親和会

地域自治会の親睦会の活動&トピックスなどなど~

50年後の地球 私を語る 私の故郷

2016年08月18日 17時06分29秒 | サロン関連資料

                     H28.8.6

Ⅰ 「50年後の地球」         飯田 弘文               1

 50年後のといっても、誰もがすぐにイメージ出来ないであろう!
 試に今から50年ほど前の1960年代の社会を眺めてみよう。
 復興をとげた日本は高度経済成長の真っ盛りで、1964年には
 
 各地で発生する公害問題とともに学生運動のうねりに列島全体が揺れた。
国際的にはベトナム戦争が泥沼化し、中国では文化大革命が吹き荒れた。
 文化的にはビートルズが社会現象を巻き起こした。
 世界各国の知識人で構成された民間シンクタンク「ローマ」が公刊され
大ベストセラーとなった「成長の限界:ローマ・クラブ」“人類の危機”が
良く知られている。
 「爆発的な人口増加に対して食料の増産は限度があり、資源はただただ
減り続け、いまのまま人口増加や環境破壊が続けば、あと20年で石油が
枯渇し、人類の成長は限界に達する。」
 しかし、その予測は現実のものとならなかった。

*世界に山積する課題
  ①気候変動 ②人口増加 ③食料・水・エネルギーの不足

1:気候変動
 産業革命から本格化人類の経済活動による温室効果ガスの排出によって
地球の温暖化が急速に進んでる。
 20世紀は、若しかしたら地球の歴史の中で最も気象に恵まれた100年
だっといえるのではないだろうか。人口が16億人から61億人に爆発的に
増えても、それを食べさせるだけの農業・生産開発がなされてきたからである。
 ’05年8月、米国南部にハリケーン(カトリーナ)が上陸し1,800人以上が、 
死亡した。’08年5月、ミャンマーではサイクロン(ナルギス)が上陸し、大雨、
や高潮などにより、8万人以上が死んだ。’13年11月、フィリピンに上陸した、
台風30号(ハイエン)によって6200人以上が死亡し、1700人が行方不明、
 年間1,700mmを超える豊かな降水量を誇る日本では海外における
干ばつの被害は実感がわからないかもしれない。
 しかし、近年の雨の降り方には、「異常」を感じざるを得ない。
 ’14年8月中旬、広島で夜中に3時ぐらいで200mm超、最大1時間降水量
101mmという観測史上最高の降水量を記録して、斜面の土砂崩れで、
74名の方がなくなられた。
 ’15年9月記録的な豪雨で茨城県常総市の鬼怒川堤防が決壊した、
大災害は記憶に新しい。

*1891年から2013年までに、世界の平均気温は百年当たり0.7°C
  上昇した。海温上昇は0.51°Cである。
*温室効果ガスの中で最も多いのはCO2(炭酸ガス)で、大気中には0.04%
  という微々たる量しか存在しない。
  ところが、CO2は一度大気に出てしまうと分解せず、寿命は三百~
  五百年と長い
* メタン(CH4)も人為起源の温室効果ガスで、CO2の約25倍の温室効果
2
*また、無視できないのが、牛や羊、ヤギのゲップによるメタンの影響である。
  四つの胃袋を持つ反すう動物が出すガスは、世界の温室効果ガス排出の
  4%を占める。自動車・バス・航空機・船舶などの輸送による排出が占める
  14%にくらべても馬鹿に出来ない。なお大気中のメタンの寿命は12年
  である。
* 気温の上昇によって、過去20年にわたり世界の陸地面積の1割をしめる
  グリーンランドや南極の氷床が融けている。北極の海氷面積も減り続けて
   いる。
* 日本のCO2排出量は2013年で中国、アメリカ、インド、ロシアに次いで 
  5番目、2030年度の温室効果ガス削減目標を2013年比26%減とする
  ことを公表した。

*温暖化の影響で2030年まで干ばつの深刻化、農作物の収穫減、
  食料価格上昇、洪水などの災害、マラリアなど疫病の蔓延が重なり、
  サハラ以南のアフリカと南アジアを中心に貧困層が1億人増加!!
  熱波や感染症、テロの危機は富裕国も例外でない!!

 

 

Ⅱ 人口問題

  2060年代はじめに人口は100億人を超える!!
  まず、地球のこの2千年間 における世界に人口の推移をみると、
  西暦元年に2~4億人、1800年に8~11億人、1900年に
  15~17億人、つまり今から百年前、世界の人口は現在の中国を
  上回る程度の人口であった。20世紀に入って人口は急増し、
  2000年に61億人、2011年に70億人、2015年に72億人になった。
  予測によると100億人を超えるのは2062年と予測されている。
  20世紀人口が増えた地域は中国、インドを中心とした。アジアで
  あっつたが、今後は圧倒的にアフリカが増えると云われている。 
   一方、日本の人口は、奈良時代で450万~600万人、室町時代は
  1000万人、江戸幕府が始まるころは2000万人、明治のはじめは
  3,000万人、大正初めは5,000万人、第二次大戦が終わったころは
  7,500万人、2000年に1億2,000万人、2005年に出生数が
  死亡数を約2万人下回り、1899年統計開始以来、日本の人口が
  初めて減少に転じた。
*1989年に女性が生涯に産む子供の推定人数を示す合計特殊出生率が
  1.57と過去最低に!!「1.57ショック」と騒がれた。
*2017年ぐらいから毎年50万人減っていき、2030年代に年間100万人、
  2050年9,700万人、、2060年に8,600万人、2015年から45年で
  合計4000万人減ることになる。
*2046年ごろにはマイナス1%にまで落ち込む。これは70年間で半分になる 

*2015年 男女とも過去最高:・・男・80,67歳、女性・87.05歳
   ただし世界一の座は女性は香港(87.32歳)に明け渡した。
  男性は香港(81.24歳)アイスランド(81歳)、スイス(81歳)に次いで4位

*日本の高齢化率は3回(15年)連続・世界一:26.7%(65歳以上)

*千年後に日本人はいなくなる?
 高齢化の要因は,もちろん寿命が長いということがあるが、実は出生率が低い
 ことが最大の要因で、日本はその二つが重なっている。
 日本の少子化対応が遅れたのは、高齢者が長生きしたために見かけ上の
 総人口は増え続ゖていたことによる。

 

Ⅲ 水・・切羽迫る争奪戦                                          3

温暖化によってかなりの広い範囲で干ばつ現象が深刻になっている。
「水の過剰」に対しては知恵と技術によって対処する術はあっても、
「水の欠如」は人間にとって致命的である。
アフリカや中東、中央アジアといった五千年来の乾燥地帯の砂漠化が
進んでいるだけではない。
青い空と海が広がるリゾート地としてイメージが強い米国カリフォルニアでも
2011年以降、四年連続で大干ばつが続いている。
2013年1月~2014年3月までの15カ月間の降水量は平年比30%前後で
雪も降らず、ロサンゼルス近郊で森林火災が発生して、約1、300haを焼き  
 
野菜と果物の全米収穫量の半分はカリフォルニア州で生産されており、
この地域でこれだけ水が不足すると、オレンジ・グレープフルーツ・アボガド・
イチゴなどの果物の生産活動が成り立たない。

*地球上の水の約97.5%は海水で、淡水は2.5%である。
*淡水のほとんどは南極や北極の氷だ。
*83%は地下水、氷山、氷河、雪渓などで、人間は地球上にある淡水のうち
 残りの17%しか使えていない。
*20世紀の百年間で人口は3.8倍になったが、取水量は7.7倍になった。
*世界人口は毎年8,000万人増加している。これは世界の水需要が毎年
 640億m3増加している。 

*中国はいま、日本で高度成長期に問題となった大気汚染(PM2.5)と
 河川および土壌の重金属汚染に直面している。エネルギー源の7割が
 石炭である。中国には輸入しなくても自前の石炭があり、それだけ安い。

日本は年間840億tの水を使用している。人口1億2,000万人として、
一人当たり年間700ton。.農業用水が500ton,工業用水が100ton,
生活用水が100ton。水をめぐって世界と日本が大きく違うのは、今後日本は
人口が急激に減少するため、水需要はのびない。
日本は、年間降水量が1,700mm超え、世界の平均が1,000mmで、
水資源は豊かだが、食料輸入という形で海外に依存している。

*なお、日本の食料自給率(カロリーベース)39%である。先進国では最低である。
世界最大の食料輸入国である。その輸入額は世界全体の一割を占めている。

Ⅳ エネルギー・・・・危機から変革

*世界のエネルギー資源は有限である。2014年から 石油の可採年数は
 53年、天然ガス(LNG)は、56年、石炭は109年、ウランは93年といわれ
 ている。ただ、北極圏のグリーンランドに原油の埋蔵が確認されたり、
 アメリカで新資源「シェールガス」の採取技術が開発されたり、様々な要因で
今後、化石燃料の可採年数は増減するだろう。

*2030年の我が国の「エネルギーミックス」は再生可能エネルギーは22~24%、
 原子力が20~22%、その他は石油3%、石炭26%、天然ガス27%である。

Ⅴ:自然災害大国の日本                                                 4

*日本は4枚のプレートの境界に位置し、海底地盤が弱いため地震が頻繁に
 発生し、火山が噴火する。 地球上で最も地震のリスクが高い国だという。
 四方を海にかこまれ、津波の被害も多い。国土の約6割が山岳で土砂くずれや、
 川の氾濫や、台風の通り道で、暴風雨被害も多い。
*日本の国土面積は全世界の0.28%なのに、世界で起きたM/6以上の地震
 の20%は日本で起きている。世界の活火山の7%が日本にある!! 

      

私の故郷            平成28年3月12日 小井沼敏光 

栃木市の地理的位置は

栃木市は県南部に位置し、鉄道として栃木駅はJR両毛線、東武日光線と

交わり、都心より約1時間強で行ける。 また高速道路は東北道、北関東

横断道路と交わる栃木インターチェンジが利用でき、都心より約80キロ。

北には日光連山(男体山等)東には筑波山、西には太平山が近くにり、南に

太平山頂より眺めると陸の松島と言われる三毳山(みかもやま)の山並み、

そして関東平野が広がり、冬の見通しの良い日には遠く富士山、東京ツリ

ータワーモ見ることが出来る。

 

歴史的生い立ち

   栃木市は古い時代より下野の国の重要な位置にあり、全國でも有数の古墳地  

   帯で、律令時代に国府が置かれ、現在も近郊に建物が復元され、国府と言う

   地名も残っている。また奈良時代には勝道上人により出流山に万願寺を、平 

   安時代には慈覚大師により県立公園である大平山が開かれた。

   また藤原秀郷の子孫がこの地方に勢力を張り、鎌倉・室町時代には皆川氏が皆

   川城を築き、出先として栃木城を築いたとも言われてる。

   戦国時代には小田原の北条氏、越後の上杉氏、東北地方より宇都宮氏、東から

   佐竹氏とそれぞれの勢力が進出するなかにあって戦乱は絶え間なく続いたが、

   豊臣秀吉の小田原城攻略の際、時の領主 皆川広照は北条氏との盟約により 

   小田原城に入るも、その留守中に豊臣方の派遣軍に攻められ、皆川城は落城

   された。現在でも皆川城の城址があり、山城で高さ147mの台形で、その

   形から【ほらがい城】とも呼ばれてる。

   しかし、徳川家康に好を通じており本領を安堵され、本格的に栃木城を構築、

   街づくりを行い、現在の栃木の基を築かれた。

      慶長14年(1605年)皆川氏は改易され、本多大隅守の支配となり、栃木

      城も取り壊され城下町より商人の町えと発展した。

   徳川家康が死後、日光東照宮に祭られ、京都より中仙道を通り、上野の国、

   倉賀野より日光までの街道を日光例弊使道と言い、例弊使一行は毎年、栃木

   市を休憩所として指定される町となった。また市外地の中心を流れる巳波川

   を利用した舟運によって物資の集積地として北関東屈指の賑わいを見せ、江

   戸との交易を通し文化・経済ともに隆盛を極めた。

   栃木市より渡良瀬川を経由し利根川に入り、野田の運河を経て江戸に入る、

   または銚子を経て江戸にいたる

   日光例弊使とは

       京都より持参した金の弊束を東照宮の神前に供えると、前年供えた弊束を神

      前から下げて、細かに刻み、奉書紙に包んで、『東照権現様のご神体』と記し 

      て、帰途、江戸在住の大名に配った。これ対いし、各大名たちは自分の家格に

      応じて御初穂料を納め、例弊使はその収入で安楽な生活が営めたと言う。また

      正月三ヶ日間の天皇の残飯のほし飯を以って八万個の、お供米の包みを作り、

      この一包みごとに16葉の菊の御紋を押印して持参、本陣や庶民に与えた。 

      またどんな難病も例弊使の乗ってきた輿の下をくぐると病気が治るとか、例弊

      使の入浴した風呂の湯を飲むと病気が治ると信じられていた

 

 天狗党の出現

 1864年4月水戸藩の過激な尊王攘夷論者である藤田小四郎が、幕府の外国

 に対する政策に不満をいだき、水戸町奉行 田丸稲之衛門を大将と仰ぎ、63

 名の同士と共に筑波山で兵を挙げ、日光東照宮に祈願に訪れたが断られ、栃木

 の太平山に向かい200名あまりが40日間逗留した。その後、町に下りて宿

 泊後、田中原蔵が率いる80名の無頼の若者たちが、3万両の軍用金を要求し

 たが町として5千両しか出せないとのことに反発し、武器を略奪した後、油樽

 を買い求め、たいまつを作り、町屋に放火、のべ240の家屋が消失した。当

 時の家屋数の四分の一にあたる。

 この大火が、その後、火災防止のため防火建築として土蔵作りの蔵の町となっ

 たとも言われ、現在でも多くの土蔵つくりの建物が多くあり、国指定の登録有

 形文化財として指定されてる建物が多く残されて蔵の街として観光地とされて

 いる。

 かつては県庁所在地であった。

 明治以降 廃藩置県により明治6年、下野国を一つの県とする栃木県庁の所在

 地となるも、日光県と統合、明治17年県庁は宇都宮へ移された。現在も昔の

 県庁の周りにあった堀が、県庁堀の名称で残っている。

 

 また、町の西北に出流山に万願寺には宿坊もあり『そば』の産地である、また

 麻が広く栽培され、副産物として下駄の鼻緒、麻殻を利用した懐炉灰が生産さ

 れ、また鍋山という山麓で石灰が生産されている。

 

 郡部の中心地として、旧市街には多くの学校があり、小中学校はもちろん、公

 立の高校、男子高、女子高、商業。工業。農学校が7校あり、多くの生徒が近

 郊から集まり、30年前ぐらいには国学院大学の付属校が出来ている。

 また、地方裁判所もあり、家庭裁判所、検察庁、更に女子刑務所があることで

 

 も有名である。

 

 小さな地方都市としては珍しく都市銀行としてみずほ銀行、地銀として足利銀

 行、群馬銀行。栃木銀行 信用金庫等多くの金融機関があると言うことは商業

 が盛んであることによるものと言われている。

 

  有名人としては、文学者として山本有三、 吉屋信子(栃木女子高出身)、 

         画家として田中一村、清水登之、

         実業家 小平浪平(日立の創立者)、

         義人 田中正造(足尾銅山の鉱毒問題)

 

 喜多川歌麿が通用亭徳成の狂歌名をもつ釜喜こと善野喜兵衛に招かれ豪商の

 釜谷伊兵衛方に長い期間逗留したと言われる。その時に『月・雪・花』の三幅

 の大作を描いたとされている。            以上

 

 

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親和会だよりH28.7

2016年08月13日 10時28分15秒 | 親和会たより

       親和会だより   H28-7

                           例会司会 :坂場

1・小井沼会長挨拶、

昨日の雨で、少し暑さも凌ぎやすくすくなりましたが、きょうから小中学校は、

夏休みです。今朝(17日)、東大植物園において、毎年恒例の観蓮会(大賀ハ

スふるさとの会)がおこなわれ、多数の方々(4000名以上)が6時前から

参加されおおいに蓮の開花を楽しまれました。

 

明日17日から24日まで、両自治会と子ども会・親和会の協賛で、畑が丘公園

にて、ラジオ体操の会が朝7時15分から、永島さんらのリードで行われます。

今年で6年目の開催ですが、地域の絆を深める一助になりますので、たくさん

の方々の参加を期待しています。

 

7月2日(土)、のサロンでは、地域のハワイアン演奏グループ:モアニウインズさんが、フラダンス付きで懐かしいハワイアンソングの数々を披露されました。

48名の方々が参加され、演奏家さんら(7名)も喜ばれ、参加者のみなさんが、次回を期待して散会しました。

 

6月26日(日)、市川市文化会館ホールにて、ちばマスターズオーケストラの

演奏会があり、われわれ6名で、交響曲(ブラームス、ベートーヴェン、

チャイコフスキーなど)を鑑賞してきました。交響楽団による生演奏は、

大迫力で感激しました。

私達の人生の第4楽章はまだまだ終曲にしたくありません。演奏家の中には、

成住さんの山友達が居られ、来年は東京オペラシティーで「がん患者が歌う

春の第九演奏会」に出られるそうです。

 

緊急お知らせ:8月28日(日) 千葉混声合唱団演奏会(創立65周年記念演奏会)

演奏曲目は、バッハの“マタイ受難曲”(千葉京銀文化プラザホール、13時開場)

があります。

詳細については、広瀬さん(272-5386)にお問い合わせください。

 

2・審議事項

 忘年懇談会について

  今年度の忘年懇談会の実施計画を早急にすべきとの提案がありました。

  過去の経験からすると、夏の間に計画を作成すべきとのこと。

暫定、11月17日(木)に行うこととし、詳細については、昨年同様、会員の

みなさまにアンケートにてご意見を伺う。

(会場は、自治会館または外部のお店、自治会館の場合は、仕出し屋の選定など)

 

茶話会の設定

  親和会の基であった、“長老さん”たちが、行っていた自治会館での茶話会に

 あたる団欒の場を復活させては如何?との提案あり。

 たとえば、千葉市が後援している、“千羽鶴を折る会”、有志が集まり、お茶を

 飲みながら鶴を折る。千羽製作したら千葉空襲パネル展にて展示、その後広島

 平和記念館へ送る。

 第2、第4木曜日、午前10時~12時の予定で自治会館利用を申請する。

(第一回目は、8月の第4木曜日を計画する。

                          以上  (篠崎 記)

                                                                              

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