流れ星をみつめるこの後ろ姿の二匹にはモデルがいる。
名前は“小春”と“小夏”。 その名付け親は、昨年暮れにご紹介した絵本『うさぎのユック』の原作者 絵門ゆう子 さんである。
2002年のちょうど今頃・・・、先日17回目を終了したばかりの聖路加画廊で、まだ2回目の会期中に絵門ゆう子さんと出逢った。
それがきっかけとなり、2004年の秋には絵本制作という素晴らしい機会をいただくことになった。
『うさぎのユック』が完成するかしないかのうちから、絵門さんは顔を合わすたびに「第2弾を・・・」と張り切っていた。 彼女の頭の中だけにあった第2弾のアイデア・・・。 その中には愛猫二匹のイメージがあったようだ。
「参考までに渡しておくね」
そう言って手渡された5~6枚の写真には、まだ仔猫の頃の“小春”と“小夏”のじゃれあう姿が写っていた。
第2弾の絵本は実現しないまま、2006年の春に絵門さんは天国に旅立った。
二匹の写真は私の手元に残されたまま・・・。
その年の秋、ボザール・ミューでの個展にこの『願い』を描いて出品した。
第2弾制作の夢が果たせなかった無念さと共に、絵門さんへの追悼の気持ちがこの絵を描かせたのかもしれない。
大好評をいただいたが、その個展中に買い手がつくことはなかった。 余りに好評だったので、そのことはむしろ不思議にさえ感じた。
年明けの聖路加個展にも出品。 展示作業を終えたとき、気のせいか『願い』がその場所にとてもしっくりと合っていて落ち着いて見えた。
そしてその時も前回に勝るとも劣らないほどの人気を集めながら、なぜか買い手がつかないまま迎えた4日目・・・。
「この絵・・・、取っておいてください」
そう言ってくださったのは、このとき初めてこの絵を見た絵門さんのご主人だった。
ご売約済みを表す赤丸のシールを貼ったあと、何人もの方がこの絵を欲しがられ、売約済みになっていることを悔しがられた。
絵門さんのご主人がご覧になるまで、他の方には絵の中の二匹が “買っちゃダメ”オーラでも出していたのだろうか・・・。
その時、私はふっと思った
人が絵を選ぶのではなく、絵が自分の居場所を決めるのだ・・・と。
一作一作それぞれの絵がお世話になる先は、まさに“運”と“縁”によって決まるのかも知れない。
それは描き手の私がどうこうできることではなく、描かせてもらったことにただひたすら感謝しつつ、その絵の運命を素直に受け入れることが絵に対する礼儀なのだろう。
『願い』は今、絵門さんが過ごされたご自宅にご主人によって飾られている。
ご主人の背中をそっと押したのは、絵の中の二匹か、それとも天国の絵門さんか・・・?
聖路加個展の頃になると、毎年そんなことを考える・・・。
名前は“小春”と“小夏”。 その名付け親は、昨年暮れにご紹介した絵本『うさぎのユック』の原作者 絵門ゆう子 さんである。
2002年のちょうど今頃・・・、先日17回目を終了したばかりの聖路加画廊で、まだ2回目の会期中に絵門ゆう子さんと出逢った。
それがきっかけとなり、2004年の秋には絵本制作という素晴らしい機会をいただくことになった。
『うさぎのユック』が完成するかしないかのうちから、絵門さんは顔を合わすたびに「第2弾を・・・」と張り切っていた。 彼女の頭の中だけにあった第2弾のアイデア・・・。 その中には愛猫二匹のイメージがあったようだ。
「参考までに渡しておくね」
そう言って手渡された5~6枚の写真には、まだ仔猫の頃の“小春”と“小夏”のじゃれあう姿が写っていた。
第2弾の絵本は実現しないまま、2006年の春に絵門さんは天国に旅立った。
二匹の写真は私の手元に残されたまま・・・。
その年の秋、ボザール・ミューでの個展にこの『願い』を描いて出品した。
第2弾制作の夢が果たせなかった無念さと共に、絵門さんへの追悼の気持ちがこの絵を描かせたのかもしれない。
大好評をいただいたが、その個展中に買い手がつくことはなかった。 余りに好評だったので、そのことはむしろ不思議にさえ感じた。
年明けの聖路加個展にも出品。 展示作業を終えたとき、気のせいか『願い』がその場所にとてもしっくりと合っていて落ち着いて見えた。
そしてその時も前回に勝るとも劣らないほどの人気を集めながら、なぜか買い手がつかないまま迎えた4日目・・・。
「この絵・・・、取っておいてください」
そう言ってくださったのは、このとき初めてこの絵を見た絵門さんのご主人だった。
ご売約済みを表す赤丸のシールを貼ったあと、何人もの方がこの絵を欲しがられ、売約済みになっていることを悔しがられた。
絵門さんのご主人がご覧になるまで、他の方には絵の中の二匹が “買っちゃダメ”オーラでも出していたのだろうか・・・。
その時、私はふっと思った
人が絵を選ぶのではなく、絵が自分の居場所を決めるのだ・・・と。
一作一作それぞれの絵がお世話になる先は、まさに“運”と“縁”によって決まるのかも知れない。
それは描き手の私がどうこうできることではなく、描かせてもらったことにただひたすら感謝しつつ、その絵の運命を素直に受け入れることが絵に対する礼儀なのだろう。
『願い』は今、絵門さんが過ごされたご自宅にご主人によって飾られている。
ご主人の背中をそっと押したのは、絵の中の二匹か、それとも天国の絵門さんか・・・?
聖路加個展の頃になると、毎年そんなことを考える・・・。
このお話を伺って、感動しました。
Hiro.さんも絵を描かれるから分かっていただけると思いますが、自分が描いた絵でも、思いもよらぬ力を持っていることに気付く時がありませんか。
時として、何か大きな力に描かされたような感覚に襲われることがあります。
絵の神様がいるのかな・・・???
ありがとうございました。
個展の時、猫が嫌い!という老婦人から、Hiro.さんの猫なら好き!と言われた時は本当に嬉しかったです。
又ある時、ご注文の、手のひらに乗る大きさの額に納める小さな犬の絵をお渡しして、ウチの子にそっくり!と言われた時、これは私の力ではないと思いました。絵の神様に描かせて頂いたのだと思っています。
天から与えられた力をGiftというそうですね。
山中先生はお人柄の良さに比例して、大きな力を受ける事が出来るのだと思います。
先生を見習って、Giftを受けられる素直な心を持ち続けたいと思います。
でも、ちょっと恥ずかしいですが・・・。
“GIFT”素敵な言葉ですね。
私が絵の神様からGIFTを与えられているかどうかは分かりませんが、絵を愛し、生き物を愛し、笑顔を愛する人には、神様はきっと平等にGIFTをくださると思います。
ありがとうございました。