親和会

地域自治会の親睦会の活動&トピックスなどなど~

親和会だより5月号

2017年05月28日 11時41分21秒 | 親和会たより
                           親和会だより5月号
1.会長挨拶
    新緑の眩い季節となりました.総会も過ぎ各サークルそれぞれの企画で活発に活  
動いただいていることと存じます。会員数も若干の退会者が出ましたが、新規加入もありこれからの活動を期待されます。
2.報告事項
  5月6日のサロンは歌舞伎の名優であった中村勘三郎がニューヨークでの自主公演のを模様を実録した『法界坊』を
      DVDにより鑑賞をいたしました。当日は参加者が少なく中島副会長の司会により、2時間半の映写との説明にもかかわらず
      最後まで観るとのことで、予定通り放映いたしました。途中で退席する方もおらず、最後まで鑑賞されました
     歌舞伎のニューヨーク公演ということでどんなアレンジをするのか興味がありましたが、導入部分の英語による説明と
     法界坊役の主演勘九郎の英語によるいくつかのアドリブを除けば、舞台装置、音楽、演技ともほぼ日本での講演と同レベルで
     見せており海外公演のレベルの高さに感心しました。
3.例会報告
   5月20日午前10時より中島副会長が休まれたことにより、小井沼会長の司会  
  に予定されてた『母の思い出』をテーマに開始。参加者は23名。
このテーマを企画された成住さんに進行を願い、初めに母について記載された5つの原稿をプロジェクターを用いて映し出し、
また前もって用意されたプリントの原稿を読みながら、母の思いでを語り合った。
それぞれの記事は涙なしでは語れない実の母親について実際に起こった事を綴った話、また詩に託されたものです。
『おかあさん』長崎の原爆で家の下敷きになった子が、大の大人が4~5人掛かって除くことができなかった梁を
原爆の被害で大やけどした母親が渾身の力でもって吾が子を助け出した後、亡くなられた話、
また『ごめんなさいね、おかあさん』は重度の身障者が母に大変な負担をかけてごめんなさいと、命をかけて作った詩のあと
15歳にて亡くなれた話。『お母さんから命のバトンタッチ』で胃がんに罹った余命3か月と言われた母親が、娘の卒業式まで
何とか生きたいと願っていたが、なんと二人の娘(高校3年と高校2年)の卒業まで生き永らえることができ、下の娘の卒業後1月後に
亡くなられたとのこと。 手紙 ~親愛なる子供たち~ 年老いた私が,老化によって、今までのわたくしと違う姿に理解を示して
ほしいと親より子供たちへの願いを、子供たちへの愛情と感謝を表した詩、など朗読され、大変な感動を受けた素晴らしい企画でした。
  その後、参加者がそれぞれの母についての思い出、感謝の言葉を語られ、井上さんが、母に因んだ俳句を披露して下さりました.
  その中の数句を下記に披露いたします。
      母の日の  手のひらの味 塩むすび   鷹羽 狩行
      母の日も  子の残したる もの食べて  福永 鳴風
      母の日や  母恋うことに 終りなし   山崎 康世
  5月14日の母の日に因んでのテーマであったが、今さらながら母の偉大さを実感出来ました。
 
   来月のサロンは6月3日・午後1時より抹茶を賞味する会を開きます。昨年に引き続き,民生委員の方々をお招きしますので多くの会員の参加くだされますよう願いいたします。なお参加者は抹茶々碗をお持ちの方はご持参ください。
  その他の行事として,別紙スケジュール表をご覧ください。
 
  音楽美術鑑賞クラブとして
     6月21日(水) 水墨と風 長谷川等伯と雪舟 展 出光美術館
          当日9:30 新検見川駅集合
     6月25日(日) 千葉マスターズ・オーケストラ演奏会 市川文化会館
          当日 1:00 新検見川駅集合
 
   8月以降のサロンにてご希望の催し、またお知り合いの音楽サークルなどありましたならご紹介をお願い致します。
                                                                                                                                        小井沼記
 
 
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お母さん

2017年05月01日 15時39分07秒 | サロン関連資料

    お母さん 

平成29年5月20日 親和会サロン

於畑自治会館

        1 お母さん 長崎        東井 義雄

        2 お母さんのお守り       鈴木 健二

        3 ぼくのむねの中にいるお母さん 一年浦島君

        4 ごめんなさいね お母さん   山田 康文

        5 お母さんから命のバトンタッチ 鎌田  実

        6 手紙 愛するあなたへ     藤田麻衣子

        7 おふくろさん         川内 康範

        8 手紙 親愛なる子供たちへ

        9 蟹工船の母          

        10 お母さんは「太陽」      境野 勝悟

        11 父の教え           窪田由佳子

        12 読後の感想

1 お母さん 長崎        東井 義雄 

雲もなく、からりと晴れたその日であった。
私たち兄弟は、家の二階で、ままごとをして遊んでいた。
お母さんは畠へなすをもぎに行った。出かけに、11時になったら、
ひちりんに火をおこしなさいよ、と言いつけて行った。
けれども、私たちは遊びが面白いので、時計が11時になったのに、
一人も腰を上げず、やっぱりままごとに夢中になっていた。
その時、ピカリと稲妻が走った。
あっと言うた時はもう家の下敷になって、身動き一つできなかった。
何とかして出ようとすればするほど苦しくなる。

じっと外の様子をうかがうより仕方がなかった。
二人の姉の姿が外に見えた。大喜びで「助けて、助けて」とわめいた。
姉たちは、すぐ走り寄って来て、私を助け出そうとした。
しかし土壁の木舞いの組んだのが間をさえぎっていて押しても引いてものけられなかった。
大きい姉が、「我慢しろ。ねえ、もうじきお母ちゃんも
お父ちゃんも帰ってくるけんね。姉ちゃんは誰か呼んでくるけんね」
励ましておいて、向こうへ走って行った。
私は、縦横に組んだ木舞いの隙間から、わずかばかり見えてる外を、
必死に見つめて、お母ちゃんが来るかお父ちゃんが来るかと待っていた。
やがて、大きい姉ちゃんが、水兵さんを四・五人連れて走って来た。
その人々の力で、私は助け出された。
フラフラよろめき、防空壕の方へ行こうとした。
家の下から、助けてえ助けてえと叫ぶ声が洩れてきた。弟の声であった。
大きい姉ちゃんが一番先に気付いて、沢山の瓦を取りのけて、弟を引き出した。
その時、また向こうのほうで、小さな子の泣き声が洩れてきた。
それは二つになる妹が、家の下敷になっているのであった。
急いで行ってみると、妹は大きな梁に足を挟まれて、泣き狂っている。
四・五人の水兵さんが、みんな力を合せて、それを取りのけようとしたが、
梁は四本つづきの大きなもので、びくともしない。
挟まれている足が痛いので妹が両手をばたつかせて泣きもがいている。
水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。
よその人が水兵さんたちの加勢を頼みに来たので、
水兵さんたちは向こうへ走って行ってしまった。
お母さんは、何をまごまごしてるんだろう、
早く早く帰って下さい。妹の足がちぎれてしまうのに。
私はすっかり困ってしまい、ただ背伸びして、あたりを見まわしているばっかりだった。
その時、向こうから矢のように走って来る人が目についた。
頭の髪の毛が乱れている。女の人だ。裸らしい。むらさきの体。
大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。ああ、それがお母さんでした。
「お母ちゃん」私たちも大声で呼んだ。
あちこちで火の手があがり始めた。隣りのおじさんがどこからか現われて、
妹の足を挟んでいる梁を取りのけようと、うんうん力んでみたけど、梁はやっぱり動かない。
おじさんはがっかりしたように大きい溜息をついて
「あきらめんばしかたのなか」いかにも申し訳なさそうに言って、
おじぎをしてから向こうへ行ってしまった。
火がすぐ近くで燃えあがった。お母さんの顔が真青に変わった。
お母さんは小さい妹を見下している。妹の小さい目が下から見上げている。
お母さんは、ずっと目を動かして、梁の重なり方をみまわした。
やがて、わずかな隙間に身を入れ、一ヶ所を右肩にあて、
下くちびるをうんとかみしめると、うううーと全身に力を込めた。
パリパリと音がして、梁が浮きあがった。
妹の足がはずれた。大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。
お母さんも飛びあがって来た。そして、妹を胸にかたく抱き締めた。
しばらくしてから思い出したように私たちは、大声をあげて泣き始めた。
お母さんはその声を聞くと、
気がぬけたのか、そのままそこへ、へなへなと腰をおろしてしまった。
お母さんは、なすをもいでいる時、爆弾にやられたのだ。
上着ももんぺも焼き切れちぎれ飛び、ほとんど裸になっていた。
髪の毛はパーマネントウエーブをかけすぎたように赤く縮れていた。
体中の皮は大火傷で、じゅるじゅるになっていた。
さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ皮が
ペロリと剥げて、肉が現われ、赤い血がしきりににじみ出ていた。
お母さんはぐったりとなって倒れた。
お母さんは苦しみ始め、悶え悶えてその晩死にました。

「これは、特別力持ちの お母さんだったでしょうか。
 四人も五人もの水兵さんが、 力を合せても、
 びくともしないものを動かす、 力持ちのお母さんだったでしょうか。
 皆さんのお母さんも皆さんが このようになったらこうせずにおれない。
 しかもこの力を出して下さるのが  お母さんという方なんです」
    東井 義雄(教育者)  月刊『致知』2016年9月号「恩を知り 恩に報いる」

 お母さんのお守り 

お母さんのお守り           H29.1.9

お母さん、おかえりなさい。

お母さん、ぼくはお母さんの手紙にあった通り豆を煮ました。

豆がやわらかくなった時にお醤油を少し入れました。

夕食にそれをだしてやったら、(弟が)お兄ちゃん、しょっぱくて食べられないよと云って、御飯に水をかけて、それだけ食べて寝てしまいました。

お母さん、ごめんなさい。でもお母さん、ぼくはほんとうに一生懸命豆を煮たのです。

お母さん、あしたの朝でもいいから、僕を早く起こして、もう一度、豆の煮方を教えて下さい。

お母さん、今夜もつかれているんでしょう。

お母さん、僕たちの為に働いてくれているんですね。

お母さん、ありがとう

おやすみなさい。さきにねます。 

 

   元NHK 鈴木健二著 ありがとう物語より

  父 交通事故死 加害者となる。 弁償の為家売却し納屋に住む 

  母 朝ビル清掃 昼小学校給食 夜料亭皿洗い

  お母さんのお守り:         袋に残っていた一粒の豆を長男の書いた手紙に包んだもの

  「ありがとう」の意味:  そのように有ることが難しい 当り前でない

 

 

「服を買ってくれ、食べさせてくれた。自分が食べられない時も、子供の食事だけは気にかけ空

腹のままでいた。自分を犠牲にして育ててくれたあなたこそ、真のMVP」2メートルを超え

る大男の目が潤んでいた。

米バスケットボール界のスター、ケビン・デユラント選手、2014年最優秀選手。

 貧しかった母が、ベッドのない部屋で幼い彼と兄を抱きしめてくれた思い出を語った。

 

秋風や母在す不安 亡き不安    佐野市 高橋すみ子(読売俳壇)

 

3~ぼくのむねの中にいるお母さ~           H29.1.10
        小学一年生の浦島君の作文
「おかあさん、おかあさん」
僕がいくらよんでもへんじをしてくれないのです。
あのやさしいおかあさんは、もうぼくのそばにはいないのです。
きょねんの十二月八日に、かまくらのびょういんで、
ながいびょうきでなくなったのです。
いまぼくは、たのしみにしていたしょうがく1ねんせいになり、
まい日げんきにがっこうにかよっています。
あたらしいようふく、ぼうし、ランドセル、くつで、
りっぱな一ねんせいを、おかあさんにみせたいとおもいます。
ぼくはあかんぼうのとき、おとうさんをなくしたので、
きょうだいもなく、おかあさんとふたりきりでした。
そのおかあさんまでが、ぼくだけひとりおいて、
おとうさんのいるおはかへいってしまったのです。
いまは、おじさんおばさんのうちにいます。
まい日がっこうへいくまえに、おかあさんのいるぶつだんにむかって、
「いってまいります」をするので、おかあさんがすぐそばにいるようなきがします。
べんきょうをよくしておりこうになり、
おとうさんおかあさんによろこんでもらえるようなよいこになります。
でも、がっこうでせんせいが、
おとうさんおかあさんのおはなしをなさると、ぼくはさびしくってたまりません。
でも、ぼくにもおかあさんはあります。
いつもぼくのむねの中にいて、ぼくのことをみています。
ぼくのだいすきなおかあちゃんは、おとなりのミイぼうちゃんや、
ヨッちゃんのおかあさんより、
一ばん、一ばんよいおかあさんだとおもいます。
おかあさん、ぼくはりっぱなひとになりますから、
いつまでもいつまでも、ぼくのむねの中からどっこへもいかずにみていてください。
                   子供の心に光を灯す 東井義雄 著

     

4 「ごめんなさいね おかあさん」       作詞 山田康文

ごめんなさいね おかあさん     ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい    ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう      ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね  大きくなった このぼくを
背負って歩く かなしさも      「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも      ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん       ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり      ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく       やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい        そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん      おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

この詩は、いまから27年前、15歳で亡くなった山田康文くん──
やっちゃんが作った詩です。
生れた時から重度の脳性マヒで、全身が不自由、口も利けないやっちゃんが、
いのちのたけを託して作った詩です。

私が勤めていた奈良県立明日香養護学校にやっちゃんが入学してきたのは昭和43年、
彼が8歳の時でした。

以来、担任として、学部主事として、そして最後は言語訓練教師として
足かけ8年の付き合いでした。
この詩が生まれたのは、やっちゃんが亡くなる、わずか2か月前のことでした。

当時私は、養護学校卒業後の障害者たちが集える
「たんぽぽの家」をつくろうと、障害児のお母さん方とともに、
「奈良たんぽぽの会」を結成していました。

この運動もいまではOLや学生など若者たちの支持を得て、
全国で4,000人の会員を擁する全国運動に盛り上がっています。


その活動の一環として、養護学校の生徒の詩にフォーク好きの学生さんが曲をつけ、

奈良文化会館の大ホールでコンサートをする企画が持ち上がったのです。

障害程度の軽い子は、自分で詩を書くことができます。
文字が書けない子でも、手足の指や口を使って電動タイプを打つことができます。
しかし、やっちゃんのように重度の子の場合は、先生である私が抱きしめて、全身で言葉を聞くのです。
向野さんがいう言葉がやっちゃんのいいたい言葉だったら、
やっちゃんがウインクでイエスのサイン。ノーの時は舌を出す。
気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれた。

15歳の重度脳性マヒの少年が、その短い生涯の中でたった一篇、
命を絞るようにして書き残した詩である。

 向野幾世(奈良大学講師)   『致知』2002年9月号



 

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親和会だよりH29-4

2017年05月01日 15時11分52秒 | 親和会たより

 親和会だより 4月号

1. 会長挨拶

   さくらの開花も平年よりやや遅れたが、4月に入り畑が丘公園の桜も咲き

待望の春がやってきました。昨年図らずも親和会の会長をお引き受け、は

や1年になります。不慣れなため、紆余曲折がありましたが何とか無事に

過ごし、間もなく総会を迎えることとなりました。これも会員の皆様のお

力添えがありました結果と感謝いたしております。今年もよろしくお願い

申し上げます。

 2.報告事項

    4月1日のサロンは永島 薫さんによる「教育の現状と課題」のテーマ

   で約2時間、長年の教員生活を経た実体験に基づく貴重なお話を聞くこと

が出来ました。冬を思わせるような寒い日であったため、参加者は少なく

約15名(会員外も1人参加)と寂しい感じがいたしましたが、講師は熱く

語って下さりました.

初めに私の履歴書として生い立ちを語り、香取郡東庄町の農家の出身、次男

であったため、早くから母親が将来は学校の先生になれと言われ,一心に教

師を目指して、千葉大を卒業、母の願い通り教師となった。

イ.新聞記事による日本の教育

日本の経済は世界第3位と一流であるが、教育予算は三流(15~30位)で、年々予算が少なくなっている。しかし現場の教員は世界一忙しい。勤

務時間は8時間となっているが、実動時間ははるかに多く、週48時間も

残業となり自宅まで仕事を持ち帰っている。それだけでなく授業以外に朝

の打ち合わせ、給食指導、清掃指導、生徒指導、研修、部活等があるなど、大変な仕事内容である。

ロ.緻密な計画を立てる日本の教師

  教師は毎週1週間ごとに『週案』を提出し計画と反省を書いて上司に承認

を求める。月~金5時間、土3時間、計28時間分の教科名・学習内容を

記して提出、反省も併せて書く。上司の評価ばかりでなく自己評価もする。と言うような超まじめな仕事ぶりである。さらに各学校で研究主題を設け、教師が発表、実践し他の教師が評価し指導力を高める構内研修をする。

これが教師の現状である。

   ハ.不登校などの児童に対して実体験をもって児童に対する指導・経験談。

児童に対しての指導は、怒るのではなく、長所を褒めることが大切である

として体験に基づいた10例を上げ説明されました。。

ニ.日本の児童の学力は45か国のうち第3位である

 ◎桜鑑賞花見は4月4日、花見川千本桜公園にて、総勢6名で行うも開花が遅れ

花も少なく残念でした。

 

総会について

4月15日(土)畑自治会館にて平成29年度の総会が開かれました。

南風のやや強いながらも初夏を思わせるような気温の中、坂場顧問の司会により開始、冒頭にサニータウン自治会の村上澄子さんが4月8日に逝去されましたことを告げ、参加者全員が黙とうをささげ、ご冥福を祈りました。

次いで総会の開始にあたって、総会の成立について会の規定は特段ないが、出席者29名、委任状10名、総計39名の参加により成立、議長には中島副会長、議事録作成者は鎌田副会長、議事録署名人に石橋秀夫、中田逸郎の両氏が任命され、冒頭に会長挨拶(上記に掲載)、続いて会長より平成28年度事業報告、岩淵会計幹事より決算報告、次いで29年度の事業計画並びに予算案を会長より報告、今年度はより会の活性化を図るためにサロン・各サークルの予算をやや多く取り活動を促進することにしたいと提案。質疑の中で抹茶を楽しむ会を春秋2回の計画の提案に対し、すでに予定の行事と重なるのではとの意見があったが期日にとらわれることなく、柔軟に行うこととし、健康体操は体操の会があるため、重複となり中止とする。他に特段の声もなく全員一致で、すべての提案は採決されました。次にその他について本年は役員の任期途中であるため、役員の変更は無いが、坂場顧問が自宅における事故により、腰を強打したことで司会を辞退したいとの申し出があり、1年間ご尽力ありがとうございましたと出席者皆さんの賛意を得ましたことにより承認されました。

総会終了後、広瀬さんの指導により、春に因んだ歌2曲を歌い終了した。

また、新入会員の総会があり、次の方が入会されました。

A-2班  山崎 民雄さん

B-10班  井上 智恵子さん

   なお、体調不良につきA―2班の花井さんご夫妻が退会されました。また下記の方々もご逝去、ご都合により退会され現在の会員数は総勢50名となります。

     退会者  B-11    五百木 健ニ さん

          C-24    松井 朱美  さん

          サニータウン  山田 恵津子 さん

            同じ    村上 澄子さん(ご逝去)

                                

                               小井沼記

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