続・知青の丘

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「文学とは〈闘い〉であり、〈抗い〉である。」(加藤知子)

2020-10-06 08:59:50 | 俳句
文学とは〈闘い〉であり、〈抗い〉である。
と「We」7号の石牟礼道子論の中で
私は書いています。

私は、今回の件について
現代俳句協会を通じて高野公一氏に
まずは御氏の眼に留まり評を頂いたことにお礼を述べて
(もうひとりの、選評を頂いた高橋修宏氏にもお礼を述べたい)
「後塵を拝した」という具体的な根拠をご教示頂きたいと
質問状?(要望書)を送りたいなと思っています。
今後の勉強の糧にさせていただきたい。

いわゆる「結社」からは退会し所属していなくて、
後ろ盾もいない私です。
誰に気兼ねすることなく、自由に動けます。

しかし、私の胃はチクチクしています
ひとりの闘いはチクチクします。

それでも、
自分の姿勢はなかなか曲げられません。
65になって穏やかな余生を送れるかと思いきや、
そうもいかないところが人生の妙味かもしれません。
まさかの坂ってヤツでしょうか。

私の、俳句界に対する印象は、
男たちによる俳壇政治的世界だということ。
中には女でもマウント獲っておられる方はいますが。
女には作品中心に活動している方が多いように感じます。

そういう中で
無名の女の
(この前、自分の第1句集が我が家には1冊しかないので、
アマゾン古書に出てれば買おうかなと思って検索かけたら、
なんとこの無名の者の句集に1万円の値を
付けて出してくれていました。
誰も買わないと思いますが、
200部限定上製本ですもんね)

身の程を知らない闘いは、
躰に障りますかね。

心とは誤差かと秋の川ゆく  竹本仰

俳友の竹本仰の近作です。
誤差とは、ウィキペディアによれば、
真の値と測定値または近似値との差 とある。
何らかの特定の意味を持つ対象について、
実際に得られた値が、本来の値からどれだけずれているかを表わす量であるとも。

「秋の川」は納得できる。
春のうわつき感はなくて、冷静さがあろうから。
そして、ひとり考えながら川べりを歩くてゆくのである。
方円の器に従う水になれたらいいな
(否、なりたくないな)と思いながら。

人のこころのなんと厄介なことだろう。

自分の理想としたい生き方を選びたいという心と
現実的な対応を迫られる心と。
人の心は常にそういう状態にあるといえましょう。

誤差は量とあるから、心は容れ物
心が重くなるという一般的な表現もこれまた納得できる。

いま、期限のある大事な仕事を抱えています。
熊本県現代俳句協会設立30周年記念合同句集の編集と
拙句集の印刷に入る前の最終段階の時期にあります。

近いうちにケリがつくので
質問状はその後になるかと思っています。

文学とはチクチク刺さるものである <知青の格言②>



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