親和会

地域自治会の親睦会の活動&トピックスなどなど~

写経の会 死とは新しい旅立ち

2023年02月21日 10時22分47秒 | 寄稿
 死とは新しい旅立ち   京セラ創業者・稲盛和夫、      R5.2.18

いずれ訪れる“新しい旅立ち”に備え、「魂を美しく磨き上げる」ことを説いてきた。60歳になった頃、私もやがては死を迎える。その時にどういう準備をすればいいのだろうかと考え始めたのです。
人は、生まれてから20年ぐらいの時間を費やして社会に出る準備をします。そして、40年ぐらいの社会生活を経て、60歳で定年を迎えます。それからあと、最近では寿命が延びましたから80歳まで生きるとすると、20年という時間が残されています。
その20年は何のためにあるのだろうか、社会に出るための準備期間が20年必要だったのだから、死を迎えるためにも20年が必要なのではないか。
つまり、死を迎える準備のために20年という時間が私に残されていると思った。
しからば、死を迎える準備はどうすればいいのか。
私は、死とは肉体の死ではあっても、魂の死ではないと思っています。私の死というのは、私の魂が新しい旅立ちをしていくめでたい日だと思うのです。死は悲しいことではなくて、魂が新しい旅立ちをしていく嬉しい日なのです。魂の新しい旅立ちに際して、私の魂に新しい装いをつけ、そして明るくあの世へ旅立っていく。その為に魂を美しく磨く必要があるのだと思った瞬間、私は、これこそが人生を生きる意味なのではないかと悟りました。
会社を成功させる、お金持ちになる、そんなことのために人生があるのではない。人生を生きる意味とは、まさに自分の魂を磨くことにある。死ぬ時に、生まれた時に持ってきた魂より少しでも美しい魂にして、新しい魂の旅立ちを迎えるためにある。このことが人生を生きてきた価値なのではないか、また目的ではないのかと気がついたのです。
この美しい魂にするとは、善き思いを心に抱き、善きことを実行していくことになります。魂を磨くためには、毎日毎日、そうありたいと思って自分が謙虚に反省し、自分自身を変えていく努力をする。知識として知っていただけでは魂は磨けない。
美しい思いやりに満ちた素晴らしい魂にしていこうと思えば、毎日毎日、自分にそう言い聞かせながら、「きょうの自分の思い、きょうの自分の行動は、果たしておまえが言う善きことに基づいていたか」と自分自身に問い詰めながら、自分の思いと行動を毎日のように修正をしていかなくてはいけないのではないかと思うのです。
                   致知出版社 人間力メルマガ号外
  死んだら何処に行くのだろうか?          
 私は死んだら、地獄か極楽に行く前に、先ずは故郷西宮に帰り両親と一緒の墓で眠ろうと思っていたが、良く聞いてみるといろいろ希望はあるようだ。お墓になんか入らない、千の風になりたい人もいるし、海や山で魚や樹や草と一緒に過ごしたい人もいる。死んだら何処に行くのだろうか?中学の学友・日蓮こと酒井一君に寿空院萬峰俊光居士と戒名まで頂いているのに、若し行き先が定まらないようだと、天国で認知症と診断されるのかも知れない。人の死は「無」なのか。生れ変わるのか。死後の世界があるのか。少し早いがよく考えて置きたいものと思う。
1.「死を心配する必要はない」肉体の死は誰にも等しくやって来るが、死後の世界はいつも私達の身近にある別世界であり、再会したい人とも会える。救急医療の現場 死と隣り合わせ 心肺停止で後遺症なく助かる時間の限界は常温10分間。人智を超えた力によって人間は生かされて、見守られている。肉体は魂の乗り物。でもその前にやるべきことがあります。自分の人生を全うすることです。人生を全うするという事は、即ち自分を知るということ。お天道さまに恥じない生き方とはどういうことか、生きている間にあれこれ自問自答し、様々な経験を経た後にあの世へと還るのがこの世のルール。目には見えないけれども、おかげさまという力が自分の周囲に満ちている。人は皆、人の役に立つよう自分の人生を生きており、大いなる存在に生かされている。死を心配せずに毎日を楽しく生きることが、人生を与えられた私達の使命である。何よりも今を楽しむことです。著書「おかげさまで生きる」「人は死なない」肉体は滅びても霊魂は残る。矢作直樹 昭和31年生東京大学医学部救急医学教授
2.私が死んだら川に捨てて魚に与えよ 親鸞聖人 旅に病んで夢は枯野を駈け廻る 松尾芭蕉 葬式無用、生者は死者の為に煩わさるべからず梅原龍太郎     
ああままよ生きても亀の百分の一 一茶 この世をばどりゃお暇に線香の煙と共に灰左様なら 十返舎一九 
 死にはせぬ何処へも行かぬここにいる尋ねはするなものは言わぬぞ一休禅師   
我々はどこから来たのか、我々は何者か我々は何処へ行くのか  ポール・ゴーギャン 
人間は生まれながらの死刑囚  パスカル
高野山の空海 入定 永遠の禅定に入っている 草木国土悉皆成仏 天台宗
死は来世に移行する通過儀礼・再生への通過点 循環型社会の縄文人(加曾利貝塚)
死ぬるとき悔いなき生を生きたりとことほぎてこそ死なめとぞ思う 鶴見和子
如何なる場合にも平気で死ぬ事と思っていたが間違いだ。如何なる場合にも平気で生きていることだと                  正岡子規
一燈を提げて暗夜を行く暗夜を憂うること勿れ 只一燈を頼め   佐藤一斎
誰よりもこの人生を知るわれが見届けられぬ死という結末     読売歌壇
この頃死ぬ事ばかり考えている。意識がなくなれば来世も地獄や仏もあるわけでない。死んだら虚無です。でも虚無は虚無として実在する。                                                             
                   湘南夫人  石原慎太郎
人は必ず死ぬというのに長生きを叶える技術ばかりが進化して死ににくい時代になった。死を疎むことなく死を焦ることなく一つひとつの欲を手放して身じまいをしていきたい。人は死ねば宇宙の塵埃せめて美しく輝く塵になりたい。     
                          読売新聞記事
死は人間の最後の未知。死ぬ瞬間まで好奇心を持っていたい   石原慎太郎
3.人間が死んだあと、魂だけが残って生きている人々と交流は出来ない。(事実の認定は物理的科学的で誰にでも立証出来、法廷論述に耐えられるもの) 人間だけに霊魂が残るとは僭越。他の動物も草木も一生懸命に生きている。生れた生命が霊魂になるならば、この地球にはそれらで充満していることになる。(貴方に見えないものを見よ、聞こえないものを聞け、そうすれば貴方は神が語りかける場にいる。ドイツ宗教詩人シレジウス瞑想詩集)死んでいく者は、残る人の心情を思い、生きている間に、出来る限り応えるよう心懸けねばなるまい。「人は死ねばゴミになる」-私のがんとの闘い 新潮社   伊藤栄樹 大正14年生 東京大学法学部卒 検事総長                昭和63年5月 がん性腹膜炎で死去
参考 山田風太郎著 人間臨終図巻  加藤尚武著 死を迎える心構え 
 
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親和会体操の会 

2023年02月04日 14時30分43秒 | 体操クラブ
                                                                    親和会体操の会
 千葉市役所体操指導員を迎え体操をしました 自治会だより、親和会だよりでお案内したところ大勢の皆様にご参加頂き誠に有難うございました。
1.日時    令和5年1月27日(金)10時~12時
2.場所    畑自治会館
3.参加人員  11名
4.主な内容
花見川保健福祉センター 健康課の滝本主任保健師他2名をお招きして、高齢者の健康づくり指導をして頂きました。
1 フレイルの予防とフレイル度のチェック
  質問票への回答とフレイル度の自覚 栄養、身体活動、社会参加
2 生き生き体操の指導  千葉市の体操ビデオを使っての実習の指導
3 口腔機能のチェック  チェックリストとチューインガムを使った咀嚼力    
  のチェック及び測定器を使ったパ、タ、カ、ラの発声練習の実習
4 握力測定 80歳以上のめやす 男性25kg 女性15kg以上

親和会体操の会へ入会のお誘い
 毎月第2、第4金曜日 午前10時~12時 自治会館で行っていますがこのところコロナ巣籠でボケ老化への一本道を心配しています。
親和会モットー 自由で自主自律、互助 行事は文化の香り高く少しはアカデミックを目指してきましたが、先ずは健康でなければ何事も出来ません。
ご一緒に明るく楽しく体操をやりましょう。ご参加をお待ちしています
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