を

  押し当てる。聞くに堪えないことはないか? 自問自答する.人間同士が互いに尊重し合い 、日本人の「和の精神」で一致団結し、 国の為人の為に働き抜くのが主義であり方針である。・・・・・・・出勤簿なし

2-2 大家族主義

    この子の親に代わってこの子を育てる。 「尊重すべき人」はどのように育てるか?家族のような愛情で接すると信頼が生れる、互譲互助の精神の人が育つ。愛情だけでは金持ちの坊んになる。鍛錬がいる。「徹底した親切心」愛情・信頼・鍛錬で育った強い人間が家族のように一致団結して協力し合う。そこには和があり対立闘争はない。・・・・・労働組合なし(昭和37年ワコール創業者・塚本幸一氏店主の講演を聞く)

2-3 独立自治    自分の持ち場においては、各々が独立した経営者の気概をもって仕事をする。

「一人ひとりが経営者」他人を頼りにせず、自分の仕事は全責任を負い、自らの判断で仕事を完遂させる。任された仕事は創意工夫して最後までやりぬく。これを積み重ねることによって信頼され尊重される人に成長できる。時に他人の容喙を許さない。国家社会の為働く。店主.店員も同じで自由に働く。各人の方針ややり方が違う場合は全体の方針に一致合流のこと。失敗は授業料、失敗を経験して強い人間が育つ

2-4 黄金の奴隷たるなかれ

    日露戦争後欧米物質文明横溢、黄金万能、人より金が偉い時代 

    一にも金、二にも金の世の中。一にも人、二にも人の世の中にしたい。

    事業を目標とせよ、金を目標とするな 目先の利益にとらわれて「本来為すべき事業の目的を忘れたり、将来の事業の伸展を邪魔するような儲け方をするな」

 

2-5 生産者から消費者へ

    池内先生 生産者と消費者の両方の便宜を図ることが商人の社会的使命

    「大地域小売業」→「消費者本位」

    「出光商会は金を儲けようと出立したのではない。一生働いて働きぬいてみよう。それも各個ばらばらでなく一致団結して働こう、これが人間が生れてきた所以であり、国家に対する責務であり、社会人としての道である。石油業は手段であって、人間が真に働く姿を顕現して国家社会に示唆をあたえるのが本来の仕事である」  出光第二の定款 

3   経営理念の源泉(=出光の社史)

3-1 明治44年 門司で出光商会設立 日本石油の特約店

   大正3年 南満州鉄道に機械油納入 スタンダード、ライジングサン(シェル)

        アジアの石油市場は国際石油に独占 カルテルと適正利潤で戦う

        国策会社に日本缶なし 冬候車軸油ナフテン系低流動点 日本犬

   大正12年海賊と呼ばれた 1斗缶販売を止め漁船計量器付配給船販売、経費節減。

     当時、日石の特約店で縄張りがあったが需要家の要望で販路拡大 

3-2 戦後1945(昭20)海外の資産失い、250万円の借金と1000人の従業員。

    海外から800人復員。マイナスからの再出発(出光佐三60歳)

    出光は人が資本。大事な資本が帰ってくる。首切りはしない。

    8月17日 訓示 ①愚痴をやめよ②世界無比の三千年の歴史を見直せ

             ③そして今から建設にかかれ 焼け野が原、茫然自失の時

    辞めさせない 青年として一たんやり遂げようと決心したことを途中でやめれば「精神一到何事か     

    成らざらん」と云う精神に傷をつけることになる

    解雇もない 家族の一員だから、出来が悪い、家計が悪化したからと親が子供を解雇できない。病    気長期欠勤 給料支給する 社員は家族で会社の財産。 

内地に於ける資金は海外に投資し、その元金も利益も海外から取り寄せなかった。内地に借金残る。海外に800人の人材が居る。是が唯一の資本であり、是が今後の事業を作る。人間尊重の出光は終戦に慌てて馘首してはならぬ。

    気が狂った→英断 「乞食をするなら皆と一緒に乞食をする」

    鳥取の大山農場、三重・木ノ元漁業(定置網)茨城石岡の醸造、

ラジオの修理販売、印刷東京三田。復員自宅待機社員に、事業そのものを目的とするにあらず社会国家に示唆を与えるに参加せよ、病気見舞い1000円同封 

3-3 昭和21年 旧海軍タンク底油2万kl 不屈の精神 タンク底に帰れ 褌の黒んぼ

    旧海軍タンク底油収積作業・・・再生配給  

    団結心を示す 逆境に屈しない独立心 万難を排してやりとげる徹底心

3-4 石油業に復帰

    昭和22年 石油配給公団の販売店指定 占領下外油に独占させない、製油所復旧、内地に

      本社を有し引き揚げ者は認めない 出光毒殺事件

    機会均等自由競争の原則に反する(GHQ)

      商工大臣兼公団設立委員長 石井光次郎     一匹狼

    昭和24年 石油元売指定 10社

スタンダード、ライジングサン、カルテックス3社先行指定PAG石油顧問団  

輸入基地を有すること 基地も金もない出光 東京銀行常務 融資

(佐世保タンク底の理解者であった)

輸入販売について外油社と協定を有する者=商工省石油課長 不要論主張

外油系スタンダ-ド、カルテックス、シェル73%日本6社27%で始まる

(昭和26年講和条約前のこと)あとは販売実績で修正する。5.5%→9.8%へ

民族資本・民族経営 の推進 「日本の市場を石油カルテルの独占から守れ」

昭和25年朝鮮動乱-昭和28年休戦

昭和26年サンフランシスコ講和条約

3-5 外資提携 ①原油供給②株式&資金③技術援助  原油輸入 製品輸入抑圧

    東亜燃料=スタンダード 日本石油=カルテックス 三菱=タイドウオーター

    昭和石油=シェル 丸善=ユニオン  国際石油資本(メジャーズ)

    原油輸入 消費地精製 製品輸入に外貨割り当て要請(出光製油所未建設)

    昭和26年 武器・日章丸(二世18,774㌧)サンオイルより輸入アポロガソリン

   (75オクタン価)ロスでは買えなくなりテキサス州ヒューストン、ベネズエラえ。

3-6 昭和28年5月イラン石油輸入=飯野・日南丸 日章丸事件 エリザベス女王戴冠式

     モサデグ博士・首相 国有化法成立 アバダン製油所接収(昭26)

英国軍事制圧(朝鮮戦争)経済封鎖、盗品故買、敵対行為 

イランさすがは日本、正義を助ける英雄日本人 民族の救世主としてアバダン

熱狂す。船上パーティー両国国歌合唱。英海軍の拿捕を回避し、マラッカ海峡通過せずスンダ海峡廻り 敗戦独立直後の日本を元気づけた。

    ヘーグの国際司法裁判所 裁定の権限なし 却下(国有化成立・相当の賠償で可) 

    ①AIの利権契約有効②国有化は国際法違反 ③日章丸の石油所有権はAIにある

    東京地方裁判所 石油陸揚げ停止の仮処分を却下、私契約は国内法の対象:失効、

    日本国民として「俯仰天地に恥じざる行動をもって終始一貫することを誓う」     

    裁判所での宣誓は日本の青年に「信念をもって目標に向かって進め」示唆した

    イランからの輸入は国家の為、国際儀礼商業道徳上の良心から熟慮決断したもの。

    世間の人は単なる商売、金儲け。出光の目標は、石油業そのものに非ず、金儲けに非ず、石油メジャーに挑戦し、石油業を通じて国家社会に示唆を与えることである。新聞はほめてくれたが本質に触れていない。終戦後長い間出光が国際カルテルから苦しめられてきたのに対する同情が爆発したと解するべきである。 

3-7 昭和32年 徳山製油所竣工3万5千B/D 16万2000坪グリーンベルト工期10ヶ月

    和、一致協力 人間の真に働く姿の結実 総工費110億円 BOAが1/3融資

    販売シェア12.2%業界2位に。BOA副頭取1000万ドル融資、出光資本金2億円

3-8 昭和34年 ソ連樺太原油輸入FOB安い、国賊と呼ばれる 東西陣営冷戦の最中 

    日本は北方領土問題で難航していた。右翼デモ、週刊誌、街宣車「赤い石油屋」

    日本の工業製品輸出しバクー原油輸入。貿易均衡を図りたい(池田勇人通産大臣) 

    (当時日本の元売、カルテックス、スタンバック、シェルでは輸入出来ない)

    出光:民間貿易で、両陣営の平和共存に役立てたいと要請をうけた。

3-9 昭和37年 日章丸三世139千トン 当時世界最大 就航

        昭和38年 千葉製油所竣工10万B/D 一匹狼 石油連盟脱退(41年復帰)   

       対福田一通産大臣 植村甲午郎石油審議会長 

    石油業法 ①設備許可制 ②生産輸入届出制・勧告 ③販売標準額制定   

    出光:天下の悪法 生産調整廃止し消費者の為自由化をやれ

    出光社長 京都支店で「正しい事をやって居れば必ず理解してもらえる日がくる」

3-10 昭和39年 出光石油化学設立   (東京オリンピック) 

     昭和41年 出光丸竣工209,413トン 石川島播磨横浜工場 出光美術館開館

      昭和45年 兵庫製油所竣工    昭和47年  沖縄石油精製設立

      昭和48年 北海道製油所竣工     昭和50年 愛知製油所竣工

     昭和56年 店主 出光佐三 逝去 95歳(3月7日)

 

4.事業の芸術化 題名のない音楽会(昭和39年‐50周年、ギネス認定、出光音楽賞)

             出光美術館開館(昭和41年)

  私は外部の圧迫に会う毎に、床の間の仙和尚の書画を拝し唐津の器物を手にして

  世俗に媚びざる名僧、名工の教えを受け、所信に邁進するの力を得て、怯む心に鞭打ちつつ家をで    かけたことは数知れないほどであった

事業を芸術化したいのは私の心願である。尊き力、世俗にこびず、時代を超越せる堅き信念、この信念と力による創作、これが芸術の美であり、芸術の尊きところであり私の心願である                  昭和19年1月 新春の辞

芸術には、美、創作、努力が伴わねばならぬ。国家社会とともに歩く、これは事業の美。大地域小売業は創作。小売業の実現は努力。これが出光の事業であり、事業の芸術化であるあるとの信念を得ることとなった。

真の芸術と真の事業とは、その美、その創作、その努力において一致し、その尊厳と強さにおいて相譲らざるものである。美の創作に対し努力する我々が、事業の芸術化を信じ、これを主張するようになったのも当然の結果である。出光の事業は、誰が見ても美しからねばならぬ。醜悪なる、単なる金儲けであってはならぬ。                                      昭和24年10月 詔書奉読式

 筑前琵琶の弾き語り、長唄、常磐津、井上八千代、西川鯉三郎、中村勘三郎、長谷川一夫、板谷波山、小杉放庵と親交、支援。美術を通じて外国との交流を深め、日本の良さを理解してもらう。(昭和49年モナ・リザ日本初公開・アンドレ・マルロ-と対談)

5.人間出光佐三の魅力
5-1.

生き様の源泉

 やりかけた仕事は万難を排して必ずやり遂げる徹底心。・・・・・・人間尊重の精神

マイナスからの出発(終戦時)逆境に屈しない独立心  

俺ほど苦労した人間はいない。苦労し、悩みぬき、考え抜いてきた

一 夢  無き者に 理想無し      多くの人と共有するもの 幸せを願う行為
一 理想無き者に 信念無し      自分だけの幸せを願う行為・・・欲
一 信念無き者に 計画無し
一 計画無き者に 実行無し
一 実行無き者に 成果無し
一 成果無き者に 幸福無し(喜び)

上記六無訓澁澤栄一の言葉(1840天保11年~1931昭6年)埼玉県深谷市生れ    藍玉生産販売 養蚕 第一国立銀行=第一勧業銀行 合本主義(私利と公益を一致させることで資本と人材を糾合しようとする思想)   佐三より45歳上 

松下幸之助(1894明治27~1989平成元年) 「自分は失敗したことがない。それは成功するまで続けるからだ」  自分なりの生き方の美学を持っていた

新渡戸稲造(1862~1933)Bushido The Soul of Japan 仁、義、名誉(自分に恥じる    

    こ とをしない)勇、誠・・・武士道は日本人の心のよりどころ、日本固有の華

 鈴木大拙(明治3年生れ、1870~1966)禅の大家・哲学者に師事 文化勲章受章

    西洋のモラルとは国の征服者であるエンペラーやキングがその国を治める為に作った法   

       律や規則を 国民が守ること。紙に書かれたもの。そこから順法精神が生まれる

   日本の道徳 お互いに仲良く平和に暮らす為に人間の真心から自然に湧きでたもの。即

       ち、皇室 が示された無我無私(おのれを離れて人の為に尽くす)、互譲互助、義理

       人情など

 コンラート・アデナウアー(1876~1967) 日本の教育勅語を西ドイツ復興の精神とした

 蒋介石(1887~1975) 以徳報怨    昭和20年8月15日 国民政府主席

過去の罪を咎めないこと、人の為に善をなすことは、中国人の伝統的な徳性である。

報復を企ててはならない。ことに、敵国の罪なき人を侮辱してはならない。

敵の暴行に対して暴行で応じ彼らの従来の誤った優越感にたいして侮辱で応じるな

らば、怨みをもって怨みに報いることになり、永遠に終わることがない。

 

5-2.日本人の心を取り戻せ 日本人にかえれ 

 日本人には、お互いに仲良く平和に暮らす為に、真心から自然に湧きだしてくる 

無我無私 国の為命を捨てて戦うのではない 「お互い」 自分の力をお互いの為に尽くす。 自己放棄、権利の放棄ではない。我欲・利己・征服・搾取ではない

互譲互助、自分を離れて相手の立場を考える 対立闘争、自分のみの権利思想ではない。 信頼・和が生れてくる

恩を知る(国の恩、社会の恩、師の恩、父母の恩、)・義理人情等「日本人の心」があるのに近頃はこの「日本人の心」が忘れ去られようとしている。

  日本が国際社会で活躍するには、先ずは活躍できる人材を育てること。

  日本の優れた知識技術で世界中の人に貢献すると同時に「日本人の心」を

  世界に伝えて行くこと。(世界は行き詰まっている。物質尊重から人間尊重へ、物の世界から人の世界へ)

                

日本人の世界的使命 昭和41年、会長になってから全国を行脚する

 ①世界中の人が平和福祉を望んでいるのに世界の混乱は治まらない。

  原因はモラルによって解決しようとするからだ。征服者によって作られたモラル、そこから派生する権利意識、個人主義、対立闘争の思想では世界を救えない

②日本には真心から生れた道徳がある。恩を知り、有難うございますという

  感謝の心、これが道徳の根本。日本の道徳が世界の混乱を救う道

 ③日本人が祖先から受け継いだ道徳は敗戦後の占領政策で壊された。

  占領軍に押しつけられた憲法・法律で日本人が日本の心を忘れようとしている。

これでは日本人が世界の混乱を救えない

 ④日本の道徳を外国の人達に判ってもらい、世界の永遠の平和と人類の福祉を実現する。これが日本人の世界的使命である。

 

  この使命を達成する為には、まず日本人が道徳とモラルの違いを知り

  一刻も早く本来の日本人にかえることである。  こうした考え方は、創業以来の理念「人間尊重」「大家族主義」から生れ出てきた。

日本人が古くから大切にしてきた美徳「和の精神、互譲互助の精神」で世のため人のため世界のため為すべきことをする。

  郷土・国家社会、恩師、母校に感謝の念を捧げた一生であった。

参考文献

 人間尊重五十年    出光佐三      評伝出光佐三     高倉秀二

 創造と可能への挑戦  滝口凡夫     日本人にかえれ    出光佐三 

 出光佐三語録     木本正次       海賊とよばれた男   百田尚樹    

 出光興産の自己革新  一ツ橋大学    マルクスが日本に生れていたら

 永遠の日本    出光佐三対談集           出光佐三 春秋社

 挑戦           石原慎太郎

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