災害復興は4年くらいでは上手くは行かない。これから更にオリンピックの方へ工事は邁であろう。それでは被災した国民はどうなるだろうか? 東京オリンピックなどに期待する国民は非国民である。
プーチンがクリミアに核兵器を配備して第3次世界大戦を準備している。いよいよ世界滅亡の日は近づいている。かつて、『核戦争を待望する人々』という本が出され、ソ連が崩壊して冷戦は遠のいたが、核兵器が使われる敷居は高まった。だてに人類は核兵器を創りだしたのではない。使うために作ったのだ。
日本人はこれからもどんどん不幸になるだけである。つまらぬ物を欲しがらぬ事である。自分の時間が奪われていることに気づくことである。今、10代でも築くとアラフォーを超えていることになる。もうその時には、棺桶に肩迄使っている。
携帯やスマホを使用しているとあっという間に20年は過ぎる。インターネットを初めて20年はあっと言うまであった。
18歳で東大に入学するほとの少年はたいていの大人よりは頭が良いはずである。20歳以下でオリンピックに出場する少年も身体能力は大人を超えている。果たしてこの少年とするモンスターたちを子供扱いしてよいのだろうか? ビル・ゲイツにしても16歳頃に起業している。
ある意味成人に達しているが能力・体力共に赤子以下の人間もいる。これらの人々にも国を左右する選挙権を与えているが、果たしてそれでよいのだろうか? これでは選挙で選ばれる人々が碌でなしが少なくない。弁護士でも医師でも資格試験に合格したと言っても人格が破綻している人間が少なくない。
人間を決めるのは人間である。決める側の人間が正常であることを決めるのも人間である。つまりこのように決める役割を果たす存在が神でもなければ、本当の正しい社会を構成することはできない。数学も同じである。決して、数学の真実性を決めることが出来ないのは人間が介入しているからである。
少年法で少年の名前や顔写真を公表してはならい事になっている。公表しても犯罪を無くすことは出来ないという弁護士がいる。それでは成人でも同じであろう。もし一切公表しないとすればどうなるのだろう。極悪少年が逃亡し色々な場所で殺人を起こした場合、顔写真が公表されていない場合も安全なのか?
五木寛之の『下山の思想』を読んでいると「統計はあてにならない」という。統計は故意に操作されるという。国が発行する『白書』というものがある。官僚たちに話を聞いた。「あんなものいい加減だから」。制作しているご本人の言葉である。ナルホド、ナルホド。信じるものは阿呆だった。
損保保険の保険屋から聞いたが、事故は急激に増えているという。しかも自賠責や任意保険にも加入していない人々が増えだしているという。後日、その保険屋自身が飲酒運転で人身事故を起こしてしまった。
オリンピックの金メダリストが、プロの世界に転向することがあるが、実際はプロとオリンピックの金メダリストの差は歴然としている。まず格闘技などでそれは如実に体験される。本当の実力は金が稼げるプロの世界である。そう考えてみると世界のトップに立つ日本人は少ない。いや皆無である。
立派な人間が権力の座につくことは、過去から現代に到る迄完全といえるほどなかったのである。
ノーベル賞は世界で最高の業績を果たした人に贈られると考えられがちであるが、決してそういうものではない。受賞していない人々の中にも優れた業績の人もいるのである。
芸術家は美しい人が多い。もっとも並みの芸術家の事ではない。天才と呼ばれる芸術家である。それに比べコックはジョエル・ロブションでさえ汚い顔をしている。料理人を芸術家と呼ぶ放送大学の教授がいるが阿呆である。