水俣病の闘争の検証?記事である。
2017年5月25日から始まり、6月4日で11回目。
一回目5月25日のは、
1970年5月25日の
あの石牟礼道子さんの
仁王立ちの写真(厚生省前での抗議活動)とともに
記事が新聞の第一面に掲載された。
熊本県民にとって、
この水俣病と恵楓園のハンセン病問題は
日本の経済成長の暗部、負の歴史として見せつけられる。
未だに救われない方々がいる。
こういう連載は、さすがに地元新聞でないとできない。
あっぱれだ!
その中に患者さんたちの
腹の底から吐き出した言葉が
記事中にある。
人間としての深いことば、
読者にぐさりと刺さる。
さすがに、新聞記者が掬い取った言葉は珠玉である。
胎児性水俣病の方々と同年代の私。
生まれ育ったところで
この世に生を受けてからの人生がこんなにも違うとは。
ああ自分でなくてよかったと
申し訳ないけれど思うのだ。
申し訳ないけれど~。
生まれ、育ってきた環境で
違いが出てしまう
申し訳ないけれど、
ボクも
こうして
生きながらえて
います
みんなちがってみんないい、
ですかね。
受け入れてもらえる時・事もあれば
受け入れてもらえない時・事もあり。
その違いの豊かさを受け入れるしかないような・・・