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親和会

地域自治会の親睦会の活動&トピックスなどなど~

人生の目的

2024年12月22日 12時11分45秒 | 写経の会

                                  親和会 写経の会 2024.12.21

長生きさせてもらったけど あらたまって「人生の目的は何か」問われると はたと立ち止ってしまう。「人生の目的」と「人生の目標」は違うのでしょうか

人生の目的                                               善きことを思い、善きことを行えば、人生は好転する                            私が「因果の法則」を信じるようになったのは、安岡正篤さんの『運命と立命』という本との出合いがきっかけでした。その本には、中国明代の袁了凡という人が書いた『陰隲録』の内容が紹介されています。袁了凡さんはまだ袁学海という名前だった幼い頃、易を極めたある白髪の老人から、将来科挙の試験に合格し、若くして地方の長官になること、結婚はするが子供は生まれず、53歳で天寿を全うする運命になっていることを教えられます。そして、何歳の時に何の試験を受けて何人中何番で受かるかということまで含めて、老人が話した通りの人生を辿っていきます。その後、長官として地方に赴任した学海さんは、有名な雲谷禅師の禅寺を訪ねます。運命の命ずるままに淡々と人生をまっとうしようとしている学海さんを、雲谷禅師は厳しく叱り、運命は変えられるということ、つまり善きことを思い、善きことを行えば、運命はよき方向へと変わっていくということを説きます。素直だった学海さんは、その後、妻と共に少しでも善いことを思い、善いことをしようと決意します。その結果、生まれてこないと言われていた息子が生まれ、53歳が寿命だと言われていたにもかかわらず、70歳を過ぎても元気に生きていました。        一寸先が見えない人生を、どうして渡っていけばよいのか悩んでいたときにこの本に出合った私は、善いことを思い、善いことを実行するような人生を送っていこうと思うようになりました

人生の目的は魂を研くこと                                        私たちは、自分の意志とは無関係に人生を生き、運命と因果の法則が織りなす人生の布を伝いながら、今日まで生きています。その人生において、自分自身の魂を磨き、美しい心、美しい魂を作り上げていくことが、人生の目的ではないかと思うのです。心を磨くとは、魂を磨くことです。言葉を換えれば、人格を高めるということです。人間性を豊かにし、美しい人間性をつくっていくということです。死にゆくとき、生まれたときよりも少しでもましな美しい魂に、またやさしい思いやりに満ちた美しい心を持った魂にしていたいと思います                     人生何んの為にいきるのか 稲盛和夫

  人生の目的と目標の違い                                       目的は未来に向かって設定され、一生をかけて追求するもの、心や価値的なもので、「人生のテーマ」ともいえます。 目的があるから日々生き生きと頑張ることができます。 目標は物やレベル的なもので、現在において設定され、達成されたら次の新しい目標に置き換わるものです。

  7つの習慣                                              具体例としては、「公正」「誠実」「正直」「奉仕」「貢献」「忍耐」「励まし」など。            原則は時代や国を問わず、私たちの良心に根付いている価値観であることが理解できる。            コヴィー博士は、『7つの習慣』を執筆するに際してアメリカ合衆国建国から200年分の“成功に関する文献”の研究:成功の条件:誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律など、人間の土台となる人格を磨くこと                                                  私たちが知っているか否か、受け入れているか否かに関わらず、引力の法則は私たちに適用されるわけです。自然界の引力と同じような法則が、人間社会にも「原則」として存在します。『7つの習慣』における「原則」とは、人間の成長と幸福を左右する絶対的なルールのことを指しています。人類がたどってきた歴史、長い時間をかけて築いてきた文明、古今東西の人類のあらゆる社会に共通して存在する法則が原則です。

八徳(はっとく) (Wikipedia)                                      儒教における八種の徳。仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌の八つを指す。五常に忠・孝・悌が追加された。    仁義礼智の四徳から,博愛をいう仁と,正義をいうとを並べて道徳の基本理念とし,仁義を説くことによって人が自己の人間性を完成させることを期待した(世界大百科事典)                        孫文が唱えた八徳。忠・孝・仁・愛・信・義・和・平の八つを指す。               

南総里見八犬伝で有名な八徳とは、 孝・・忠・・悌・ です。 人の守るべき道としてよく使われる五常があり、①仁(相手を思いやること慈しみの心)②義(利害を捨て条理に従うこと)③礼(相手を敬うこと)④智(合理的に判断すること)⑤信(まごころがあること。あざむかないこと、誠実) の5つ。 これに、儒教の基本倫理と言われる三綱五倫のうち三綱 ・臣下の王に対する忠。真心、君主に仕える道  ・子の親に対する孝 ・妻の夫に対する烈 三綱の「烈」を「悌」(兄や年長者への柔順に従う、睦まじい)に変えて加えた形になったものが、八徳です。八功徳水 仏語。極楽浄土などにあって、八つの功徳を備えている水。倶舎論(くしゃろん)では、・冷・・清浄・不臭・飲時不損喉・飲已不傷腸の八徳。はちくどくすい。八徳(はっとく)。

五徳                                             儒教においては「五常の徳」の略称で「仁」「義」「礼」「智」「信」               論語では 「温」「良」「恭」「倹」「譲」                           孫子では 「智」「信」「仁」「勇」「厳」

上記のまとめ                                              12訓「仁」「義」「礼」「智」「信」「温」「良」「恭」「倹」「譲」「勇」「厳」


井上幸明さんお別れの言葉

2024年08月19日 14時52分01秒 | 写経の会

お別れの言葉 井上幸明さん 昭和8年生れ 91歳  

井上幸明さんは最成病院入院から船橋医療センターに転院され、S状結腸軸捻転で緊急腹部開切手術をされましたが、令和6年8月5日早朝亡くなられました。心より謹んでお悔やみ申し上げます。平素は2本杖で畑台公園の周辺を散歩され寝込むことなく逝かれたのでびっくりしました。つい先日 気仙沼から送ってきたおすそ分けとキュウリや茄子を頂いたばかりでした。

お隣同志で 昭和52年来の長いお付き合いでした。 貴方は東北大学を卒業後丸善石油に、私は出光と期せずして石油元売の同志でした。色々お世話になりました。 心からお礼申し上げます。

平成23年貴方が畑が丘自治会会長の時、村上さん中尾さん高橋さん花沢さんのグループが昼食会茶話会など細々と親和会を続けてやってきたが年も取ってきたので解散したいと言っている。就いては老人会の継続運営に肩入れして欲しいと話があり、老人会のお世話をしていた学友に教えを乞い、調べてみると千葉市は社会奉仕活動やスポーツ活動など、各種活動を通して、健康増進や地域づくり・仲間づくりの老人会を支援している。自治会からも助成支援金があり暫くして会員は50人に増えました。

俳句グループのリーダーでしたが、深田久弥の日本百名山登頂も目指しておられ時にご一緒し共に汗を流しました。

薬師岳2926m 平成17年8月 折立から太郎平小屋、薬師沢小屋 雲の平山荘。 手術後で腰痛がありましたが、良く健闘されました。

  朝焼けの池塘朱に燃ゆお花畑

  秋澄みて吊り橋高き黒部沢

  雲海や雄々しく聳ゆ笠ヶ岳

  ひょいひょいと釣れるイワナの黒部沢

  目を奪うチングルマ皆花終へて     幸明

空木岳2864m 駒ヶ岳ロープウエイで千畳敷、宝剣岳、檜尾岳、熊沢岳、東川岳、

木曽殿越 コマクサの湯で汗を流しました 

井上さん貴方は、人の話にじっくり耳を傾けてくれ、ご自分の考えも分かりやすく言う自治会運営の大人で且つ日本百名山踏破の山友でした。奥様とご長男を亡くされ 一人ぼっちの淋しい時もありましたが、長寿を全うされました。どうかゆっくりお眠り下さい。もうしばらくすると私もそちらに参ります。その時は一緒に極楽浄土を

謳歌漫遊しましょう。心からご冥福をお祈り申し上げます


観音経の写経が始まりました

2024年06月14日 15時42分57秒 | 写経の会

親和会写経の会では般若心経の写経に次いで観音経の写経がはじまりました。 令和6年6月15日

観音さまは大勢居られて、私達を見守って下さる、有難いことです

 観音さま諸考察

観世音菩薩と観自在菩薩はサンスクリット語のアヴァローキタイシュヴラ ボーディーサットバ(avalokitasvara bodhisattva)を漢訳したもの。
 鳩摩羅什三蔵は406年『妙法蓮華経』中に「観世音」と翻訳し、玄奘三蔵は649年 『般若波羅蜜多心経』の冒頭に「観自在」と翻訳した。
 鳩摩羅什三蔵は「観察された(avalokita)」と「音・声(svara)」で、悩める世間の人々の音声を観ずるものという

 意味で観世音と漢訳した。
 玄奘三蔵は「観察された(avalokita )」と「自在者(īśvara)」の合成語で、衆生の苦

 悩を観ずること自在なるものと解釈し「観自在」と漢訳した。
 一般的に観自在様よりも観音様又は観世音様として親しまれているのは、観音霊場の巡礼が盛んな為、身近なものとなっている。
 観音様の在すお浄土は、ポタラカ(補陀落 potalaks)で、南方インドのマラーバル地方の山中がお住まいと言われています。日本における観音様のお浄土は、紀伊半島の南方彼方あるいは海上にあると伝えられています。また平安時代に花山法皇が観音様の御利益を頂く為に、三十三ヶ所の観音様を巡礼し祈願をしたことから、西国三十三番観音霊場の信仰が盛んになりました。
 『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五には、「是の観世音菩薩を聞きて一心に名を称せば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、皆解脱することを得せしめん」と大慈大悲と智慧を強調し、世の人々の音声を観じて、苦悩を解脱せしめる優しさが説かれています。慈悲心を本誓とし、世間の衆生が救いを求めるのを聞くと、直ちに救済の手を差し伸べ、一切諸法の観察と同様に衆生の救済も自在であると説かれているからです。
 菩薩: 如来になるために修行中の身で、世の中のありとあらゆる人を救うために様々な姿に変身します。 本来は男性であったと考えられていますが、美しい女性の姿の像が多く作られた。あらゆる人を救い、あらゆる願いをかなえるために観音さまはおじいさんやおばあさん、子ども、兵士、お坊さんや、恐ろしい鬼や美しい天女など、臨機応変に33 種類の姿に変身しして人を救う

仏様の階層

「如来」真理に目覚め、悟りを開いた仏のグループです。(如来=悟りを開いた者という意味)阿弥陀如来(浄土宗天台         宗)大日如来(真言宗)薬師如来

「菩薩」如来になるために修行しているのが「菩薩」になります。
 「観音菩薩」人々から救いがあればどんな状況でも対応できるように姿も形も必要な持ち物もなんでも用意して助け                     

 てくださる慈悲深い菩薩です
 弥勒菩薩 千手観音 地蔵菩薩 文殊菩薩 普賢菩薩

 お姿 聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音 如意輪観音 准胝観音・安産子授り)万よろずの佛の願いよりも 千        

 手(観音)の誓いぞ頼もしき 枯れたる草木も忽ちに花咲き実なるとこそ聞け(平家物語)

「明王」明王は「大日如来」が姿を変えてあらわれたものとされる仏です。ことばではなかなか救われないような人々     

  を対象するため仏様なのに怖い顔をしたものが多い。「不動明王」「愛染明王」

「天部」天部はもともと、仏教以外で信仰されていたインドの神々のようです。
  天部はいっぱいいます「帝釈天」「大黒天」「弁財天」「鬼子母神」「毘沙門天」                                  

「羅漢」修行者 「高僧」(達磨、最澄、空海)

四国八十八ヶ所観音霊場とは、弘法大師・空海に所縁のある八十八ヶ所のお寺。
八十八ヶ所ものお寺を巡礼することは、体力的・精神的にも厳しい道のりです。しかし、お遍路により煩悩が取り除かれ、ご利益がもたらされると信じられています。

徳島県には1~23番の札所「発心の道場」1番札所霊山寺 白衣:白い羽織、輪袈裟 首から掛ける略式の袈裟

 菅笠:竹と菅で編んだ笠・帽子 金剛杖:弘法大師の化身として役割をもつ木製

高知県「修行の道場」24~39番の札所

愛媛県菩提の道場 40~65番の札所 37番札所から四国最南端の足摺岬にある38番札所までは、約90km、 菩提とは煩悩を断ち、悟りを得た無上の境地を意味します。発心(徳島県)と修行(高知県)を経てあらゆる欲望や悩みから解放され、心が落ち着いてくるエリアと位置づけられているのです

香川県涅槃の道場66~88番の札所 涅槃とは、仏教が理想とする悟りの境地です。人間がもつあらゆる煩悩から解放され、不生不滅の安らぎを得た状態とされています。

秩父札所三十三観音霊場は文暦元年(1234年)3月18日に開創された。
室町時代後期には秩父札所巡りが定着しており、西国三十三所、坂東三十三所とともに日本百観音に数えられるようになった。江戸時代には心の支えとして流布し、多くの方が巡礼で秩父を訪れ隆興をみせるようになりました
秩父札所は札所1番から札所34番まで一巡約100kmの巡礼道です。秩父・西国・坂東の三観音霊場で百ケ所霊場

西国三十三所巡礼の起源については、中山寺の縁起である『中山寺来由記』、厳寺(三十三番札所)の縁起である『谷汲山根元由来記』に大略次のように記されている。  養老2年(718年)、大和国の長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために亡くなるが冥土の入口で閻魔大王に会い、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多いことから、日本にある三十三箇所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので、巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻された。そしてこの宝印に従って霊場を定めたとされる

坂東三十三所観音霊場                                          昔、旅人の避難所、足柄山や箱根の坂の東一帯は坂東と呼ばれておりその坂東の武者たちは、源平の合戦に九州にまで歩みを進めた。
源平の戦いの後、敵味方を問わない供養や永い平和への祈願が盛んになり、源頼朝の篤い観音信仰と、多くの武者が西国で見聞した西国三十三観音霊場への想いなどが結びつき、鎌倉時代の初期に坂東三十三観音霊場が開設された。https://blog.goo.ne.jp/sinnwakai


93歳になりました

2023年11月26日 16時24分38秒 | 写経の会

  93歳になりました        於懇談会   写経の会  令和5.11.18           

1.私の誕生日 1930年(昭和5年 午うま)12月生まれ 満93歳になる  

   当時の情勢 昭和4年世界恐慌 ウオール街株暴落 浜口雄幸緊縮財政

   昭和5年ロンドン軍縮会議 6年満州柳条湖事件 昭和 7 年満州国建国、

   昭和16年12月8日 真珠湾攻撃-大東亜戦争勃発(小学校5年生で入院中) 

   一億一心 鬼畜米英 撃ちてし止まむ 贅沢は敵だ・・・・・・

   昭和20年8月 中学2年生B29の焼夷弾で自宅全焼 翌朝甲子園球場内 軍需工場に出勤(学徒勤労動員    

   先)衣食住なし 日清日露戦以後の神国日本崩壊 陸士・海兵を目指す軍国少年の夢消える 

2.長生きさせて頂いた 老眼鏡なしで新聞は読めるが耳が聞こえなくなった 低血圧91~39

  両足膝下痺れ LDL 便秘 10年来前立腺がん なかなか死なないでいる

   若い頃の貯金が残っていた 短距離(小・中学生)ラグビーCTB 深田久弥・日本百名山登頂

   全国各県最高峰(千葉県愛宕山406m)四国88ケ所観音霊場巡礼 

   最近はあれこれ思いは巡るが体力がついていかない お迎えの日が近くなってきたようだ。 お出かけ      

   はパン屋・病院・デイサービス  目標3000歩/日(午前と午後2回/日)

 お前さん血尿くらいで驚くな 十年来の癌は友達

 良く聞けよ 俺が逝ったら 君(癌)も逝く

   忘れてならないのは両親 4人兄姉の末っ子甘えん坊 支えてくれた恩師・学友・山友のお陰  

   母:入院付き添い、戦後買い出しの担ぎ屋を担当  姉:図工の宿題手伝い

3.生とは何か?死とは何か?を考えるようになった 

  生:食べる・動く・寝る・排泄・脳の働き

  死:心肺停止・冷たくなる 考えるほど 死にたくない 死ぬのは怖い何としても生きたい 

 いろいろ本を読んでも

「死後の世界はある 六道輪廻転生」(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)

「ゼロ・ポイント・フィールド仮説を掲げ 死は存在しない 最先端量子科学 田坂広志」

「死ねば灰になり無に帰する 唯物論的虚無主義」     堂々巡り―→気が付いたこと

   死は生あるものに等しく必ず来る 生と死を対比して考えるのではなく

   死は「生の延長線上にある1点」お迎えが来るその瞬間まで生を全うする      

  「両親から授かった命、大切に」「今を生きて生き抜く」

4.瀬戸内寂聴さん(1922~2021)小説家 天台宗尼僧 文化勲章受章  

  死に頃は88歳頃がいい~定命に従って生きよ  生きている限り①好奇心、 遊び心を忘れず

  ②前向きに生きよ 

挨拶&お喋り 新聞を読む 自分の事は自分でする(食器片付け、洗濯)老妻の家事軽減お手伝い

出来ることは努めてやるが出来る範囲内に止め無理はしない。孫ひ孫の成長 自己流お目覚め体操 (寝たきりにならぬよう)転倒予防体操 アーモンド10粒/日 もうすぐ歩けなくなるだらうから今のうちに歩いておく(家に帰って携帯の歩数を見るのが楽しみ)公園のベンチで小休止

老人会親和会の体操の会 写経の会 囲碁の会(ボケ防止) 卒業70周年同期会に出席したい

 Daily habits to beat aging

  1. to do One good deed
  2. to converse with Ten people
  3. to write One Hundred letters

 1,000. to read One Thousand letters (満足に出来ているのはこの項目のみ)

 10,000. to walk Ten Thousand steps 


追悼 谷村新司さん

2023年10月23日 11時18分10秒 | 写経の会

                                   親和会 写経の会

謹んで哀悼の意を捧げます

谷村新司さん 令和5年10月7日74歳で死去 河内長野市生まれ シンガーソングライター

 1972年堀内孝雄、矢沢透とバンド「アリス」ボーカル、ギター担当「人生哲学:誠意を尽くして生きていても思いがけないことって起きる。人は「どうして」と思うけどそういうこともあるんだと受け入れ穏やかに生きていく。そんな覚悟を持っていられればといつも思う。当たり前だと思っている日常が奇蹟の連続だと気付いたら全てに喜びを感じることができる。人って最終的には一人。だから誰かが喜んでくれることを自分の喜びにしたい          

                                            読売新聞より

昴 1980年 作詞・作曲 谷村新司
目を閉じて 何も見えず   哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より     他に見えるものはなし
ああ 砕け散る       宿命の星たちよ
せめて密やかに       その身を照せよ
我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ

呼吸いきをすれば胸の中    こがらしは吠なき続ける
されど我が胸は熱く      夢を追い続けるなり
ああ さんざめく      名も無き星たちよ
せめて鮮やかに             その身を終われよ                               

 我も行く 心の命ずるままに 我も行く さらば昴よ

ああ いつの日か         誰かがこの道を
ああ いつの日か         誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ 

我は行く さらば昴よ

「昴」は、冬の星座・牡牛座の構成要素である1星団(多くの恒星が集まったもの)「昴」のほか「プレアデス星団」とも呼ばれる。

「物質文明にサヨナラを告げようという意味」    『谷村新司の不思議すぎる話』

「昴」は「王者や農耕の象徴」とされ、とりわけ古代中国においては「財の星」とも呼ばれる「物質の豊かさのシンボル」
そんな「昴」に別れを告げることは「お金や物への執着を捨てて精神的な豊かさを追求すること」「過去を振り返っても目立った足跡がない」「哀しくて目を開ければ 荒野に向かう道より 他に見えるものはなし」には「何も成し遂げていない過去を振り切って前を見ても、未来にさえ荒涼たる寂しい道があるばかり」といった物悲しさが感じられる。
誰も歩かない道を前にする夢追い人の孤影が目に浮かんでくる。「精神的な豊かさの追求」と合わせて「目に見える物しか信じない価値観を破壊し、目に見えない精神的な豊かさを大事にする価値観を創造しよう」.

1番では「我は行く」が2番では「我も行く」これが「その身を終わらせようとする星々」に対する声かけだとすると「私も終わり(=死)に向かっていく」
そして「心の命ずるままに」は「夢への情熱の赴くままに」そう考えると、死が近づいてなお「精神的な豊かさ」を追求しようとする成熟した夢追い人の姿が想像出来る。